1月
18日,
2022年
読書会でドラッカーを読み進めながら(Day11)「知識労働者の貢献と成果を阻むもの」
興味深いスタイルの「読書会」で、P・F・ドラッカー著
「プロフェッショナルの条件」
を読み進めています。
その読書会のスタイルは
「一冊の本を参加者が、順番に輪読しながら読み進めるスタイル」
そう、まるで小学校の国語の授業のようにです。
従って、ゆっくり・じっくり聞いて、深く読む感じで、読書が進む。
この読書会に参加するたびに、ドラッカーがいかに「凄い人」なのかが、心に沁みてきました。
不定期ではありますが、読み進めながら重要な部分を綴って参ります。書かれている内容が相当「深い」ので、行間を理解したい方は是非、書籍を全文で読んで頂きたいです。
この本の凄さは、出版されたのが2000年、従ってドラッカーは、それ以前の1990年代にはこの草稿を練っていたはず。まるで30年後、2020年代の現在が見えていたかのような記述が随所に出てきます。
Part2:働くことの意味が変わった
第2章「なぜ成果があがらないのか」
【働く者をとりまく組織の現実】
1.組織に働く者の置かれている状況は、成果をあげることを要求されながら、成果をあげることが極めて困難になっている。
まさに、自らが成果をあげられるように意識して努力しないかぎり、周りをとりまく現実が彼らを無価値にする。
2.組織に働く者は、自分ではコントロールできない「四つの大きな現実」に取り囲まれている。
3.彼らにとっては、それらのものと共生するしか選択の余地はない。しかし、それら四つの現実のいづれもが、仕事の成果をあげ、業績をあげることを妨げようと圧力を加えてくる。
(1)時間はすべて他人に取られる。
①誰でも彼の時間を奪える。現実に、誰もが奪う。
(2)自ら現実の状況を変えるための行動を取らない限り、日常業務に追われ続ける。
①しかも日常の仕事は、本当の問題点どころか、何も教えてくれない。
②彼らに必要なのは、本当に重要なもの、つまり貢献と成果に向けて働くことを可能にしてくれるものを知るための基準である。
(3)組織で働いているという現実がある。
①他の者が彼の貢献を利用してくれる時にのみ、成果をあげることが出来る、という現実である。
②組織は一人一人の人間の強みを発揮させるための仕組みである。
③通常、成果をあげるうえで最も重要な人間は、直接の部下ではない。他の分野の人、組織図の上では横の関係にある人である。あるいは上司である。
(4)組織の内なる世界にいるという現実がある。
①誰もが自らの属する組織の内部を最も身近で直接的な現実として見る。一方、外の世界で何が起こっているかは、直接には知りえない。
②しかるに、組織の中に成果は存在しない。全ての成果は外の世界にある。
ではまた明日!
「働くあなたを元気にする」プロコーチ、砂村よしお
1月
13日,
2022年
読書会でドラッカーを読み進めながら(Day10)「貢献をなすべき知識労働者はエグゼクティブである」
興味深いスタイルの「読書会」で、P・F・ドラッカー著
「プロフェッショナルの条件」
を読み進めています。
その読書会のスタイルは
「一冊の本を参加者が、順番に輪読しながら読み進めるスタイル」
そう、まるで小学校の国語の授業のようにです。
従って、ゆっくり・じっくり聞いて、深く読む感じで、読書が進む。
この読書会に参加するたびに、ドラッカーがいかに「凄い人」なのかが、心に沁みてきました。
不定期ではありますが、読み進めながら重要な部分を綴って参ります。書かれている内容が相当「深い」ので、行間を理解したい方は是非、書籍を全文で読んで頂きたいです。
この本の凄さは、出版されたのが2000年、従ってドラッカーは、それ以前の1990年代にはこの草稿を練っていたはず。まるで30年後、2020年代の現在が見えていたかのような記述が随所に出てきます。
Part2:働くことの意味が変わった
第2章「なぜ成果があがらないのか」
【現代社会の中心的存在】
(1)今日では、知識を基盤とする組織が社会の中心である。その中心的な存在は、筋力や熟練ではなく、頭脳を用いて仕事をする知識労働者である。
(2)知識労働者が成果をあげるためには、適切な仕事に取り組まなければならない。そのような仕事は、肉体労働のために開発した手法では測定できない。
(3)知識労働者を直接あるいは細かく監督することはできない。彼らには助力を与えることが出来るだけである。知識労働者は自らをマネジメントしなければならない。成果をあげるべく、自らをマネジメントしなければならない。
(4)知識労働者が何を考えているかは確かめようがない。だが考えることこそ、知識労働者に固有の仕事である。考えることがなすべき仕事の始まりである。
【すべての者がエグゼクティブ】
(1)今日の組織では、自らの知識あるいは地位のゆえに、組織の活動や業績に実質的な貢献をなすべき知識労働者は、すべてエグゼクティブである。
(2)組織の活動や業績とは、企業の場合、新製品を出すことであり、市場で大きなシェアを獲得することである。病院の場合は、患者に優れた医療サービスを提供することである。
(3)組織のそのような能力に実質的な影響を及ぼすために、知識労働者は意思決定をしなければならない。そして自らの貢献について責任を負わなければならない。
(4)自らが責任を負うものについては、他の誰よりも適切に意思決定をしなければならない。
(5)ここで折角の意思決定が無視されたり、また左遷されたり、解雇されたりするかも知れない。だがその仕事をしている限り、仕事の目標や基準や貢献は自らの手の中にある。従って、ものごとをなすべき者はみなエグゼクティブである。
(6)知識労働者は、量によって規定されるものではない。成果によって規定される。
ではまた明日!
「働くあなたを元気にする」プロコーチ、砂村よしお
1月
12日,
2022年
読書会でドラッカーを読み進めながら(Day9)「知力とは別の、成果をあげるための能力が必要」
興味深いスタイルの「読書会」で、P・F・ドラッカー著
「プロフェッショナルの条件」
を読み進めています。
その読書会のスタイルは
「一冊の本を参加者が、順番に輪読しながら読み進めるスタイル」
そう、まるで小学校の国語の授業のようにです。
従って、ゆっくり・じっくり聞いて、深く読む感じで、読書が進む。
この読書会に参加するたびに、ドラッカーがいかに「凄い人」なのかが、心に沁みてきました。
不定期ではありますが、読み進めながら重要な部分を綴って参ります。書かれている内容が相当「深い」ので、行間を理解したい方は是非、書籍を全文で読んで頂きたいです。
この本の凄さは、出版されたのが2000年、従ってドラッカーは、それ以前の1990年代にはこの草稿を練っていたはず。まるで30年後、2020年代の現在が見えていたかのような記述が随所に出てきます。
Part2:働くことの意味が変わった
第2章「なぜ成果があがらないのか」
【成果をあげる能力とは何か】
(1)ものをなすべき者の仕事は、成果をあげること。しかし、ものごとをなすべき者のうち、大きな成果をあげている者は少ない。
(2)知力はある。想像力もある。知識もある。しかし、知力や想像力や知識と、成果をあげることとの間には、ほとんど関係がない。
(3)頭が良い者が、知的な能力がそのまま成果に結びつくわけではないことを知らない。
(4)知力や想像力や知識は、あくまで基礎的な資質である。それらを成果の結びつけるには、成果をあげるための能力が必要である。
(5)これが当然明らかにも拘わらず、この点が放置されていた理由の一つは、成果をあげることが、組織に働く知識労働者に特有な能力だからである。
(6)肉体労働者は能率を上げれよい。決められたことを正しく行う能力があれば良い。
続きは、また後日に記します。
ではまた明日!
「働くあなたを元気にする」プロコーチ、砂村よしお
12月
6日,
2021年
読書会でドラッカーを読み進めながら(Day6)「知識労働の生産性向上のためには?」
興味深いスタイルの「読書会」で、P・F・ドラッカー著
「プロフェッショナルの条件」
を読み進めています。
その読書会のスタイルは
「一冊の本を参加者が、順番に輪読しながら読み進めるスタイル」
そう、まるで小学校の国語の授業のようにです。
従って、ゆっくり・じっくり聞いて、深く読む感じで、読書が進む。
この読書会に参加するたびに、ドラッカーがいかに「凄い人」なのかが、心に沁みてきました。
今日から不定期ではありますが、読み進めながら重要な部分を綴って参ります。書かれている内容が相当「深い」ので、行間を理解したい方は是非、書籍を全文で読んで頂きたいです。
この本の凄さは、出版されたのが2000年、従ってドラッカーは、それ以前の1990年代にはこの草稿を練っていたはず。まるで30年後、2020年代の現在が見えていたかのような記述が随所に出てきます。
Part2:働くことの意味が変わった
第1章「生産性をいかにして高めるか」
【生産性革命は終わった】
(1)物を作ったり運んだりすることの生産性は、ここ100年間で社会的事件と言えるほど向上し、史上例のないものだった。
(2)しかし先進国においては、これまでのような生産性革命は終わった。今日重要性を増してきた知識労働者の生産性は全く向上していない。分野によっては低下している。
(3)知識労働者には、研究活動を行う科学者や心臓外科から、製図工、小売店の店長、保険会社の保険請求処理部門で働く者まで多様な職種が含まれる。だが知識労働者が多様であっても生産性向上に役立つもの、役立たないものは同じである。
【資本と技術は生産手段に過ぎない】
(1)我々が強い衝撃を持って最初に学んだことは、知識労働においては、資本は労働(すなわち人間)の代わりにならない、ということである。技術も、それだけでは知識労働の生産性を高めることは出来ない。
(2)経済学の用語に従えば、肉体労働については、資本と技術は生産要素である。しかし知識労働については、もはや生産手段に過ぎない。
(3)資本と技術が仕事の生産性を高めるか損ねるかについては、知識労働者がそれらを使って、何をいかにするかにかかっている。仕事の目的や、使う人の技量にかかっている。
(4)30年前、コンピュータが事務要員を大幅に削減すると信じていた。そのためサービス業におけるコンピュータ投資は、素材加工における機械投資と同じように行われた。ところが人の数は増えたが、生産性は実質的にはほとんど向上していない。
(5)医療コストの爆発は、病院の生産性を大幅に向上させることでしか食い止めることは出来ない。より賢くは働くことでしか達成できない。
【「目的は何か」を問うことが重要】
(1)フレデリック・テイラーが後に科学的管理法として結実した研究を始めたとき、肉体労働について、「何が目的か」は問わなかった。問題にしたのは「いかに行うか」だった。
(2)それに対して、知識労働の生産性の向上を図る場合にまず問うべきは、「何が目的か。何を実現しようとしているか。なぜそれを行うか」である。
(3)それを手っ取り早く効果的に生産性を向上をさせる方法は、仕事を定義し直すことである。特に、行う必要のない仕事を止めることである。
ではまた明日!
「働くあなたを元気にする」プロコーチ、砂村よしお
12月
5日,
2021年
「リーダーシップ」というものを思う時(5)「マイチームのスローガンを決める」
不定期ですが、
『「リーダーシップ」というものを思う時』
というタイトルで綴っています。
今日のテーマは
「マイチームのスローガンを決める」
先日もこのブログでお伝えしましたが、私はこれまで、それ程「リーダーシップ」ということを意識をせずに仕事をしてきました。
しかし、改めて30年余りの会社勤務時代を振り返ると、自分のチームを纏めるために色々なことをやって来た、と感じます。
その一つが、この自分の部署の
「スローガン」を決める
ということです。
もっとも印象に残っているのが、私が最後の職場となった米国系企業で、財務経理部門を率いていた頃のことです。
当時、遅ればせながら日本法人だけではなく、世界中のシステムを統合型システム(ERP)に入れ替えることになりました。
これはもちろん、経理業務の効率化・省力化を推進することになり、会社全体としてはもちろん望ましいことです。
しかし、一人一人の経理パーソンにとっては、大きな「環境変化」です。端的に表現すると
「自分の仕事が無くなるかも?!」
そこで私はその時、こんなスローガンを掲げました。
「Be professional!(経理のプロになろう!)」
そう伝えた時、私の部署の課員が私に返してくれた「ぽかん」とした表情を思い出しました。
そうですよね、いきなり「プロになれ!」と言われても.....
もちろん一朝一夕に「プロ」に成れるわけでない。そもそも「プロフェッショナル」とは何か?の定義付けだって必要。そして、どういう専門知識が必要で、望ましい行動様式は何か?などなど。
しかし、何か共有できる大きな方向性を定めて、皆でそれに向かって走り出す。少しくらい粗削りでも、ざっくりしていても良い。
「チームを動かすような、何かをぶち上げること」
リーダーには、こんな心意気も必要な気がします。
ではまた明日!
「働くあなたを元気にする」プロコーチ、砂村よしお