東京タワーの間近に芝の増上寺がある徳川家の庇護を受けた由緒ある寺である朝の5時49分
本堂では読経が始まっている
信者が5〜6人集まっている僧侶が10人儀式に則った行動様式で本堂の席に着き
伽藍に響き渡る読経は敬虔な気持ちにさせてくれる
東京タワーを遠望しながら坂道を下って行く真下に到着しカメラに収めた
生憎の梅雨空、しかも早朝
綺麗な画像はのぞめない
前日の朝とは違った方向に足を伸ばした
ホテルを出ると大使館に出会う紋章をデジカメに納めた国名を判断してください
麹町三番町から平河町を過ぎ、国道246号を横断
赤坂見附の手前に衆参議院の議長公邸が並んでいる
衆議院議長公邸の門扉脇に石碑が建っていた「華族女學校遺蹟碑」とあったこの玄関前の坂を下ると日比谷高等学校を通り日枝神社の脇を
抜け、溜池からホテルに帰れる
半蔵門を通り過ぎ、千鳥が淵、靖国神社方向の左手に
英国大使館が見える
工事中であったこの後、山種美術館で折り返し麹町三番町を抜けてホテルへ
向かった
最高裁判所の隣りに国立劇場があり、皇居のお堀と森を右手に
進むと半蔵門に到着した丁度5時30分
梅雨空で重苦しい曇天である
三権分立の司法の最高峰
最高裁判所が見えてきた突き当たって右に折れると、民主党の本部があり
三宅坂の交差点となる
国会議事堂の裏手、衆参議員会館の前を通り三宅坂方向の
交差点には国会図書館がある議員会館と国会議事堂は入ったことはあるが、国会図書館は
未だに利用実績はない生涯に一度くらいは利用したいものだ
交差点から坂を昇ると総理大臣官邸が左手にある
旧官邸を増築し、危機管理に対応する建物が増設されたこの地の由来が書かれている
江戸時代の地図が併記されていたので載せてみた※説明文
この敷地は、武蔵野台地の東縁部に位置し、眼下には近代の初めまで溜池が広がり、近世中期には風光明媚な池として人々の憩いの景観となっていたといわれています。また、縄文時代から近世に至るさまざまな時代における人々の営みがあったことが、敷地内で痕跡として確認されています。17世紀後半には敷地内は二分割され、北側には旗本屋敷があり、その後信濃飯山藩本多家上屋敷、丹後峰山藩京極家上屋敷と移り変わります。
一方、南側は越後村上藩内藤家中屋敷でした。
明治維新後、敷地は一橋徳川家の居宅として使用され、明治3年に鍋島家の所有となります。
明治25年に完成したれんが造りの洋館は大正12年9月の関東大震災により大きな被害を受け、その後復興局へ売却されています。大正15年、震災復興に伴う中央諸官衙計画の一環として、麹町区永田町二丁目一番地旧鍋島邸跡地に総理大臣官邸を新営することとなりました。官邸は昭和4年に完成しましたが、当時は「内閣総理大臣官舎」と呼ばれており、門には表札がかかっていました。その後、官邸の老朽化、狭隘化が顕著となってきたことなどから、昭和62年、閣議了解により、従来の官邸敷地及びその西隣一帯を区域に新たな総理大臣官邸を整備することになりました。新官邸は平成17年に完成し、現在に至っています。
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