「人の価値はどこに見出せるか」
9月
26日
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「人の価値はどこに見出せるか」
エペソ人への手紙 2章18~22節
"このキリストを通して、私たち二つのものが、
一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。
こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、
聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。
使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、
キリスト・イエスご自身がその要の石です。
このキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、
主にある聖なる宮となります。
あなたがたも、このキリストにあって、
ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。"
人は自分自身の価値を追求する存在
①そのために著名人と知り合いであることや家族の成功を誇りとする私たち
だが、他者との比較によって得られるもの、いつか過ぎ去って行くものに真の価値はない。
②実存的な価値はどこにあるか〜「父のみもとに近づくこと」(18)
そこには絶対的で色あせない価値を私に見いだして評価された方がおられる
(2) 神の家族とされた私たち
①血縁関係者とされた
主イエスの血によって罪を洗い清められた者たちは、
イエスの血の流れる家族に加えられた(13)
② 一つの建物の中に生きるものとされた
礎石ーキリスト・イエス(信仰の創始者であり完成者)v
土台ー使徒と預言者(聖書)
建材ー私たち一人ひとり
⑶聖徒と同じ国民とされた私たち
①同じ原理原則で生きるものとされた
族長たちやモーセ、ダニエルたちらそれぞれ異なる生涯も、一つのテーマに収斂出来る。
「なぜ俺の人生にこんなことが起こるのか」ではなく、
「人生からお前はこれからどうするんだ」と問われ、これに応答した生涯であった。
②自分を待ってくれている存在があるこを知った
逆境や試練に会うときに私たちは人生から試されている。
絶望から免れ未来を期待できるのは、ゴールを知っている走者だけでである
(結論)
この絶対の価値を私自らが獲得するのでなく、「与える」と約束された方がおられる。
その価値を与えられた今、私の人生と賜物とを用いてどのように応答したら良いだろうか。