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Never Give Up

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Never Give Up Never Give Up

The winner is a dreamer for never give up.
by Nelson Mandela

(勝者とは、決して夢をあきらめない者のことです)

1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受けたマンデラ氏は、27年間投獄されていました。
1990年で釈放され、その4年後に南アフリカ共和国大統領に就任した時は76歳になっていたのです。
獄中生活の中で当初怒りや恨みに支配されていたそうですが、人種差別政策の撤廃をと言う夢を追いかけることを始めます。

夢を実現するためにはあきらめないという強い思いと信念が必要でした。
#社会

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原因ではなく結果だ

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原因ではなく結果だ



「嫌われる勇気」からの抜粋
アドラー心理学にある「原因論の誤り」
〜人間の行動の全てには原因があるのではなく、あるのは結果だけ〜

何のことかわからないでしょうから、実例を挙げて解説します。

ある神学生が牧師からひどい剣幕で怒られていました。
その牧師はその神学生の頬を拳で殴り付けることまでしました。
「今どうして殴られたのかは貴方には分からないかもしれない。
でも数十年後にわかるようになるでしょう。」と声を上ずらせながら、何が起こっているか分からずにいるその神学生に牧師は言い放っていた。背後では事の成り行きを心配そうに見つめている牧師夫人が外階段の上に無言のまま立っていた。

大抵の場合、その神学生がひどいミスをやらかした原因があったので激しく叱られたのだと人は思うことでしょう。ところがアドラーによれば、神学生に原因があったのではなくその牧師の側にある結果がすごい剣幕になって現れたと言うのです。

会社でも上司が部下に対して怒るのは、今後、自分が上でお前が下だと見つけ見せつけるためのものである場合があります。違う部下であるならば同じミスであったとしても、そこまで声を上げることもないからです。相手を威嚇してその場を丸め込んでしまおうとするのは、自分の過去に禍根やストレスがあり、それを発散しなくてはならない結果として現れたと言えます。

私たちは相手に原因を探したり、自分の暗い過去に縛られるところから解放されなくてはならないのです。イライラや怒りの感情、あらゆるネガティブな行動は自らのうちに蓄えてきた結果から現れるものです。

例の神学生は確かに数十年経って後、なぜあそこまで怒りの鉄拳を食らったのか分かるようになりました。神学生がやらかした事と言えば、あるクリスチャンホームの家庭に居座り教会への帰宅が夜の8時か9時ごろになったことでした。

あの牧師は教会員を「私の羊」であるとして囲いたかったのです。
若い神学生が自分から人望をさらう羊泥棒のように見えて、「今か、今か」と遅い帰宅を待ちきれずにしびれを切らして爆発してしまったのでしょう。

その牧師だったか確認は出来ていませんが、その教団内であった実例です。
かつて教会員が地方出張時に同じ教団の地方教会に日曜礼拝のために出席する時には、所属教会牧師の許可を得なくてはならないとの暗黙の決まりがあったようです。その牧師はある時、許可を与えなかったがために、その人は日曜礼拝にも出席できなかった例があったとのこと。

牧師は羊(教会員)を真の牧者であられる主イエス様につなげるためのサポート役であり、羊飼い自体ではありません。


"わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。
牧者でない雇い人は、羊たちが自分のものではないので、狼が来るのを見ると、置き去りにして逃げてしまいます。それで、狼は羊たちを奪ったり散らしたりします。
彼は雇い人で、羊たちのことを心にかけていないからです。
わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、わたしを知っています。"
ヨハネの福音書 10章11~14節
#メッセージ

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活動と安息

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活動と安息


"するとイエスは彼らに言われた。「さあ、あなたがただけで、寂しいところへ行って、しばらく休みなさい。」出入りする人が多くて、食事をとる時間さえなかったからである。"
マルコの福音書 6章31節

安息。
それは心を鎮まらせて神との対話を始めること。
私たちはなかなかこれができない。
おしゃべりをしたり活動したりすることの方がよっぽど簡単で楽ちんである。

教会では礼拝前の数分間、黙して神を待ち望むことが勧められる。
これに慣れてないと久方ぶりの方や友人に近況報告のおしゃべりが始まる。

なぜ神の前に静まらなくてはならないのか。自らの立ち位置を神の前に調整するため。
そうでないなら「羊飼いのいない羊」(6:34)のように目標のなく彷徨出してしまう。
#メッセージ

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「あなたはわたしに従いなさい」

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「あなたはわたしに従いなさい」




ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。




「あなたはわたしに従いなさい」


ヨハネの福音書 21章17~25節


"イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは、イエスが三度目も「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」
イエスは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すかを示すために、こう言われたのである。こう話してから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」
ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子がついて来るのを見た。この弟子は、夕食の席でイエスの胸元に寄りかかり、「主よ、あなたを裏切るのはだれですか」と言った者である。
ペテロは彼を見て、「主よ、この人はどうなのですか」とイエスに言った。
イエスはペテロに言われた。「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
それで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスはペテロに、その弟子は死なないと言われたのではなく、「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか」と言われたのである。
これらのことについて証しし、これらのことを書いた者は、その弟子である。私たちは、彼の証しが真実であることを知っている。
イエスが行われたことは、ほかにもたくさんある。その一つ一つを書き記すなら、世界もその書かれた書物を収められないと、私は思う。"



⑴愛を土台とした促し


①ペテロの自主性に訴えている

②ペテロと主イエスの信頼関係があって成り立つ


⑵新しい局面における促し


弟子として召された時同様のシーン(ルカ5章)
その時ペテロは動揺を感じたであろうが今回は恐れであり躊躇を覚えたはず

② 信仰生活が深まるにつれて「従う」意味も深まる。得と思えることばかりでなく損と感じることもありえる


⑶ゴールへ方向づけられた促し



①ペテロの従った先にあったもの
〜予言の通りにローマでの殉教死

②ヨハネの従った先にあったもの
〜パトモス島への流刑と主の再臨の幻。黙示録執筆


(結論)
人生の局地戦おいては困難で負けてるように感じることがあるかもしれないが、その大戦略上の大局的見地においては勝利している。主の栄光に招かれていると言う事は最終的な勝利の保証である。

"これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」"
ヨハネの福音書 16章33節
#メッセージ

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Portlandの日本レストラン

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Portlandの日本レストラ... Portlandの日本レストラ... Portlandの日本レストラ... Portlandの日本レストラ...



ポートランドに新たな日本食レストランを発見。

開店して2年ほどとなるこのお店はどこも清潔な上に見ていて楽しくなる内装。

カウンター越しに立っていらっしゃるシェフは日本生まれの女将さん。

午後3時と言う中途半端な時間に小腹が空いたので押し掛けてしまったが、営業中だったのが嬉しい。

デザートメニューを聞いて「たい焼き」があると聞き興味がわいた。もちろん自家製でなく市販のものであろうけれども、熱々のあんことアイスクリームのマッチングはこれも「をかし」。




#レストラン

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「圧倒的な勝利者」

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「圧倒的な勝利者」


ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。


「圧倒的な勝利者」


ローマ人への手紙 8章31~37節


"では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。
だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。
だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。
だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
こう書かれています。「あなたのために、私たちは休みなく殺され、屠られる羊と見なされています。」
しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。"



⑴供給の保証ー31-32
「すべてのものを私たちに恵んで下さらないことがあるでしょうか」


①父なる神にとり最も大切な存在が御子

②その御子をさえ死に渡された


⑵審判の際の弁護ー33-34


神が義とされたのが信者
これを訴えるのがサタンの役割(ゼカリヤ3:1-2)

② 神の右の座にあるキリストのとりなし


⑶勝利者としての行進



①神のためにほふられる羊とされる試練
〜7通りの試練の中で

②脱出ではなくそのただ中にある勝利


(結論)
キリストにおいて神の愛が現れた。
その愛の力はどんな逆境よりも強く私たちに注がれている。
よって勝利者以上の勝利者とされる。
#メッセージ

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献辞と寄せ書き

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献辞と寄せ書き 献辞と寄せ書き 献辞と寄せ書き

日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。

その第44回目は、付録としてドロシー先生による献辞の言葉。そしてフィンキーさんとシェルホン先生によるお勧めの言葉です。

これで最後の投稿となりました。
もし主が許されるなら、これらの文章が全て製本されて記念誌として出版される予定です。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




献辞

近くに遠くにおられる全ての年配諸氏にこの本を捧げます。
私自身が高齢者メンバーの一人ですが、自分自身を必要なしとか役立たずとか、決して考えてはなりません。
これまでの人生で積み上げて来た知識や貴重な経験の数々は、若い人たちがまだ気付くことも経験もしていないもので、よってさらなる可能性が私たちにはあるはずなのです。
以前私たちの時間やエネルギーを吸い取っていた多くの責任から解き放たれている今、高齢者として活躍できる多くの機会を生かしていかねばなりません。
私たちは最期まで役に立ち、実り大きな、満足出来る人生を送ることが出来るはずです。

人生の様々な試練の場面で満点を得るということは 、どれだけ人に賞賛され得る偉大な結果を出したかにはよりません。
最後まで忠実に耐え忍ぶことの方が、はるかに優って重要なことです。
高齢者とは、人生で最も貴重な段階にある者たちであると言えるでしょう。
例えて言うならそれはパンプキンパイの上に乗せられたホイップクリームの様なものです。

ドロシー・ラバツウ





寄書き

「もしも宣教師としての召しを受けたのなら、人々にちやほやされる王様の様になれると夢想だにしてはなりません」

この格言の真実さをドロシー・ラバツウの生涯以上に見いだすことは出来ません。

人生の中間地点まで来た時、多くの人々は落ち着き先やおしゃれすることや貴婦人として花開く道を探すものですが、彼女は挑戦することを選びました。
彼女は若い日に神様の仕事のために召されていると感じていたのでしたが、レイモンド・シェルホンと愛しい妻の美智子に合うその日までその召への道は開かれなかったのでした。

その召しがあまりにも鮮明だったため、彼女は文字通り全ての所有物を置いたまま彼女の知らない言語と習慣を持つ外国の土地に旅立って行ったのでした。
神様は彼女を祝福されて人々の好意を勝ち取らせてくれました。
かなり進んでいた年齢にも関わらず、日本語を習得し話すまでに至ったのでした。

英語を学びたいという日本人の強い願いは、
熱心な生徒に英語を教えるという彼女の働きの中心を占めることになりました。

英語のテキスト本は何だったと思われますか?
彼女は何と聖書そのものを使ったのです。
始まりはこんな小さなところから始まって、彼女は魂を主イエスに導くようになりました。
教会形成のために労し、今日87歳になった今でも壮健で、自宅で生活しながら日本人に聖書を教えておられます。
彼女の努力する全てに神様が祝福を注がれているのは、主の奉仕のための召しに彼女が従おうと決意したからです。
この本は読者に感動を与え、祝福し、さらに深いイエス・キリストへの献身への挑戦を与えることでしょう。

ポール・フィンキー
宣教主事
チャーチオブゴッド、ベイデン教会
8375 N. Broadway
St. Louis MO 63147





序文

43年間のドロシーラバツウ先生の同労者としてこの彼女の新書「人生は80歳から始まる」の序文を書くようにとの依頼を受けた時、とても光栄に存じました。
彼女の最初の本である「The Missionary Barrel」は、彼女がいわば宣教師の駆け出しの時分に書いたものです。そこにドロシー先生は新米宣教師としての生活や経験から多くの楽しい洞察を書き記しています。その本でもまた序文執筆の依頼を受けた際、とても光栄に感じたものです。
この度の新書もそうなのですが、それは彼女の主と日本人に対する献身と愛から生まれたものです。
約40年後に書かれた本書についても同様のことが言えます。彼女はこれらの宣教年月をトゲのない薔薇の道ではなく、トゲある薔薇の道として描写しています。本に書くには勇気が必要とされる道を。

ドロシー先生は、主イエスと日本人への純粋な愛によって生きて来られ、その愛ゆえに43年前
日本にやって来られました。その彼女の愛は決して絶えることがありません。
その愛は、彼女の生涯を終えようとしている今なおこの国に彼女をして留まらせ、彼女が出来る精一杯の努力をさせています。主であり救い主である方からの永遠の褒賞をいただく直前の一走りです。

皆さんがこの本を手にされて読む時、主ご自身からの祝福が届きますように。
これは真の宣教師の物語です。

レイモンド・シェルホン







覚え書き

本書は人生の記録を残すようにと促してくれた姪のアニタ・ラバツウに寄るところが大きいのです。彼女が数年前に日本の私を訪ねてくれた時、これまでの宣教師生活の多くの事柄を聞いてもらいました。

すると彼女は、「これらを知っているのは貴方だけよ。それを本に遺すべきだわ」と言ってくれたのでした。
原稿を多くの時間をかけてタイプ清書した上、校正してくれたのも彼女でした。

また、オーストラリア人の英語教師の友人にも多くを負っています。彼もまた校正に協力し何度も読み直しては本書の完成のために惜しみなく貴著な時間を使ってくれたのでした。

国内・国外のチャーチオブゴッドにも深く感謝を捧げます。
日本にて私にキリストに仕える機会を提供して下さったのですから。
長い年月、忠実に私のために祈りサポートし続けて下さいました。

私の心からの感謝をレイモンド・シェルホン先生、妻の美智子先生、COG理事会の皆様に捧げます。彼らは若くない私を受け入れるリスクを取ってくださいました。

異文化の生活や最も難しいとされる言語に慣れない中、私のことを忍耐してくださった全ての方々のお名前を上げることは不可能です。

また特別な感謝をCOGベイデン教会に捧げます。皆さまは実に誠意に祈りとサポートによって私の働きに参加してくださったのです。日本での長期間に渡る満たされた日々を私に与えてくださったのですから。

ドロシー・ラバツウ







#ドロシー師

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天での大祝宴を待ち望んで

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紀伊長島での小学生英語クラス 紀伊長島での小学生英語クラス 錦キリスト教会正面 錦キリスト教会正面 伊勢湾に沈む夕日と息子 伊勢湾に沈む夕日と息子 伊勢湾を照らす満月と娘 伊勢湾を照らす満月と娘



日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。

その第43回目は、ついに最終章となりました。米国の家族を次々と天に送られ、その血縁者ばかりでなく信仰につながる家族との再会を待ち望んで筆を置いていらっしゃいます


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆









1980年のファロー・聖地旅行



1980年の米国帰国報告ファロー時には、イスラエル旅行と言う奮発した特別待遇が待っていました。それは日本での20年間の宣教奉仕に対するギフトでした。
そのツアーにはエジプトとギリシャ、そしてアムステルダムでのストップオーバーも含まれています。エジプトで見た富やクフ王のピラミッドに優って、私にはイエス様が生活し、働かれ、そして苦しみを受けられたその場所に立てたことに、より大きな意義を感じました。

ツアーでは毎日予習をして、その翌日に訪問する場所に関連する聖句を勉強したものです。ホテルの窓からエルサレムを見た時、主イエスが嘆かれ、そして拒絶されたときのそのお気持ちの幾分かを感じ取ることができたようにも思いました。


キリストの声を聞いて



主イエスがお生まれになったり、働かれたりした正確な場所については、ここだ!とされて来た場所はありますが、本当なところは誰も確定できないのではないでしょうか。

ただ主がユダヤの地でお生まれになった事は確かです。
そこで主は生活され、働かれ、拒絶され、十字架にかけられ、死なれ、葬られ、そして三日目に復活をされ、今に至るまで、そして永遠の先まで生きておられます。

私は特にガリラヤ湖のボート巡りや、主がペテロに「羊を養いなさい」とチャレンジされた場所で強い主の御臨在に触れて、その御声を聞く経験をさせていただきました。


主は常にコントロールしておられる



ガリラヤ湖を巡るその船に乗り、主イエスがペテロに語られたその岸辺を眺めながら、私の心には再び主の声が通って来たのです。

「あなたはこのものたち以上に、わたしを愛しますか」
私は再度、委ねられている働きに完全に献身するようにとのチャレンジに直面したのです。

米国に帰国して直後の事でしたが、私の家族ではないある女性が確信を持って次のように要請して来ました。私が宣教師として日本の働きを止め、歳取った父親の世話をするべきである、と。それは父の望んでることでいることではないことを私は知っていましたが、それでも私は悩みました。

聖地旅行ツアーから帰宅したのが土曜日の夜でした。そして翌日の日曜礼拝での説教は“告別”のメッセージであり、フェローシップ(交わり)の夕食が続きました。月曜日には簡単な口内手術がありまして、それはさほど大きなものではなかったのですが、その日の夕食のお招きをお断りせざるを得なかったのです。

そういうわけで私の父が病院に運ばれたとの知らせを告げる電話を受けたとき、私はフィンキーご夫妻のご自宅にいました。「あなたは直ちに駆けつるべきだ」と誰も私に言う必要は毛頭ありません。

ミズリー州セントルイスからカルフォルニアのグランデイルまで、それは長く孤独な一人旅となり、ほとんどどこにも寄らずにドライブをし続けました。
主は私と共にいてくださり、そしてすべての状況をコントロールしていて下さると私に確信を与えてくださっていました。私の父親は重病でしたがまだ意識があり、そして主が彼を御国の家に召されるまでのたくさんの時間をともに過ごすことが許されたのです。

米国と日本の宣教団体理事会ではそれぞれ、私の日本帰国が遅れることを認めてくれました。
航空券の予約はキャンセルしました。
父はグランデイルにある病院で最良のケアをしていただいていましたが、彼が私に与えてくれた愛のいくばくかを彼にお返しできるのは、私の喜びとなりました。看護婦さんは私が規定時刻より早く来院し、そして遅く退院する事も、その間のほとんど一日中を彼とともに滞在し、食事の世話をすることも全て認めてくれていました。


開封されなかったクリスマスの贈り物


クリスマスが近づいてくると、私たちはその年だけは父の事を考えて少し早めにお祝いしよう、ということになりました。
「クリスマスには何が欲しいですか」と彼に聞くと、彼は答えて「ピンク色のパジャマ」ですって。
私は姪とともに買い物に出かけました。残念ながら男性用のピンクパジャマは見つからなかったので、私たちは代わりになるものを見つけてきました。

翌朝私は早めに病院へ行って、彼に朝食を食べてもらおうとしました。
もちろんその贈り物を持って、彼の部屋へ入って行ったのです。

父はその時、目を開けなかったのです。そこで私が彼の手を握り話しかけて見ると、彼は私の手をかすかな力で握り返したのでした。彼は私がそこに来たことを知っていたはずです。

このタイミングの計らいは誰もできることではありません。ただ主だけが、すべてのことを完璧なタイミングで成し遂げることがお出来になるのです。

繰り返し繰り返し、主は私に心配したり、恐れたりする必要はない、と思い起こし続けて来られました。私どもが主にお委ねするなら、主はその全てをケアして下さいます。

もちろん私の目の前で親が衰弱していく現実を見る事は簡単なことではありませんが、主が私の20年間の不在に対して特別な計画をされ、特権として与えてくださった父との最期の時間だったと感じました。その最期の時を見届けることができたのは、家族の中で私一人だったのですから。



「我に従え」とのキリストの呼びかけ
〜完遂される献身〜


"わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。
わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。
自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。
自分のいのちを得る者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを得るのです。"(マタイの福音書 10章37~39節)

これはキリストがある若い青年の問いに答えられたものであって、その時青年はまず父親を葬り、その後にキリストに従いたい、と願ったのでした。さらにイエス様は「死人たちに彼らの死人達を葬らせなさい」と答えておられます。

また別のところでイエス様の働きに加わりたい、と願った者に対しては次のように答えておられます。
"「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません。」"
(マタイの福音書 8章20節)

これらの文字を表面だけで理解しようとすれば、まるで主は私たちからすべてのことを要求するが、何も良い約束はしてくれない、と読めてしまうかもしれません。

しかしながら、全き献身を求められるお方は、すべての責任を引き受けてくださったお方であられました。主こそ私どもがお任せしたものを全て守り、保持してくださることのできるお方です。



絶やされることのない絆



私には両親が最も私を必要とした最期のときに側にで厚くケアする機会が与えられてきました。
母は私が外国宣教師となる前に召れて行きました。
母の地上での最期の夜となったときは、私の父、弟とその妻、そして牧師夫妻と私とが彼女の病室のベッドの側に侍ることが出来たのです。

母は誰かにキリストの言葉を読んでくれるように、とリクエストしました。
医者は、おそらく彼女はもう少し長く生きると思うので全ての人が共に夜を過ごす事はない、と告げました。そこで私一人が彼女の側に留まり、まだ彼女の意識がある時に詩篇23編とヨハネ福音書14章のある箇所を読み上げました。これらのお言葉を枕にするかのようにして、彼女はその夜、主の御許へと旅立って逝ったのです。

母は私どもから取り去られましたが、彼女が私たちに教えてくださった原則は私たちと共に永久に留まります。神様は全ての必要を満たして下さることのお出来になられる方だ、との彼女の熱い信仰は、今日までの私を導いて来たものに違いありません。しかし一方で、ときにはこれが批判や誤解を招いてしまうこともあったようでしたが。



主はお任せしたもの全てを保持される



私の父は若い時に死の間際に至る病を負ったのですが、89歳の円熟した歳になるまで生き延びたのです。私がファローのため帰国してる時、彼は召されて逝きました。主は私に彼のベッドサイドで約一ヵ月間ほど共に過ごすことを許してくださったのでした。

私は長年、「献身」ということが意味することを学んできました。
それは特別な行事、例えば卒業式とか結婚式とか記念日などに出席出来ないことを意味します。それはたとい緊急事態と思えることが起こったとしても、主が貴方に割り当ててくださったお仕事を横に置いて飛行機に飛び乗って帰ることではありません。

それによってたとい貴方が批判を受け、身内をケアしない者として攻撃されてもです。
新しく生まれた赤ちゃんや、また他の家族の人たちもあなたを知ることなく大きくなることになるかもしれません。

その上、貴方はほとんど家族の集いには行くことはできないでしょう。
そんな現実の中にあってファローのときに許されたある時の家族・親族の集いは、私にとって特別なものとなりました。

既にその時には、父も母も「永遠の家」に帰っていました。
私の二人の兄弟とその家族の全員がその集いを設けてくれたのです。
幾人かの出席者は早速、そこにあるご馳走を食べ始めました。それを見ながら、私にとりきっとこのような集まりは、これが最後の機会となるだろう、と感じていました。

そこで全ての家族がご馳走を盛られたテーブルに集まったとき、その私の気持ちを直接申し上げました。「多分これが私にとって最後の機会となるでしょう」と。

私のリクエストにより大きなサークルを作った私たちは互いに手を取り合い、「全ての祝福を来らす者たちよ、神を讃えよ」という讃美歌を歌いました。
そして私たちが天においても割かれることのない鎖で繋がれているように、と祈ったのでした。
やがて時は過ぎ去り、すでに私の二人の兄弟とその奥様達は天に帰っておられます。
最初に逝かれたのは、私の弟の奥様でした。

チャプレンが弟とその奥様を主への信仰に導かれたとき、彼女は肺がんのために入院中でした。
彼女は詩篇23篇のお言葉をいつも枕元に置いていました。

"たとえ死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖それが私の慰めです。"
(詩篇 23篇4節)

その次の私のファローは彼女の召天後のこととなり、私と弟は共に礼拝に出席し、早朝祈祷会にも私の滞在中、共に出席してくれました。その時弟は、キリストにある平安と慰めとを見出したのですが、これは私にとっても言葉にならないほどの喜びの経験となりました。その後、彼の健康は少しずつ蝕まれて行き、やがて天へと帰って逝ったのです。

私の兄とその妻は結婚60周年記念を計画していました。
私は彼らの50周年記念には駆けつけられませんでしたので、この時ばかりは楽しみにしていたのです。

親族全員がそこに集まるとの事でしたので、あちこちへと会いに行く必要もなく、一度に全ての親族にお会い出来るのが楽しみでした。長期間のファローや長距離移動は、私にとっては既に過去のものとなっていたのです。私は教会に対して約一ヵ月間の休暇を申請していました。

それは日本時間で礼拝式を終えた直後の米国の日曜日の事でした。
そしてその翌日、まだ朝早い時でしたが、弟の召天を知らせる電話を日本で受け取りました。
私はその前週に弟に電話をしていたのですが、それが最後のさよならとなるとは思いもしなかったのです。

ただ、彼はそのことを知っていたのでしょうか。
「そこでもう少し頑張っていてよ。私は間も無く来るからね。すぐにお会いしましょう」と私は彼に言ったのです。彼は答えて言ったのでした。
「そう出来るものかどうか、よくわからないんだ」



大家族の再会を待ち望んで



こうして私の帰国は弟の結婚記念日の祝い会ではなく、葬式に出席することとなりました。
しかもその葬式は、彼の妻のバイパス手術のために後日に延期されることにもなりました。
空港に着くなり、私はその足で彼女の入院している病院へと直行しました。
彼女の手術はその翌日の早朝に予定されています。

彼女の唇から、弟のこの世での最期の様子を聞くことが出来ました。
寡黙でほとんど何も話そうとしない弟でしたが、平安のうちに、そして確信を持って召されていったとの事です。

私どもはその後家族での集いを持ったのですが、弟が死去してしまい思い描いた通りには行かなかったのです。この悲しみの際に私が家族たちに与えた慰めについて、多くの親族たちが感謝を表してくれました。そんなことがあって翌月、兄の妻が旅立って逝きました。

彼女は七人兄姉の家庭の中で育てられて、彼女自身のお孫さんやまた曾孫さん達を長くベビーシッターして来ました。今やようやく安息に入ったのです。

主イエス様は、私の祈りに答えてくださいました。
私の直近の家族たちは、永遠の家においても切れることのない鎖に繋がれたままです。

"私は自分が信じてきた方をよく知っており、また、その方は私がお任せしたものを、かの日まで守ることがおできになると確信しているからです。"
(テモテへの手紙 第二 1章12節)

私が私の家族をお委ねした主イエス様は、私ができることよりもさらに優れたことを彼らのためにしてくださいました。私の直近の家族たちが皆、去って逝ってしまった後、少々私は孤独を感じていたのです。そんな時、錦教会のある若いご夫妻は「私たちが先生の家族です」と言ってくださって寂しさが吹っ切れた気持ちになりました。

事実、主は私に偉大な家族を日本に残していて下さっています。その日本の家族だけでなく、この世界にはラバツゥー家を歓迎してくれる方々も多く残されていて、彼らは手紙や訪問を通じて温かな親交を保っていてくださいます。

やがて主イエス様を中心にしてこれら日本の、そして世界中の大家族が集まって再会をともに喜び合い、祝宴のテーブルにはべる日を待ち望んでいます。






#ドロシー師

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引退への階段を降りて

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引退への階段を降りて 引退への階段を降りて 引退への階段を降りて




日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。

その第42回目は、ドロシー先生の健康管理をしてくださるドクターたちとの出会いです。そうは言っても誰も老いから逃れることはできません。病や怪我で倒れるに従い、引退へのステップを踏んで行かれます。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆











治療しながらも継続していく働き

〜引退の第一段階〜


私の最初の骨折経験とは、手首に関わるものでした。
病院のテレビモニターで私は全ての手術過程を見ることができました。
四本の指にそれぞれワイヤーの繋げられたドリルで穴を開けていきます。
それからそのワイヤをグイと引っ張りながら、専門医は私の手首を元の位置に繋げ、それからギブスをはめてくれました。

アメリカの習慣に従うかのようにして、私の多くの友人たちはそのギブスの上に励ましのメッセージを書いてくれました。さらに日曜学校の生徒さんたちは、彼らの好きな漫画キャラクターを描いて楽しんでくれました。これらの特別な治療にもかかわらず、今日まで私の手首は元のようには完全に戻っていないのですが。



〜引退の第二段階〜



次にやってきたのは、左足の膝の皿のすぐ下の骨折でした。
錦教会に出席している“錦人”が働いている施設に入院できるとは、大変光栄なことでした。
「キングスガーデン」と言うところで病院では無いのですが、そこに私はしばらく住むことになり、それはそれはこれまでにない最良の環境でした。

そこに一週間も入居すればそれで退院出来るものと考えていました。
退院前にシェルホン先生夫妻がお出でくださり、美智子先生は親切にも私の荷造りまで手伝ってくださいました。松井ご夫妻が彼らのバンに乗せてくださることになり、お別れの挨拶を施設の方々にしてから私どもはピクニックに出かけ、それから接骨の専門医を尋ねました。

その後、私の家である錦教会にも立ち寄らないままキングスガーデンへ直行して、それから一週間をそこで過ごすこととなったのです。

私の引退後の歳月はここで過ごしても良いかな、と入居当初抱いていた微かな期待は徐々に、その後全て消え去っていきました。
ケアは素晴らしく充実しているし、食事もよく考えて作られています。そこの雰囲気のことなのです。もし周囲の事がわからないほどに認知症が進んだ方には、素晴らしい場所であるには違いありません。

ただ横になるだけで動くことのないこの環境にあっては、ほとんど食欲も出てきません。
それでもあのおいしくて、栄養バランスよく考えて準備された食事は無駄になる事はありませんでした。私の忠実な同労者である高橋京太牧師が夕食や昼食のときになると、いつも訪ねに来てくれました。彼は自分の弁当を持って来た上に、私の食べきれなかった分を全てきれいに召し上がってくれるのでした。

こうしてキリストの教えである「残り物を全て集めて、何も無駄にならないようにしなさいと」の教えが守られて行ったのでした。


〜引退の第三段階〜


次に起こった事は顎の骨折でしたが、それは夏の戸別トラクト配布の多忙な時に起こったことでした。コンクリート地面の傾斜のある場所で私は転倒し、激しく顎を地面に打ち付けてしまったのでした。大学病院にまで急送され、医学的見地の診断からすると私はその時、即死するか良くても障害者となっていたはずとのことでした。

しかし専門医は器用にも、私の粉砕された顎骨をワイヤーでつなげ固定してくれました。
一ヵ月ほど私は話ができなくなり、周囲の人々はその静けさを楽しめました。それでも私の唇では歌えない歌が、私の心の底から湧き上がって来るのです。

口の中に繋がれているワイヤーを通じてのハミングは、なんだかハープが奏でる音のようにも聞こえました。ほんとにハープの音であったかどうか、他者に聞いた事はなかったのでしたが。

ただ転んだだけなのにこんな重症を負うだなんてどうしたことか、と皆さんは不思議に思われるでしょうが、私もそうだったのです。私はあの時、木から落ちたわけではないし、階段を転げ落ちたわけでも、屋根から落ちたわけでもなかったのです。

小さな障害物につまずいたため私の身体は前に投げ出されたのでしたが、これは霊的に全く同様で、人は小さなことにつまずき倒れて時に重傷となる事もあるのを認めないわけには行きません。


〜引退の第四段階〜


次の事故は、自らの責任と認めざるを得ないたった一つのことです。
それは教会の玄関で起こりました。両手にスーパーの買物袋を下げたまま私は靴をキックしながらその靴を手に取ろうとした時にバランスを崩して転倒、右足を完全に骨折する結果となってしまったのでした。

専門医はその骨折は“良い方”であると診断してくれました。それでも手術が必要となり、セラミック製の人工関節が元の骨と交換されてなくてはならない、とのことです。
専門医は深くお辞儀をしながら、私に施術するのは光栄であると告げてくれました。

彼はまたノコギリとハンマーの使い方についての専門家のようにお見受けしました。
痛みは感じないものの、骨を切り裂くノコギリの音が聞こえて来ます。心電図や脈拍、血圧等の数値がコンピューター画面に見えて、私の体がそのノコギリの動きと否応なく反応しているのが分かりました。それでも私は生きています!素晴らしい手術でした!

ある若い看護婦は以前の私の英語クラスの生徒さんであり、彼女はクリスチャンとなってからその外科部署で働いていらっしゃいました。彼女が手術の前の晩、その仕事を終えてから私の病室までやってこられ、共に祈りを捧げてくれました。キリストが送ってくださった慰めと愛の天使となってくれたのです。

他の看護師さんは、私がよくなるもそうならないのも、全て私次第であるとお話ししてくれました。心がけ次第であると。
多くの見舞い客のさまざまな花で私の病室は飾られて明るくなり、それが私の回復にとって大きく貢献したことは間違いありません。

そんな中でもある看護婦は常に私に小言を言って来ます。
「しっかりと食べていただかないと良くなりませんよ」

私は彼女に、ここにいる人々は寝ること以外に何もすることがないのに、一日に九杯ものご飯を本当に皆さんは食べているのですか、と聞いて見ました。彼女は、もちろんそうです、と言い張るのです。

後に私が歩けるようになった時、廊下にあった配膳カートの上には、たくさんの食物が残されたままになっているのを発見したのでしたが。
どうしたことか私の場合、決められている日数のセラピーよりも少なく済んだようです。
セラピー最初の日、私はウォーカーに体重を乗せながら自分だけで歩き回るようにと言われました。
長い廊下をゆっくりと歩いたのですが、終えてみるとすべてのエネルギーを使い果たした気分です。

ある日のこと担当の外科医は私を連れて杖や松葉杖、手押し車で一杯となっている部屋を見せてくれました。多くのお年寄りの女性は手押し車を使っているから私も使ったらどうだ、と勧めてくれたのです。

そこで私は答えて、「もしそこにお座りくださるなら、私は貴方をお乗せしたまま廊下を走ってみせますが?」と言って差し上げました。

それから遂には、私は彼に仕事を求めるようになりました。
「ここで私がお手伝いできる何かがあるでしょうか」
そんなこともあってか、彼は今や私を退院させる時期であると考えたようです。
そうでないなら、すべてのシステムを私が混乱させてしまうと恐れたのでしょう。
彼は「あのような強い決意ある年寄りにはこれまでお目にかかったことがない」と誰かにこぼしていたのを後日耳にしました。



日本の国民健康保険



私は実に幸運な外国人です。
今や国民健康保険は日本国籍を持たない者にも適用していただけるのです。
来日して初期の頃はそのようではなかったのです。

医療費をこうして援助していただくことについて、私は誰にお礼をしたら良いのか、今もって分かりません。すべて事故による怪我のための医療費は、病室代などを除いてこの国民健康保険でカバーされて来ました。

もちろん毎月の保険料支払いはありますが、それとて法外なほど高価なものではありません。この保険によって私は優れた医療の恩恵を与えられてきました。



〜引退の第五段階〜



近くには知り合いの眼科医は誰もいなかったのですが、確かに神様は私を角膜移植のできる最良の眼科医へと導いて下さいました。すべてが順調に進みました。
はっきりと見えるようになったのです!
高齢のため自分の顔がこんなにもしわくちゃになっているのをはっきりと見たときは、さすがにショックでなりませんでしたが。

またその医者は、私に素敵な大家族がいるのを見て驚いていました。
手術後の経緯チェックのため立ち会ってくださるとき、私の病室には多くのいとおしい家族で溢れているのをご覧になっていたのです。

数ヵ月後、その眼球は内出血を始めるようになり問題は深刻なものとなりました。
お医者さんはこの問題をどう扱って良いのか確信の持てないままだったのですが、とにかく私には信頼するように、と励ましてくださいました。

「私達は何も心配する事はないのですよ。神様は最期に至るまで貴方を支えてくだるのですから」と言ってくれました。
確かに今日に至るまで神様は私を支えて下さっています。

私どもの教会の家族の中には、点滴や注射を祈りとともに施術してくださるクリスチャン・ドクターがおられます。さらに不調を起こさせるどんな小さな歯の問題も見つけ出しては治してくださる歯科医もいらしゃって心強いばかりです。

こうした医療の専門家でも手に余るような場合は、「偉大な医者」であられる主イエス様がいらっしゃるのですから、心の問題も含めた適切なケアが完備されているのです。


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骨折と入院経験

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骨折と入院経験 骨折と入院経験 骨折と入院経験





日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。

その第41回目は、ドロシー先生の入院経験を記しました。


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第四部

さまざまな事がら


伊勢神宮のあおりを受けて


20年に一度、伊勢神宮からの特別な大木が、地元の神社へすげ替えのためにやってくる行事があります。その神木である大木をお迎えするのですが、錦では連日イベントの目白押しで
となりました。ダンスやパレードなどです。さらにそのための組織作りが町内会で始められました。

教会が置かれている町内会でも参集の知らせが届けられ、私もその集いに参加せざるを得なかったのです。
そこで私は、
「分担金があるならば喜んでお支払いしますし、祭りのための助けが必要ならば時と場合に応じて喜んで協力しますが、いまや教会の働きが大変忙しく私のほとんどの時間を費やさねばならない」ことをお話ししました。

その町内会長さんの娘さんは、かつて聖書クラスに出席されていました。
そこでそのお父様は、私がこの宗教のお祭りには何の義務も負わなくて良いことにしよう、とグループの皆さんにお話ししてくださったのでした。



水に浸かった花飾り



そんなことがあった直後にもかかわらず、祭りのための花飾りを作るようにと依頼されたことには全く驚くばかりです。係りの方がやって来られ、私にあてがわれた材料と隣に住んでいらっしゃる若いクリスチャンの女性を残して帰って行かれました。言いつけられたであろうその女性は、何度も私にお詫びしながらも、私にその材料と作り方とを伝えてくれました。

私たち二人とも、こんなことには全く関わりたくはないのです。もし私がきっぱりその作業を断ったとしたら、クリスチャンの彼女が私の分まで受け持たねばならない、と言われるのです。
「互いの重荷を負い合いなさい」との聖書のお言葉を実践するのが、こんなにも困難なことであったとは!

私はほとんど一晩中かけて、しかも泣きながら、祈りつつ、そのあてがわれた紙製の花飾りを作り上げて翌朝早く届けに行きました。

その花が飾られたロープは町全体に渡りつながれてありましたが、主は祭りの始まる直前に豪雨を降らせてその全てを台無しにされてしまわれたのでした。


礼拝に人々が溢れたこと


その祭りは、日曜から月曜にかけて行われました。
ある方がその日は誰も教会に来はしないので、日曜礼拝をキャンセルしたらどうでしょうか、と提案してくれました。「いいえ、私たちは決してキャンセルはしません」と私はお答えしました。

かつて私は一人で礼拝を守ったことがあります。再びそうすれば良いだけのことです。
その頃川崎教会のある若い男性は大阪出張中でして、時に長い週末を利用して錦の働きを手伝いにお出でになることがありました。

彼が連絡をして来て、その日においで下さるとの事ですから、私たち二人だけで礼拝をすることになるでしょう。しかし驚いたことに、近くからも遠くからも思いがけないゲストの方々がおいでになられました。彼らはこの町の祭りのためにやってこられた方々でしたが、教会にもお出でになられ、とにかく会堂が収容できる限界まで新来会者で溢れたのでした。

確かに主の道は私たちのそれよりも高く、そしてときには私たちを驚かせることを喜んでいらっしゃるかのようです。

町内会に住む一人の住民として、私はかつて葬式の行列に加わるようにと求められたこともありました。その時、主は私に真に逃れの道を備えてくださいました。
その時はちょうど日曜日でして、すでに子供さん達が日曜学校に多く集まっていたのです。
当時私は日曜学校とそれに続く日曜礼拝の全面的な責任を負っていたものですから、それが格好の理由となって、以後求められる事も無くなりました。

このことはクリスチャンが、私どもの周囲の方々のために悲しんだり、その苦しみを無視したりして良いと言うことでは決してありません。死者のために香を焚いたり、その霊に祈ったりする方法以外に、愛ある関心を示す方法があるはずです。



骨折と入院経験



すべての女性は、長期間入院したことを得意になって話すのが好きなのを皆さんは知っていらっしゃることでしょう。ただし、これは女性だけに限ったことでありせんよ。

有名なナザレンの伝道者であるブッド・ロビンソンと言う人が「私の入院体験」と言う本を上梓しています。私はそこまでをここでしようとは思っていません。

40年以上前に私が初めて日本に到着して直後、私の到着を待っていたあるご婦人に会うため、ある病院を訪れました。彼女自身は慰められたようなのですが、実は私の心はだいぶ掻き乱されたのです。その病院の様子を見てのことです。そして日本では決して入院だけはしたくない、と心底思いました。
しかしその後、私が数カ所を同時に骨折してひどいことになった頃までには、この国の入院環境はだいぶ改善されて来た様です。
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