善通寺と言えば弘法大師ご生誕の地です。市内の西方象頭山の北の丘に有岡古墳群があってその中で最大の古墳が王墓山古墳です。整備されて公園になっています。前方後円墳で6世紀前半の墳墓だとされています。中からは冠や刀剣が出土されています。毎年今月29日は古墳の日と設定されて一般公開されるそうです。
空海、弘法大師の活躍は8世紀です。無名の僧として遣唐使船に乗り込み、嵐で辛うじて中国の南方に漂着するものの、不審船として留め置かれた時 無名の僧空海が嘆願書を書いたと言われています。しかもわずか2年で唐の文物、学問、技術、宗教を吸収して帰国しています。漢語に精通していたと思われます。そのルーツが王墓山古墳に有るのではないかと前から思っているのですが、機会を作って調べたいテーマです。
前方後円墳 : http://ja.m.wikipedia.org/wiki/前方後円墳
仏教伝来は公的には6世紀半ばで、私的には更に前に伝来している : http://ja.m.wikipedia.org/wiki/仏教公伝
奈良時代(7世紀)の渡来僧 鑑真 : http://ja.m.wikipedia.org/wiki/鑑真
弘法大師 空海 : http://www.toji.or.jp/kukai.shtml
高速道路植木インターを下りてすぐ、最初の交差点の横に「味取観世音 瑞泉禅寺」が有ります。最初地点登録していたにも関わらず見落としました。引き返して見て、入り口に種田山頭火の石像と句碑を見つける事が出来ました。種田山頭火はそれまで奔放な生活をしていて大正13年出家して禅僧になり、大正14年ここ味取観世音の堂守となり、読経と句を詠む生活を送るようになった所です。
「松はみな枝垂れて南無観世音」と詠んだ句碑と石像が門前に在ります。
句碑を撮るのが目的でしたが、このお寺、本堂は木立に覆われた小山の上にあって、旧びた長い階段が続いています。折角なので登って見ることにしました。幾つもの石像がそれぞれに違うポーズで建っています。頂上の本堂の両側には16羅漢蔵も祀られています。ちょっと変わったお寺ですが、高みにある為か、街並みが望まれ静寂に包まれたお寺でした。
山頭火は此処で1年と少し居て、再び放浪の生活を送る事となります。
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