《襍観・/・凡声“正月の食べ物・・・!?!”❖’22-3+1》

以上の画像は、借り物。
《若菜摘み・/・七草粥》
若菜摘みから始まった風習;
日本には古来、年の初めに雪の間から芽を出した若菜を摘む、「若菜摘み」風習があった。
古代の粥は「七種粥」と言われ、その材料は、「米・粟・きび・ひえ・みの・ごま・小豆」、
今とは全く異なったもので、鎌倉時代迄、「若菜摘み」と呼んでいたらしい。
平安時代初期に、大陸伝来の年中行事の影響も加味されたか!?!
「人日」(人を殺さない日)に作られる「七種菜羹(7種類の菜が入った吸い物)」、
7種類の穀物で使った塩味の利いた「七種粥」が、宮中の行事となったようである。
それが、古来の「若菜摘み」と結びつき、7種類の若菜を入れた「七草粥」となった由。
そして江戸時代に幕府が公式行事として「人日」を祝日にしたことで、庶民にも定着した。
春の七草とは、「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ」を指す。
なにゆえに1月7日の朝に七草粥を食べる風習が始まったか、諸説あるらしいが???
大陸の古俗に人日というものがあった由。
正月1日(鶏)、2日(狗)、3日(羊)、4日(猪)、5日(牛)、6日(馬)、7日(人)、8日(穀)、
これらを占う。その日が晴天ならば吉、雨天ならば凶の兆しであるとされていた。
6世紀頃の書物に、「正月七日を人日となす。七種の菜を以て羹(あつもの)をつくる」とある。
7日の人日に七種の若菜を羹(熱く煮た吸い物)にして食べ年中無病を祈る俗信があった。
初春の野から摘んできた生命力のある野草を食ベ7日の"人の日"に邪気を祓う。
伝文では、七草粥を作る時は、七草を刻みながら歌を唄った。この歌を七草囃子と呼んだ。
七草粥は、古来の風習では6日の夜から作り始めたらしい。仔細は諸説あり略。
「人日」とは五節句の1番目の節句、陰暦1月7日を指す。
正月最後のこの日に七草粥を食べて1年の豊作と無病息災を願った。
旬の生き生きした植物である七草を前日に野山で菜を摘んだ。
それを年棚(歳神を祭った棚)の前で七草囃子を唄いながら擂粉木でたたいた。
こうした事で、七草の力をさらに引き出すことができると信じられていた。
丁寧に細かく刻まれた七草粥は、馳走に疲れた胃腸を労り栄養を補う効果もあった。
作る作法は少し変わっており、「七草なずな、唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先に…」と、
七草囃子を唄いながら、まな板に乗せた七草をすりこ木や包丁で叩く。
米は、4・5倍のお水に30分間浸し、強火にかけ、吹いてきたら弱火にし、2~30分炊く。
火を止める直前に刻んだ七草を入れ、塩で味をつけて完成。
「令和肆年(皇紀2682年)1月9日、記」



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《襍観・/・凡声“正月恒例の・・・!?!”❖’22-3》

都市部の雪景色・・・モノト~ン!!
翌日の道端のフェンス。この辺では、絵になるが???
吹き溜まり、、、チョットいい色合い!!
《新春・/・首都圏に雪が降る!!》
穏やかな正月を自宅で過ごし、食べ過ぎ解消、所要もあって出掛けた。
幸か不幸か(好・・幸だ、僕には)、久し振りの市街地での雪景色。
それでもビル内(横浜みなとみらい地区)は、結構の人出が見られた。
普段、雪景色を生活の場で見ることは少ない。雪を楽しむ感覚はない。
僕の壮年期は、南独で冬を過ごすことが多かったが豪雪地帯では無かった。
余り苦労したって思ったことはない。だが、日本での雪は難儀、不思議だ。
首都圏は、10cmも積もったら偉いことだ。環境・心構えって大切と痛感する。
「令和肆年(皇紀2682年)1月6日、記」
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《襍観・/・凡声“正月恒例の・・・!?!”❖’22-2》

ニューイヤー駅伝、 ホンダ・アンカー藤原 正和選手ゴール画像。
箱根駅伝1区、先頭を行く中央大学・吉居大和選手。
東海大5区、吉田響選手。
《新春のスポーツ・/・駅伝》
清々しい新年を迎え、恒例の新春スポーツをTV観戦して三ヶ日を過ごした。
元旦に行われた全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)。 
2日・3日は、通称、言う所の箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)。
元旦のニューイヤー駅伝、古くは、伊勢神宮周辺で開催されていた。
今は、会社がなくなってしまったがリッカーミシンが活躍していた、懐かしい。
今年、優勝したホンダ(本田技研工業)には未だ陸上競技部は無かった頃の事。
ホンダの優勝、又一つ実業団ティ-ムが台頭してきた。楽しみと期待が持てる。
続く2・3日の箱根駅伝、関東学生陸上競技連盟登録男子の大学対抗駅伝。
全国的な人気だが、共催・特別後援が大手新聞社・中央TV局の報道が大きい?
各大学の関係者は、高校競技会で活躍していた選手を関東に集めていると映る。
参加大学が、選手争奪戦を繰り広げてるのか、チョット引っかかる感がある??
未完の大器を発掘するのも指導者としては当然でもあると思うが、、、。
だが、各大学の存在感競走に走っている感、今年の優勝大学に感じた。
報道放映にしても優勝争い場面が多く取り上げられる。それ故の切磋琢磨??
話題性ばかりで競走本来の内容に欠けていた、と感じるのは僕の片寄った見方か。
今大会の最優秀選手に輝いた中大・吉居大和(2年)選手のレース感はずば抜けていた。
前記録保持者の東海大OBの佐藤悠基走りを思い出した。1区の走りは選手の力量だ。
凄い選手が現れた。今後が楽しみ。同じ様に5区の東海大吉田響選手も凄かった。
箱根の山登りでのごぼう抜き、全く中継放映されなかったが今後が楽しみ、未だ1年生。
東海大の吉田響を紹介してる記事を見つけた。読売新聞オンライン記事転載。

足どり軽やか、歴代4位の山登り(読売webより)
小田原中継所で主将の本間 敬大(けいた) (4年)からたすきを受け取った時点でチームは17位。
「競技を終える本間さんを笑顔で終わらせてあげたい」と気合が入った。
大学駅伝のデビュー戦とは思えない軽やかな足運びで山道を駆け上がり、
前を走る選手を次々と追い抜いていった。
順位を10位に押し上げる猛追で区間2位、歴代でも4位の1時間10分44秒をマークした。
足の回転が速いピッチ走法が持ち味。
静岡・東海大静岡翔洋高から入学後すぐに 両角速(もろずみはやし) 監督から「山の適性を持っている。
楽しみな選手になる」と見いだされ、登りに特化して坂道を走り込んできた。
11月に指揮官から5区起用を言い渡されると、
「チームを背負って走らないといけない」と意気に感じた。あと3回チャンスはある。
5区で3度区間賞を取って区間新記録も残し、『山の神』と呼ばれるようになりたい。
11位で予選会に回ることになった強豪校を引っ張り、その名を響かせるつもりだ。
(百瀬翔一郎)。

レースの実況中継は色々と大変・難しいとは思うが、全体を観て中継してほしい。
「令和肆年(皇紀2682年)1月3日、記」




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《“襍観・/・凡声!?!”❖22-1》

スポーツ競技として認知されたか!?! “スケートボード”


《時節・_・襍感⇔“静謐な世情”》
爽やかな而して静かな新年を迎えることが出来ました。
ブログルの皆さん、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

我ら生きる人間、そろそろウイルス感染に対して敢然と対峙したい。
医療を信頼し浮き立つのを抑えよう、個々人の落ち着いた対応を希す。
「令和肆年(皇紀2682年)1月1日、記」



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《眼福(301)“2021年・温故知新!?!”❖21-365》

1970年代の片瀬西浜海岸。この頃は、大学生バンド華やかし頃だった。


新旧灯台島が見れる面白い画像。
《”旧き江ノ島”2021/12/15》
旧江の島展望灯台は、江の島の象徴・青い展望塔として1951年3月25日に登場した。
元は、二子玉川園内の遊戯施設として1940年に設置された「読売大落下傘塔」。
それを戦後解体し、それらを材料として建設されたものが、旧展望灯台である。
同時に植物園も併設開園している。
現在の展望台は、2002年江ノ電開業100周年事業の一環として建設。
2003年4月29日(みどりの日)にリニューアルオープン。
場所は「江の島サムエル・コッキング苑」(旧江ノ島植物園)内。展望フロアは海抜101.5m。
西は藤沢市を経て、茅ヶ崎、大磯、小田原まで続く海岸線と市街の明かり。
天候に恵まれた夕刻なら富士山のシルエットも眺められる。
東は江の島ヨットハーバーを眼下に、「東洋のマイアミビーチ」と称される片瀬海岸。
続く腰越、稲村ヶ崎、逗子葉山~三浦半島の海岸線・道路照明、市街光が煌めく。
外観は毎日、LEDを使ったライトアップ。日没から、様々な色に変化する。
集客施策として、「江の島灯籠2013」を期間も内容も拡大して開催。
江の島入口〜商店街〜江島神社〜江の島サムエル・コッキング苑〜江の島岩屋に至る、
江の島中に1,000基以上の灯籠が飾られ、江の島中が優しい光に包まれる。
更に、江の島縁起「天女と五頭龍」の影絵「影絵の夜・天女と五頭龍」も展示される。
「江ノ島納涼花火」も開催される。イルミネーションイベント「江の島湘南の宝石」。
江の島の冬を彩る光と色の祭典として、スワロフスキーの鮮やか光のトンネル。
而して、白と藤色に染まるシーキャンドル等、多彩な光の演出が観られる。 
*        *        *
2021年は、コロナウイルスに始まりコロナウイルスで終わった。
新たな年は、より良き生活が送れることを熱望する。
「令和参年(皇紀2681年)12月31日、記」
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《眼福(300)“2021年見納め夕日(5)!?!”❖21-364》

上2画像は、新旧って感じる。江ノ島港は綺麗に整備された。
遠景に見えるビル群に今を感じる。
展望台から眼下に広がるサムエル・コッキング苑の灯り、十数分で微妙に変化する妙!!
《”湘南の宝石⇔江ノ島イルミネーション(3+1)”2021/12/15》
“日本三大夜灯台”
夜の美、香川県高松市にある世界初の総ガラス張りの灯台”高松港玉藻防波堤灯台”、
山口県下関市の夢ヶ崎の石造り“角島灯台”そして江の島シーキャンドル。
これらの灯台を「日本三大夜灯台」と言うのだそうだ。
久し振りに訪ねた、江ノ島灯台。其処から見る夜の遠景は、昔と変わらない??
「令和参年(皇紀2681年)12月30日、記」



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《眼福(299)“2021年見納め夕日(3+1)!?!”❖21-363》

《”湘南の宝石⇔江ノ島イルミネーション(3)”2021/12/15》
ホウセキFOREST;
サムエル・コッツキング苑内のイルミネーションごく一部!!
「令和参年(皇紀2681年)12月29日、記」



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《眼福(298)“2021年見納め夕日(3)!?!”❖21-362》

江ノ島中津宮広場(花の広場)のイルミネーション。
花の広場から上部への路。
15~6年前のクリスマス頃の江ノ島(左側)光景、七里が浜海岸より。
《”湘南の宝石⇔江ノ島イルミネーション(1)”2021/12/15》
富士嶽を眺めるのに出掛けたのではなく、江ノ島の冬イベントを観に!!
“湘南の宝石”と呼ばれ、かなり人気がある催しだと聞いていた。
江ノ島のハーバー脇(東側奥)の駐車場に車を止めて島の上部へ。
一般道を行くのではなく島民住宅をぬって会場近くまで登っていく。
評判通り、と感じたが規模的には小さいか!?!島を思えば当然か。
後で分ったことだが、島のあちこちにイルミネーションが設置されてる由。
当日は、総ての会場をみてまわらなかった。奥のお岩屋でも飾りがある由。
今回は、サムエル・コッツキング苑内のイルミネーションと展望灯台を観る。
湘南の宝石と称されるイベントは、1999年11月に初めて開催された。
旧江の島展望灯台( 現江の島シーキャンドル) のライトアップで始まる。
今年で22年目を迎え、當に光と色の祭典に発展・進化していた。
湘南の美しい海と空というロケーション等で、関東三大イルミネーション!!
昔を思い出しながら、輝く光の中を散歩した。
「令和参年(皇紀2681年)12月28日、記」



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《眼福(297)“2021年見納め夕日(2)!?!”❖21-361》

江ノ島上部よりの富士嶽。
お岩屋へ向かう参道・・・民家の向こうに富士嶽が見える。
冬の季節には、イルミネーションが道案内してくれる。
《”江ノ島から観る富士嶽”2021/12/15》
富士嶽を眺めるのが好きだ。四季折々、色々な場所から眺めてきた。
沢山拝してきたが、富士嶽の容姿を思うと、三浦半島からの姿がいい。
葉山・鎌倉稲村ヶ崎・江ノ島、これらの場所からの富士嶽が最高と映る。
久し振りに夕暮れの富士嶽と出会えた。やっぱりいい!!
「令和参年(皇紀2681年)12月27日、記」
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《眼福(296)“2021年見納めの夕日!?!”❖21-360》

江ノ島ヨットハーバーの防波堤より見る夕日。
東側の三浦半島。
江ノ島ヨットハーバーの夜景(クリスマスツリーを模したヨット群)。
《”江ノ島ヨットハーバー&防波堤”2021/12/15》
夕日の見納めは、鎌倉市稲村ヶ崎周辺134号線の何処かでと決めていたが???
気分良く夕日の見納め、中々見れない。今年は少し早かったが江ノ島に出掛けた。
平日なのに観光客が!?!駐車場はさして混んでいなかったが、人はいっぱい。
最近は、見てはいないがクリスマス頃ヨットのマストに明かりが飾られていた。
又、江ノ島ヨットハーバーはオリンピック競技会場でもあった。
2回もオリンピックヨット競技を江ノ島で観れたことは感慨深いものがある。
「令和参年(皇紀2681年)12月26日、記」

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