ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです
「栄光から栄光へ」
コリント人への手紙 第二 3章13~18節
"モーセのようなことはしません。彼は、消え去るものの最後をイスラエルの子らに見せないように、自分の顔に覆いを掛けました。
しかし、イスラエルの子らの理解は鈍くなりました。今日に至るまで、古い契約が朗読されるときには、同じ覆いが掛けられたままで、取りのけられていません。それはキリストによって取り除かれるものだからです。
確かに今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心には覆いが掛かっています。
しかし、人が主に立ち返るなら、いつでもその覆いは除かれます。
主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。
私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。"
(1) モーセの顔おおい 出34:29-35
①律法授与の時の栄光
「主と話したので」(29)、顔の肌が光を放っていた
②「消え去るべきもの」(11)の栄光とは
完全なものが来たときに、不完全なものは廃れる
(2) 御霊のあるところには自由がある
①「古い契約」(14)=律法に縛られた生き方は縛られたものである
自らの哲学フレームの中で生きる、自らの力に頼ろうとするのが律法主義
②現在の私たちの顔を覆うものとは何か
病や困難の中で痛みや苦しみを経験する時、なおも他者を祝福できるか
罪へと誘う誘惑の中で、なおも正しい立場を貫けるか
(3) 栄光から栄光へ
①主に向くなら、そのおおいは取り除かれる(16)
主は自由を得させるために私たちを解放してくださった(ガラテヤ5:1)
主の十字架の効力は、私たちを奴隷から解放した
②主と同じかたちに姿を変えられていく
本来、人は神の「かたち」に造られている
「変えられる」=メタモフォオー= サナギが蝶に変身する様
(結論)
おおい取り除けていただこう。
健康や経済の心配と思い煩い、律法や完璧主義に陥る罠のストレスから
主の栄光を反映するものへと脱皮させてもらおう