西照大権現 杖立所(にしてるだいごんげん ついたてどころ)
5月
9日
会場から120mくらい離れた田んぼの淵に碑が立っていました。由来も書かれていて、その時は弘法大師が休憩された所と理解して撮影して帰りました。
後日写真を整理していて石碑に掘られた文字は「西照大権現 杖立所」になっているのが判りました。「弘法大師が西照大権現を木で像を刻み、山上の大瀧寺に祀った」と記されています。西照大権現とは?…
西に対して東、すなわち「東照大権現」は「徳川家康の戒名」です。東照大権現は日光東照宮に祀られていますね。そこで大瀧寺に祀つられている「西照大権現」を拝したく 早速大滝山に登りました。
約1000mの大滝山山頂が香川県・徳島県との県境になっていてわずかに徳島県側に下がった場所に「大瀧寺」が有りました。又隣接して「西照神社」が有ります。明治以後神仏分離で新たに「西照神社」が創立されたとの事です。
「大瀧寺」は「四国別格20霊場」の一つです。弘法大師は四国霊場八十八箇所寺以外にも多くの足跡が有ります。それらが集まって出来たのが「四国別格20霊場」です。2つの霊場合わせて「88+20=108」で「煩悩を祓う」と言う事になります。大瀧寺には弘法大師が彫って御自身が祀った「西照大権現」像がご本尊なのです。ちょうど八重桜やチューリップが満開で綺麗でした。西照大権現の詳細は知る事が出来ませんでした。
大瀧寺の右脇に鳥居があって「西照神社」への階段が有ります。車でも境内に行けます。下からの階段を登りきった所に狛犬が有って逸話が有ります。
その昔ここは阿波と讃岐を行き来する峠で、ある日の事日も暮れて神社の祠で母娘が一夜を過ごそうとしていたら 野犬の群れに襲われそうになりました。母親が 南無 西照大明神と唱えると狛犬が現れて野犬を追い払って無事一夜を過ごせたそうです。
この狛犬何処か愛嬌がある顔立ちです。狛犬と言いますが、左側が頭にツノがある一角獣で右は獅子です。阿(あ)と吽(ん)の口元をしている事はよく知られています。
西照神社の縁起は、
『大滝山阿讃国境に位し標高九四六米七尾七谷の源をなす嶺峰にして古代「大嶽山」と稱せられる。
由緒、古伝の存す所を案ずるに上代神世の昔、伊耶那岐尊、高御産巣日神の詔を以ちて、筑紫の日向の橘の小戸の阿波峡原に降り禊祓まして心身清浄なる身を以て山川草木各々の主管者を任命し終りに天照大神を高天原へ。
祖国並に大八州国を統治し次に月読尊は夜の食国(筑柴の国即ち九州全域尚湯の出る国即ち四国の嶋)を統括し
東大和紀伊の動向を看視せよと委任し給ふ。
そこで月読尊は航海の神、田寸津姫命即ち宗像三神の部族を率いて伊豫から阿波の国に移り大嶽山の頂、展望のきく所に櫓を設け瀬戸内海難波及び大和の動向を監視せしめ、天津神の詔を体し九州四国を統括し、蒼生人の九厄十悪を祓ひ退け、夜毎に白露をふらし、五穀草木を潤し海上安全を守護されしと降って、平安朝の初期桓武天皇の御代僧空海二十四才の頃三教指針(神道儒教仏教)の一佛教を選び厳修体得せんと大嶽山に登り、北面の崖の中腹に山籠すること三年。教理に初光を見出し、続いて土佐の国室戸に至って三年余を経て都に赴く。
偶に遣唐使の渡航舟団に加はるに及んで、大嶽山航海の神に安全を祈願して出稿す。
途中台風に遭ひ遣唐使の三隻は行衛不明になるも空海は遙か南方唐の赤岸鎮に漂着。
陸路都長安に至り、青竜寺恵果和尚に教を乞ふ。
和尚之を優遇し密教の奥義を伝授。
さる帰国に及んで大嶽山の三神に厚く感謝せし。後門弟をして別当寺を建て奉仕せしむ。
続いて本地垂迹の説を唱え布教に之努め社号に権現号を贈り、西照大権現と改稱し、神祇官に代わり祭祇を司り明治六年に至る。
中世稲田氏国守となるに及び崇敬社として山麓の九石八斗の村落を寄進し、諸役を定住させ奉仕せしむ。
明治六年、神仏習合分離の大政官布告に基き、社格郷社「西照神社」と旧に服し、神官をして祭祇することとなり今日に至る。』
となっていて、主祭神は「月読尊」です。「田寸津姫命」「田心姫命」「市杵島命」が祭神です。
つまり「月読尊(天照大神の弟神、更に弟が素戔嗚です。このイザナギが産んだアマテラス、ツクヨミ、スサノオが、三貴神と呼ばれています)を大和方面の監視役として田寸津姫命を大滝山山上に遣わして瀬戸内海の監視に当たらした事が神社の起源」という事でした。名前は西照ですが、西照大権現のいわれは無く、むしろ「記・紀の説話は阿波に実在した」と言う説を真っ向から補強する面白い縁起です。
更に境内は杉の巨木が並んでいます。この杉にも「灯明杉」伝説が有ります。
「日清戦争が布告されたとき、杉の穂先に突然灯りがともり、毎晩輝き、翌年突然灯りが消えた朝に戦勝の報が入った」そうで、日露戦争の時も同じ現象が起きたそうです」こちらの説はちょっと眉ツバ物ですね…
「西照大権現」の御姿は今回拝見出来ませんでしたが、「東照大権現」以前に弘法大師によって「西照大権現」が造られ祀られていた事が判りました。
西と東と言うチョット駄洒落的なお話でしたが、もう一つ似た話が有ります。
こちらも弘法大師にまつわるお話ですが、まだ全部写真が撮れていません。近い内に発表したいと思います。