湖東焼、赤絵の花瓶である。高さ16cm、時代は良くわからないが、おそらく明治だと思う。上絵付けのものは、あまり買わないが、花瓶の形がとても気に入って買った。それと、絵柄がなかなかユニークである。人物が6人、いずれも表情豊かで丁寧に描かれている。
昨日は暖かかったのですが、今日はまた寒い。といっても、平日にできなかった仕事を持ち込んで、朝から家で暗くやっておりますので、寒さを感じたのは朝夕のカイの散歩の時だけですが。
さて、梅田さんの影絵芝居ワヤン・クリッが名古屋で来年2月13日(土)に行われます。名古屋方面の方々、是非見に行きましょう。そのためには本を買って予習をしておかなければいけません。そして、ついでにサインを貰ってはどうでしょうか。私も今のところ行く予定でいます。チケットの購入等は、写真をクリックすると大きくなりますのでご覧ください。
「バリ島ワヤン夢うつつ」ですが、先月購入してほぼ1日で読みました。私の通勤時間は往復4時間なので、だいたい本はこの移動時間の間に読みます。この勢いで、もう15年前に購入した同じ木犀社が出している「プトゥ・スティアのバリ島案内」をもう一度読み直し、そして、今は村上春樹の1Q84の2冊目を遅ればせながら読んでおります。
内容はタイトルに影絵人形芝居修業記と書いてあるように、1980年代後半に2年間バリ島で学んできたワヤンクリッの修業体験を中心としたエッセイです。とても読みやすい本です。バリ島をよく知らない人でも楽しめますし、詳しい人でも新たに得るものは多いと思います。
最後のあとがきに、梅田さんは「一人の芸術家として、あるいは一人の旅人として、古い時代のワヤンを懐かしみ、消えていくことを口惜しく思い、いまだに自分が経験してきた伝統に執着する一人の人間なのです。」と書いていますが、この本は、単に音楽や芸能を勉強してきた芸術家としての梅田さんでは書けないものであり、やはり、当時の自分を客観的に見つめている今の研究者としての梅田さんが書いているエッセイ本です。
香蘭社の彩磁翡翠文花瓶である。高さは15cm、時代は明治後期から大正くらいかな。釉下彩である。翡翠はロイヤルコペンハーゲン、ビング&グレンダールにもフィギャリンがある。でも、絵付けは見たことがない。なかなか良くかけている。目つきが悪いところが良い。
なんでしょうかね。花瓶でしょうか、それとも、小鉢でしょうか。デンマークから中一日で届きました。ビング&グレンダール製、高さ8cmは、口径9cm。時代は1915年から1947年の間につくられた物です。作家はeffie Hegermann-Lindenkrone。ペインターももしかしたら、エフィーかもしれません。量産品ですが、はじめて見ました。おそらく、数は少ないと思われます。メイプル柄の同じような色合いのものは持っていますが、こちらはメイプル柄ではありません。新しい発見です。この柄のユニカもあるんでしょうね。おそらく。どこにあるのでしょうか。アメリカかな...
昨日、静岡に行っている間に、家に3つの小包が届いた。まとめてでなく、ひとつずつ日本郵便から3回配達があったようだ。新幹線に乗っているときに、うちの奥さんから携帯メールが届いた。フランスとデンマークそして東京からの小包。いずれも陶磁器。フランスからは6日、デンマークからは3日、東京は1日で届いた。さすがにデンマークのPrioritaire Aは速い。中1日である。
写真はフランスから届いたロイヤルコペンハーゲンのクリスタルグレイズである。日本語では結晶釉という。1889年ごろロイヤルコペンハーゲンが開発した釉技で、1892年のシカゴ万博で大ブームを起こし、その後、世界の陶磁器メーカーが競って研究をして制作を試みた。作家はValdemar Engelhardt。制作年代は1895年頃。高さ14cm。
やっと、ロイヤルコペンハーゲンのクリスタルグレイズを手にいれた。ビング&グレンダールはひとつ持っていたが、コペンハーゲンはひとつも持ってなかったので、とてもうれしい!
日本にはコペンハーゲン製の花瓶のクリスタルグレイズはこれを含めて3つあるはずである。ひとつは、おそらく明治時代に真葛香山が試作するために購入したもので、現在、北海道にあると思われる。もうひとつは、口に少しニュウがあり、現在おそらく九州にあると思われる。柄は、いずれも写真と同じで青磁釉が流れた結晶釉だったと記憶している。
しかし、この流れるような釉薬の中に、わずかに現れる結晶がなんともコペンハーゲンらしく、とても美しい。この時代にしか出せない結晶釉である。
これでやっとクリスタルグレイズに関する発表も研究会でできるな。やはり、開発元のロイヤルコペンハーゲンの作品を持ってなければ、できないよね。
昨晩、音工場主催による梅田さんの出版記念パーティ「うめうめゆめうつつ」があり、ワヤン・バテル「スタソマ」が上演された。これは東京では初演。どうやら、梅田さんは、ワヤンを演じることを東京に来るまで知らされていなかったらしく、本人はかなり緊張していたようである。でも、たくさんアドリブも入り、とても面白かった。梅田さんの唄で、高田渡の「自転車にのって」と「アイスクリーム」まで飛び出し、大うけ。写真中央はちょうど「自転車にのって」のシーン。とりあえず、ハイビジョンのビデオを持っていって動画も撮ろうと思ったが、ビデオ撮影は禁止というお達しがあったので、写真を50枚近く撮った。ブログにどれをアップしようか悩んだが、とりあえず、この3枚にしました。一応、隠れながら、バリスの部分だけ動画も撮影したけどね! 「アイスクリーム」はコーン付きのソフトクリームかな...
二枚貝の花瓶を購入したときに、もうひとつロストランド窯の小さな花瓶を購入した。高さ10.5cm、約100年前に作られた。作家はNILS EMIL LUNDSTROM。二枚貝と同じように浮き出ている花が花瓶の周り3面に描かれている。とてもロストランドらしいかわいい花瓶だ。
北欧スウェーデンのロストランド窯、彩磁二枚貝文花瓶です。時代は約100年前、直径14.5cm。ひさしぶりにロストランドを購入しました。これは、もう3年以上ある業者のところにあったものです。もうひとつ同じくらいの間あった蜻蛉のトレイはやっと夏に売れたようです。こういうものは、なかなか動かないのでしょうかね。いいものだと思うのですが。
この花瓶、二枚貝が3面にあるのですが、それ以外には青磁釉がかけられています。ロストランドの青磁釉のものはお皿を1枚持っていますが、なかなか珍しいものです。
昨日の午後2時から、学芸員の解説があったので泉屋博古館分館へ「幻の京焼 京都瓢池園」を見てきました。とても、勉強になりました。瓢池園は、東京と思っていましたが、明治40年に京都へ移ったんですね。ふくべ焼ともいうのですね。この「ふくべ」という銘が、また、清水六衛兵の銘とぱっと見よく似ていました。まあ、それは置いといて、やはり、1900年のパリ万博は当時の陶磁器界にとって、とても影響が大きかったのだということを改めて認識しました。
最初に展示されていた東京瓢池園の釉下彩鯉図陶額は、釉下彩ではなくイングレイズだと思ったのですが、どうなのかな?学芸員が説明していましたが、聞いてもわからないと思ったので黙っていました。図録を見ると近代国際陶磁研究会のメンバーが協力しているので、今度聞いてみます。
東京瓢池園と異なり、窯変釉の作品が多かったのも1900年の万博の影響でしょうね。染付けの醤油さしが、かわゆくてよかったな...。
有田は富永源六製の彩磁牡丹文蓋物である。数日前にアップしたKYOTO柄の宅急便の箱に入ってきたものである。時代は大正時代。直径23cm、高さ14cmあり、大きい。これにお煮しめを山盛りにして大勢で食べるとおいしいだろう。
この釉下彩の牡丹文は富永源六のオリジナルであり、明治中ごろ大ヒットして、コピーがかなり出回った。実際、無銘でこの牡丹柄の磁器をよく骨董市で見かける。そのため、写真のようなトを風車のように3つ並べたトミ(富)のマークを生み出したようだ。以後、源六製のものには、このトミのマークが必ずついている。ただ、このマークが書いてあっても、偽物はあるので、注意したほうが良い。こちらは本当に偽物である。
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