《眼福(255)“懐かしき場所・懐かしき絵!?!”❖21-315》

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観音崎灯台か。
こんな雰囲気の場所、アトリエ近くにもあったような!?!
横須賀美術館に併設しているレストラン。画像左側。
レストランから真正面に見えるのは、東京湾・・その向こうは、千葉県の富水市辺り。
レストランのパンフレット!!




《”横須賀・鴨居・観音崎2021/11/07!?!” 》
"谷内六郎”さんの名を聞くと、「週刊新潮」の表紙絵を描いておられた方。
描かれた、親しみある画風は、我々の心を魅了し続けた御仁であった。
天星するに早すぎた、と惜しまれる。その画伯の記念回顧展が開かれている。
横須賀美術館内に谷内六郎館があるが、改装中で本館で展覧されていた。
「特別展示:生誕100年 谷内六郎展 いつまで見ててもつきない夢」
昭和31(1956)年に創刊された『週刊新潮』の表紙を創刊以来、飾り続けた足跡。
谷内六郎(1921-81)の原画数・約1300点余りが横須賀美術館に所蔵されている。
今回の展では、『週刊新潮』表紙絵をはじめ、戦後まもなく発行された漫画本、
兄が経営する「らくだ工房」で作られた染色作品、子どものための手作りオモチャ、
第1回文藝春秋漫画賞受賞の抒情的初期作品群、装丁本等、多彩な展示であった。
*       *       *       *       *
開催している横須賀美術館は、東京湾に面し観音崎灯台の近くに位置する。
又、後ろの緑の丘陵上に防衛大学校があり。最寄り駅は“馬堀海岸駅。
京浜急行の本線は、かつて馬堀海岸駅を通り浦賀駅が終点だった。
大津駅から久里浜駅が支線だった。後に三浦海岸駅まで延長している。
今は、こちらが本線となっている。だが三崎までは鉄道が行っていない。
かつて横須賀は、造船の町でもあって、浦賀ドックは、立派だった。
海軍基地の街、人口も其れほど多くは無かった頃、国立病院があり、
市立病院があり、私立の総合病院も2つもあった。半世紀も前のことだ。
横須賀の変貌は、70年安保頃が変わり目か?都市開発が始まった。
今の16号線沿いの海岸線(よこすか海岸通り)沿い住宅は埋立地上に建つ。、
馬堀海岸は、昔、大海水浴場で、走水は地元の人が行く静かな場所だった。
観音崎灯台の近く、開発された住宅地奥に谷内六郎さんのアトリエがあった。
昔を思い出す。親と植物観察に散策してる折、幾度かお会いした事があった。
アトリエは、今の横須賀美術館の裏手になる。画伯の庭みたいな所だ。
「令和参年(皇紀2681年)11月11日、記」




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