城郭「京都新城」跡発掘@京都市埋蔵文化財研究所
5月
13日
「京都新城」は慶長2(1597)年、御所の南東に、東西400メートル、南北800メートルにわたって築かれたとされています。<秀吉>の死後は正室、<高台院(北政所)>の屋敷となり、<高台院>が寛永元(1624)年に亡くなると徳川幕府が解体、同所に<後水尾上皇>の仙洞御所を造営しました。
今回、消火設備の設置に伴い、仙洞御所の一部125平方メートルを調査したところ、石垣が南北8メートルにわたり出土しました。加工していない石を積み上げる野面積みと呼ばれる工法で3、4段積まれた石垣の周辺からは、豊臣家の家紋「桐」などが入った大量の金箔瓦の破片が確認されています。
調査の結果、石垣は京都新城の堀の一部だったと断定。金箔瓦の出土量から城を囲う堀の西側の側壁とみられています。堀の幅が推定20メートルになることも確認されています。