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「いっさいを委ねなさい」

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「いっさいを委ねなさい」


ホサナキリスト教会・
日曜礼拝のメッセージアウトラインです。






「いっさいを委ねなさい」


ペテロの手紙 第一 5章1~7節


"私は、あなたがたのうちの長老たちに、同じ長老の一人として、キリストの苦難の証人、やがて現される栄光にあずかる者として勧めます。
あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って自発的に、また卑しい利得を求めてではなく、心を込めて世話をしなさい。
割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。
そうすれば、大牧者が現れるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠をいただくことになります。
同じように、若い人たちよ、長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」のです。
ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。"




(序論)


「おまかせ」料理の特徴

店長お勧めの高食材、
顧客満足、
ただしばしば高価ではある。


(1)背負わないこと


①ペテロは長老の1人として勧めている(1)
初代教会の土台の1人であったペテロは
他の長老たちを尊重していた

② 背負うことを始めると精神的に疲れていく
疲弊感が支配欲へとつながる。
リーダーが目指すべきものは支配ではなく模範となること(3)


(2)うぬぼれないこと


①若い人への勧め(5)
若い段階では視野が狭く、結果自己尊大か卑下に陥りやすい

② 時代を貫く普遍的鉄則
「神は高ぶるものに敵対し
へりくだるものに恵みを与えられる」(5)


⑶ 資源は神からのものであること


①力は神からのもの(6)
生きる上でまたミッションを果たす上で必要な資源は自分にはない

②時も神のもの
今はわからないことがある。今は実現しない祈りがある。
神は「ちょうど良い時」をご存知であられる(6)


(結論)


自分の力で奮い立たち、その力でことを実現しようとすると
多くの煩いを抱え込むことになる。
神に委ねよ。
自分で自分を心配(ケア)するのではなく神にしていただこう(7)。



#メッセージ

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「ことばと思いとが」

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「ことばと思いとが」

ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。



「ことばと思いとが」


詩篇 19篇14節


"私の口のことばと私の心の思いとが
御前に受け入れられますように。
主よわが岩わが贖い主よ。

(序論)

❶自然界による啓示  1ー6節
❷みことばによる啓示 7ー11節
❸聖霊による啓示   12ー14節


(1)啓示があって、私たちに問われているもの


①啓示〜これは人へのギフトである
応答は祈りとなった
(御中元を戴いてお返しをしないだろうか)

② ことば>思い
ことばと言う可見出来る行為は
思いと言う不可見の思惟から産まれる
(主イエスのモーセ十戒の解釈・マタイ5:27-28)
"『姦淫してはならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです。"


(2)普段着の祭壇宗教


①「御前に」
神殿が神の臨在の場所


② 「受け入れられる」
「喜ばれる」(英訳)
捧げ物に関する詳細な規定
その年齢、その健康や障害の無い事など


⑶ 可能とさせる神の義


①岩なる主
人がその心を変革する事は不可能。
せいぜい自己義による自己満足。
主が歩の確固たる地盤を敷いてくださる。

"滅びの穴から泥沼から主は私を引き上げてくださった。
私の足を巌に立たせ私の歩みを確かにされた。"
詩篇 40篇2節

②贖い主なる主。
罪のことばと思いの結果からの贖い。
その束縛からの贖い。


(結論)


神からの多くの啓示を受けるに従い、その応答は宗教行為や儀礼ではなく、
日常生活に顕される。
口からのことばと、その萌芽の心に抱く思い。
刷新してくださる聖霊様に委ねよう。

#メッセージ

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シアトルの猛暑・摂氏42度(華氏110度)から抜け出して

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シアトルの皆さん。

昨日の摂氏42度(華氏110度)と言う記録的な猛暑の中、ご苦労様です。生きていますか〜 笑

クーラーのない自宅で汗だくとなりながらランチ終えて
私はシアトルの空港へ。

2時間余りのフライトで天然クーラーの効いているカリフォルニアのオークランドに降り立ちました。

昨日に出立前、あまりの暑さに私は半袖半ズボンの服を買いに行き、到着時はそれを着ていたのですが、肌寒いほどでした。
長袖のトレーナー姿の人を多く見かけました。

それにしても、「サンフランシスコは霧の街」とよく言われますが、上空から見てもその通りです。

手前正面に見えるのがベイブリッジでその向こうの摩天楼の密集した街並みがサンフランシスコ。その部分から太平洋にかけてすっぽりと白い霧で覆われています。

そのサンフランシスコから右手に伸びている橋がゴールデンゲートブリッジです。

その時サンフランシスコは摂氏17度(華氏62度)でした。

身体障害者の私は、ファーストクラス搭乗よりも先に搭乗できる特権を与えられ、最前列の足元空間の広い席を確保できて快適なフライトでした。

Dear all in Seattle.

Thank you for your hard patience in yesterday's record-breaking heat wave of 42 degrees Celsius (110 degrees Fahrenheit). Are you still alive?

I finished my lunch in a sweat at home without air conditioner yesterday.
Then I went to the airport in Seattle.

After a two-hour flight, I landed in Oakland, California, a naturally air-conditioned city.

Before I left yesterday, it was so hot that I went out to buy some short-sleeved, short-pant clothes, which I wore at Oakland, but it was chilly.
Everyone else was wearing long and sweatshirts.

It's often said that San Francisco is a city of fog, and it's true from the air.

The Bay Bridge can be seen in the foreground, and beyond it is the city of San Francisco with its dense skyscrapers. From that part of the city to the Pacific Ocean, it is completely covered with white fog.

The bridge stretching from San Francisco to the right is the Golden Gate Bridge.

At that time, it was 17 degrees Celsius (62 degrees Fahrenheit) in San Francisco.

As a disabled person, I was given the privilege of boarding before the first class passengers, and I was able to secure a seat in the front row with a lot of legroom, which made the flight comfortable.

#旅行

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父の日に寄せて〜その6 【聖書は男尊女卑を勧めているのか】

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父の日に寄せて〜その6


【聖書は男尊女卑を勧めているのか】


私は23歳で神学院を卒業し、
牧師としての最初の1歩を三重県のある漁村で始めました。

そこは米国人女性宣教師が1人で教会を運営されていらっしゃたところで、私は「伝道師」という任命をいただいて、牧師であるその女性宣教師の補佐役として着任したのです。

聖書が女性が宗教指導者として立つことを禁じているなら、当時の教団が下した任命は誤りだったのでしょうか。

その女性宣教師は私が生まれる遥か10年以上も前から日本宣教に単身で励み、そしてその漁村においても既に私の年齢以上の年月を教会建設に注いでおられました。
聖書の言葉を再度記します。

「私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。
むしろ、静かにしていなさい。
アダムが初めに造られ、それからエバが造られたからです。
そして、アダムはだまされませんでしたが、
女はだまされて過ちを犯したのです。」
(テモテへの手紙 第一 2章11~14節)

最初に作られたのがアダムであると言うことから、
男性により大きな権威があると聖書は明確に教えていると私も理解します。

そしてこの教理はある1教会に限定されるものではなく、
すべての時代を超えた、あらゆる教会に適応し得る普遍的な教えであると
私はこれまで指摘してきました。

そしてエヴァは蛇に騙され誘惑され罪に陥りました。
女性は感情や情緒が豊かである反面、
甘美なものに魅せられると短絡的に物事を判断しやすいと言う性質を併せ持っているようです。

つまり判断力に欠けていると。
(女性の皆さんごめんなさーい)

神学校卒業したてのホヤホヤの23歳の若造と
教団最高齢の73歳の経験豊かな女性宣教師。

それでは、
どちらが判断力に長けているでしょうか。

私は全く新しい人間関係の中で右も左もわからないばかりか、
信仰によって経済を回していくと言うことや
人々に仕えると言うことがどういうことなのかもわからなかったのです。

飯の炊き方すら知らないので、
自分用の台所はありましたが数ヶ月後にはそこも放棄し、
1日3食をその女性宣教師の台所で共に過ごすこととなったのです。
つまり3食をその宣教師から食べさせてもらいました。


もし私がその当時の教団指導者であるなら
全く同じ任命判断を下していたはずです。

「女が教えたり男を支配したりしてはならない」
と言う聖書のある1部分だけを取り出して
常に男性が女性の上のポジションにいなくてはならないと言う結論には至らないのです。

聖書にはこのような教えもあります。

"同じように、若い人たちよ、長老たちに従いなさい。」
(ペテロの手紙 第一 5章5節)

「若い人たち」は当時の私の事でしょう。
「長老たち」とは、ユダヤ的な表現で長年の人生経験を積んで人として円熟し、その組織の指導を任されている人のことです。そこには女性も男性もありません。旧約聖書には女性の預言者やリーダーが出てきますし、新約聖書の教会リーダーである執事には女性も認められていました。

聖書はある1カ所を取り上げて単眼的にその聖句を判断してはならず、
関連成句の中から、時に相反すると思われる事柄の中からも、それらを総合的調和的に統合して理解するプロセスを経なくてはなりません。

さらに続けて行きます。




For Father's Day - Part 6


Is the Bible advocating male chauvinism?



I was 23 years old when I graduated from seminary.
My first step as a pastor was in a small fishing village in Mie Prefecture.

There was an American woman missionary who was running the church by herself, and I was appointed as an "evangelist" to assist her as the pastor.

If the Bible forbids women to stand as religious leaders, was the appointment made by the church group at that time a mistake?

The woman missionary had been working single-handedly on a mission to Japan for more than ten years before I was born, and she had already spent more years than my age planting church in that fishing village.

I would like to reiterate the words of the Bible.

“I will not allow a woman to teach or to rule over a man, but rather to be quiet.
For Adam was created first, and then Eve.
And Adam was not deceived.
But the woman was deceived and made a mistake.”
(First Epistle to Timothy, chapter 2, verses 11-14)

The fact that Adam was the first to be created.
I also understand that the Bible clearly teaches that men have greater authority because they were created first.

I have been pointing out that this doctrine is not limited to one church, but is a universal teaching that can be applied to all churches across all time periods.

And Eva was deceived and seduced by the serpent and fell into sin.
It seems that women are rich in emotions and sentiments, but they also have a tendency to make short-sighted judgments when they are attracted to sweet things.

In other words, they are lacking in judgment.
(I'm sorry, ladies!).

A 23 year old young man who just graduated from seminary
and a 73 year old experienced female missionary who is the oldest person in the church group.

So, which one of us has better judgment?

Not only do I have no idea what is right and wrong in a completely new relationship in the local church, but I also have no idea what it means to run an economy by faith or to serve people.
Also, I didn't even know how to cook a meal.

I had my own kitchen, but after a few months, I abandoned it and spent three meals a day in the kitchen of the female missionary.
In other words, I was fed three meals a day by the missionary.

If I had been the leader of the church group at that time
I would have made the exact same appointment decision.

You can't just take one part of the Bible that says, "A woman should not teach or rule over a man" and conclude that a man must always be in a position above a woman.

The Bible also has this teaching.

"In the same way, young men, obey your elders.
(First Epistle of Peter, Chapter 5, Verse 5)

The "young people" would have been me at the time.

“Elders" is the Jewish term for people who have been through life for many years, have matured as person, and are in charge of the leadership of the organization.
There is no such thing as a woman or a man. There are female prophets and leaders in the Old Testament, and women were allowed to be stewards, the leaders of the church in the New Testament.

The Bible should not be judged singularly in terms of a single verse.
It must be understood through a process of synthesizing and harmonizing related passages, even those that seem to conflict with each other.

I'll keep going.
#メッセージ

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父の日に寄せて〜その5 【聖書は男尊女卑を勧めているのか】

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父の日に寄せて〜その5 【聖書... 父の日に寄せて〜その5 【聖書... 父の日に寄せて〜その5 【聖書... 父の日に寄せて〜その5 【聖書...


父の日に寄せて〜その5


【聖書は男尊女卑を勧めているのか】




キリスト教会内の女性の地位について多少なりとも論じていますが、
教会人の皆様から今一つコメントが少ないのは、女性を恐れてばかりのことではないと思います。笑。

これは以前から
一歩間違えると教会が分裂しかねない微妙な問題なのです。

実は、女性の教職者は聖書の教えからして認められないと考える多くの教会があります。

それに対して男女間を差別的に扱っている聖書の教えは現在に直接適用できない古いもので、
教職地位についても男女平等であるべきだと考える教会もあるからです。

実際に私は米国から派遣されてきたある宣教師が立ち上げた教会の群のことを知っています。
その働きは数十年かけてとても祝され、女性献身者が何人も与えられて神学校卒業後、
単身や女性同士がチームとなって教会建設に励みました。

それを知った米国宣教団体はその宣教師への支援を打ち切ったのでした。
「聖書の教えに忠実ではない」と言うのがその理由です。

やむなくその宣教師は除名された後に
他の支援宣教団体を探さざるをえませんでした。

そのようなセンサティヴな問題を何故私はあえてここに持ち出すのでしょう。

臭いものに蓋をして(?)、ソッと触れないでおくのも大人の知恵と言うものではないでしょうか。
そのような「常識」に反してここでオープンにしてしまう理由がいくつか考えられます。


理由の第一として
聖書の信憑性を保持するためです。

もし聖書の中に実際には適応できない「やばい教え」があるとして
教会の教師らがそれらを避けているのなら、
聖書にも信頼できない部分があると言う印象を人々に与えてしまうでしょう。

「聖書は神の言葉だ、そのように牧師らは教えながらも、その全ては実行していないよね」
そのようなダブルスタンダードを持っているとみなされないでしょうか。


第二の点として、
人の理解力の限界性という点はどうでしょうか。
聖書は誤りのない神の言葉であったとしても、
それを理解する人間の側は完全ではなく理解力に乏しい場合が多いのです。

原典から翻訳されている言語ゆえの理解限界性と言う点もあります。

先回は創世記3章で人が堕罪したときにそれまでの男女間の関係が崩壊し、
それまでにはない新たな欲求が女性の側に生まれたと言う点を解説しました。

それはヘブル語原典の言語の使用法を探求して、
さらにその旧約の史実が新約聖書にある教会の問題につながっていると考察できるまでに
私自身が40年ほどの時間を要しているのです。

聖書には他にも矛盾するように見える教えや、
理解し得ない教えがあります。

理解できないところをその通りに理解できないと教師が認めるのも、
正直で大切な点ではないかと考えます。


第三は、解釈の汎用性や相対性と言うものです。

聖書のある1部分を取り上げて、
「ここに書いてあるから、このように受け取り理解しなくてはならないはずだ」と、
そのように自らの解釈を絶対視してしまうと、
聖書文言に囚われる拘泥に陥り、教条主義に傾いてしまいます。

すると、他者との対話や解釈の幅があることへの理解を欠いたまま
独善と自己義へと走るパリサイ主義への道が開かれることになります。

結果として「論語語りの論語知らず」、
つまり聖書の教えと相反する信仰姿勢に陥ってしまう危険性です。


次回はこの第三を事例とともに取り上げてみたいと思います。



For Father's Day - Part 5


Does the Bible encourage male chauvinism?

I've been discussing the status of women in the Christian church for some time now, and I don't think it's only because of fear of women that I haven't received many comments from church members. LOL.

This argument has been going on for a long time.
This is a sensitive issue that could divide the church if we make a mistake.

In fact, there are many churches that believe that female ministers are not allowed according to the teachings of the Bible.

In contrast, There are also churches that believe that there should be equality in teaching positions, biblical teachings that discriminate between men and women are old and not directly applicable to the present.

In fact, I know of a group of churches that were started by a missionary from the United States.
The ministry was so blessed over the decades that a number of women ministers were given to the ministry after seminary.
After graduating from seminary, they were given the task of planting churches on their own or as a team of women.

When the U.S. missionary organization found out, they cut off their support for the missionary, citing "unfaithfulness to the teachings of the Bible" as the reason.

The missionary was expelled from the mission.
After being expelled, the missionary had no choice but to look for another missionary organization to support.

Why do I dare to bring up such a sensitive issue here?
I think it would be wise as adults to keep a lid on the stink and not touch it.

There are several reasons why you might want to go against such "common sense" and bring it up here.


The first reason is
To preserve the authenticity of the Bible.

If there are some "bad teachings" in the Bible that are not really applicable, and if the teachers of the church are avoiding them, what would happen?

"The Bible is the of God," pastors teach, but of you don't practice all of it,
Wouldn't that be seen as having a double standard?


As a second point.

What about the limitations of human understanding?

Even though the Bible is the infallible word of God, the human beings who understand it are not perfect and often lack the ability to understand it.

This is partly due to the language in which the Bible is translated from the original.

In the previous article, I explained that when man fell in Genesis 3, the relationship between man and woman collapsed and a new desire was born in the woman's side.

It has taken me about 40 years to be able to explore the use of the original Hebrew language and to see how the Old Testament historical facts connect to the problems of the church in the New Testament.

There are other teachings in the Bible that seem contradictory or incomprehensible.

It's an honest and important point for a teacher to admit that he or she doesn't understand something.


The third is what I call the versatility and relativity of interpretation.

If you take one part of the Bible and say, "This is what it says, so this is how I must understand it.”
If we make our interpretations absolute, we will fall into the trap of being confined to the words of the Bible and become dogmatic.

This leads to self-righteousness without dialogue with others and understanding of the range of interpretation.
This paves the way for Phariseeism.

As a result, we end up with "a man who speaks in Bible but does not know them.”
In other words, there is a danger of falling into an attitude of faith that conflicts with the teachings of the Bible.


In the next article, I would like to discuss this third issue with examples.


#メッセージ

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高校卒業おめでとう

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高校卒業おめでとう 高校卒業おめでとう 高校卒業おめでとう 高校卒業おめでとう 高校卒業おめでとう 高校卒業おめでとう




会場はシアトルダウンタウンにあるマリナーズの本拠地の野球場。

通常なら高校体育館でするものをソーシャルディスタンスを確保するためでしょう、
野球場を丸ごと借り切っての卒業式です。

毎回卒業式で感じるのですが、
日本での私自身の場合とかなり雰囲気が異なります。

日本でのそれは恩師や友人たちに別れを告げねばならない、
しんみりとした神妙さ。

小・中学校のときには女の子の誰が泣いていたなんてことが
男の子たちの間での話題でした。

こちらは喜びを爆発させる時💥。

だれも泣いてる子はなく、
お祭り気分に浮かれている子ばっかり。笑。

アメリカ人は根から陽気で
人生を楽しむことを知っていますね。

ところで魁君、卒業式が終わって女の子ら多くのお友達に囲まれていたね。
おかげで僕ら両親は車の中で30分ほども待ちぼうけ。

でもイイんだ。
成績優秀で表彰されるよりも、
父ちゃんはあのような素敵な多くの友人のいる貴方を誇りに思うぞよ。



Today, we had my son's high school graduation ceremony.

The venue was the Mariners' baseball stadium in downtown Seattle.

Normally, the ceremony would be held in the high school gymnasium, but in order to secure social distance, they rented out the entire baseball field.

The atmosphere is quite different from my own in Japan.

In Japan, it is a somber and a kind of sad-complexed atmosphere where you have to say goodbye to your teachers and friends.

In elementary and junior high school, the topic of conversation among the boys was which girl was crying.

Here in United States, it is when they burst with joy💥.
No one was crying, all the students were in a festive mood. LOL.

Americans are cheerful by nature.
They know how to enjoy life.

By the way, Kai, after the graduation ceremony, you were surrounded by a lot of girls and friends.
Thanks to you, your parents had to wait in the car for half an hour.

But that's okay.
I am more proud that you have good friends than your good grades.

#家族

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沖縄の地上戦終結記念日

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今より21年前の2000年6月、私は初めて沖縄を訪問しました。

冷房の効いた那覇空港ターミナルビルを一歩出たときに襲ってきた熱気と湿気。
ここは日本本土とは異質の南国であることを体中で感じ取った一瞬でした。

友人のO牧師に迎えられて、
彼の牧会している浦添市にある教会で1週間ほどお世話になりました。

この時初めて沖縄に戦闘終結記念日があることを知ったのです。
さらに一般住民を巻き込んだ凄惨な戦争の実態がそこにあったことを見聞きしたのです。

摩文仁の丘に立つ平和の礎。
そこに刻まれている戦争犠牲者としてのO牧師の親戚たちのご芳名。

歳若い看護学生や中学生まで動員されての戦闘や洞窟内での避難生活の様子。

悲しい沖縄の歴史がただの昔物語ではなく
我が身に迫って来る体験となりました。





そして今年も沖縄は6月23日、「慰霊の日」を迎えました。

73年前、日米両国で20万人以上が犠牲となり、県民の4分の1が命を落としたとされる沖縄戦の組織的戦闘が終結したのがこの日になります。

糸満市摩文仁の平和祈念公園では戦没者の追悼式が営まれました。

式では、浦添市立港川中学3年の相良倫子さん(14)が、平和の詩を朗読しました。

以下原文をそのままご紹介します。


(以下の引用文書や掲載写真は時事通信社のものを使わせていただいています。)




「私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、草の匂いを鼻腔に感じ、遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
私は今、生きている。
私の生きるこの島は、何と美しい島だろう。
青く輝く海、岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、ヤギの嘶き、小川のせせらぎ、畑に続く小道、萌え出づる山の緑、優しい三線の響き、照りつける太陽の光。
私はなんと美しい島に、生まれ育ったのだろう。
ありったけの私の感覚器で、感受性で、島を感じる。心がじわりと熱くなる。
私はこの瞬間を、生きている。
この瞬間の素晴らしさが、この瞬間の愛おしさが、今という安らぎとなり、私の中に広がりゆく。
たまらなくこみ上げるこの気持ちを、どう表現しよう。

大切な今よ、かけがえのない今よ、私の生きるこの、今よ。
73年前、私の愛する島が死の島と化したあの日。小鳥のさえずりは恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、光り輝いていた海の水面は、戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から噴き出す炎、幼子の泣き声、燃え尽くされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。魑魅魍魎のごとく、姿を変えた人々。阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。
みんな生きていたのだ。
私と何も変わらない、懸命に生きる命だったのだ。彼らの人生を、それぞれの未来を。疑うことなく思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手を取り合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。無辜の命を。当たり前に生きていた、あの日々を。

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島のすべて。
私は手を強く握り、誓う。奪われた命に思いを馳せて。心から誓う。
私が生きている限り、こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないことを。
全ての人間が、国境を越え、人種を超え、宗教を超え、あらゆる利害を超えて、平和である世界を目指すことを。
生きること、命を大切にできることを、誰からも侵されない世界を創ることを。
平和を創造する努力を、厭わないことを。

あなたも感じるだろう。この島の美しさを。
あなたも知っているだろう。この島の悲しみを。
そして、あなたも、私と同じこの瞬間を一緒に生きているのだ。
今を一緒に、生きているのだ。
だから、きっと分かるはずなんだ。戦争の無意味さを。本当の平和を。
戦力という愚かな力を持つことで得られる平和など、本当はないことを。
平和とは当たり前に生きること。その命を精一杯輝かせて生きることだということを。
私は、今を生きている。みんなと一緒に。



そして、これからも生きていく。一日一日を大切に。平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。




大好きな、私の島。誇り高き、みんなの島。そして、この島に生きる、全ての命。私とともに今を生きる私の友、私の家族。
これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。真の平和を発信しよう。
一人一人が立ち上がってみんなで未来を歩んでいこう。
摩文仁の丘の風に吹かれ、私の命が鳴っている。
過去と現在。未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。」



Twenty-one years ago, in June of 2000,
I visited Okinawa for the first time.

As soon as I stepped out of the air-conditioned Naha Airport terminal building, the heat and humidity hit me.

It was a moment when I felt with my whole body that this was a tropical country, different from the mainland Japan.

I was welcomed by my friend Pastor O, and stayed with him and his family for about a week at his church building in Urasoe City.

This was the first time I learned that there was an anniversary of the end of the battle in Okinawa, and I also saw and heard about the horrific war that had been fought there involving the general population.

The cornerstone of peace monuments stands on the hill of Mabuni.
The names of Pastor O's relatives who were victims of the war are engraved on it.

Even nursing students and junior high school students were mobilized to fight in the battle and live in caves as evacuees and hospitals.

The sad history of Okinawa was not just a story of the past, but an experience that came close to my heart.



Okinawa celebrated "Memorial Day" on June 23.

On this day, a memorial service for the war dead was held at the Peace Memorial Park in Mabuni, Itoman City, on the day when the systematic fighting of the Battle of Okinawa ended 73 years ago, in which more than 200,000 people were killed in both Japan and the U.S., and a quarter of the people of Okinawa lost their lives.
At the ceremony, Michiko Sagara, 14, a junior high school student at Minagawa Junior High School in Urasoe City, recited a poem of peace.

I will introduce that poem as fellow.
thanks for the App. for help of the translations.


“I am alive, stepping on the earth that carries the heat of the mantle, receiving the pleasant humid wind, feeling the smell of grass in my nostrils, and listening to the distant sound of the tide.

I am alive now.
How beautiful is this island where I live.
The shining blue sea, the waves splashing against the rocks, the neighing of goats, the murmuring of the stream, the paths leading to the fields, the green of the mountains sprouting up, the gentle sound of the sanshin (Okinawan guitar), the rays of the sun.

What a beautiful island I was born and raised on.

I feel the island with all my senses and sensitivity. My heart slowly heats up.
I am living in this moment.
The splendor of this moment, the loveliness of this moment, becomes the peace of the present, and it spreads through me.
How can I express this feeling that is so irresistible?

The precious now, the irreplaceable now, the now in which I live.

73 years ago, the day my beloved island turned into an island of death. The chirping of birds turned into screams of fear.
The gentle sound of the sanshin (Okinawan guitar) was lost in the roar of the bombing.
The blue sky was obscured by the iron rain.
The smell of grass became muddy with the stench of death, and the surface of the sea, once shining with light, was filled with battleships.
Flames spewed from flamethrowers, the cries of infants, burned-out houses, and the smell of gunpowder.

The earth shaking from the impact of the bombs. The sea stained with blood. People transformed like evil spirits of mountains and rivers. Memories of fierce battles with screaming and snarling.
Everyone was yet alive.

They were no different from me, living their lives to the fullest. Their lives, their futures. I envisioned them without a doubt.
They had families, friends, lovers. They had jobs. I had a purpose in life.

We rejoiced in the small happiness of each day. They were human beings, just like me, living hand in hand.
And yet... They were destroyed and taken away from me.
We lived in different times. Just because of that. Innocent lives. Those days that they used to live as a matter of course.

The hill of Mabunin. The calm sea below.
Everything about this island, sad and unforgettable.
I hold my hands tightly and swear. Thinking of the lives that were taken. I swear from my heart.
As long as I live, I will never forgive the war that has cost so many lives.

I will never let the past become the future again.
I pledge that I will never allow war, which has cost so many lives, not make the past the future again.

To create a world in which life can be lived, in which life can be cherished, and in which no one can violate it.
We must be willing to make the effort to create peace.

You will feel it. You see the beauty of this island.
You know it. You know the sadness of this island.
And you, like me, are living in this moment together.
We are living in the present together.
So you must understand.
The meaninglessness of war. Real peace.
That there is no such thing as peace that can be gained by having the foolish power of war.

Peace is about living a normal life.
Peace is about living life to the fullest.

I am living in the present. Together with everyone.
And I will continue to live. Cherish each and every day. Thinking of peace. Praying for peace.

Because the future is an extension of this moment.
In other words, the future is the present.




This is my island, my favorite island. My island, my island of pride. And all the lives that live on this island. My friends, my family, who live with me in the present.

Let's continue to live together.
From this beautiful hometown, surrounded by blue. Let's send out true peace.
Let each one of us stand up and walk into the future together.
Blowing in the wind on the hill of Mabuni, my life is ringing.
Past and present. Resonance of the future.
Deliver the requiem. To the past of sorrow.
Life, echo. To the living future.
I will live in the present.”



#時事問題

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【聖書は男尊女卑を勧めているのか】

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【聖書は男尊女卑を勧めているの... 【聖書は男尊女卑を勧めているの...




父の日に寄せて〜その3

【聖書は男尊女卑を勧めているのか】

先回はパウロが創造の際の秩序から、
男性の女性に対するリーダーシップが依拠している点を見ました。

そこで創世記の記事から
女性は男性にとってどのような立場として創られたのか
確認したいと思います。


"また、神である主は言われた。
「人がひとりでいるのは良くない。
わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」"
(創世記 2章18節)


女性のことを神が「助け手」であるとされました。
その日本語の意味は補助的な役割というニュアンスとなりましょう。

しかし原語のヘブライ語には
そのような消極的な意味は無いようです。

それは「エゼル」という語で
聖書には21回使われています。

その多くは詩篇に見出されるものですが
神を「助け」と呼ぶ際に使用されているものです。


"私は苦しむ者貧しい者です。神よ私のところに急いでください。
あなたは私の助け私を救い出す方。主よ遅れないでください。"
(詩篇 70篇5節)

神が人に対して偉大な助けであるのと同程度に
女性は男性にとっての偉大な助けである。

男女間においてその両者に
決して価値の上下も優劣もありません。

ここで神は、
「人が1人でいるのは良くない」と否定的に語られて後、
その助け手を得ることで両者は補完しあい、満足し得る存在になり得るとされました。

男女の間にあるのは役割の違いでしか無いのです。


P.S.

キャシーが芝刈りをしている間、
息子と将棋を指しました。

第1回戦目はご覧の通りで私の完敗。
第2戦目に勝利をもぎ取りました。

将棋の世界にあまり女性をお見受けしません。
たまに女性棋士が誕生して話題になりますが稀なケースです。

勝負事に惹かれるのも男性の特徴だと思います。
男女間の能力の差ではなく、単に将棋を嗜む人口層の違いではないしょうか。







For Father's Day - Part 3

Does the Bible advocate male dominance?

So, from the article in Genesis
In the previous article, we saw that Paul relied on male leadership over women in the creation order.

I would like to confirm this.

"And the Lord God said, "It is not good for man to be alone.
I will make for man a helper worthy of him."
(Genesis 2:18)


God referred to women as "helpers".
The Japanese meaning of the word "helper" is "auxiliary role”.

But in the original Hebrew language, it does not have such a negative meaning.

It is the word "ezer.
It is used 21 times in the Bible.

Most of them are found in the Psalms.
It is used to refer to God as "helper".


"I am the afflicted and the poor. Hurry to me, O God.
You are my helper and my deliverer. Do not delay, O Lord."
(Psalm 70:5)

To the same extent that God is a great help to men.
Women are a great help to men.

There is never a higher or lower value or superior or inferior.

Here, God says that it is not good for a man to be alone,
but that by having a helper, they can complement each other and be satisfied.

The only difference between men and women is the difference in roles.


P.S..

While Kathy was mowing the lawn.
I played Shogi chess with my son.

As you can see, I lost the first game.
But, I won the second game.

I don't see many women in the world of Shogi.
Every once in a while, a female professional shogi player is born and becomes a topic of conversation, but it is a rare case.

I think it is a characteristic of men that they are attracted to competitive games.
I think it is not a difference in ability between men and women, but simply a difference in the demographic of people who enjoy playing Shogi.

#メッセージ

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特権階級の仲間入りです

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特権階級の仲間入りです 特権階級の仲間入りです 特権階級の仲間入りです



今日から私は特権階級の仲間入りとなりました。

身体障害者の車両タグを交付してもらって、
これでどの建物でも入口に最も近いところに駐車できます。

今日のドクターアポイントメントの際の問診票に
このタグを申請するかどうかの項目があることに初めて気が付いたのです。

今まで気がつかなかったことが悔やまれます。
数十メートルを松葉杖で移動した時、汗だくとなっていたことが何度か。

ドクターが書いてくれた証明書を持って市のライセンス部局に行って待つこと約30分、
その場で交付してもらえました。

身体障害者を始め弱者をいたわると言うのは
先進国の優れている部分です。

アパートメントなどの住居、食料品店や学校図書館などの公共機関のどこであっても、
もっとも入り口に近いところに障害者用の駐車スペースが確保されています。

そのスペースのおかげで本当に助かるんですよね〜
現在身をもって体験しています。




Today I became a member of the privileged class.

I've been issued a handicapped vehicle tag.
This allows me to park closest to the entrance of any building.

I noticed for the first time that on the questionnaire for my doctor's appointment today,
there was a section asking if I wanted to apply for this tag.

I regret that I hadn't noticed it before.
There were several times I was sweating as I moved a few dozen meters on crutches.

I took the certificate written by the doctor to the city's licensing department
and waited for about 30 minutes.
I was issued the certificate on the spot.

It is one of the best things about developed countries that they take care of the disabled and other vulnerable people.

No matter where you live, whether it's an apartment building, a grocery store, a school, library, or any other public institution,
There is a parking space for the handicapped closest to the entrance.

Those spaces are really helpful, aren't they?
I'm experiencing this firsthand.

#日常

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父の日に寄せて〜その2。

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父の日に寄せて〜その2。


父の日に寄せて〜その2。

【聖書は男尊女卑を勧めているのか】


「女のかしらは男です」
(コリント人への手紙 第一 11章3節)

そのようにコリント教会宛に書かれたメッセージは、
当時のある特定教会にだけ当てはまるものでしょうか。

それとも時代を超えて
さらに全世界のキリスト教会にも適応できる
普遍的な教えなのでしょうか。

これを考察するにあたり
そのような教えが抽出されている土台が
どこにあるかを探し当てねばなりません。

そこでテモテへ書いた
パウロ書簡にある男女関係の教えの箇所を参考にします。


「私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。
むしろ、静かにしていなさい。
アダムが初めに造られ、それからエバが造られたからです。
そして、アダムはだまされませんでしたが、
女はだまされて過ちを犯したのです。」
(テモテへの手紙 第一 2章11~14節)

パウロは弟子のテモテに教会の中で女性が男性を教えたり、
支配する事は許されないと明言します。

その根拠として当時の社会情勢が男尊女卑であるからとか、
ある特定教会の現実に合わせたものであると言うのではなく、

創造の秩序を引き合いに出して根拠としているのに注目せねばならないでしょう。

「神が人間を創られたときに
先に男性としてのアダムを創られた。」

「蛇に騙されて禁断の木の実を食べたのはエヴァであった。」

これらの歴史的事象が男女の地位関係を決定する理由であるとしたならば、
どんな文化圏やどんな時代をも超越する普遍的教えであると言わざるを得ません。


それでは現在のアメリカや日本のキリスト教会に見られる
女性教職者の立場はどうなるのでしょうか。

キリスト教会の中で女性が指導的な立場に就いたり、
男性を教えたりすることが不可能であると言うことを
どのように理解したら良いのでしょう。

聖書は女性は男性よりも低い、
下等な存在として創られたと教えているのでしょうか。

さらに論考が続いて行きます。



P.S

昨日の父の日、キャシーは芝刈り機で家の前後の広大な芝生を1人で刈り上げました。
昨年までは私がしていたのです。
ガソリン駆動の芝刈り機でエンジンを始動させるだけで大変な労力だし、
さらに煙を出しながらの重たい機械です。男性向きの仕事であろうかと。

最近になって彼女は充電式の電気芝刈り機を購入。
これならエンジン始動はスイッチ1つ。

しかも音もなく軽く押すだけで機械は進んでいきます。
「Kaiにやってもらえばいいでしょ」と私が水をを向けると、
「私はこうした庭仕事が好きなのよ」とのこと。

米国女性は日本女性よりもパワフルですかね〜?



In honor of Father's Day - Part 2.

Is the Bible advocating male chauvinism?


"The head of the woman is the man.
(1 Corinthians 11:3)

So Does the message written to the Corinthian church apply only to one particular church at that time?

Or does it apply to all Christian churches throughout the ages?
Is it a universal teaching that can be applied to all Christian churches throughout the world?

In examining this
Where is the foundation from which such a teaching is extracted?

So, let's look at what Paul wrote to Timothy.
In this regard, we will refer to the Pauline letter to Timothy, which teaches about the relationship between men and women.

“I will not allow a woman to teach or to dominate a man.
Rather, be quiet.
For Adam was created first, then Eve.
And Adam was not deceived.
But the woman was deceived and made a mistake.”
(First Epistle to Timothy, chapter 2, verses 11-14)

Paul makes it clear to his disciple Timothy that women are not allowed to teach or dominate men in the church.

The reason for this is not because the social situation at the time was male-dominated or because it was in accordance with the reality of a particular church.

It should be noted that he cites the order of creation as the basis for his argument.

"When God created man, he first created Adam as a male.”

"It was Eve who was tricked by the serpent into eating the fruit of the forbidden tree.”

If these historical events are the reason for determining the status relationship between men and women, then it must be said that they are universal teachings that transcend all cultures and all times.

So what is the position of women ministers in the Christian churches in the U.S. and Japan today?

Is it really impossible for a woman to hold a leadership position or teach men in the Christian church?

How do we understand that it is impossible for women to hold leadership positions or teach men in the Christian church?

Does the Bible teach that women were created lower and less valued than men?

More discussion to follow.



P.S

Yesterday, Father's Day, Kathy mowed the huge lawn in front and behind the house by herself with the lawnmower.
Until last year, I had done it myself.
It's a lot of work just to start the engine of a gasoline powered lawn mower.
It is also a heavy machine that emits smoke. I thought it was a job for men.

Recently, she bought a rechargeable electric lawn mower.
With this mower, the engine can be started with a single switch.

When I turned to her and said, "Why don't you have Kai do it?”
“I like this kind of gardening," she replied.

American women are more powerful than Japanese women, aren't they?

#メッセージ

ワオ!と言っているユーザー

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