ご冥福を祈ります<リー・アイアコッカ>さん
7月
4日
東部ペンシルベニア州のイタリア系移民の家庭で生まれ、1946年に米フォード・モーターに入社し、若者を中心に大ヒットした低価格のスポーツカー「マスタング」を開発して同社の躍進を支え、1970年に社長に就任。その後、創業者一族との対立で1978年に社長職を解任されました。
翌1979年にライバル社のクライスラーの会長に就任。石油ショックの影響や日本車の台頭で経営危機に陥っていましたが、議会を説得して政府の債務保証を取り付けた上、自らの年俸を1ドルに削減。中型車や小型車の開発にも注力し、クライスラーを黒字経営に転換させました。
1980年代に激化した日米貿易摩擦では日本車の対米輸出を批判する「日本たたき」の急先鋒に。1992年にクライスラーを辞めて引退しましたが、1984年に出版した自伝(『アイアコッカ ーわが闘魂の経営』ダイヤモンド社刊)が世界各国でベストセラーとなるなど米産業界を代表する経営者として知られていました。