今年は日米終戦70年目の節目。
最初にやって来る記念日としては、
2月19日、米軍が硫黄島に上陸したことだろうか。
約1カ月間の戦闘で日本側に約2万2千人、
米側に約7千人の死者が出たとされる。
米国側は当初、数日間で陥落できると考えていたようだが、
日本側の徹底抗戦に思わぬ痛手を被ることになる。
硫黄島をめぐり、
米国側からの視点での映画と、日本側が視点となっている映画が
ほどんど同時期に封切られたのは7年以上も前だったか、、、、?
双方の映画を妻と二人で見に行ったのを覚えている。
地下壕の建設に邁進し、
宝玉は覚悟の上で本土攻撃の時間稼ぎをする栗林中将率いる日本側。
圧圧倒的な人員や火器で優勢に立ちながら、
穴の中からいつ出没するとも分からない恐怖と戦う海兵隊員。
彼らが当時、要衝の摺鉢山に星条旗を掲げた報道写真はあまりにも有名になった。
この硫黄島を制圧されて以降、日本への本土空襲がはじまった。
太平洋戦争の趨勢を決した一つの山場となった。
この日、米国首都のワシントンで戦没者追悼式が行われて、
退役軍人ら30名ほどがつだったという。
「厳粛だが、喜ばしい機会だ」
というある戦闘参加の人のコメントがメディアに載っていた。
負けるとわかっていて、死ぬとわかっていて戦わざるを得なかった日本軍。
若い兵士たちの決死の努力や決意、、
そこにどんな義を見出して死地へと向かったのか?
なぜそこまで無駄な抵抗をして死に向かうのか、米国兵には理解できなかった。
現在の我々日本人なら
当時の日本の置かれた状況を学べば彼らの宝玉は理解できる。
だが同じ真似はしないはずである。
多くの情報に接して、何を義とするか、自ら判断できる教養を備えているはずだから。
前途有望な若者たちを、いや国家そのものを丸ごと洗脳して
破滅へと追いやってしまった当時の戦争指導者たちの罪は重い。
銀行マンからソウシャル・セキュリティ番号カードの原本が必要と言われ、
オフィスを探しつくしたが見つからないのです。
渡米後直後にそのカードを取得して、番号は暗記してあるものの、
原本カードがこの時に至って必要だなんて、、、
米国にしてはずいぶんと官僚主義ではございませんか?
すでにその銀行とは、その番号を使用して家のローンが組まれているというのに、
どうして今更原本がいるの?
そんな風に食い下がってみても、首を縦に振ろうとしない。
融通さのないところは銀行ゆえの通例か?
つぶやいていても始まらないので、その原本請求手続きを公開します。
国で管理しているものなので、
先週ロサンゼルスにいながらも最寄りの事務所に行けば
再発行手続きはできるはず、と考えました。
週日は午後3時までの事業時間であるのに、
その日に訪問した水曜日だけは午後12時で閉館となっていて、
玄関先でお払い箱の憂き目に。
翌日、再訪問したものの、建物を取り巻く長蛇の列を見て断念。
シアトルに帰って来て、地元の事務所へ行ってきました。
ネットでHPを探し出し、住所を確かめて出立。
到着して玄関を見ると、事務所は引っ越したとのサイン。
約10分運転してようやく事務所をゲット~!
こうなると、しゃにむにカード原本がほしくなる。
整理券を得て、室内で椅子に座れるのは助かった。
待つこと1時間、ようやく窓口に。
すでに前日から準備して記入を終えている申請用紙、
パスポートなどの必要書類を提出すると
5分もかからずにあっけねいほど簡単に手続き完了。
ところが、領収書を見たところ、そこにカード番号の記載がない!
原本が郵送されるまでに1週間ほどかかるが、
領収書に記載されている番号が代理となり得るので、
それを提出せよとの銀行マンの指示だった。
問い合わせると、昨年8月から方針が変わって
領収書に番号を記載しないことになったそうな。。。
IDに関する書類申請には年々締め付けが厳しくなるばかりのようです。
この情報、どなたかにお役に立てれば幸いです。
ナイフで斬首するとは残忍で卑劣極まりない蛮行だ。
「人間のすることとはおもえない」との某大臣がコメントしたが、
どんな言葉をもってしても十分に糾弾出来そうにないほどの残虐非道さに怒りを覚えます。
だが、その凶行を「イスラム国が常軌を逸したテロ集団だから出来るんだ」
と帰着させるのには無理がある。
人間は宗教による洗脳理由以外にも、
殺人鬼となり得る恐ろしい生き物であるらしい。
ルワンダで、斧を振るって数十万人が虐殺されたのは10年程前だった。
殺人者は普通の人達であり、
それまで顔見知りの村人を所属民族が違うというだけで
レイプ、手足切断、斬首、、、悪鬼になったのだった。
我々日本人も同様で、悪鬼に変貌して来た歴史を持つ。
先の大戦で捕虜を日本刀で斬首したり、
槍で刺し殺したりした。
この2月5日は
長崎の西の丘にて26人のキリシタンが磔刑にされた記念日であった。
秀吉は、両耳と鼻を削げと命じたが
奉行の石田三成は片耳だけを削いで京都市中を引き回して見世物にした。
真冬の厳寒期に彼らを長崎まである歩かせた上で処刑。
その一行には、12歳、13歳の少年がいたという。
徳川期入って鎖国が完成すると
キリシタン迫害は組織的に、熾烈さを増していく。
雲仙の熱湯を生身の人間に注ぐとは、、、
これこそ人間の出来ることではなかろう。
日本人だけが常識を備えた、
平和と調和を重んじる民だと自惚れることは出来ない。
…………………………………………………
人権意識が広く行き渡っている現代に
イスラム国の非道さが驚愕をもって非難されている。
その信奉しているところのものは中世にあった価値観であるようだ。
欧州社会が幾たびの戦乱を超えて培ってきた原理
ー政教分離の原則ーこれが通用しないのである。
西欧型民主主義とイスラム原理主義との戦いとは、
現代型人権主義と中世にあった政教一致主義との
相克であると言えるのではなかろうか?
イスラム国に人質として捕縛されている邦人二人。
身代金の2億ドルの支払い期限72時間が、
刻一刻と過ぎ去ろうとしている。
これまでその身代金を政府が支払うべきかどうか議論が沸騰した。
自己責任でかの地へ行ったんだから…
人道上、命の値段には変えられない…
テロリストに援助することつながる…
避難民救済支援金の2億ドル拠出を保留すべきだ…
どの論ももっともであるだけに
簡単に結論が出て来るものではない。
ジャーナリストの後藤さんは私と同年代で
ご家庭には私の娘とどう年齢の娘さんがいらっしゃる。
決して他人事とは思えない。
ああ、本日何時手を休めて神に祈ったことだろう…
「彼らを救出させてください」
「テロリストたちが誤解と過ちに気がつきますように」
「救出活動に関わっている全ての人たちに知恵と判断力が与えられますように」
「主からの平安と守りとが今この時、与えられますように」
「福音を知らない湯川さんに永遠の希望の知らせが届きますように」
安部総理は
「テロには屈しない」
「人命救助を最優先する」
と言って奔走しておられる。
私もこのスタンスに賛成します。
両者はテロリストにとって両立できないもののように見えます。
が、神に不可能なことはないのです。
人事が尽きた時、私たちには天を見上げることしか出来ません。
カナダ・リッチモンドの交通取締官の仕事振りには恐れ入ってしまう。
駐車無料となる時間帯まであと1時間ほどあった。
駐車券販売のブースを探すが見当たらない。
仕方なく、1時間だから…、ということでそのままホテルへ。
(良く警告版を読めば許可証の必要な路上であって駐車券は販売していないはず)
その1時間以内に取締官のが来て反則キップを置いて行ってくださった(≧∇≦)
翌朝、駐車禁止時間帯を8分すぎた段階でさらにもう一枚の反則キップ(≧∇≦)
一夜にして2枚もの反則キップを頂戴する特権に授かってしまった。
この街の交通局の仕事熱心ぶりにはただ驚愕するばかりである。
怠惰な米国交通局の仕事振りに慣らされている身には痛いほどのお灸となった。
米国では午後5時を過ぎれば、
そして朝も9時にならなければ取締官も仕事を始めないとばかりに、
皆さん平気で駐車しているのに。
恐れ入り奉りました(*^◯^*)
早速、反則金をネットにて支払わせていただきます。
13歳で青春を奪われたままのめぐみさん
双子の弟と両親の5人家族です
北朝鮮による拉致被害者の調査報告がありました。
「報告」とは呼べないお粗末なもので、
何ら手掛かりになる情報のないまま「平壌で話がしたい」とのこと。
いつながらかの国の誠実さのカケラもない仕打ちに腹立たしかったり、
無力感を味わったり、、
横田めぐみさんは、1977年11月15日、新潟から忽然と姿を消しました。
当時、13歳で中学校1年生。
バトミントンの練習を終えての帰路、
海岸から船に乗せられて連れ去られてしまいました。
彼女は私と同じ年で今年50歳になります。
私は中学1年の時、どうしていただろう?
教科毎に代わる教師と教えられる事の目新しさに興味が尽きなかったり、
複数の小学校から寄せ集まった新顔の学友達に慣れるのに苦労したり、、、
思い出すにも苦労する遠い昔のあの時からずっと異国に暮らすめぐみさん。
人の半生をすっぽり搾取するだなんて、、、
その理不尽な仕打ちに言葉がない。
その消息だけでも正確に伝えて欲しい。
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