ご冥福を祈ります<ジーン・バッキー>さん
9月
15日
日本球界で通算100勝(80敗)を挙げ、1960年代に「阪神タイガース」のエース投手として活躍した<ジーン・バッキー>(1937年8月12日~2019年9月14日)氏が14日(日本時間15日)、出血性脳卒中のため米ルイジアナ州の病院で亡くなっています。82歳でした。1964年には29勝を挙げて優勝に貢献しました。
阪神、そして球界に歴史を刻んだレジェンドでした。サウスウエスタン・ルイジアナ大から米マイナーリーグでプレーしていましたが、1962年シーズン中に解雇され日本に新天地を求めました。来日して阪神の入団テストを受け、合格。同年は0勝ながら、陽気さと真面目な性格を買われて残留。1963年に8勝し頭角を現すと、3年目の1964年に急成長。29勝(9敗)を挙げ最多勝、防御率1位(1・89)、そして外国人では初の沢村賞を獲得するなど、球史に残る名助っ人となりました。
1965年6月28日巨人戦のノーヒットノーランもまた、外国人初の快挙でした。1968年8月27日の広島戦では、日本通算100勝を成し遂げています。
1968年9月18日、甲子園での巨人戦で<王貞治>への内角球から大乱闘に発展。右手親指を骨折しました。1969年には近鉄に移籍しましたが0勝7敗に終わり同年に引退しています。引退後は米国で教師や牧場経営をしていました。2018年11月に発足した日本プロ野球外国人OB選手会では名誉会長を務めていました。