人生残り30年の「マイ・ガイドライン」

こんにちは!「働くあなたを元気にする」コーチです。

私は大の「病院嫌い」というお話は、一昨日のブログでお伝えしました。

念のため誤解を解いておくと、病院が嫌いな理由は、注射が嫌いだからとか、医者という人種が嫌いだとか、日本の医療を信用していない、ということではありません。

「お父さんが病院が嫌いなのは知っているけど、もし病気にかかったらどうするの?」

素朴でありながらも、深遠な問い掛けを娘がしてくれました。

「なるべく病院には行かずに、自助努力で治す、かな?」
「でも、寝たきりになってしまっていたり、自分で判断が出来なくなってしまっていたら、どうするの?」

確かにそうですね!

この先いつまで、自分で行動したり、判断できる状態でいられるのか?

こういう会話を家族と交わしながら、この点に関して事前に伝えておく必要があることに気付きました。最近「エンディングノート」を準備するのが密かなブームになっている、という新聞記事を読んだのを思い出しました。エンディングノートは、自分がいよいよになった時、もしくは亡き後のことを考えて書き残すものだと思います。一方、私がここで言っているのは、むしろ指針のようなもの、つまり

人生残り30年の「マイ・ガイドライン」

と言った方が良いかも知れません。

そして良く考えてみると、自分へというよりも、私に関わってくれる妻や子供たちへの連絡帳のようなイメージ。

ひょっとしたら、人生残り30年間の「自分の生き方」を書き綴るものであるかも知れません。

どんな項目や内容を記述するのが良いのでしょうか?
これからじっくり考えてみます。

ではまた明日!
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目的を先に考えよう!「日本人のための日本語『会話』入門」

こんにちは!「働くあなたを元気にする」コーチです。

今日は、投稿した書籍の写真にあるように「英語」の話?

ではなく、日本語の「会話」の話です。

この書籍にある、
「結論を先に言う練習帳」というフレーズでふと思い立ちました。

語彙力や文法力に乏しい英語なら、

「結論を最初に言いましょう!」

を習慣化させようとすることは、努力次第で出来そうな気がします。

なぜなら、英語は外国語だから!

しかし日本語の場合、我々は日本語のネイティブ・スピーカーであることから

今まさに始めようとしている会話の「目的」を、明確にせずに言葉を始めてしまっている気がします。

会話の目的?

そうなんです!何気なく会話を始めてしまうことで、自分と相手と論点がかみあわなかったり、思い違いから喧嘩になってしまうことが多い気がします。

会話の目的には色々様々あって、

- 自分の持っている情報を相手に伝えたいのか?
- 相手を説得したいのか?
- 自分の想いを理解して欲しいのか?
- 新しい考えや解決策を提示して欲しいのか?

そしてまた、その「会話の目的」を相手に分かりやすく伝えてあげると、更に良いので?と思います。

プロコーチとして、相手の方の話を聞くことは職業柄多いのですが、

「この話をする意図はなんだろうか?」

と感じさせる話に出くわすことがあります。しばらく聞き続けても、私の意見を求めているのか、単に共感・同調して欲しいのか? はたまた自分の想いを単に口から吐き出したいのか?

「こんな方法をやってみたら、いいんじゃない?」

こちらが良かれと思って提示した「解決策」に対して、

「そんなことを、あなたには頼んでない!」

これまで何十回となく、こう叱られた残念な経験があります。

正直申し上げて、なかなか話し手の意図というものは、こちらには掴みきれないもの。

「こんなアイディアがあるんだけど、どう感じるか教えてもらえる?」とか、

「こういうトラブルに遭遇しているんだが、どうしたら良いんだろうか?」とか、

「とにかく今、むしゃくしゃしているので、吐き出したい。このまま言わせて!」など。

このような前置きを短くても良いので、最初に告げてくれれば、その後で無用の誤解や行き違いは避けられるように感じます。

いかがでしょうか?

ではまた明日!
by 「働くあなたを元気にする」コーチ


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病院のはしご

こんにちは!「ステップ・バイ・ステップ」です。

今日は結局、病院を「はしご」することになってしまいした!

午前中はある総合病院、そして午後は自宅近くの大学病院。

実は私は、大の

「病院嫌い」

これまで、なるべく病院にはかからないようにしていましたが、寄る年波には勝てず。

今日の午前中は、以前からの予約なので「仕方がありません」。
渋々ではありますが、心の準備はある程度出来ての通院。

予約時刻通りに診察が始まった。ここまでは良かった。

しかし、

「別の病院の皮膚科へ紹介状を書きますので、そちらへ受診してください!」

悪魔のささやき。

「は、はい。紹介状って、どうすれば良いのですか?」

先生が何かを説明してくれていたのは、かすかに記憶があるものの.....

とにかく自宅へ戻ることが先決。

「で、あなた、どうする?」

家内からの至極当然の問い掛け。ふと我に返る。
「どうするって、何を?」
「紹介状よ!紹介された別の病院へ行くんでしょう?」

やっと気を取り直して、二つ目の病院へ電話すると、
「予約なしでも、受付けして頂ければ、その日の内には診察は受けられます!」

余りに快活な受付嬢の声に押されて、その病院へ。

2時間ほど待たされた挙句に、皮膚科の医師からはすげない説明。

「『特発性』というのは、要は原因が特定できない、という意味です。」

私は何のために今日、はしごまでして病院に来たのだろうか?

どっと疲れが出た初夏の一日でした。

そして、こんな言葉を思い出しました。

「明日という日は、今日の次の日ではない。明日になれば『今日』という日である。」

ではまた明日!
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お気に入りの論語成句(2)「下問に恥じず」

こんにちは!「ステップ・バイ・ステップ」です。

昨日に続いて今日も私の、お気に入りの論語成句のご紹介です。

今日の成句は

「下問(かもん)に恥じず」

です。

下問とは、目下の者に質問すること。つまりこの成句は文字通り「目下の者に質問することを恥じない」という意味です。

え? 分からないことや知らないことは、部下でも誰でも訊けばいいんじゃない?

そうお考えの上司の皆さんには、この成句は当たり前のこと。

しかし、実際はなかなか、こうは行かないものなんです。

ところで、会社や組織ではなぜ、昇進させたり昇格させたりするのか?

その理由は、ある人が仕事での成果が認められ、更には部下の管理や新たな目標を達成してもらうために、もう一段上のレベルの職務を与えるため。

平たく言うと、

「仕事が出来るから」です。

しかし、ここにパラドックスがある。

経営層が管理職を含めた社員に、こう訓示を垂れます。

「この変化の激しい市場環境に追随していくためには、これまでの慣習や古い考え方に囚われることなく、新たな発想や方法を自ら考案し、チャレンジすることが求められる。そのためには、これまでの成功体験をまずは捨て、イノベーションの視点を持って業務に当たるべし!」

おっしゃる通り、ですね!

しかし現実を見てみると、組織内のチームを率いるリーダーは、過去の成果・業績が評価されてその職務に就く。

そうです、言っていることと、やっていることに矛盾があるのです。

残念ながら簡単には解決できない現実がありますが、まずはこの点を再認識して頂いた上で、今日の論語成句へ戻りましょう。

「下問を恥じず」

部下を管理・指導するという役割を与えられている上司ではありますが「学び、成長していくことを目指す」という点においては、何ら部下と変わりがない。従って知らないことを恥ずかしがらずに素直に「教えて欲しい」と頭を下げる。部下も、知ったかぶりをする上司よりは、学ぶ姿勢を持ち続ける上司の方を尊敬するはずです。

一方、部下の視点に立つと、この姿勢は上司の関心事や課題感を垣間見る機会にもなります。また上司からの質問に答えることで、自尊心や仕事に対する自信が醸成されます。これは与えられた仕事を自らの課題と捉える、つまり「自分事」化させることに繋がり、仕事に自発的に取り組むマインドを促進すると考えられます。

部下に質問することは、ポジティブな面はあっても、ネガティブな面は無いように、私は感じます。

私がもし孔子先生だったら、甚だ不遜ですが、こう言うかも知れません。

「下問の勧め」

ではまた明日!
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お気に入りの論語成句(1)「君子、器あらず」

こんにちは!「ステップ・バイ・ステップ」です。

ひょんなことから、最近「論語」を少しかじり始めました。たまたま書店で見かけた本を手に取ってみたら、

これは面白い!

そこから見つけた、私のお気に入りの成句をお伝えします。今日はその一回目。

今日の成句は

「君子、器あらず」

「もっと器が大きな人間になれ」とか「あいつは器が小さい」という表現があります。最初この成句を目にした時に、孔子先生(君子)は器が小さい人なんだ!と勘違いしました笑

一見、意味するところが分かりずらいですね!

この成句の意味は「そもそも、君子は器ではない」というもの。即ち、一定の型にはまった人間ではない。つまり君子自身が器であるより、器を使うのが君子である、という意味のようです。

この成句を企業・組織に当てはめて考えてみます。

成果を上げようと経営者や管理職自身が努力することは必要です。しかし組織のリーダーや管理職の役割は何でしょうか?

組織内にいる「才」のある者や能力開発が必要とされる者の力を引き出し、組織としてチームとして成果を上げる。しょせん一人の人間が成し遂げられることには限りがあります。

一人だけで結果を出そうとするのではなく、身の回りの同僚や職場を共にしている部下たちという「器」を見出し、輝いてもらう。これが経営者や管理職などのリーダーの仕事である。

「君子、器あらず」

という成句は、このような教えを我々に伝えているように思います。

ではまた明日!
by ステップ・バイ・ステップ

ワオ!と言っているユーザー

提供しているのは「コーチング」ですか、それとも?

こんにちは!「ステップ・バイ・ステップ」です。

今日ちょっと体調が優れないので、自宅近くの内科クリニックに行ってきました。そのクリニックは二人の内科医が、曜日ごとに交代で担当する仕組みを採っています。一人がA先生で院長、もう一人がB先生で副院長。A先生が月・金・土の担当、B先生が火・木の担当という分担となっています。

「月・金・土が混んじゃって、なかなか診てもらえない。でもやっぱりA先生の方が.....」

診察を終えてクリニックから出てきたお年寄りが、そうぼやいているのを聞いたことがあります。

私も何度かそのクリニックの前を通ったことがあるので、開院前に多くのお年寄りが列をなしているのを目撃したことがあります。

自宅の近くと言うこともあって、私も両方のドクターに何度か診てもらったことがあるので、お年寄りがそうコメントするのはよく分かります。なぜなら、

A先生は、表情が柔和で、患者さんの話を「うんうん」とちゃんと聴いてくれるのです。

一方、B先生はいかにも「医師」という雰囲気で、表情は硬く少し無機質な雰囲気を醸しています。しかし診察自体に違和感は全くなく、説明は端的で論理的、分かりやすい。これが私の印象です。

私は胃腸の調子が良くないことから、胃腸科が専門のA先生に今日、診てもらうことにしたのでした。

A先生はいつも通り、柔和な表情で迎えてくれて、私の話をじっくり、共感するような面持ちで聴いてもらえて、患者としてはとても心地良かったです。

しばらく私の症状や既往歴を聞いたあとで、A先生はこう切り出しました。

「では、そんな重い症状では無いと思いますが、念のために検査してみましょうか?」
「はい!」
「CTスキャンで画像を撮って見てみましょう。」
「は、はい。分かりました。それで先生が検査してくれるのですよね?」
「いいえ、専門の検査病院に紹介状をお書きしますので、そちらでお願いします」

うーむ。

私はプロコーチとして、クライアントにコーチング・セッションを提供してますが、このA先生とのやり取りで気が付いたのは、

コーチングを提供しているだけでは、片手落ちだな!

という点です。

そもそも私は今日、A先生に何を期待してこのクリニックに行ったのか?

A先生の柔和な表情や話をしやすい雰囲気、患者の説明をじっくり聞く態度。これは医師として非常に重要なスキルとマインドだと、プロコーチとしては大いに納得です。

だがしかし、

医師として、病名の見立てや診察に関わる説明をして欲しかった。

これがクライアントとしての偽らざる声。

我々プロコーチは、クライアントに「コーチング」を提供しているのではない。
クライアントの「課題解決」というゴールを達成することの手助けをしているのだ。

こんなことを感じた今日でした。

ではまた明日!
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起業家向け「市場との対話」をどう進めるか?

「対話」とは相手と何度もやり取りすること!
こんにちは!「ステップ・バイ・ステップ」です。

昨日、起業に必要なのは「市場との対話」とお伝えしました。

対話?
市場と?

そうですよね、こう言われてもピンと来ないですよね!

そこで今日はもう少しかいつまんで、市場との「対話サイクル」について、ご説明をしようと思います。

起業される方は、ご自分として「こういう製品を創りたい!」「こんなサービスを提供したい!」という強い想いをお持ちです。だから起業しよう、ビジネスを始めようと思い立つわけです。

製品やサービスが決まったら、次はそれらを「誰に」販売・提供するのか?を検討する。いわゆる

「顧客は誰か?」

これも恐らく、製品やサービスを考えている時に、同時に頭に思い浮かべているかも知れません。

そして最後に検討するのは、「どのようにお客様に届けるか?」を決めます。

製品なら物理的にどう提供するのか、小売店経由なのか、直接お客様に届けるのか?
今ならネット販売という形態も感がられます。
目に見えないサービスなのであればオンラインで提供するという方法も採用できる可能性もあります。

これで、次の3つが決まりました。
①何を(提供物)
②誰に(顧客)
③どのように(提供方法)

まずはこの①から③までのサイクルを一度回します。このサイクルを私は、

市場との「対話サイクル」と呼んでいます。

なぜ「サイクルなのか?」

なぜなら、この①から③のサイクルを何度も回す、からなのです。

起業家として提供したいという強い想いは理解できます。しかし、それが想定した顧客から受け入れられるかは分からない。分からないから試してみる。これが1回目の「サイクル」です。

「提供する側(企業側)と購入する側(顧客・市場)とのマッチング」
と昨日のブログでお伝えしました。

このマッチングを①から③までの「市場との対話サイクル」を回しながら図っていくのです。

少しイメージが沸きましたでしょうか?

私も実際、この対話サイクルを起業してから何度なく回してきています。そして、今後もこのサイクルを、ずっと回し続けていくことになると思っています。なぜなら、

顧客や市場は常に変化している。それに追随していて、こちらから提供するものを変えて行くこと。これがビジネスだと感じているからです。

いかがでしょうか?

ではまた明日!
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起業に必要なのは「市場との対話」

事業戦略構築に行き詰まったら、この論文をぜひ!思わず唸ってしまう内容です。
こんにちは!「ステップ・バイ・ステップ」です。

私がサラリーマンを定年前に退職して、独立・起業した経験があるからなのか、起業志望の方々からご相談を受けることがあります。相談内容は様々ですが、やはり最も多いのは

「事業戦略」

に関するテーマです。

相談される方々のお悩みは、すごーくよく分かります。なぜなら私も起業時は悩みましたし、今でも常に、悩み続けています(笑)

つまり正解は無い、ということなのです。

それは大企業でも中小企業でも、ベンチャーでも同じです。

ですので、起業志望の方に私がお伝え出来ることは次の二つです。

1.事業戦略構築の基本的な考え方
2.試行錯誤の方法

絶対正解は無いものの、基本的な考え方、つまり「型」はあります。柔道や野球などのスポーツや華道・茶道などいわゆる「○○道」というものには、必ず「型」がある。この基本型を学ぶ。

一方、事業やマーケティングは究極のところ、やってみないと上手く行くか分からない。いかに論理的・科学的に考えて準備しても、相手が人間という所詮、非論理的な動物。

従って、先ずはやってみて、想定通りに進まなかったらやり方を変えてみる。この「柔軟性」がとても重要です。

起業家の方々は事業への思い入れがとても強いので

「こういう製品を創りたい! こんなサービスを提供したい!」

しかし、この製品やサービスを購入してくれるお客様が存在して初めて事業が成り立つ。従って提供する側(企業側)と購入する側(顧客・市場)とのマッチングをいかに図って行くか? つまり、

「市場との対話」

が重要だと私は考えています。

実は、これは「言うが易し、行うが難し」なのです。

事業戦略の構築に行き詰ったときに、原点に戻って考えるのに最適なのがこの論文です。50年以上前のものにも拘らず、内容にいつも「はっ!」とさせられます。

ではまた明日!
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「DX」って何だ?

ミルフィーユ化? とにかく読むことが重要
こんにちは!「ステップ・バイ・ステップ」です。

最近「DX」という言葉が新聞などのメディアで多く登場するようになりましたが、

「DX」って何だ?

検索エンジンで検索すると色々な情報が得られるますが、どれを読んでも今一つピンと来ません。それはその説明が悪いのでなく、その説明を理解できるほどの知識を私自身が持ち合わせていないことが原因。

そこで知り合いから紹介されたのが上記の書籍。

とにかく読んでみて、もし可能だったら自分が理解した内容を、自分の言葉でここで表現してみます。

乞うご期待(笑)

ではまた明日!
by ステップ・バイ・ステップ



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嚙み合わない会話(第二話)

こんにちは!「ステップ・バイ・ステップ」です。

昨日の投稿、

『「会話が噛み合わない」と感じることはありませんか?』

の続きです。

「会話はキャッチボール」ということで、昨日は、ボールによるキャッチボールと、言葉のキャッチボールの違いについて触れてみました。

実はたまたま、ある二人のこんな会話を横で聞いていて、気が付いたのです。
その会話をここで、かいつまんで再現してみましょう。

親子(娘と母親)との会話

娘:最近、なんか太ってきちゃったみたい。コロナであまり出かけていないからかな?
母:そうかしら?大学の授業とかゼミとかで、結構出かけているように思うけど。
娘:まあ、それはそうだけど。それで食事に気を付けなければと思って、大好きなパンだけど.......今日からパン食を止めようと思う。
母:それなら、玄米食にしなさい!
娘:?!

ここで娘さんが口をつぐんで、二人の会話は突然、終わりました。
母親の表情は「やや満足気」の様子、一方、娘さんの表情は「やるせない」ように見えました。

皆さんはこの会話のどこに、どういう課題があるように感じますか?

母親の方は、パン食を止めるとお腹がすいてしまうだろうから、そんな娘が忍びない。そこで代わりとして、より健康に良い玄米を勧めた。これは健康にもダイエットにも最適!と考えていた。

しかし一方、娘さんの方は何ともやるせない、残念に感じている。

そもそもこの娘さんが、この話を持ち出した目的は何だったのでしょうか?
そして、彼女が母親から期待していたものは何だったのでしょうか?

実はこの娘さんは、本当は大好きなパン食を止めたくない。その気持ちを分かって欲しい。共感して欲しい、と感じて会話を始めたのでした。自分自身でも、コロナ下だけど運動量を増やすことで何とかならないかな?とも思っていたようです。

しかし、そんな淡い期待は「玄米食にしなさい!」という一言で片づけられてしまった。

確かにそういう方法もあるのは、理論的は理解出来る。自分だって運動量を増やすという対応策を何となく思い浮かべていたので。

しかし、その解決策の提示の前に

「そうなんだ、パン食を止めようとまで思っているんだ!」

と気持ちを受け止め、共感したら会話はどう展開していたでしょうか?

我々は困っている相手の話に、つい解決策を提示してしまいがちです。もちろんそれは全くの善意からのもの。それを単純には責められません。しかし、

解決策の提示の前に、まずは「共感」を!

いかがでしたでしょうか?

では今日はここで。また明日!
by ステップ・バイ・ステップ

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