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「その子をわたしのところに連れてきなさい」

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「その子をわたしのところに連れ...
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 
 

「その子をわたしのところに連れてきなさい」
 

マルコの福音書 9章14~27節
 

"さて、彼らがほかの弟子たちのところに戻ると、大勢の群衆がその弟子たちを囲んで、律法学者たちが彼らと論じ合っているのが見えた。
群衆はみな、すぐにイエスを見つけると非常に驚き、駆け寄って来てあいさつをした。
イエスは彼らに、「あなたがたは弟子たちと何を論じ合っているのですか」とお尋ねになった。
すると群衆の一人が答えた。「先生。口をきけなくする霊につかれた私の息子を、あなたのところに連れて来ました。
その霊が息子に取りつくと、ところかまわず倒します。息子は泡を吹き、歯ぎしりして、からだをこわばらせます。それであなたのお弟子たちに、霊を追い出してくださいとお願いしたのですが、できませんでした。」
イエスは彼らに言われた。「ああ、不信仰な時代だ。いつまで、わたしはあなたがたと一緒にいなければならないのか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をわたしのところに連れて来なさい。」
そこで、人々はその子をイエスのもとに連れて来た。イエスを見ると、霊がすぐ彼に引きつけを起こさせたので、彼は地面に倒れ、泡を吹きながら転げ回った。
イエスは父親にお尋ねになった。「この子にこのようなことが起こるようになってから、どのくらいたちますか。」父親は答えた。「幼い時からです。
霊は息子を殺そうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。しかし、おできになるなら、私たちをあわれんでお助けください。」
イエスは言われた。「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」
するとすぐに、その子の父親は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」
イエスは、群衆が駆け寄って来るのを見ると、汚れた霊を叱って言われた。「口をきけなくし、耳を聞こえなくする霊。わたしはおまえに命じる。この子から出て行け。二度とこの子に入るな。」
すると霊は叫び声をあげ、その子を激しく引きつけさせて出て行った。するとその子が死んだようになったので、多くの人たちは「この子は死んでしまった」と言った。
しかし、イエスが手を取って起こされると、その子は立ち上がった。"
 
 
 
(1) 失望の父子
 
 
①律法学者と弟子たちとの議論
 期待していた悪霊追放を弟子たちにはできなかった
 イエスのメシア性への疑問
 
②口を聞けなくさせる悪霊追放はメシアのみが可能とする不文律
  
 
 
(2)「 信」の欠如  「ああ不信仰な世だ」(19)
 
 
①主イエスの問い 「この子がこんなになってから、どのくらいになりますか?」(21)
 家庭の中に「信」があったのか。この子の必要に、その魂に向き合ってきたか。
 
②信仰の無いところは、コミニケーションの断絶
  そこに悪霊が心に入る隙を与えた
 

(3)  激しく貫かれた愛
 
 
 ①主イエスのこの子に対する愛
 その後の様子をご覧になられて(20)、深く憐れみ強い激しく心を揺さぶられた
 
②信じる力=愛の力
 言葉によって、この子は解放されることをご自身で知っておられた主
 激しい愛は、信じることを得させる
 
③父親の告白
 自分には信仰も愛もないことを知った時、主イエスに全面的に明け渡し、帰依する信仰が生まれた
 「信じます。不信仰な私をお助けください。」(24)
 
 
 
(結論)
 

主イエスの激しい愛は、私を信じるものに変えさせる。
その激しい愛に今日も満たして頂こう。
その愛に生きるものとさせていただこう。
#メッセージ

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「わたしにとどまりなさい」

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「わたしにとどまりなさい」
 
 
 
ホサナキリスト教会日曜、礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 
 
「わたしにとどまりなさい」
 
 
 
"わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です。
わたしの枝で実を結ばないものはすべて、父がそれを取り除き、実を結ぶものはすべて、もっと多く実を結ぶように、刈り込みをなさいます。
あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、すでにきよいのです。
わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。"
ヨハネの福音書 15章1~5節
 
 
 
"父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。
わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。
わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
わたしが命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友です。
わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主人が何をするのか知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです。"
ヨハネの福音書 15章9~15節
 
 
 
(1)  ぶどうの木と枝
 
 

 ①イエス様はぶどうの木であり、私たちが枝、父なる神が農夫
  たった今でも、私たちに実を成らせるために農夫は働き続けておられる
  「実」とは、愛、喜び、平安などの御霊の実(ガラ5:22)
 

②農夫の世話
  「取り除く」=地面から引き上げる、持ち上げるの意味。大きな石を挿入し、空間を与える。
  「刈り込み」=きよめる。3節と同語
 
 
 
(2) たった今、イエス様にとどまる
 
 
①主イエスは私たちを探しておられる
  弟子はいても、真の意味で友のいなかった孤独な主イエス
  私たちを友と呼ぶために、今日も声をかけておられる
 

②命を捨てられた主イエス 15:13
 真の友、最大の友となられた主イエス
 
 
 
(3)  主イエスの言葉にことばにとどまる
 
 
 ①ことばとは、主イエスご自身 15:3,7  「初めにことばがあった」(1:1)
  ことばが私たちのうちに受肉することによって、主は私たちに内在される
 
 
②愛にとどまる 9-10節
  主イエスにとどまる結果は、愛に生きること
  具体的には、他者を認める、褒める、励ます
 
 
(結論)
 
 
世界に革命を起こされた主イエス
愛による革命であり、それは現在も進行中である。
#メッセージ

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「雲が雨で満ちると」

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「雲が雨で満ちると」
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 
 
 

「雲が雨で満ちると」
 
 
 
伝道者の書 11章1~5節
 
 
 
"あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見出す。
あなたの受ける分を七、八人に分けておけ。地上でどんなわざわいが起こるかをあなたは知らないのだから。
濃い雲が雨で満ちると、それは地上に降り注ぐ。木が南風や北風で倒れると、その木は倒れた場所にそのまま横たわる。
風を警戒している人は種を蒔かない。雨雲を見ている人は刈り入れをしない。
あなたは妊婦の胎内の骨々のことと同様に、風の道がどのようなものかを知らない。そのように、あなたは一切を行われる神のみわざを知らない。"
 
 
 
 

(序論)
人には計り知れないものがある。
人には到底及ばない世界で働いておられる方がおられる。
 
 
(1) 空に浮かぶ雲
 

① 雲の生成過程を科学が知り得ても空に雲を作り出すことはできない
 風や雲や地震、大自然をコントロール出来ない
 

②人生に関することもコントロールできているようで出来ない
 
(2) 雲に雨が満ちる
 
 
①私たちの見えないところで働いておられる方がおられる
 季節の移り変わりや人の成長
 
 
②「御心が天で行われるように、地でも行われますように」
 自分のエゴを実現ではなく、神の御旨と私の思いがひとつになる
 
 
(3)  雨は降り注ぐ
 
 
 ①雲に水が満ちるまで、私たちの心も整えられていく
  試練を通じて私たちの心は変えられていく
 
②やがて時が来ると雨が降り注ぐ
  大きな祝福と最終的な完成が約束されている
 
  "主に雨を求めよ、後の雨の時に。
  主は稲光を造り、大雨を人々に、野の草をすべての人に下さる。"
   ゼカリヤ書 10章1節
 
 
(結論)
 
 
山や空を見ないと人は傲慢に陥る
人の思いとは異なるところで、神の御業は進んでいる
約束の実現を信じるところに希望が生まれる

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「主を求めよ。お会いできる間に」

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「主を求めよ。お会いできる間に...
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 
 

「主を求めよ。お会いできる間に」
 
 
 
イザヤ書 55章6~13節
 
"主を求めよ、お会いできる間に。呼び求めよ、近くにおられるうちに。
悪しき者は自分の道を、不法者は自分のはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。
「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。──主のことば──
天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
雨や雪は、天から降って、もとに戻らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種蒔く人に種を与え、食べる人にパンを与える。
そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない。それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる。
まことに、あなたがたは喜びをもって出て行き、平安のうちに導かれて行く。山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。
茨の代わりに、もみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える。これは主の記念となり、絶えることのない永遠のしるしとなる。」"
 
 
(序論)
 

人は誰でも、人間存在を超えた創造者、超越者を見出すことが出来る。
それが、本来の人間の作られたあり方だ。
しかし、それには自らが求めなくてはならないし、有効期限があるのも覚えておかなくてはならないだろう。
 
 
 
(1) 神の道は、人のそれとは異なる
 
 

①「神の思い」も「神の道」も人のそれとは異なり、はるかに高い(8-9)
 ある人は、日本が衰退した最大原因は暗記教育にあるとした。そこでは自ら考える思考が育たない。しかもその暗記教育の制度の中にあっては、自らの問題点もわからないままだ。
 
 
②最も異なるものとして、神の与える良きものは無料
 穀物もぶどう酒も乳も対価を払わずに買えと言う(1)
 これは通常の世界にはない異なるものだ。
 
 
 
(2) 神のことばには、いのちがある
 
 

①自然界の水の循環
 雨や雪は、天から降って地上を潤し作物を生じさせる(10)
 

②人は、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる(マタイ4:4)
 パンは肉体的な生命を維持するが、言葉は人の魂に作用する
 
 
 
(3)  神は、意図された目的を完成する
 
 
 
 ①世界大の終末と神の国の完成(4-5)
 ここの「彼」とはメシアであるイエス様の事であり、やがて全世界がその神聖と王政を認め、ひれ伏ことになる。
 
 
②私個人にとってはその救いの完成(ピリピ1:6)
 "あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。"ピリピ人への手紙 1章6節
 
 
 
(結論)
 
 
神なき世界のあり方に影響受けている私たちだが、そこにに流されないためには神に言葉を求めなくてはならない。通常の見聞きしている世界の原理とは異なる世界が広がっている。
全世界も私個人も、その救いの完成はここに希望がある。

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「今日はあなたの家に泊まることにしてあるから」

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「今日はあなたの家に泊まることにしてあるから」
 
 
ルカの福音書 19章1~10節
 
 
"それからイエスはエリコに入り、町の中を通っておられた。
するとそこに、ザアカイという名の人がいた。彼は取税人のかしらで、金持ちであった。
彼はイエスがどんな方かを見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
それで、先の方に走って行き、イエスを見ようとして、いちじく桑の木に登った。イエスがそこを通り過ぎようとしておられたからであった。
イエスはその場所に来ると、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」
ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。
人々はみな、これを見て、「あの人は罪人のところに行って客となった」と文句を言った。
しかし、ザアカイは立ち上がり、主に言った。「主よ、ご覧ください。私は財産の半分を貧しい人たちに施します。だれかから脅し取った物があれば、四倍にして返します。」
イエスは彼に言われた。「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」"
 
 
 
(序論)
 

パームサンディの日を迎えた。
有名なザアカイの記事は、主がエルサレムに最後の入京する直前の出来事である。
 

多くの群衆に歓迎される主と、1人の個人を探し出す(19:10)対比がある。
その家に宿泊されると言う事は、ユダヤ文脈で深い友人となることを意味する。
主は熱狂する大群衆に浮かれる方ではなく、私やあなたを探しておられる方。
 
 
(1) あなたの名を知っておられる主。
 
 
①「ザアカイ」は、「純粋な者」「清廉な者」の意味。
 その名前とかけ離れたところにいたようだ。
 
 
②ユダヤ国民の裏切り者としての取税人の立場。
 背が低いことから来るコンプレックスゆえからの屈折。
 そんな彼を全て知っておられた主。
 
 
 
(2) あなたが木の上にいるのも知っておられた主。
 
 
①ザアカイ自身が作り上げた勝利のフレームに飽き足らず、渇きがあった。
 その渇きが、彼を見世物と嘲笑の場所に追いやった。
 
 
②主の生き方とザアカイのそれとは、見事な対象があった。
 その渇きの深さを主はご存知であられた
 
 
 
(3)  あなたと契約を結ばれる主。
 
 
 
 ①彼が救いを得たのは、償いの良い行いをしたからではなく「Abrahamの子」であるゆえ。
  それがアブラハム契約の傘下に入ったと言う意味である。
 

②異邦人の私たちにとっては新約の中に入られたことである。新約はAbraham契約に内包されているから。ガラテヤ3:7-8。
 
 
 
(結論)
 
 
今日も主は私の全てをご存知の上で私を探し出し、
私と共に時を過ごされて、私を神の国に招き入れてくださっている。
#メッセージ

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「神の与えた賜物を燃え立たせよ」

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ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 
 
 
 「神が与えた賜物を燃え立たせよ」
 
 
テモテへの手紙 第二 1章3~10節
 
 
 
 

"私は夜昼、祈りの中であなたのことを絶えず思い起こし、先祖がしてきたように、私もきよい良心をもって仕えている神に感謝しています。
私はあなたの涙を覚えているので、あなたに会って喜びに満たされたいと切望しています。
私はあなたのうちにある、偽りのない信仰を思い起こしています。その信仰は、最初あなたの祖母ロイスと母ユニケのうちに宿ったもので、それがあなたのうちにも宿っていると私は確信しています。
そういうわけで、私はあなたに思い起こしてほしいのです。私の按手によってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。
神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。
ですからあなたは、私たちの主を証しすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。
神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自分の計画と恵みによるものでした。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられ、
今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされました。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不滅を明らかに示されたのです。"
 
 

(1) 賜物が与えられた背景とは(5)
 

①テモテが宿している「純粋な信仰」は、祖母ロイスと母ユニケから受け継いできたものだ。
 ユダヤ教徒としての敬虔なや信仰を先祖から受け継いで来た。

②家族からまた民族から、尊い文化的な遺産を引き継いできた私たち。
 日本民族にも純粋な信仰が育つ土壌があるのではないか。
 
 
 
(2) 賜物を燃え立たせよ(6)
 
 
 
①賜物は既に与えられた~パウロから按手を受けたときに。
 パウロの二次伝道旅行の際にルステラで見出された信者でありユダヤ教からクリスチャンに改宗した(使徒16:1)
 
②キリスト者が聖霊様と言う賜物をいただくのは信仰を抱いた時。
 所持してるのと、これが使用可能な状態になってるのとは違う。
 
 
 
(3)  賜物を活かせよ(7)
 
 
 
 ①臆病の霊ではない。当時のパウロは囚人として辱めの中にあり、その弟子のテモテも同様の危険の中にあるが、「恥」と捉えてはならない(8)。
 
②力と愛と慎みとの霊である。この3つは聖霊様の現れの3頂点をなす、緊張関係の中にある。  
 賜物が活性化されるために「力」が必要であり
 賜物が使われるときにキリストが崇められるためには「愛」が必要であり
 それがふさわしいTPOで使われるためには、「慎み=自己規律」が必要であろう。
 

 
 
(結論)
 
 
 
キリスト者は、誰もが神の賜物としての聖霊様をいただいている。
この賜物を十分に燃え立たせていただこうではないか。
神の与えたスピリットはあなたをして勇気ある力を与え、キリストの愛で満たし、自らを律するものとする。
#メッセージ

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「聖書の語るグランドストーリー」

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「聖書の語るグランドストーリー...
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 
 
 
 
 
 
 
ヨハネの黙示録 21章1~8節
 
 
 
"また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。
私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」
すると、御座に座っておられる方が言われた。「見よ、わたしはすべてを新しくする。」また言われた。「書き記せ。これらのことばは真実であり、信頼できる。」
また私に言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。わたしは渇く者に、いのちの水の泉からただで飲ませる。
勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。
しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らなことを行う者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者たちが受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。これが第二の死である。」"
 
 
 
(1) エデンの園と新しいエルサレム
 
 

①共通項の1つに、「いのちの木」があったこと。
 罪が入っていのちの木へのアクセスが遮断された時から、そこへ至る回復プロセスが大まかなグランドストーリーである(創世記3章22節、黙示録22章2節)。

②園から始まった人類歴史は、やがて街に完結される。
それは人工の街ではなく、やがて天から降りてくる「新しいエルサレム」。
そこには、6つに分類される方々が住む(ヘブル12章22~24節)
 
 
 
(2) 神の幕屋は人と共にある
 
 
 
①シャカイナの栄光は、神が臨在され顕現される所に宿る。
かつては幕屋の至聖所、神殿の至聖所、そしてイエスご自身の内側に。
 
②新しいエルサレムに満ちているシャカイナの栄光(黙示録21章22から23節)
 
 

(3)  事は成就した(黙示録 21章6節)
 
 
 
 ①神の勝利
人類創世から神と悪魔との戦いが続けられていた。創世記3章15節。
主イエスははその十字架において、悪の力と罪と裁きとを葬り去ったが、やがてこれが全世界において実装される。
 

②人の勝利
 「死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない」古い世界秩序の崩壊。
 「いのちの水の泉=(聖霊)から、値なしに」与えられる相続の勝利。
 
 

(結論)
 
 
年頭にあたり新しい手帳カレンダーを手にすると、年間計画を立てる。
さらに3年先10年先生涯にわたる計画はあるか。
人類の歴史の始点から終末までのストーリーを聖書は教えていることを忘れてはならない。
 
 
 
 

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「私の名前を呼ばれる方」

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「私の名前を呼ばれる方」

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「私の名前を呼ばれる方」




イザヤ書 49章1~6節




"島々よ、私に聞け。遠い国々の民よ、耳を傾けよ。主は、生まれる前から私を召し、母の胎内にいたときから私の名を呼ばれた。

主は私の口を鋭い剣のようにし、御手の陰に私をかくまい、私を研ぎ澄まされた矢とし、主の矢筒の中に私を隠された。

そして、私に言われた。「あなたはわたしのしもべ。イスラエルよ、わたしはあなたのうちに、わたしの栄光を現す。」

しかし私は言った。「私は無駄な骨折りをして、いたずらに空しく自分の力を使い果たした。それでも、私の正しい訴えは主とともにあり、私の報いは私の神とともにある。」

今、主は言われる。ヤコブをご自分のもとに帰らせ、イスラエルをご自分のもとに集めるために、母の胎内で私をご自分のしもべとして形造った方が言われる。私は主の御目に重んじられ、私の神は私の力となられた。

主は言われる。「あなたがわたしのしもべであるのは、ヤコブの諸部族を立たせ、イスラエルのうちの残されている者たちを帰らせるという、小さなことのためだけではない。わたしはあなたを国々の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする。」"

(1) 存在理由を尋ねて


①人が偶然に生まれてきたのなら、生きる価値を問う意味はない
 進化論教育に人を生かす力はない


②あなたの存在する以前よりあなたを知り、あなたを価値あるものとして創造された方がいる
 ここに初めて人は人生の生きる意味を見いだす



(2) あなたの名を呼ばれる方




名を呼ぶとは、他者と区別し、特別に価値あるものとして認識すること
 「母の胎内にいたときから私の名を呼ばれた」



②それはあなたと関わり、期待しあなたを通して何か目的を果たしたいとの思いゆえ
 (3節、6節)



(3)  創造者の栄光を現すものとして



① すかし、それとは逆の人生のように思える~無駄な骨折りをして来た
 それすら神の許しの中で起こった~「矢筒の中に私を隠した」(2節)


②神が力となられて
 無駄だと思っていたが、報酬は神と共にある。神は見えないお方だ(4節)


(結論)


 人は期待されて、愛を感じるときに生きる喜びを知る

 あなたを創られ生かしている方と出会うときに、生きる意味と自身の尊さを知る

 この方が、あなたの名を呼んでおられるのだから
#メッセージ

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「生きるにしても、死ぬにしても」

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「生きるにしても、死ぬにしても...
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「生きるにしても、死ぬにしても」



ローマ人への手紙 14章1~8節



"信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。

ある人は何を食べてもよいと信じていますが、弱い人は野菜しか食べません。

食べる人は食べない人を見下してはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったのです。

他人のしもべをさばくあなたは何者ですか。しもべが立つか倒れるか、それは主人次第です。しかし、しもべは立ちます。主は、彼を立たせることがおできになるからです。

ある日を別の日よりも大事だと考える人もいれば、どの日も大事だと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。

特定の日を尊ぶ人は、主のために尊んでいます。食べる人は、主のために食べています。神に感謝しているからです。食べない人も主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。

私たちの中でだれ一人、自分のために生きている人はなく、自分のために死ぬ人もいないからです。

私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。"




(1) 自分のとは一体誰のものか

①子供から大人になると自立し、自己を確立し、自己決定権を増して行く
 すると私たちは自分自身の人生の全てをコントロールできると思いがちだ

②人生の決定的な事は何一つ選べない
 生まれた日も、両親も、自己の能力や賜物までも選べていない

 私たちは実は、主に属するものであると聖書は教えている


(2) こんな自分であったとしても


①自分自身を信じろと教えられてきた。「努力は裏切らない」とは本当か?
 信じたくても緊急な時、危機的状況で重大決意をする時に、私たちの足はすくんでしまう。

②自分で自分を信じること、頼るには到底弱いものであるにを知っている私たち
  何度失敗しても、そのだめな私を愛し私を支えてこられた方がおられた


(3)  主に対して生きるもの


①たとえ死に至ることがあったとしても
 主は私を迎え入れてさらに深い交わりの輪に入れてくださる


② もし生きるとしたなら、恐れや失望に取り付かれることがあるかもしれない。

 その中にあってさらに良いものを示してくださる。生きることで、さらに主にある生き方を学ぶのだ。それは今まで最高善と考えていた枠組みが再構築されること。


(結論)


 「愛情、厚遇、栄誉。金メダルはもらえなかったけれど、代わりにもっと大切なものを日本で手にしました」~銀盤の妖精・ジャネット・リン(朝日新聞、1996年12月9日)

自分の望む成功を手にしなかったとしても、たとえ最悪の死に直面しても、私たちを所有しておられる主は私たちから離れず、その愛から私たちを引き裂くものはない。
#メッセージ

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「誰を友と選ぶか」

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「誰を友と選ぶか」



ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。




「誰を友と選ぶか」





ヨハネの福音書 15章13~16節


"人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。

わたしが命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友です。

わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主人が何をするのか知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです。

あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。"




(1)  チーム編成するときに選択する基準



①子供時代によく遊んだドロ(ドロボー)ジュン(巡査)鬼ごっこ
 2つのチームに分かれ、最年長者の代表がチーム構成員を交互に選んでいく


②代表は有望な人員を優先して選ぶ
 足が速いか、腕力が強いか、リスクを犯す勇気もあるか。



(2) 復活後の主イエスが選ばれたチーム(友)



①ペテロ: 全存在をかけてイエスを否定し、そんな自分に愛想がつき自分を見失っていた


②トマス: 弟子らの証言を信じずに何事も自分で確かめないと気の済まない懐疑心に富んだ実証主義者


③マグダラのマリヤ: 感性豊かで直感に優れるも、その感情に溺れ理性的判断に欠いた女性




(3)  選ばれた友のために命を捨てられた主イエス(13)



 ①友として選ばれた=ご自分を捨てられた=友を信じ抜かれた


②復活された主は、この私と共に歩き、声をかけ、お言葉を語ってくださっている



(結論)



 我々がキリストを選んだのではない

キリストが私を選んでくださった。そしてこの私を信じ抜いてくださっている。

それなら自分自身ではなく、キリストを信じ抜き、キリストを見上げて行こう。

そしてキリストが友と選んでくださっている他のチームメンバーを信じて歩んでいこう。
#メッセージ

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