《囈(49)“Coffee-break・独特な形のカメラ”❖21-312》

SIGMA dp0 Quatt... SIGMA dp0 Quattro。
dp0 Quattroで撮影。... dp0 Quattroで撮影。ピンぼけか手ブレか??
《”尖ったデジカメ!?!” 》
ここ数年、主に帯同しているデジカメはSIGMA dp0 Quattro。
SIGMA dp0 Quattro本体の形もユニークだが個性的なデジカメ。
而して、dp0は14mm(35mm判換算で21mm相当)の広角レンズ。
そのレンズ構成はまさに豪華絢爛。高性能レンズを使い超広角。
「ディストーションゼロ」歪み0.5パーセント。このレンズの凄味。
広角は周り周辺が歪むことは、当前。その概念を打ち砕いた。
foveonセンサーは、等倍にしても画像が鮮明、建築物撮影に適している。
更には、カラーモードも多種、RAW現像すると更に良い。
基本をマスターしていない。それなのに魅力的なデジカメが次々に出てきた。
dp0を使うにあったって、オートフォーカスではなく、マニュアルフォーカスで。
所が、ピンぼけばかりで・・・目の治療をしないといけないか???
それにもまして思うことがある。機材が軽すぎてブレるとおもえもする!?!
「令和参年(皇紀2681年)11月08日、記」

 



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《囈(48)“Coffee-break・・・デジタルカメラ”❖21-311》

NikonのCOOLPIX S... NikonのCOOLPIX S4。使い勝手が良かった。画像は、借り物。


NIKOND40 NIKOND40


SIGMA dp0 Quatt... SIGMA dp0 Quattro。超広角、35mm換算21mmレンズ仕様。
LCDビュウファインダー装着画... LCDビュウファインダー装着画像。
《”便利、自分で自由自在に加工できる写真!?!” 》
感光材(銀塩フィルム)の化学反応を用いたフィルムカメラ。
その仕様に取って代わった、便利で効率よい画像保存方法の登場!!
CCDやCMOS等の撮像素子やフォトダイオードによる光電変換する方法。
電気信号をデジタルデータ化し、メモリーカード等に保存する仕様。
それが、デジタルカメラ。従来のフィルムカメラは、好事家だけの宝物。
フィルムカメラ関連の事業は激減しているのが今の現状だろう!?!
レンジファインダー、一眼レフ型カメラを使ってきた者には、デジカメは???
細かすぎる仕様。色々な操作で独自の風合いが出せる利点はあるが!!
今後、どんな仕様になるのだろうか??望むは、簡単・シンプルで尖った機だ。
デジカメを最初に面白いと思い入手したのがNikonのCOOLPIX S4だった。
レンズ回転式構造をニコンでは「スイバル機構」と呼んでいた。
COOLPIX S4は、その機構を採用した10代目の機種。
1/2.5型の600万画素CCD、10倍ズーム、2.5型液晶モニター、単三電池駆動。 
次に手にしたのは、NIKOND40。デジカメ初心者向けで且つコンパクトカメラ。
重厚なNIKONにあって軽量化と新画像処理エンジン搭載、使い勝手が良かった。
今、最も愛用しているデジカメは、SIGMA dp0 Quattroという特異なデジカメ。
SIGMA dp0 Quattro、上から見ると異様!!怪しげなデザインが凄いって感じる。
SIGMAカメラの欠点としてISO感度を上げるとノイズが乗りやすさに苦慮する。
而して、PC上でRAW現像をする必要があるクセが強い「じゃじゃ馬」的なのだが!!
つかっている者とすると実に楽しく然と挑戦し、乗りこなせたら最高である。
画角に歪みが無い。dp0は14mm(35mm判換算で21mm相当)の広角レンズ。
而してdp0は、「Foveon X3イメージセンサー」と云う独自のセンサーを採用している。
独特な質感描写を生み出すシステムとして注目、使って見てビックリであった。
一般のカメラは「ベイヤー式」、光の3原色RGBを互い違いに並べて構成するセンサー。
SIGMAのカメラは3層になっていてそれぞれの層で色を受け止める仕組み。
「ベイヤー式」は1枚のセンサーを3色で分割する為、それぞれの色情報が少なくなる。
一方でSIGMAは3枚のセンサーで各色を受け止めるので、色の情報が豊富である。
Quattroシリーズは、一番上のB層を4分割し情報処理の効率を格段に改善している。
独自路線をひた走る「Foveon センサー」のシグマというメーカーに期待している。
フルサイズFoveonセンサー搭載カメラの製品化を注目しながら待ち望んでいる。
「令和参年(皇紀2681年)11月07日、記」
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《囈(47)“Coffee-break・・・中判写真機”❖21-310》

ASAHI PENTAX 6☓... ASAHI PENTAX 6☓7



MAMIYA RB67 MAMIYA RB67
《”独創的中判カメラ!?!” 》
レンジファインダーから一眼レフ型カメラへ傾斜した日本写真界。
20世紀後半、報道写真の世界では一眼レフは、大活躍(現在もだが)。
とは言ってもプロの世界では、色々な用途に用いるカメラが多種類あった。
静物を撮る、コマーシャルに使う写真、それ等に適したカメラも存在した。
ブローニー判という少し大きなフィルム用カメラ群は、色々あった。
中で関心を持ったカメラが2つ、アサヒペンタックス6X7、マミヤRB67である。
アサヒペンタックス6X7、35mm一眼レフを大きくした形のカメラであった。
マミヤRB67の方は、ハッセルブラッド等の6☓6判一眼レフに似た形態だった。
プロの世界では6☓6一眼レフ=ハッセルブラッドで、信頼愛用されていた。
写真報道では35mm一眼レフが多用されるのは、当然の理である。


畏敬の念を持つ写真仲間(写真を生業としていた)の幾人かが天星した。
僕より一回りも若い人々。言葉、持てない。
国産製機材に拘った人達。僕は、アサペン67もマミヤRB67も使ったことない。
プロ故に撮影した画像は素晴らしい。彼等の言葉、おれ達・・日本人!!
「令和参年(皇紀2681年)11月06日、記」



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《囈(46)“Coffee-break・・・写真機文化の変遷”❖21-309》

アサヒペンタックス... アサヒペンタックス


初期ニコンF... 初期ニコンF

PC(アオリ・シフト)Nikk... PC(アオリ・シフト)Nikkor 35mm




ニコンF フォトミック ニコンF フォトミック
《”一眼レフ全盛時代懐古!?!” 》
レンジファインダーの完成型カメラの出現で日本のカメラメーカーは兜を脱いだ。
1950年代のカメラ業界の行く末を決定付けたモデルがLeica M3だろう。
太刀打ち出来ないと諦めたのか(Nikon SPは、充分に戦えると思ったのだが)??
日本のカメラ製造メーカーは、一眼レフ型カメラに舵を切った。
黎明期の一眼レフの欠点が、「撮影の際にブラックアウトする」であった。
これを解決したのが、旭光学工業(現リコーイメージング)のクイックリターンミラー仕様。
1954年に発表されたアサヒフレックスIIb(旭光学工業)に装備された。
今ひとつ、「絞り込むとファインダーが暗い」という欠点も日本のメーカーで解消していた。
ズノー光学工業は、1958年に自動絞り機構を装備したズノーペンタフレックスを発売した。
1957年、旭光学工業は“アサヒペンタックス”との名称で一眼レフカメラを研究開発した。
世界初のクイックリターンミラーとペンタプリズムを両方搭載した画期的な一眼レフカメラ。
更には、1959年ニコンが発売した“ニコンF”は頑強で報道者に愛用されはじめた。
写真報道で多用されていたスピードグラフィックとローライフレックスにとってかわった。
以後クイックリターンミラー・自動絞りを装備するのが当然となって行く。
以後、日本の一眼レフ型カメラは、世界的に圧倒的支持を得て発展してこんにちがある。
そんな一眼レフカメラにあって総合的高評価は、Nikon Fが抜きん出ていたか。。。!
世界中のプロが使っていた一眼レフカメラ。レンズも多種あった。
如何にNikon Fが信頼されていたか!!!
米軍用 Military Nikon F KE-48C Nikon F US GOVT PROPERTY なんていうのもあった。
交換レンズの中には、アオリ機構(シフト、ティルト)つきレンズも初期からあった。
「令和参年(皇紀2681年)11月05日、記」



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《囈(45)“Coffee-break・・・写真機!?!”❖21-308》

《囈(45)“Coffee-b...
Leica-M3 Leica-M3




Nikon SP Nikon SP
《”写真機の傑作=Leica M3!?!” 》
レンジファインダーを追求し一つの完成型カメラの登場したのが、Leica M3であった。
今では「一眼レフカメラ」が主流だが、M3は「レンジファインダーカメラ」である。
ドイツのLeicaという会社製。世界中のプロフォトグラファーに絶大なる信用が!!!
一般的には「35mmフィルム」と言うが、「ライカ判」なんて呼ばれたりもしている。
この「35mmフィルム」とは、フィルム幅が35mm、高さ24mmの大きさ。
Leica M3は、巻き上げレバーやバヨネットマウント等、新機構を搭載して登場した。
以来長きに渡りライカM型は進歩を続け、今日に至っている。
採光式ブライトフレームファインダーに組み込まれた50、90、135mmのフレーム枠、
取り付けるレンズに応じて自動的に枠が出る。半世紀も前に完成したシステム。
発売初期から色々と改良はされているが、前期型はフィルム巻き上げが2回式とか、
初期型ライカM3のシャッター音の静かな事は歴代ライカM型のシャッターの中で最高。
色々あるが評論できるほど使っていない(総て先輩の借り物)だが、魅力余りある。
一方、昔、使ったことのある国産レンジファインダーカメラ、Nikon SP。
このカメラ、敬愛して止まない写真家のお古だった。使いこなせずお蔵入り状態。
「令和参年(皇紀2681年)11月04日、記」
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《囈(44)“Coffee-break・・・文化の日”❖21-307》

バルナック型ライカIIIf バルナック型ライカIIIf
ライカビットスタイルの色々。 ライカビットスタイルの色々。
Canon R2000 Canon R2000
中央は、シャッターボタン上につ... 中央は、シャッターボタン上につけた補助ボタン装置。良い雰囲気。
《”写真機と呼ばれた時代!?!” 》
写真機からカメラ、機材の歴史、大きく分けてフィルムカメラとデジタルカメラ。
機種的には、レンジファインダー・一眼レフカメラ・デジタルカメラと変転してきた。
両親の趣味が植物探しで、記録用写真機材が親爺の書斎には色々あった。
小学校高学年頃には、暗室部屋を作って、現像からプリント迄自宅で処した。
おかげで中学生で現像からプリント迄自分でできた。もちろん白黒写真だけ。
小学生当時、カラー写真は“天然色写真”、白黒フィルム、ネオパンS/SS/SSS!!
今では、難なくこなせるプリント。増感現像、そんな表現は、死語になってしまった。
我が家にバルナック型ライカIIIf(レッドシンクロ・セルフタイマー付)が、あった。
ライカⅢfは、バルナック型ライカの中でも、最も完成されたモデルと言われている。
ドイツ、エインスト・ライツ社の天才技師、オスカー・バルナックによって開発された。
レンジファインダーカメラとして完成域に達していた驚異的なカメラ。
世界中のカメラメーカーがバルナックライカを模倣したのは周知のこと。
日本のニコン、キャノン等もライカのコピーモデルを製造していた。
ライカを凌ぐ製品としてNikon SPがあげられるだろう。
だが、SPの上を行くレンジフィンダーカメラの出現、それがM型だった。
M型の登場で、日本の各メーカーはレンジファインダーから一眼レフの開発に移行した。
現在のライカは、一眼レフ開発では日本メーカーに遠く及んでいない。
我が家にあったバルナックライカⅢFには、ライカビットがついていた!?!
ライカビット(SYOOM / 14009 / 14109)とは、バルナック用のフィルム巻上装置。
面白い装置だった。裏面中央にトリガー(引き金)が格納されている。
この装置を参考にしたのか??後の一眼レフ・キャノンR2000にトリガーが採用されている。
R2000と同時期に登場したのが、伝説のニコンFであった。
前東京オリンピックの報道関係者は、殆どがNikonFだった。
それが、2021東京オリンピックでは、キャノン機材が殆どだったと聞く。
時代の流れ、経緯を思うと“昭和は遠くなりにけり”だ。
「令和参年(皇紀2681年)11月03日、記」



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《囈(43)“Coffee-break!?!”❖21-304》

県立相模原公園、フランス庭園。 県立相模原公園、フランス庭園。
県立相模原公園内、サカタのタネ... 県立相模原公園内、サカタのタネ・グリーンハウス入り口



《囈(43)“Coffee-b...
《囈(43)“Coffee-b...
平塚・花菜ガーデン(上3画像)... 平塚・花菜ガーデン(上3画像)。
《”2021年10月末日!?!” 》
神々が出雲に集まって、、、それ故、出雲地方では神在月と呼ばれる由。
今年は、神々にとって多忙な月であったに違いない。
とりわけ日本という国にあって、皇室の存在は独特・崇高な存在と映る。
皇室の出来事として、皇室とは如何にあるべきか、悩める事が、、、!?!
而して皇室典範、憲法を真摯に考えねばいけない事柄が具現化した。
壱国民として心配、気になる事、そんな時に衆議員院選挙が行われた。
だが、代議士を選ぶにしては立候補者の本質が見えない。
党利党略・・・だけで、主義主張なんて何処へ行ってしまったのか。
おまけに、報道機関全体が、偏向的で真実を正確に伝えていない??
こんなことを言ってる自分も偏向しているのかって混乱状態である。
*      *      *      *      *
我が幼少期には無かった事象、“ハロウイン!!日本の神様は、大変だ。
行事にしても外来種が増えすぎて在来種追いやられつつある?
和参年(皇紀2681年)10月31日、記」




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《眼福(231“近隣の里山(10)!?!”❖21-283》

《眼福(231“近隣の里山(1...
コウヤボウキ(高野箒) キク科... コウヤボウキ(高野箒) キク科(Asteraceae)
学名:Pertya scandens (Thunb.) Schultz-Bip.
synonym Pertya ovata Maximovicz
《”新治の森・・野草色々(6)”❖’21/09/25❖ 》
コウヤボウキ(高野箒);
高野山で枝を束ねて箒としたのが名前の由来の落葉小低木。
同種にナガバノコウヤボウキがあるが葉の付き方で区別できる。
また似た姿のカシワバハグマ、 オクモミジハグマ等の花は、草本。
コウヤボウキは、茎高60~100㎝。茎は細くてしなやかで、枝は短い毛が生える。
葉にも短毛が生え、1年目の枝に長さ2㎝前後、幅1㎝程の卵形の葉が互生する。
本年枝の先に直径1cmほどの頭花を1個ずつ付ける。
頭花は白い筒状花が10数個集まったもので、筒状花は長さ約1.5cm。
葉には小さな突起状の鋸歯が5対以上つき、3脈が見える。
2年目以後の茎には葉が数個ずつ束生する。縁には浅い鋸歯がまばらにある。
どちらも伏毛があり、3脈と細脈が目立つ。2年目以後の茎には花はつかない。
色々と複雑怪奇な生態である。更には、コウヤボウキ属には、多くの種類がある。
類似のナガバノコウヤボウキの花は、コウヤボウキよりやや早く咲き始めるのだが、
ナガバノコウヤボウキは1年目の枝には花がつかず、2年目の枝に花がつく。
下記に示すように微妙に異なる花々が沢山*存在する。
*クルマバハグマ(車葉白熊・・日本固有種、本州の近畿地方以北)。
*カシワバハグマ(柏葉白熊・・日本固有種、本州、四国、九州)。
*ツクシカシワバハグマ。
*タイワンタマボウキ。
*オヤリハグマ(御槍白熊・・日本固有種、東北地方~関東北部)。
*シマコウヤボウキ(日本固有種、屋久島)
これ等の他にハイブリッッド種も多々ある。
*カコマハグマ(カシワバハグマ×コウヤボウキ)
*センダイハグマ(カシワバハグマ×オヤリハグマ)
*イワキハグマ(クルマバハグマ×オヤリハグマ)
※      ※      ※      ※     ※
画像を見ながら来年も同じ場所で観察を続けないといけないと感じた。
野生・自生種なのか植栽されたものなのか、慎重且つ丁寧に観察したい。
令和参年(皇紀2681年)10月10日、記」
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《眼福(226)“近隣の里山(5)!?!”❖21-278》

《眼福(226)“近隣の里山(...
《眼福(226)“近隣の里山(...
《眼福(226)“近隣の里山(...
《眼福(226)“近隣の里山(...
《眼福(226)“近隣の里山(...
ツリガネニンジン(釣り鐘人参)... ツリガネニンジン(釣り鐘人参)     キキョウ科 (Campanulaceae)
学名:Adenophora triphylla (Thub.) A.DC. var. japonica (Regel) H.Hara
Adenophora triphylla (Thunb.) A.DC. subsp. aperticampanulata Kitam.


《”新治の森・・野草色々(1)!?!”❖’21/09/25❖ 》
ツリガネニンジン(釣り鐘人参);
春の若芽は「ととき」と呼び山菜として食される。普通は秋に開花するが、春にも咲く。
茎は白毛が生え、0.4〜1mになるが、ほとんど分枝しない。切ると乳液が出る。
茎葉は、3~4枚が輪生、まれに対生または互生。葉の形は、卵状楕円形~披針形。
葉の縁に粗い鋸歯があり、短い柄がある。葉の幅は、変化が多く一定しない。
根生葉は長柄があり、ほぼ円形、基部は心形、普通、花期にはない。
茎頂に円錐形の花序をだし、1個〜数個の花が輪生してやや下向きにつく。
鐘形の花冠は淡紫色または白色で、長さ1.5〜2cm、で先は5裂してやや広がる。
花柱は花冠よりやや突き出し先が浅く3裂、萼裂片は線形で縁に1〜4個の小さな鋸歯がある。
花冠は変化が多い。やや膨らんだ鐘形が多いが、稀に膨らまないものもある。先は、5裂。
花柱は花冠から普通、長く突き出る。ただし、花柱が短いものもある。
萼裂片は線形、縁にまばらに小さな鋸歯がある。
白花品はシロバナツリガネニンジン form. albiflora という。
ハクサンシャジン var. hakusanensis は北海道、本州(中部地方以北)に分布する、高山型。
*      *      *      *      *
何処にでも見られ、而して見栄えもある比較的馴染みある花だが、微妙な変異を見せる花でもある。
時節に適した???って思う花。政治の世界でも地味だが良き方向に向かうのでは!!
僕は、初の女性総理に期待したが、次期政権に期待したいと密かに願っている爺である。
令和参年(皇紀2681年)10月05日、記」



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《眼福(222)“近隣の里山(1)!?!”❖21-274》

《眼福(222)“近隣の里山(...
《眼福(222)“近隣の里山(...
《眼福(222)“近隣の里山(...
《”新治の森・・稲刈り風景!?!”❖’21/09/25❖ 》
我が住いから東北東方向、直線距離で7km程の所に新治市民の森がある。
この丘陵に添って女子大が2つもあって、最良な環境のキャンパス、学び舎だ。
その一つのT大学は、かつては短大で東京の六本木にキャンパスがあった。
今でも本部、大学院、付属高等部~幼稚園が六本木にある。
そんな学び舎の脇が新治市民の森、隣に三保市民の森が続いている。
更には、ズーラシア・里山ガーデン・四季の森と続く緑豊かな環境である。
新治市民の森と三保市民の森は、自然植生豊かな里山ッて感じだ。
余り管理されていないエリアで散策者も少なく静かな所で好きな場所。

10月に東北の月山周辺を訪ねようと思っていたが、取りやめにした。
若いころ今の季節に半月を要して東北を訪ねたことがあった。
稔の秋と民具!!を探しに。古道具もついでに探した。
旅先で見た光景、田園と秋祭り。思い出と重なって稲刈りが見たいと。
新治の森に・・思惑通り、稲刈りの場を見ることができた(市民農園作業)。
休耕田を借り受け市民に開放している。結構、流行っているようだ。
作業を見ていて、1穂に何粒の米粒がついているか、楽しく想像した??
「令和参年(皇紀2681年)10月01日、記」



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