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歴史に出てこないモノ

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歴史に出てこないモノ
明治初期から遡る、日本の歴史は「海運」「川運」「湖沼運」に
ついては、これまで余り歴史の表舞台に登場する事はありません

しかし、物流を考え、人の移動を考えると水面を使った事が
古代、中世、近世には大きなウエイトを占めていました

考えてください
人や牛、馬で陸上を移動するには運ぶ荷物は限られています
川を下るには「筏」や「川舟」は棹や櫂で岩などをかわして
下流に行けますが
その川舟を上流へ遡るにはどうしたでしょうか

この、透かし彫りがそれを現しています
これをテーマに追っかけを暫く続けます
#政治 #歴史 #環境 #社会 #経済

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KUMA
KUMAさんからコメント
投稿日 2008-12-10 07:44

和歌山に紀ノ川(上流は吉野川)がありますが、壬申の乱の直前に吉野の逃げ込んだ理由は吉野は田舎ではなく、川運の要所であったとの説があり、私もそう思っております。

わが地方尾張平野も川運が昔から発達しており、献上品の集散地「麻積:おおみ」なる地名があります。
蜂須賀小六は、その川運の棟梁であり、野武士・夜盗の類ではないと思っております。

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wahootaste
wahootasteさんからコメント
投稿日 2008-12-11 00:21

以前も御地の周辺の歴史を拝見、拝聴しましたが

KUMAさんは、歴史に詳しいですね

近くでしたら、お邪魔して色んなお話をお聴きしたいものです

確かに、岐阜県も川運が盛んでその下流の渥美半島
三重県の志摩の辺りも海夫(農夫に対して)が沢山動き
回っていたようです

献上品に鮑があり、今の済州島との関係もあったようです

大概、要所となったのは津や浦、船居などを支配したようです

津々浦々や興味津々などにその名残があります

網野善彦氏の著作にはその辺のことが詳しく述べられ
官製の学者には文献史学がはびこり、このような歴史は
あまり興味がなかったようです

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Toshiaki Nomura
Toshiaki Nomuraさんからコメント
投稿日 2008-12-10 10:18

これはどういうところの板に描かれているんですか・・・???。

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wahootaste
wahootasteさんからコメント
投稿日 2008-12-11 00:31

先日、保存を市に求めている明治時代の「夏の別邸」

燈篭や層塔をアップした屋敷です

脇床の欄間になったところにあり、幅は1M50位でしょうか

照明の当たらない暗いところです

当日は三回目の一般公開の日で、一日に2500名ほどが
訪れたようです

確かに混雑していました
写真も漸く撮った次第です

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