ISはシリア中部・ホムス県にあるガス田を襲撃し、このガス田の作業員およそ270名を集団処刑した。さらにその後、多数の民間人や政府系職員、治安部隊の隊員を集団処刑したとされる。
イスラム過激派組織 イスラム国(IS)の蛮行が報道されています。
イラク北部やシリアで独立国家宣言をして勢力を拡大、
一時期はバクダットに進行する勢いを見せました。
他宗派の人々にイスラムへの改宗を迫り、
従わない場合は斬首すると言う新聞報道に、
中世に「剣かコーランか」と迫った
イスラム教徒による領土征服の快進撃を思い出させます。
私は当初、それは限られた一部での極端な報道なのだろう、
と高をくくっていたのですが、
彼らの支配地域で組織的に横行している虐殺は、
目を覆うばかりの非常な現実であるのをあるサイトから知ることができました。
イラク第二の都市といわれるモスル。
旧約聖書に出てくる古代アッシリア帝国の首都ニネベのあった町とされ、
そこには古くからキリスト教徒の村落がありました。
過去形で書いたのはISが当地を征圧して以降、
おぞましい残虐行為によってキリスト教徒の共同体は破壊され、
クリスチャンは皆無となったからです。
http://www.asiapress.org/apn/archives/2014/0/29091207.php
ISは町々を襲って組織的な虐殺を行っています。
あるサイトの映像を見たのですが、子供までもが斬首されています。
女性はレイプされた後に斬首され、
男性は首のない胴体だけが逆さまにされて足首から吊るされている写真です。
米国人ジャーナリストが処刑される直前のビデオがTVで報道されました。
その後、彼は生きたまま首をナイフで切断され、
その首は胴体に乗せられた動画もありました。
おぞましいこれらの動画や映像はリンクできません。
ある町では6歳くらいと思える女の子の首のない胴体が道路に放置されてました。
その子の父親がその首のない胴体を抱きかかえながら狂乱状態に陥っている様子、、、
これが21世紀の地上で行われている現実であると思えません。
彼らはイスラムに改宗するか、人頭税を支払うか、死ぬかの選択を迫り、
人々を文字通り虫けらのようにして虐殺していくのです。
イラクの少数派ヤジディ教徒は村を抜けて山岳地帯へ逃れました。
そこでは家屋も食料も水もなく、飢餓や脱水状態が蔓延しています。
力尽きた子供たちが岩地に死体となって寝かされている映像もありました。
米国が自国民保護と人道救援見地からイスラム国への空爆を行っていますが、
更なる介入を視野に入れるべきではないかと考えます。
オバマさんが、「米国は世界の警察官であることを止めた」と宣言して以来、
中東地域やアフリカでの蛮行は加速するばかりです。
そこでは、
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した」
とある日本国憲法前文の前提は通用しません。
外国が平和を愛し、公正と信義を尊重する人々ばかりではないからです。
海に囲まれたアジアの極東ではイスラム国の非道な蛮行を耳目することだけで、
直接攻撃にさらされることはないでしょう。
それゆえに対岸の火事として終わらせてよいものなのでしょうか。
自国だけが平和で豊かさを享受できればよいとするスタンスから
一般国際社会とは異なる常識が生じ、
「平和ボケ」といわれてしまうのではないでしょうか。
憲法前文には次のような名文もあります。
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を
地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
「思う」「確認する」が観念だけの作業でなく、
現に専制と隷従に苦しんでいる方々に届く具体的な行動指針を
考えなくてはならないのではないでしょうか。
今年、自衛隊は創設60年を迎えるのだそうだ。
7月に集団的自衛権が合憲であるとの解釈変更の閣議決定が成された。
そのような流れゆえだろう、
NHK特集で自衛隊の幹部候補生学校を取材していた。
入学式の際に校長が披露した一つの箴言が心に留まった。
「大いなる精神は
静かに忍耐する。」
ドイツ人哲学者シラーの言葉だそうだ。
これは同校OBである元陸上自衛隊幕僚長(陸上自衛隊トップ)の
宮澤氏から校長に贈られたものであるという。
その宮澤氏が自衛隊に入った1960年代は安保闘争の最中。
「国のために」という純粋な青年の志を挫くかのような冷たい視線が世間にはあった。
「税金ドロボウ」と罵られることもあった。
そのような理不尽にも堪えて志を全うするように、
と若かりし宮澤氏が教えられた言葉であったという。
今や、3・11の災害救助活動や海外での現地視点に合わせた復興援助に
高い評価を得ている自衛隊。
それでも、20代青年の清い志を砕くような理不尽さに遭うかもしれない。
その時に思い出して欲しい言葉として校長は訓辞した。
「幹部自衛官としての高い志、すなわち大いなる精神をもって
平和な時代に理不尽と思われる環境さえ適合するしたたかさを持つ
静かに忍耐することを望みます」
実に含蓄ある言葉である。
広島原爆投下から69周年を迎えた。
一般の米国人はこの日を知っているだろうか?
多くの人は知らないようだ。
50代後半の白人男性が小切手に本日の日付を記入している時だった。
答えは分かっているが聞いて見た。
「この8/6は何の日であるかご存知ですか」
「………………」
「69年前のことです。」
「……………………」
「日本と米国との間に何かがあって、酷いことが起きた日なんです。」
「………………………」
案の定、ここまでヒントを与えても答えられない。
これは95%以上の米国人一般の認知度であるように感じる。
私が答えを与えてからの彼は饒舌だった。
機関銃のような勢いで戦争に対する自らの見識をまくし立ててくる。
「戦争は全く、愚かなことだ。愚か、愚かだ。
敵も見方も傷つけ、破壊し、殺しあって一体何か得るものがあるのか。
戦争に勝者はいない。
だのに何故起きてしまうか?
何故だと思う?
国のリーダーたちがやらかすんだ。
全く迷惑な話だ。
平凡で普通の俺たちは戦争なんて真っ平なんだ。
リーダーたちが決めたことを俺たちがしなくちゃならないだなんて、どうかしているよ」
その不条理な戦争の究極が原爆だった。
あのキノコ雲の下で
人としての尊厳を奪われた10万人以上の被爆者たち。
生きた証人としての語り部が年々少数となって行く。
現実の原爆がどういうものであったか風化をさせないために
今年も「はだしのゲン」を一人読むこととしよう。
郵便局の窓口に立った時だった。
私のTシャツに Peace from Jerusalem と書かれてあるのを見つけた局員。
40代後半と思しき白人男性が私を見据えて聞いてきた。
「どうしたらエルサレムに平和が来るか私は知っているよ。教えようか?」
「ぜひとも教えてください!!」
以後、彼の独壇場となった。
「イスラエルがハマスを全て駆逐することだ。
仕事を途中で止めてしまわないで、最後までやり遂げるんだ。
そうしないなら、再びロケットでのテロ攻撃が始まって、
平和なんてあったものでじゃあない!
ハマスは殺人を何ら罪悪感を持っていないテロ集団なんだ。
彼らを野放しにしている限り、たとい停戦したって一時的なものにしかならない。」
確かにその通りだと私も思う。
だがイスラエルの正当防衛行動が
どれほどの罪のない一般民衆を犠牲としていることか。
民衆の生活と安全を奪い、幼子の命まで奪う現実に胸が痛い。
「明日から学校が始まっても
家も破壊されてしまって、子供たちはこれからどうしたら良いの?」
TVニュースにインタビュー出演した母親の嘆きである。
夫は荷物を取りに自宅に戻った際に爆撃を受け、
崩壊した自宅の瓦礫の中から遺体で発見された。
解決の無い問題提起をしたところでどうにかなるものではない。
私の後ろに行列が出来ているのを知って
局員に同意する仕草をしながら窓口から立ち去る他なかった。
彼の信条を一通り聞いたところで支払いも全ての用をおえた。
自分の意見主張より、背後の行列を気にしてしまうあたり
やはり私は日本人なのだと想う。
イスラエルとハマスとの戦闘が再開してしまいました。
やるせないのは、子供を含む一般市民が犠牲となっていることです。
下記に
ベツレヘムバイブルカレッジ(パレスチナ人のクリスチャンが建てたベツレヘムにある福音派の聖書学校)の声明を掲載します。
http://bethbc.org/news/statement-bethlehem-bible-college-regarding-current-crisis-gaza
ほとんどのクリスチャンはこの声明文にある祈りに同意すると思います。
神を神とすることからの平和が実現されますように。
※翻訳家の中村佐知さんによる、リンク記事の全文日本語訳が下にあります。
"As Christians committed to nonviolence, we do not and cannot endorse Hamas’ ideology. However, we believe that the people of Gaza have the right to live in freedom and dignity. This means that the siege over Gaza should be lifted and the borders should be open. The people of Gaza need a chance to live.
We oppose Hamas launching rockets at Israeli town and cities. At the same time, we are shocked by the unproportional and inhuman response by the Israeli military and the disregard of civilian life and specially innocent women and children.
We are grieved by the mounting hate, bigotry and racism in our communities today, and the consequent violence. We are specially grieved when Christians are contributing to the culture of hatred and division, rather than allowing Christ to use them as instruments of peace and reconciliation."
全文日本語訳(Japanese translation of the article):
ベツレヘムバイブルカレッジによる、ガザにおける現在の危機に関する声明(2014年7月25日)
今日、神はパレスチナとイスラエルの状況を嘆き悲しんでおられます。今日、神はガザのために涙を流しておられます。
神とともに、ガザとイスラエルでの大量殺戮を見るとき、私たちの心も痛みます。
ベツレヘム・バイブル・カレッジでは、イスラエル人とパレスチナ人両方の公正な平和を、声を上げてずっと求めてきました。紛争に対する非暴力による解決をいつも求めてきました。「Christ at the Checkpoint」声明には、「暴力はいかなる形のものも、断固として否定されなければならない」とあります。また、パレスチナ領の占拠とガザ包囲が続く限りは、紛争は拡大し続けるだけだと信じます。前述の声明では、「パレスチナ人クリスチャンにとって、占拠が紛争の中核となる問題である」と述べています。
非暴力に献身しているクリスチャンとして、私たちはハマスのイデオロギーを支持しませんし、支持できません。しかしながら、ガザの住民にも自由と尊厳を持って生きる権利があると信じます。ガザの包囲と境界封鎖は解除されるべきだという意味です。ガザの人々にも生きるチャンスが必要です。
私たちは、ハマスがイスラエルの都市にロケットを打ち込むことに反対します。同時に、イスラエル軍による度を超した、非人間的な反応と、一般市民(特に戦いに無関係な女性と子どもたち)のいのちへの無頓着さにも衝撃を受けています。
私たちは、今の私たちのコミュニティーの中で憎悪と偏見と人種差別が増大し、結果として暴力が拡大していることに悲しんでいます。特に、クリスチャンたちが、平和と和解をもたらすキリストのしもべとして用いられるのでなく、逆に憎悪と分裂の風潮に加担していることを、悲しんでいます。
この状況を前に、ヨハンナ・カタナチョウ(Dr. Yohanna Katanacho)博士の言葉を用いて、私たちは次のように主張します。
「私たちは子どもたちと無実の人々の命を奪うことに反対します。私たちは、憎しみではなく愛を、抑圧ではなく正義を、偏見ではなく平等を、軍事解決ではなく平和的解決を支持します。暴力は戦争を生むだけです。さらなる痛みと破壊を、この地域のすべての国々にもたらすだけです。正義に根ざした仲裁こそ、前進に向かう最善の道です。したがって、私たちは、暴力と憎しみと抑圧に対抗し、愛と平和と正義の文化を広げていくという決意を表明します。」
早急な停戦と、問題の症状ではなく根源を扱う真剣な取り組みのために、ベツレヘムバイブルカレッジのすべての友人たちに祈りを要請します。愛する家族を失った人たちのために慰めを祈ります。特にガザ在住のクリスチャンのために祈ります。彼らは爆撃にさらされつつも、居場所を失った人や負傷した人たちのために、避難場と支援を提供しています。そして、暴力と憎しみと抑圧に直面しつつも、愛と平和と正義の文化を広げることに献身している、パレスチナ人、イスラエル人、外国人たちを含むすべての人たちのために、どうぞお祈りください。
ここのアバディーン・センターにはお気に入りの日本食レストランがある。
そこでは耳が痛くなるほどの威勢の良い日本語が店員間で交わされている。
聞いてみると中国人も二人ほどいて彼らは熱心に日本語を勉強しているのだそうだ。
完全に和合し、信頼しあって仕事している彼らを見るのは微笑ましい。
夕食を終えて店を後にした私を追いかけてきて、
忘れ物の本を届けてくれたのもその中国人であった。
数ヶ月前にカナダの移民政策に大変革が起こった。
数千万円を投資すれば永住権が与えられるとあって
中国からの裕福層が毎年、数万人規模でカナダに移民していたのだが
その制度が何の予告のなしに突然廃止されたのである。
永住権申請中の数万人の方々の無念のため息が聞こえてきそう。
カナダ当局のその理由として
「中国人は英語も習おうとせず、カナダ社会に同化していかない。
雇用が創出されないまま、カナダとは別個の社会を作っている。
このままではこの国が変質されてしまう。」
香港返還に伴って大量の移民が押し寄せてきた歴史にピリオドが打たれたようである。
その大量移民政策ゆえに出現したと言っていいのが
ヴァンクーバーの南方に広がるリッチモンド。
そこの代表的なショッピングモールであるアバディーン・センターへ行けば
看板に掲げられている文字は全てが中国語。
売り子さんも中国人、
モール内で人々が会話しているのを聞けば中国語ばかり。
本国と同様の生活ができるのなら
個人財産を守るためにカナダへ移民したい人々がいるのも良く分かる。
ポートランドダウンタウンの長老教会
組織化は1854年とある
ポートランドにて、歴史を感じる教会堂を発見。
今日、ダウンタウンのAlder通りを歩いているときだった。
これまでその壮麗な教会堂の目前を何度も通ってきたが、
壁に掛かる碑文に注意を向けたことはなかった。
その教会の設立は1854年とある。
その年、数百年間の鎖国を破り日米和親条約が締結された。
前年からのペリー艦隊による砲丸外交によって
江戸幕府は無理やりに開国を余儀なくされた。
時に、二十歳前の坂本竜馬は江戸の千葉道場で剣術修業中である。
「歴史を感じる」と冒頭に書いたがこの州の、
そしてこのアメリカという国の若さを改めて実感してしまう。
長い平安王朝貴族の時代が終わって武士の世となり、
鎌倉から武士政権が誕生して以来650年ほど続いた
「刀とちょんまげ時代」が終焉を迎えようとするころ、
このオレゴン州が産声を上げることになる。
オレゴンがアメリカ合衆国の州に昇格したのは、1859年2月14日である。
ついでにもう少し遡ると、
ジェファーソン大統領の時
ルイスとクラークの二人が陸路北西部の探検に派遣されて、
ロッキー山脈を超えて太平洋岸に達するのが、1805年であった。
当時英国もクックらの探検家を送っていてこの北西部の領有を主張していたため、1818年の米英協定で、共同領有とされた。
当時のオレゴンとは、オレゴン州、ワシントン州、アイダホ州の北西部一体を指している。
1830年代には、ミズーリ州インディペンデンスから
ロッキー山脈を越えてオレゴンに達する「オレゴン街道」が開かれると、
西部に移り住む開拓民が後続するようになる。
1846年、オレゴン条約によって国境問題が平和的に解決される。
アメリカ合衆国とイギリス領北アメリカの国境が北緯49度線に設定されたもの。
これは現在のカナダとの国境線になっている。
1848年にはオレゴン準州が公式に組織化され、
再度記すが合衆国33番目の州に昇格するのが1859年である。
ちなみにワシントン州の昇格は、
さらに送れること1889年11月11日であり、
大日本帝国憲法が公布されるとの同年である。
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