東京点描-18
8月
17日
朝の薄暗い中に重々しい存在感があった
徳川家霊廟 鋳抜門である※説明文
戦災に遭うまで、増上寺の南側に二代将軍秀忠
北側に六代家宣、七代家継などの御霊屋があった。
これらは当時の建築技術の粋を結集したもので
各々国宝の指定を受けていたが、現在は入口の
「鋳物門」と二代将軍宝塔にその面影を残しているに過ぎない。
将軍のほかには、静寛院宮(和宮、家茂の御台所)
崇源院(家光の母、お江与)、桂昌院(綱吉の母、お玉)などが
合葬されている。
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