「あなたの手を握って」
10月
24日
「あなたの手を握って」
イザヤ書 42章5~9節
"天を創造し、これを延べ広げ、地とその産物を押し広げ、その上にいる民に息を与え、そこを歩む者たちに霊を授けた神なる主はこう言われる。
「わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握る。あなたを見守り、あなたを民の契約として、国々の光とする。
こうして、見えない目を開き、囚人を牢獄から、闇の中に住む者たちを獄屋から連れ出す。
わたしは主、これがわたしの名。わたしは、わたしの栄光をほかの者に、わたしの栄誉を、刻んだ像どもに与えはしない。
初めのことは、見よ、すでに起こった。新しいことを、わたしは告げる。それが起こる前にあなたがたに聞かせる。」"
(序論)
親は子が転ばないために手を取りそれを握って共に歩く
両者の手が握られるのは愛と信頼の表れ
手を握る〜今現在の守り
①私たちの歩みを支えてくださる方がおられる
②主イエスは重荷を受け取って共に歩まれる
(2) 召された私たち〜過去から現在に至るベクトル
①「召された」「呼ばれた」〜主イエスが私たちを選び任命された。
「私」という存在が始まる前の大昔から。
② 「義をもって」〜私や相手の義を立てるためではなく神の義がその召しの動力。
パウロ書簡において「義」とは「救い」と同義語。
⑶ 自己完結を打ち破って〜現在から将来へと向かうベクトル
①契約の仲介者〜本章はメシア預言の一部。主イエスにおいて新約が樹立。
よって主イエスにあるものはその主イエスの地位や職権を共有している
②「国々の光」〜命と希望の燭光が暗闇に照らされる
(結論)
子供から手を伸ばしその手を握られることが親にとっては嬉しい。
神が差し伸ばしているその手を私たちも握り返そうでは無いか。
先にそのように歩まれたのが信仰の先達者としての主イエスであった。