6月
15日,
2021年
日本人は質問が苦手?:「質問」と「question」の違い
今日も一昨日に続いて「英語によるコミュニケーション」に関して。
先日、外国人の友人と話をしていて、気付いたことがあるんです。どうも我々日本人は質問したり、されたりすることが
苦手のようだな、って!
我々はどちらかと言うと、質問すること自体に、ためらわせるような、ネガティブな響きがあるように感じます。
会議などでは、例えば進行をさまたげるもの。反対のための嫌がらせの質問など。
一方、欧米、特にアメリカでの「question」はよりニュートラルな感じ。
いやむしろ、議論のためには欠かせないもの、という捉え方をしているように感じます。 実際、
「play the devil's advocate」
という英語の表現があります。
ここで「devil's advocate」とは、議論や提案の妥当性を試すために、敢えて反対意見を述べる人、という意味です。
質問をすることで、より深い説明を引き出したり、異なった視点をもたらしたり。
会議などで意見などを述べる話し手は、参加者に質問することで聞き手の持っている興味の度合いを把握する。一方、参加者は聞き手として質問をすることで、話し手からより深い論点や異なる視点を提供する。
このようにして、お互いがお互いに貢献し合う。
私も実際、アメリカ人との会議に何度か出席した経験がありますが、発言しないのは
「関心が無い」のか
「質問出来ないほど愚か」なのか
という印象を持たれる、というのは実体験として理解できます。
従って、本当に活発に質問が出ます。日本の会議では考えられないくらいに!
こんな進め方で、会議が終わるのだろうか?
日本での会議の感覚からすると、他人事ながら、こんな心配をしてしまうほどです。
もう一つ興味深く感じたのが、ポジションが上の方(部長クラス)の方が、おもむろに手を挙げて、
あまりに基本的な質問をしていたこと!
こういう質問も許されるんだな!
こんな基本的な質問したら馬鹿だと思われるかも?と
思い悩んでいた自分も胸のつかえが下りた感じ。
アメリカ人との会議ではそれ以降、余り思い悩まずに質問が出来るようになりましたね笑
日本と異なり、全会一致でしゃんしゃんなんてありえない、と彼らは想定しているようで、むしろ質問が出ないこと自体が
「不気味」
に感じるのでしょう。
一方、日本では、質問するのは邪魔者扱いされる。下らない質問はするな!という雰囲気。
これでは議論は深まらず、単なる報告。
それでもなお、質問することに抵抗感があるのであれば、感想を述べる、というのも良い方法。
自分の考えを口に出して、話す・説明する、ということにまずは慣れていく必要もあるかと感じます。
言葉で説明することで、お互いの信頼関係を得て行く。欧米社会は「high context」社会。
日本は以心伝心などnon-verbal communicationの部分が大きい、「low context」な社会。
これからの外国人とのやりとりが避けられない世の中に対応していくためには、少しずつhigh contextに慣れて行く必要があるな、と感じます。
会議ではまず、感想を口にしてみよう!
ではまた明日!
by 「働くあなたを元気にする」コーチ