I宣教師と会食しました。
ここの日本レストランはシェフもサーバーも日本人だけあって
味もサーヴィスも正真正銘もの。
うまいちらし寿司に話も弾みまくり……
教えられることが多く
貴重な時間が流れて行きます。
三ツ星ホテルなのに部屋に入ってみると
何か足りないものを感じた。
書斎にするデスクがないのだ。
フロントに電話すると
プラス$20で広い部屋を当てがってくれると言う。
即お願いしてその部屋に行ってみると、確かに広い。
キッチンやバーカウンタ、冷蔵庫ばかりでなく
キングサイズのベットがロフトに設置されていた。
本ブログを創始し、サーバーしてくれているPSP会社へ行ってきました。
ホサナ教会のHPもウエブデ・イクスプレスという御社のシステムを利用しています。
2年ほど前、そのHP構築のためのセミナーに御社に伺って以来、
ことある毎にIT関連のことでお世話いただいています。
今回は、他のビジネスのHP構築のために2 to 1指導をしていただきました。
参加者私一人に対して、
Mさんと Iさんのお二人が懇切丁寧に
手取り足取りして教えてくださるので助かります。
不案内なIT世界もこうして日本語でお世話下さるところがあるとは、
大きな助けです。
御社はここ最近、サンディエゴにも支社を開設されました。
日本企業の皆さん、
ITのことならこの会社、お勧めします。
マサダ要塞に至るロープウエイ
ホサナキリスト教会聖書広場からの抜粋です。
聖書本文とメッセージノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/412083-1
「大艱難時代後半の3年半①」
マタイ24章22~27節
~マタイ福音書連続講解説教84~
マタイ福音書に見る大艱難時代後半の3年半
1)後半3年半の開始(マタイ24:15):反キリストの神性宣言と像の至聖所設置
「15それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべきもの』が、
聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。) 」
反キリストがエルサレム神殿に自らの偶像を設置して、イスラエルとの契約を破棄してその抹殺を図る様になる。それが後半への転換点。
2)緊急避難(16~20):その場所はボツラ(へ)、ぺトラ(ギ)
「16 そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。
17 屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。
18 畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。
19 だがその日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。
20 ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。」
津波のような迅速さでジェノサイト・ユダヤ人抹殺運動が押し寄せてくるので、
時を置くことなく東のヨルダンにある山地・ペトラに逃げなくてはならない。
3)甚大苦難(21):史上最悪・最大のユダヤ人抹殺運動
「21 そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、
またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。 」
ある著名な聖書学者はここでのイエスの教えが、
AD70年のローマによるエルサレム陥落を預言したものだという。
しかし、この21節はその推論を論駁している。
艱難期にユダヤ人を襲う迫害こそ、60万人が抹殺されたナチの
ホロコーストにも勝る史上それまでにない「ひどい苦難」であるから。
4)神聖統制(22):3年半という日数に限られている
「22 もし、その日数が少なくされなかったら、
ひとりとして救われる者はないでしょう。
しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。 」
ここでの「選ばれた者」とは、選民イスラエルのことで
彼らが全て抹殺される前に神の介入があり救われることを教える。
エルサレムの神殿が汚されてから3年半に艱難期は限られている。
5)悪魔暗躍(23~24):復活した反キリストと偽預言者~黙示録13章
「23 そのとき、『そら、キリストがここにいる』とか、『そこにいる』とか言う者があっても、信じてはいけません。
24 にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。 」
かつて出エジプトの際、モーセの奇跡やしるしを真似て同様のことをして見せた
エジプトの魔術師のように、
このときにはサタンの力を得た偽預言者が驚く奇跡をして見せて人々を惑わす。
6)シャカイナ・グローリーの出現(25~27):大艱難はメシアの再臨まで続く
「26 だから、たとい、『そら、荒野にいらっしゃる』と言っても、飛び出して行ってはいけません。『そら、へやにいらっしゃる』と聞いても、信じてはいけません。
27 人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、
ちょうどそのように来るのです。
偽メシアのうわさが流布されるが、真のメシアはいなずまのような明瞭なしるしを伴って再臨される
7)選民殲滅運動(28):死体とはユダヤ人、はげたかとは反キリストの軍勢
「28 死体のある所には、はげたかが集まります。」
反キリストの招集する世界連合の軍勢はハルマゲドンの戦において、
いまやユダヤ人殲滅寸前まで追い込む。
すでにペトラにて逃亡生活をしているユダヤ人を
むさぼるはげたかのような勢いが教えられている。
結論 苦難の意義について:へブル12:7~11
「7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。
8 もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、
私生子であって、ほんとうの子ではないのです。
9 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、
しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、
私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。
10 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに
私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、
私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。
11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、
かえって悲しく思われるものですが、後になると、
これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。
12 ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。 」
1)「子」としての扱いゆえに(7)
•イスラエルは神の長子ゆえに、苦難も特権も倍のものを受ける
他の民族に比べたら遥かに多くの特権を持っている。
それに比例して責任も重いがゆえに大艱難時代を通過せねばならない。
•大艱難時代を通じて真の信仰に目覚める
その苦難の中で、イエスがメシアであることに目覚めるようになる。
2)苦難の目的について考えてみよう(9~10)
•「生きる」~父なる神との楽しい交友ゆえの豊かな生涯があるのを教えている。
•「ご自分の聖さに預からせるため」
~千年王国に至る相応しさを見に付けさせるために
3)苦難の結果(11)
•「訓練」を通った人には「平安な義の実を結ばせる」
父なる神は私たちに訓練や凝らしめを時に与える。
それは子供となったこと、
すなわちイエスを長子とする神の家族に加えられたことを意味している。
もし罪を犯して後にそれらの懲らしめがないとするなら、
それは「私生児」(8)であることになる。
ユダヤの法律ではその私生児のことをMAMZERと呼んで、
次の3つのことを意味した。
①相続財産を得られない
②ユダヤ人とは結婚できない
③ユダヤ人の墓に葬られない
全ての信者は「子」として時に受ける訓練を耐え忍ばねばならないのである。
利休の茶室に秀吉、官兵衛、そして石田三成がいる。
………………………………
秀吉:「先鋒は清正と行長、軍師は官兵衛じゃ。
信長様が成し得なかった夢を、この秀吉が成し遂げるのじゃ。」
官兵衛: 「殿下……
天下太平は目の前でございますが、長い戦で民は疲弊しております。
何卒、しかと民の姿を見ていただきとうございます。」
秀吉: 「そのような事は分かっておる!」
官兵衛: 「殿下、何卒、お考え直しください!!」
秀吉: 「おぬし、このワシの夢にケチをつけるのか?」
……………………………
秀吉: 「これ以上申すな!!!」
利休: 「耳の痛いことを言ってくれるお方がおられるうちが春でございます。」
秀吉: 「利休よ。……ワシは黒茶碗が嫌いじゃ。」
利休: 「殿下にもいずれその良さがお分かりになります。」
…………………………秀吉は怒りに震えて立ち上がると、
その黒茶碗を蹴飛ばす寸前となるが、そのまま三成を伴って退席する…………………
天下人秀吉の傲岸さ、
天下のための最善は何かを理を持って説く官兵衛。
盲目的に秀吉のご機嫌取りとして権勢を伸ばしつつある三成、
高所から哲理を言ってのける利休。
この時点でのこれらの各人のそれぞれがよく表されている。
本日のとある新聞コラムにもこの時のいきさつが詳細に解説されていた。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140923/wlf14092307000002-n1.htm
秀吉が中国征伐という愚かしい老人性夢遊病に陥ったのは、
ここでの台詞通り、
信長の夢を踏襲して後継者としての正統性を
アッピールしたかったのは間違いないと思われる。
ではその信長が日本平定後、朝鮮や中国に目を向けたのはどうしてか?
当時万里の波涛を超えて布教や貿易にやって来た南蛮人に刺激された事は想像に難くない。
………………………………………………………………………
先回、当時の欧州は大航海時代であり、
地理上の新大陸発見時代でもあったことを書いたように思います。
ここから
「秀吉や家康がキリスト教を禁教にした理由」について考えて見ましょう。
1494年にアレキサンデル6世は、
大西洋の真ん中に南北で線引きして世界を真っ二つに両断することを両国に認めた。
(トルデシリャス条約)
両国とは、ポルトガルとスペインで、
この2カ国で新世界を真っ二つに両断したのである。
トンデモ、トンデモ〜
西側のブラジルを除いた新大陸をスペイン領とし、
東側のアジア・アフリカはポルトガル領とするというお話、、、
何とも身勝手な〜(^◇^)
その際に教皇は両国王に宣教保護権なるものを与えている。
それはスペイン王とポルトガル王に付与された
彼らが征服した新地に対しての布教許可権であり、交易独占権でもあった。
このように、カトリック教会の宣教と国王の政治的・軍事的な意向とが
結託していたのは紛れもない事実。
全世界でのキリストの代理人を自認していた教皇にとって
布教権や司祭叙任権は専権事項であり、
発見した新大陸でのそれらもまた本山(教皇)から
大航海と新大陸管理の事業者(国王)へ譲られるべき性質のものであった。
当時はそのような時代状況であり、事の善悪を論じられる次元ではない。
だから禁教令や鎖国を持ってキリスト教を排除しなくては
やがて日本も植民地に成り果てていた……
そんな風に考える人がどうも多いようなのです。
これは本当でしょうか…?
日本は世界から見ると、今も当時も超特殊な国です。
日本には大規模農地に適した広大で肥沃な土地はない。
当時は金銀などの鉱山資源も発見前のこと。
第一、戦国の武士たちに対抗するほどの兵員や武器の輸送は不可能であったと言えます。
関ヶ原での東西両軍の双動員兵員数は概算で30万人程。
一方、その数世紀後の欧州最大の会戦である
ワーテルローの戦い(1815)でのそれはおよそ20万人とされています。
欧州が連合して日本征服を企んだとしても、
日本の戦国武士にはかなわなかったはずです。
カトリックによる日本宣教は国王認可の元での国家事業であり、
貿易と密接に結びついたものであったとしても、
彼らに征服の下心があったと結論付るには早すぎるようです。
ここにホセ・デ・アスタコ(1540-1600)という
スペイン人のイエズス会宣教師を紹介します。
彼はペルーやメキシコでの布教活動を管区長として指導した人ですが、
1577年に書いた書簡の中で全世界の宣教地を3区分する必要性を説いています。
①西洋と同等な高度な文明を持つ人々〜日本や中国
②文明後進国ではあるが、それなりの独自文明を持つ人々〜南米マヤ人やアステカ人、ポルトガル領インド人
③野蛮人で「堕落した凶暴な住民」
その中でアコスタは
「第一区分の住民に対しては使徒時代のギリシア人、ローマ人、その他のアジア人、ヨーロッパ人と同一の方法で布教するべきである」と記しています。
イエズス会宣教師のトップが日本を白人国家として扱うよう述べているのに注目です。
その路線を正しく踏襲したのがイエズス会東インド管区巡察師として来日したヴァリニャーノでした。
…………………………来週に続きます………………………………………………
秀吉の無理難題をどう受け止めるか、苦悩する官兵衛
今週の大河ドラマ・官兵衛は、
秀吉による九州平定後に受け継いだ豊後の地侍どもの反抗をどう抑えるかという話題だった。
特に宇都宮氏をだまし討ちにするという
いわば黒田家の暗部が描かれていた。
秀吉の二枚舌、そして「殺せ」との専制君主の独断であるとはいえ、
宇都宮氏との首領安堵の約束を反故にした直接責任者は官兵衛である。
戦国時代の大名として殿下・秀吉の名には絶対に逆らえないゆえに。
そこではキリシタンとしてデウスの教えにあくまで忠誠を尽くすのは不可能であったのか。
先週の伴天連追放令の際、
官兵衛は秀吉を恐れて信仰上の妥協をしてしまった。
以後はデウスの教えと秀吉の命令との狭間の中で葛藤と妥協の生き方が続く。
ところで、秀吉や家康によるキリシタン迫害と禁教とは
日本にとって正しい判断だったと結論づける論考にしばしば出くわす。
キリスト教世界の中からさえも。
宣教師らを先に派遣し現地人民を懐柔した後に軍隊を派遣、
征服して植民地化するのが南蛮国の戦略であり、
それは南米諸国を見れば明らかだという論理。
日本を欧州列強の植民地化から阻止するためには、
その時代のキリシタン禁制も止む無しだった、と言うもの。
高校までの世界史教科書を表面的になぞるだけなら、
誰もがその結論に至って当然であろう。
確かに当時の欧州は所謂大航海時代であり、
アメリカを始め新大陸が「発見」されていた時代。
そこにいる何十万という原住民らを懐柔して交易に利用、
あるいは殺戮して広大な土地を征服していたのは事実。
……………長くなりそうなので来週に続きます…………
この晩は、サンマテオの吉田邸へ。
どのレストランにも勝るご馳走の数々を
まるこお母様が用意してくださっていて恐縮至極。
…とは言うながらも
毎回御宅に押しかけているものでございます(^.^)
70年前の日本の真珠湾攻撃後、
西海岸にいたお父様は収容所に入れられた事やその後の混乱期の事を
つぶさに語って下さいました。
歴史の生き証人です。
気がついてみると、3時間ほどがあっと言う間に経過していました。
…今夜は名付けて「山形関係の同窓会」
この晩はサンフランシスコ郊外で牧師をされているノブ先生と会食。
初めての日本レストランをノブ先生が紹介して下さり、行って見ました。
ほとんどの定番日本食の定食やら寿司メニューが揃っているお店。
印象:http://www.yelp.com/biz/inshou-japanese-cuisine-san-mateo
二人のウエイターが日本人だと知って
「本物の日本食」への期待値が上がる。
この日はたまたまシェフが日本人ではなかったとのことでしたが、
充分に合格点を差し上げられるものでした。
価格もリーゾナブル。
ノブ先生、ここでまた会食しましょう。
「港の見えるクリスマス・実行委員同窓会」と銘打って。
…………ちょっと無理したタイトルかな?
高校時代の同窓生と二人だけの同窓会。
私はベイエリアまで飛行機とレンタカーで約6時間、
Aさんはロスアンジェルス近郊からこれもまた約6時間をかけての行軍でした。
この写真をFBに投稿したところ、
ジョージア州(だったと思う)に住む、
やはり高校同窓生から
「子供のようでかわいい顔」だと褒められました(^_^)
普段はいかついおっさんも、
アイスクリームを食べる時だけは少年に戻るのです。
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