これまでこの画家の画や係累を捜し求めてきた
幕末に生存した地元の画家
その画家の画帖が見つかった
名前は人物誌に載っているが、「詳かならず、谷文晁に学ぶ」
としか記載は無い
これから月末まで数枚の画を鑑賞して頂く
記載された年号は
安政六年 己未初夏 上浣
となっている
西暦では1859年で149年前に描かれたものである
日本では最近まで陰暦の暦で物事が進んでいました
近年になり、陽暦となり、物事も計量も尺貫法から
メートル法になりました
お隣、中国や韓国も陰暦が現在も使われています
そう言えば、お盆は殆んどが「旧」で行なわれますね
お雛様も地方では4月3日まで飾る習慣が残っています
この「有職雛」はそう古いものではないでしょうが
それでも150年ほどは経っています
他にも何組か「享保雛」がありましたが、ピンボケで
アップができません
江戸時代にこのようなお雛様を持っている家は大名や豪農
豪商に限られていました
三月になると、各地でお雛様の展示を売り物にする街々が
増えました
以前は少ないので話題を呼んでいましたが、あちらがやれば
直ぐに真似をし、柳の下の泥鰌を狙ったサモシさを感じます
発想力の貧弱さと、人の成功を真似れば楽だと考えるのは
全国各地の常套手段です
wahooがある会合で発表をしましたが、審査員の一人が
それは「何処でやっていますか?」と尋ねられ、思わず
「やっていないからやるのです。同じ事を真似ると金太郎飴で
各地は失敗をしているのではないですか」と語気を荒くしました。
公は先達のものをなぞってやると、安心するようです。
お雛様は各自の家庭でそれなりのスタイルをして飾ってこそ
良いのではないでしょうか。
今朝も時折雪模様
山手の人々には笑われるくらい薄っすらと積もっている
相も変らずの早朝ウオーキング
背中に重いデバックを背負い、靴の底に雪が付いて
歩き難い
その雪に「カラスの足跡」があった
これぞまさしく・・・
近くには何か餌があるのか、十羽ほどの烏が騒いでいる
それから1K程歩いて、小さな川の脇を通ると黒い鳥が
旋回し川面に下りた
川鵜である
早速水中に潜り、朝食探し
次々と魚を銜えて、水面に上がり丸呑み
今朝は楽しい事に遭遇した
2008/02/28 05:59
秋艸道人 「会津八一」の墓塋もこの瑞光寺にあり
年忌も毎年「秋艸會」が行なっている
渾齋とも称していた
どの団体にも属さずに活躍した為、世間では評価を
中々受けられずに苦労をしたが、宮中の歌会始の召人と
なった
曹洞宗・瑞光寺で「良寛禅師」と「貞心尼」の供養が
営まれた
大勢の「良寛会」の皆さんに混じって法要に参加
我が家の寺も同じ曹洞宗
般若心経が読経され、唱和をする
K和尚の法話を拝聴する
昨日、アップしました迎賓の座敷に衝立が立っています
両面に描かれた画は江戸末の地元の画家の手による
ものです
この画家は「谷文晁」の門人であり、「文雍」に師事
した事が判明しています
150年ほど前に描かれた作品です
街の繁華街の一角に400坪程の敷地に建っていた
商家、明治から昭和にかけて財をなし豪壮な屋敷を
構えていました
十数年前、未亡人が継ぎ手が無い為に敷地を駐車ビルに
するために、建物を取り壊すことなり無償で市に寄贈し
それの一部、迎賓の座敷を移築保存しました
「燕喜館」
唐時代の思想家、「韓愈」の燕喜亭記に由来し
「宴を催し、楽しみ喜ぶ」から命名したと伝えられて
います
贅をこらした造りで、欄間には蝶が描かれ、和室に
オシャレな電燈が輝いています
※この屋敷の庭園にあった樹木及び庭石、燈篭など一切を
wahooに無償で贈与すると言われましたが、残念ながら
置き場所や移転費用の関係で辞退しました
- ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
- まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ