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「生きるにしても、死ぬにしても」

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「生きるにしても、死ぬにしても...
ホサナ教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。



「生きるにしても、死ぬにしても」


"ある日を別の日よりも大事だと考える人もいれば、どの日も大事だと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。
特定の日を尊ぶ人は、主のために尊んでいます。食べる人は、主のために食べています。神に感謝しているからです。食べない人も主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。
私たちの中でだれ一人、自分のために生きている人はなく、自分のために死ぬ人もいないからです。
私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
キリストが死んでよみがえられたのは、死んだ人にも生きている人にも、主となるためです。"
ローマ人への手紙 14章5~9節


(1) Ownership(所有権)を各自が保持する場合〜生まれつきの状態


①選択や考え方自体に意義を見出す
日や食べ物の守り方にフォーカス(5)せざるを得ない

②ワクチン接種の是非で2分化されていく社会
どのような情報により多く接しているかで、
そしてその情報が誰によって与えられたかで判断が変わって行く


(2) Ownership(所有権)はキリストにあると認めた場合〜信者


①選択や考え方の前に生き方の根本が変革される
「主のために」3回も言及(6)
「食べる」「食べない」はたいしイシューとならない

②「生きること」「死ぬこと」の抜本的な変革である(7)
それは状況に支配されない「感謝している」(6)生き方であり
人生の所有権がキリストに明け渡されたものである(8)


⑶Ownership(所有権)がキリストに移管されるために


①キリストは死を体験され、よみ(死者の世界)へ降り、そして復活された
"そのため、こう言われています。
「彼はいと高き所に上ったとき、捕虜を連れて行き、
人々に贈り物を与えられた。」"
エペソ人への手紙 4章8節

②「死んだ人にとって」(9)〜肉体的死と解釈できる
福音に接することのなかった旧約時代や福音を聞かずに亡くなった方々

③「死んだ人にとって」(9)〜霊的死と解釈できる
神を認めず反抗していたとき、人に忘れられ絶望の中でもがいていた私にも
主は顕れてくださった


(結論)


世界の有り様や人々の価値観が常に揺れ動いていく中にあって
私たちには揺るがされないものを受け継いでいる。
主が私のために命を捨てられたと言う愛。
その愛に生かされるとき、自分自身をあきらめない生き方が始まる。


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