早朝の青空をジェット機が飛行機雲を従えて飛んでいます
2009/05/10 AM05:16
今係留されているカーフェリーは、北海道小樽へ向かう
昼頃にこの港を発つと、明朝の6時頃に小樽に着岸する
冬場の荒れた日本海でも、休まずに運行をしている
1万トン以上の大型船は余程でないと欠航はしない
17日付けの当地の新聞にこんな記事が掲載されていました
これまでは、観光旅行にUSAへ行くには90日
(3ケ月ではありません)はビザなしで入国が出来ると
簡単に考えていましたが
来年の1月12日からはESTA(電子渡航申請システム)を
登録しておかないと、入国は拒否されるそうです
アドレスは
https://esta.cbp.dhs.gov/
です
勿論、日本語案内もありますのでお出掛けの節は登録を
天候の回復を期待して、雨模様の中でテント泊まりをしたが
南風はおさまらず、波が高い
とても、スキンダイビングをする気にはならない
島を半周し、北側へ回ると風下で波が無いのは分かる
しかし、この曇天では水中の光景に期待は持てない
一泊で引き上げることとした
海鵜が海を見つめている
テントの設営が完了
しっかりとしたタープを張り、側面からの吹込みを防ぐ
暫くすると、島のH氏が車で迎えに来てK氏と3人でビールを飲む
テントに戻り、夕食の準備
水洗い場の脇にBBQのスタンドが放置されている
それを借りて火を起こす
これで、調理が出来る
道具を捨てたまま去った行為は悪いが、それを利用させて貰ったので
次の人も使いまわしする為に、使用後は同じ場所に置いた
小島で楽しむ為に、キャンプ場(指定)にベースのテントを張り
スキンダイビングや島一周のトレッキングに出かける事も可能である
島の人との交流も、歩いてあちこち訪ねる
勿論、自動車の持ち込みは出来ない
島の人に乗せて頂くか、徒歩又は自転車となる
荷物はテント一式とダイビング用具、それと食料、調理用品
野営地が近いが荷物は車付きのものに乗せて歩く
背中には野営用具一式、メッシュのバッグにスキンダイビング用具
発泡スチロールの箱には食料とコンロなど
一週間でも泊まっていられる装備を準備
島の人から野菜類の差し入れがあります
この二輪のキャリーはカヌーを運んだり、荷物を運ぶのに
重宝をしています
タイアがチューブ入りの太いもので、砂浜でも使えます
荷物を積まない時は椅子として使えます
ドイツ製のものでした、本体はアルミニュームで軽量
折り畳みで便利です
但し、残念なことにボルトナットが鉄製のため、塩や雨で錆び付き
全てをステンレスに取り替えました
合理的な思考を持ったジャマニーもアウトドアの本髄から
少し外れていました
今年は野暮用があり、トレッキング(恒例の)や小島探訪に挑戦
出来なかったので、天気が悪い週末に小島を訪れた
人口は500人足らず
周囲は約20K
島の人々との交流が年々増えて、再会が楽しみである
1時間30分の短い船旅である
20回にわたり、東京の中心部六本木、溜池、飯倉、芝を回った
画像を載せてみたホテルに泊まり、早朝のウォーキングこの日も無事、朝の7時前にホテルに戻った
汗をシャワーで流し、朝食を摂った
芝の増上寺を後にして、芝公園を通り過ぎ暫く歩くと
愛宕山の下に出たこの山の下にはトンネルが通っているこの愛宕山は確か、神社の階段を馬で駆け下りた故事が
あったと記憶している日本で初めてのラジオ放送がこの山から発信され
それを記念してNHKの放送記念館がある※
愛宕神社には「男坂」と「女坂」があり、馬で昇り降りしたのは
四国丸亀藩の家臣で 「曲垣平九郎」(まがき・へいくろう)でした
なお、この「男坂」は別名『出世坂』とも呼ばれるそうです
安国殿の後ろに木立に覆われた門があった
朝の薄暗い中に重々しい存在感があった
徳川家霊廟 鋳抜門である※説明文
戦災に遭うまで、増上寺の南側に二代将軍秀忠
北側に六代家宣、七代家継などの御霊屋があった。
これらは当時の建築技術の粋を結集したもので
各々国宝の指定を受けていたが、現在は入口の
「鋳物門」と二代将軍宝塔にその面影を残しているに過ぎない。
将軍のほかには、静寛院宮(和宮、家茂の御台所)
崇源院(家光の母、お江与)、桂昌院(綱吉の母、お玉)などが
合葬されている。
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