阪神淡路大震災20周年を迎えて
1月
15日
阪神淡路大震災が20周年を迎えました。
これに伴い、ある日本のTV番組がリスボン大地震を特集していました。
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1755年、
マグネチュード8.5〜9.0ほどの東日本大震災と同程度の地震がリスボンを襲った。
建物の倒壊で即死した人だけで約2万人とされる。
込み入った瓦礫の山を避けて河原へ避難した人々を巨大津波が飲み込んで行く。
さらに教会の蝋燭から出火した火災が街を覆い
リスボンはほぼ全域が灰塵となった。
そのリスボン大地震の起きた11月1日は諸聖人の日。
人々は教会でのミサをしていた午前中に襲われた。
カトリックのイエズス会のある聖職者が著した
「地震の真の理由について」には次のような記述がある。
「地震は偶発的な事象でも自然の現象でもない。
神の大いなる裁きなのだ。神は大いに怒っておられる。
…膝まついて祈りをささげよ。」
当時の社会では地震の原因は科学的に解明さておらず、
一般民衆は聖職者の言葉に従うしかなかった。
それゆえ、復旧の機運が高まらなかったという。
倒壊した建物と放置された怪我人たち……
そんな中でポンパル侯爵 (ポルトガルの宰相)の政策が脚光を浴びる。
彼は、傍若無人の中で一人立ち上がった。
地震の3日後に具体的な救済策を文書によって発令する。
①被災者に食料を届けよ。
国じゅうから救援物資を取り寄せ、価格統制をして高騰を防いだ。
②伝染病対策
街頭に野ざらしとされている大量の死体を海に流すように命じる。
③治安対策
窃盗たちを街の広場で公開処刑することにより犯罪を抑制した。
リスボン地震は国際的な援助の先駆けともなったという。
イギリス、フランス、ドイツからは食料、靴、テント資材などが届けられる。
9千程のテントが仮設住宅として建てられた。
その後、災害への対策を講じた防災都市建設に着手。
防火対策として
道幅の広い碁盤の目のような都市の再開発。
鳥かごのようなX形の骨組みと防火壁で建物を補強。
カトリックの天罰説に対して、合理主義的な考え方も生まれていた。
「地震は自然が起こしたものでやがて科学で解明できる。」
(カント)
リスボン大地震はこうして建築や科学はもちろん、
人間の考え方にまで大きく影響を及ぼすものとなった。
…そして阪神淡路大震災研究グループが昨年11月にリスボンを訪問した。
その代表者曰く、
「リスボンは地震でものすごいものを失ったが
それに代わる新しいものを創り出した。
創造的な復興……
安全な街を作るために学問、思想、事実を生み出して
それによって地震を克服して行く、それが本当の復興ではないか」
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20年を経た阪神淡路大震災。
これからも教訓を生かした、
創造的な復興を遂げるものとなりますように。