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Slow Life & Trips

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良寛遠望

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良寛遠望
良寛
江戸の中期後半に存命し、地方で生涯を送った禅師
沙門などとも表現される

近隣で喜捨を受け、庇護されて生活をしていた
書や和歌に
優れたものが多く残され、多くの研究者、好事家が
現在も探求・研究の対象とされている

当時の環境を垣間見ると、地主や庄屋など管理者側の
人々は書類を書く(作成する)為に書や漢学を勉強していた
その、数軒には万葉集の写本数種が存在し、良寛禅師は
それらや、漢籍を借りて勉学に励んでいた様子が
窺がえる

石瀬の松
江戸時代には素晴らしい枝振りの古木が存在していたが
枯損して、現在の松が植えられた
脇に良寛禅師の歌碑が建てられている
恐らく、松尾芭蕉もこの脇の北国街道を通り見たこと
であろう

江戸末に描かれたこの松と思しき画が残されているので
11日にお見せします
#政治 #歴史 #環境 #社会 #経済

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KUMA
KUMAさんからコメント
投稿日 2009-01-10 08:37

良寛師、あこがれですね・・・・

「君や忘る 道やかくるる このごろは 待てどくらせど 音づれのなき」
好きな歌です。

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wahootaste
wahootasteさんからコメント
投稿日 2009-01-10 18:20

全国良寛会なる同好の士が集まるものがあるようです


様々な人がこの「良寛禅師」を研究し書物も
沢山出ていますが、未だに次々と発表されています
それだけ奥が深く、追いかけるとその先に行く
陽炎又は山並のようです
「立松和平」もこれに嵌ったようです

wahooは興味があり、資料を揃えつつありますが
他に調べる事があり、当分は取り掛かれないで
資料の収集で墓穴へ行きそうです
暫くはこの「良寛遠望」にお付き合い下さい

江戸時代の高名な亀田鵬斎は良寛との付き合いから
書風が変り、川柳に「ミミズがのったくった書風」と
書かれています
書や歌が評価されるのは、基本を踏まえている事の
証だからでしょう

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Toshiaki Nomura
Toshiaki Nomuraさんからコメント
投稿日 2009-01-10 10:26

最近良寛がちょっと見なおされてますよね。

関する本も新たに出ているようです。

まあ、興味深い人物ですよね・・・。

ワオ!と言っているユーザー

wahootaste
wahootasteさんからコメント
投稿日 2009-01-11 04:16

この良寛禅師が見直されて、今日があるのは

相馬御風が若くして、東京を後にし故郷へ戻った時
(すでに作家・歌人として脚光を浴びていました)
小林一茶を研究しようとしていたそうです
会津八一が同じ郷土の「良寛」を研究したらと
勧めて、それが今日の広がりになったと書いています

人間として、悟りを求め宗教の枠を超えて庶民の
中に生きた
その生き様が共感を呼ぶのでしょうか

早稲田大学の校歌「都の西北」は御風の作詞です

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