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加藤雄一のブログ

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うまくいっていないことを言葉で伝える勇気を持つ

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うまくいっていないことを言葉で...
「全然だめ……」
 
 
物事がうまくいっていないと感じたとき、それを言葉にして伝えるのは決して簡単なことではありませんよね。
 
たぶん周りも同じような気持ちだと感じていたとしても、それを言葉にしてしまうことで、もっと状況が悪化してしまいそう……そう躊躇しまったことが、今まで何度あったことか。
 
 
しかし、率直に伝えることで、問題を整理し、周囲の理解を得ることができる場合もありますよね。
 
きっとそんな経験も少なからずお持ちではないでしょうか^^
 
 
言葉にする勇気こそが、状況を好転させる第一歩となるのかもしれませんね。  
 

言葉にしてみることで、状況が共有され解決の糸口が見えることもあります。
 
  
 自分の中だけで抱え込んでいると、問題がますます重くのしかかります。
 
しかし、言葉にして伝えることで、他者の視点や助けを得ることができ、解決策が生まれやすくなることも頭ではわかっているんですけどね。
 
 
そんなウツウツとした時間もまた、 自己認識を深め冷静に対処できる方法を考えてきた時間と言えなくもありません。
 

 「うまくいっていない」と認め、それを言葉にすることで、自分の気持ちを整理できます。
 
曖昧な不安が具体的な問題点に変わり、どう対処するべきかを冷静に考えられるようなったりもしませんか?  
 
また
 
言葉にしたからこそ信頼関係を築くきっかけができたこともあったのでは。
 
  
 弱さや課題を伝えることは、決して恥ずかしいことではなく、誠実なコミュニケーションの証です。
 
勇気を持って話すことで、周囲との信頼関係が深まり、今後の協力がしやすくなることも、本当はわかっているんですけどね。  
 
  
 
 
仕事で困難に直面しているとき、「うまく進められない」と正直に伝えることで、チームメンバーがサポートしてくれたら嬉しいですよね。
 
一人で悩むより、助けを求めた方がより良い結果につながることがあります!  
 
また、個人的な悩みについても、「今の状況がつらい」と言葉にすることで、家族や友人が励ましてくれたり、新たな解決策を考えてくれたりすることがあります。
 
伝えることで、孤独を感じることなく、心の負担を軽くすることができたとしたら、なんて素晴らしいことでしょう。  
 
 
  
うまくいっていないことを言葉で伝える勇気があると、状況を共有し、自己認識を深め、信頼関係を築くことができます。
 
言葉にすることは解決への第一歩であり、未来をより良い方向に導く力を持っています。
 
どんな小さなことでも、一歩踏み出して伝えてみて、新たな可能性を開きましょう^^  

ワオ!と言っているユーザー

好きなものを好きと言った瞬間、流れが変わる

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好きなものを好きと言った瞬間、...
「自分の好きなことを言うのが、少し怖い。」  
 
「好き」という言葉を使うことに抵抗があったのかもしれない。

そんな気持ちを抱えていた。  
 
 
 
周りが流行を追う中、自分の夢中になっているものは、いつもなんだか違っていた。
 
 
「これが好き」
 
と言ったら、  

「そんなの興味ないよ」
 
と流されるかもしれない。  
 

「好きだね~」と笑われるかもしれない。  
 
だから、いつの間にか、自分の好きなものを表に出さない習慣ができていたような気がしている。  
 
 
他の人に笑われるという勝手な思い込み。
 
自分の中の「思考のクセ」が影響していたようにも思う。
 
「好きなものを話しても、理解されるかわからない」  

「共感が得られなかったら、自分だけ浮いてしまうかもしれない」  

そんな思いが、知らず知らずのうちに「対話へのブレーキ」になっていたんだろう。  
 
でも、本当にそうなのか?  
 
好きなことを夢中になって話すことのできる人を、羨ましく思っていたようなところもある。

「自分が好きなものを発信することは、場にエネルギーを生むのでは?」
 
その思いも、心の奥にはあった。  
 
 

雑談していた時のこと。
 
「好きなことは何?」
 
と聞かれた。  
 

ためらいながらも、思い切って答えてみた。  
 
「実は、これがすごく好きなんだ。」  
 
すると、相手の表情が変わった。  
 
 

「そんなの知らなかった。でも、なんか面白そうだね!」  
 
 
 
なんだかエネルギーの循環が生まれた感覚だった。  

否定されるのではなく、興味を持たれた。  
 
 
なんだかとても嬉しかった。
 

それだけで、場の空気がほどけ、対話の流れが変わったのを感じた。  
 
「好きなものを言葉にすることで、場が動き始めるんだ」  
 
そんなことを思った。
 
 
  
それからは、好きなことを好きと言ってみることを意識した。
 
しかし本当はまだまだ恥ずかしい(笑)
 
✅ 流行や評価に関係なく、自分の感覚を信じる
 
✅ 「こんなの好きだと言っても…」ではなく、「好きだから伝えよう!」

✅ 好きなものを話すことで、共感や対話のきっかけをつくる
 
 
すると、不思議なことに、たくさんのご縁が。
 
 
好きなものを言葉にするほど、それに興味を持つ人が現れ、新しいつながりが生まれていった。  
 
相手とエネルギーが一致したような感覚。
 

「好き」と言っただけで、場の流れが変わるんだ。  

それが、自分の中で確かな変化だった。  
 
 
 
  
好きなものを好きと言うことは、ただの自己表現ではない。  

それは
 
「場にエネルギーを生む選択」
 
であり
 
「場のエネルギーを高める合言葉」  
 
のような気がしてならない。
 
 
 
もし今、好きなことを言葉にするのをためらっているなら、まずは小さくでもいい。
 
「これ、好きなんだ」と伝えてみてほしい。  
 

そこから、新しいご縁が生まれるはずだから^^  

ワオ!と言っているユーザー

それは自分のフィルター?それとも自分の中の他人のフィルター?

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それは自分のフィルター?それと...
「なんだか最近、うまくいかない。」  
 
いや、なんだかずっとそんな感覚が続いていた。  
 
 
 
意見を交わしても、話がすれ違うことが増えた。  
良い案だと思っていても、どこか行き詰まる感じがあった。  
 

「自分は間違っていないはずなのに、なぜうまくいかないのだろう?」  
 

そんな思いが、心に重くのしかかる。  
 

いつの間にか「自分の視点だけで世界を見ていた」のかもしれない。
 
 
過去の経験、知識、価値観——それらがフィルターとなり
 
「こういうものだろう」
 
と決めつける癖がついていた。  
 
 
 
とはいえ
 
それだけだろうか。
 
 
これは本当に自分が見ている景色なのか。
 
自分にはない景色も、自分に取り込んではいないだろうか。
 
 
見える景色の色は?
 
それも自分のものなんだろうか。
 
 
 
いずれにしても、そのフィルターのせいで、新しい可能性を閉じていたんだろう。
 

そんな風に思った時、自分が見たい景色がどんなものか、わからなくなっていた。  
 
 
 
友人がふとした会話の中で言った。  

「それ、ちょっと視点変えたら面白いかもしれないよ。」  
 
 え?

「違う視点?でも、これはこういうものでは?」  
 
「なんじゃそりゃ」
 
そう思いながらも、試しに考え方を変えてみた。  
 

いつの間にか、知らず知らずのうちに、自分のフィルターなのか他人のフィルターなのか、それすらもわからず、考えもせずに存在していたようだ。  
 
「フィルターを外すことは難しいかもしれないけど、どんなフィルターで見ているのか、それを少し感じるだけでも、違う気がする」

その実感が、思考の転換点になった。  
 
 

それからは、意識的に自分のフィルターを外すことを試した。  

✅ 「これはこういうものだ」と決めつけず、一度『かもしれない』と柔軟に考える

✅ 違う意見が出たとき、まず否定するのではなく「その視点ではどう見えているのか?」と尋ねる
 
✅ 過去の経験だけで判断せず、「もし今ゼロから考えたら?」と問い直してみる 
 
それすらも、もしかしたら自分だけのフィルターではないのかもしれない。
 
自分の中にある他人のフィルターを通しているのかもしれない。
 
 
ただ
 
 
この習慣を続けるうちに、驚くほどアイデアの幅が広がり、何より、人との対話が楽しくなった。  
 

「こうかもしれない」
 
「ああいう見方もある」  

その余白があることで、会話にも新しい発見が生まれていった。  
 
 

世界を狭めているのは、環境ではなく、自分の思い込みかもしれない。  

だからこそ、一度フィルターを外してみるだけで、可能性が広がる。
 
 
フィルターを外しているようで、外れているかはわからない。
 
 
チャレンジしてみたようで、結局はいつも同じような服しか着ていない自分が、はたしてどこまでそれを実践できているかは、よくわからないが(笑)
それでもそれをやる価値は大きいと思う。 
 
 
 
もし今、考えが行き詰まっているなら
  
まずは「これは本当にそうなのか?」と問い直してみてほしい。  
 
「これは本当のボクの思いなのか」
 
「これは〇〇さんの思いに寄っているような気がする」
 
そして感じてほしい。
 
「ボクの思いのようだ」
 
「〇〇さんのフィルターがはいってるな(笑)」
 
 
そんな風に気軽でいいと思う。
 

そこから、また今と違う新しい世界が見えてくるはずだ^^ 

ワオ!と言っているユーザー

撒いた種は、たまには無理にでも花を咲かせにいこう~頑張りは自分で回収しにいこう~

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撒いた種は、たまには無理にでも...
「自分には何の取り柄もない」
 

「いつも叱られてばかりで価値のない自分」
 
 
 
 
 

何かに取り組んでも、うまく進まない。  
 
挑戦しても反応がない。
 

努力したつもりが全て空回り。
 

 
 
「自分のやっていることに意味はあるのか?」  
 
そう思う瞬間が増え、焦りばかりが募っていく。
 
 
 
 
 

 
 

周りを見ると、順調に成果を上げる人ばかりが目にはいる。
 

誰かの活躍ばかりが耳に届く。
 
 
その姿を見ては、自分の歩みがあまりにも遅く、もう進むことができなくなるんじゃないかと、そんなことを感じてしまうことばかりだった。  
 
 
 

  
「このまま続けても、本当に何か変わるのだろうか?」  
 
 
 
 
 
積み上げても、それが実を結ぶ保証なんてない。  
 
途中で投げ出したくなることもあった。  
 

たぶん
 

結果を早く求めるあまり「育てる時間」を信じることができていなかったんだと思う。
 
 
 
その焦りが、自分自身を追い詰めていたんだろうさ。  
 
 
毎年メモ帳を更新していたこともあって、昔のメモ帳を見返した。  
 
そこには面白いくらい、かつて苦しんだ日々の記録があり
 
 
 
「どうしたらよいものか」
 
 
 

そんな言葉がたくさん書かれていた。  
 
 
 

ただ、そのノートを眺めるうちに気づいたことがあった。  
 
 
 
「あのときの努力が、今の自分を支えている」
 
 
 

その小さな継続もまた、自分の「実力」
 

派手でなくてもいい。  
 

大きくなくても、強い影響なんてなくてもいい。
 
 
 

すぐには報われなくても、積み重ねたものは確かに形になっている。
 
 
「自分の頑張りが回収できる日」
 

は、その瞬間に訪れるのではなく、静かに育ち続けていたんだと、今はそう思う。
 

  
それからは、焦らず育てることを意識した。  
 
✅ 「結果をすぐに求める」ではなく、「育てる時間を信じる」
 
✅ 「今の努力が何になるかわからない」ではなく、「何かの形になるまで待つ」
 
✅ 「急ぐ」のではなく、「積み重ねることを楽しむ」
 
 
 
 

簡単なことではないが、そうやっているうちにたくさんの仲間ができ、ひとりでは経験できないことが、たくさんやってきた。
 

嫌々やっていたことが、不思議と気持ちが軽くなり、徐々に目の前のことに集中できるようになった。
 
 
 
急がず、焦らず、ただ続ける。  
 
 
 
その時間が、未来にちゃんとつながることを確信したのかもしれない。  
 
 
 

よくわかっているようでわかっていないのが
 

努力は、すぐに結果を出すものではない。  
 
 
 
 
 
それは、
 

「静かに積み重ね、やがて育つもの」
 

なんだろう。
 
 
 

今、すぐに報われなくても、その時間は確かに未来へとつながっている。  
 
 
 
だからこそ、焦らず、急がず、ただ信じて積み上げていってほしい。  
 

いつか回収できる日が必ず来る。  
 
 
 
その日を迎えるために、今の歩みを大切にしていこう。
 
 
 
ひとりじゃないよ。
 

一緒に歩もう^^
 

ワオ!と言っているユーザー

小さなことでも大切にしているひとつのことを貫き通す

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小さなことでも大切にしているひ...
人が何かを貫き通すことには大きな意味があると思っています。
 
 
それがどんなに小さなことであっても、自分の信念や価値観を守ることは、自己の確立や、相手との信頼の構築につながっていくことを実感しています。
 
 
そして、その積み重ねがやがて人生に大きな変化を生み出してくれているのを、今確信しています^^
 
 
 
自分の考えや信念を貫き通すことは、「自分はこれを大切にしている」という認識を強め、自分自身を肯定する気持ちを高めてくれます。
 
小さな行動の積み重ねが「私は自分自身を信じることができる」という確信へとつながっていくんでしょうね。
 
 
  
また、自分の価値観に忠実であることは、他者に対しても誠実な姿勢を示すことにつながっているような気がします。
 
その人らしい一貫した行動を取ることで、「この人は信頼できる」と感じてもらえることにつながり、一緒に取り組む機会も増えていきます。
 
結果として、人間関係の質が向上し、チームやコミュニティの中でより良い役割を果たせるようになっていくような気もしています。
 
 
さらに一貫して行動することは、習慣の確立につながります。
 
そして、習慣が継続されることで、それがやがて大きな成果を生むことになります。
 
 
 
たとえば
 
毎日少しでも学ぶ習慣を持つことで、長い時間をかけて専門的なスキルを身につけることができます。
 

絵を描くのが好きな人がいたとして、「毎日必ず10分間は絵を描く」と決めたとします。
最初は小さなことでも、それを続けることで技術が向上し、表現の幅が広がっていきます。
周囲からも「絵を描くことに信念のある人」と認識され、やがて仕事の機会が増えたり、尊敬を集めることにつながるかもしれません。
 
また、仕事においても、たとえば「顧客第一の精神を貫く」という信念を持つ経営者のもとでは、その姿勢が企業の信頼につながり、長期的に顧客の信頼を得ることができると私は感じています。
 
一貫した価値観の実践は、個人のみならず組織においても非常に重要な要素になりますね。
 
 

どんなに小さなことでも、大切なことを貫き通すことは、自己肯定感の向上、信頼関係の構築、そして長期的に理想の実現につながります。
 
たとえそれが些細な行動であっても、積み重ねることで大きな影響をもたらしてくれます。
 
 
 
何かを貫くことの大切さを忘れずに、日々の行動に落とし込んでいきたいですね^^!

ワオ!と言っているユーザー

過去の苦しみに意味を持たせる

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過去の苦しみに意味を持たせる
「もう限界かもしれない」  

そう思ったことが、何度もあった。  
 
 
 
必死に頑張ったのに報われたような結果も、感覚すらも感じられない日々。  

どれだけ努力しても、思うような結果を作ることのできなかった時間。  
 
虚しい。
 

気づけば、自分の心がすり減っていくのがわかった。  
 
 
「いったい何のためにこんなに苦しんでいるんだろう?」  
 
「自分て、何したかったんだっけ」
 

その思いが、何度も頭をよぎった。  
 
  
苦しんだのに、それが何にもならないような気がしていた。  
 
 
どこに向かっているのかさえ、わからなくなりかけていた。
 

「この経験に意味はあるのか?」  

「ただ傷ついただけじゃないのか?」  

そんな思いが、過去を振り返るたびに押し寄せてくる。  
 
 
でも、立ち止まって考えた時、感じていることもあった。  
 
 

(この痛みを知っているからこそ、誰かの痛みをわかってあげられるのでは?)
 
 
 
悩んでいる後輩の話を聞いたことがあった。  
 

その内容は、かつての自分の苦しみとそのまま重なった。  
 
 
「この気持ち、すごくわかるよ。」
 
「ボクもそうだった」 
 

そう言った瞬間、相手の表情がほっと和らいだのと同時に、ボクの心も和らいだ。  
 
そのとき、思ったことが

(過去のすり減った時間は無駄じゃなかった)
  
(それは誰かの気持ちを理解できる力になっていたのかも)
 
 

それからは、過去の経験を違う視点で考えてみた。  

✅ 「無駄な苦しみ」ではなく、「誰かの背中を押す知恵」として活かすことにつなげていこう 

✅ 自分が乗り越えた方法を、言葉として整理して、誰かの力に変えられるようにしよう
(伝えることで、自分自身の意味付けが変わる気がした)  

✅ 「苦しんだ分だけ、深く人を理解できる」ということを強みにして受け入れる
 
すると、これまでただのポンコツだった自分が
 
「誰かのために役立つ経験」の持ち主へと変わり始めた感じがした。 
 
 
  
心をすり減らした経験は、決して無意味ではない。  

それは
 
「誰かの気持ちを本当に理解できる力」になっている。  
 
 
もし今、過去の苦しみが思い出されるなら、その経験が誰かを救う日がくることを、少しだけ信じてみてほしい。
 
 
自分の歩んだ時間は、自分の未来だけではなく、確かに誰かの未来にもつながっていることを、多くの人に実感してほしい。  

ワオ!と言っているユーザー

言葉の選び方が未来を広げる

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言葉の選び方が未来を広げる
「無理かも」
 
「できそうにない」  

考える前からそう思うことが増えていたような。  
 
 
 
話題が出るたびに、「今の自分には難しい」と感じてしまう。  
 
 
たぶんそう考えるのが楽だったんだろうさ。
 

結果、やる前から一歩引いてしまい、挑戦の機会が減っていった。  
 
 
 
周囲が次々と成長していくのを見ながら、自分だけ立ち止まり続けているような気がしていた。  
 
 
 
 
「できない」と言うことで、自分を守っていた。  

無理に背伸びして失敗するくらいなら、最初から慎重でいたほうがいい。  

そう思い込むほど、どんどんどんどん可能性が閉じていっているのを、肌で感じていた。  
 
 
とはいえ、うっすらと
  
(本当にできないの?)
 
と自分に問いかけている自分がいることも、自分ではわかっていた。
 
それを遠くへ追いやっていたのもまた、自分なんだ。
 
 
 
試す前から決めつけることで、自分が進む道を狭めていたのではないか?  

その疑問が、ずっと頭から離れなかった。  
 
 
とあるタイミングがやってきた。
 
 
苦手だと思っていたことを担当する機会が巡ってきた。  
 

「できません」と言おうとしたが、どうしたわけかその時は少しだけ考えた。  
 
 
 
もし、「やります」と言ってしまったら?  
 
 
 
その瞬間、不思議と選択肢が増えた気がした。  

断ることで終わるのではなく
 
(挑戦することで新しい方法を探せるのでは?  )
 
結局、「やってみます」と答えた。
 
あれ?どうしたんだろう。
 
その後はひたすらに目指すゴールをイメージして、工夫しながら準備を進めた。  
 

結果は、予想以上にうまくいった。  
 
その瞬間、少しだけ気持ちが切り替わる感覚がした。  
 

「できない」
 
と言わなかったことで、できるを育てる機会が生まれたような。
 
 

それからは、「できない」と言う前に、別の言葉を選ぶようにした。  

✅ 「どうすればできるか?」と、方法を探す癖をつける  

✅ 「今はできないかもしれないが、工夫次第で可能性がある」と考える  

✅ 「試してみます」と言い、少しでも行動に移す  
 
その小さな変化が、挑戦の幅を広げていった。  
 
 
それだけは間違いない。
 

そしてもうひとつ気づいたことが
 
人は、できることではなく、挑戦したことによって成長する、ということ。
 
 
  
「できない」と言わないことは、無理をすることではない。  

それは、「可能性を閉じない」という選択なんだと思う。  
 
試す前に「無理」と決めるのではなく、『どうすればできるか?』と考えてみる。  

すると、できる世界が広がるはずなんだ。  
 
もし今、「難しい」と感じていることがあるなら、その言葉の代わりに
 
「まずは」
「少しだけ」
「やってみよう」
 
と一度だけ言い換えてみてほしい。  
 

そこから、新しい何かが生まれるから。  

ワオ!と言っているユーザー

収入額で閉ざす未来よりも選択で切り拓く未来を

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収入額で閉ざす未来よりも選択で...
「未来は、収入額のみで決まるわけではなく“選び続ける力”で切り拓く」
 
 
常にそんな気持ちで今日も生きる、底辺福祉職サラリーマンのボク(笑)
 
 

「もっと稼げるようになったら、理想の暮らしができる!」  

仕事に熱意を持って取り組んでいたあの頃のボクは、そう思いながら日々働いていた。  
 
 

でも、手取りは決して多くなく、思い描く生活にはほど遠い。  

「いまの収入では、理想には届かないのか?」  
 

そんな気持ちが、どこかで重くのしかかっていた。  
 
 
そして今も重々しくのしかかっているのよね(笑)
 
 
  
収入が増えない現状のままで、「どう理想に近づいていったらいいのか」がわからなかった。  
 

「もっと稼げたら」
 
「お金さえあれば」
 
そう考えては、行動を止めてしまう。  

でも、ただ待っているだけでは何も変わらない。  
 
 
そんなジレンマを何年も何年も抱えていた。
 
 

そんな中でも、ボクの内側にある小さな火種が
 
「手元の限られた選択肢の中で未来へ進む方法は、はたして本当にないのか?」

心の中で問いかける。  
 
 

漠然とした自分とは違う、キャリアを真剣に考えながら生きてきた先輩から言われた言葉が胸で波打つ。  
 
 
 

「大事なのは額じゃなくて、その使い方(守り方)と積み重ね方だよ」
 
 
 
あの頃は、その言葉を聞いてもイマイチ理解できない自分がいた。
 
 
それが今なら
 
たしかに収入が少なくても「今の選択」を理想に寄せていくことはできるのではないか?  
 

そして、「選び続けることで、未来は自然と形になっていく」のではないか?
 
 
そう思えるようになってきた。  
 
 

それからは、お金と暮らしの使い方を見直した。  
 
 

✅ 「収入が増えたら始める」ではなく、「今できる範囲で未来に近づく選択」をする  

✅ 小さな積み重ねを数字で見える化し、「成長を実感できる仕組み」をつくる  

✅ 貯めるだけでなく、「未来のために必要な投資」として使う場面を意識する  
 
 
そうすることで、少しずつ「収入に縛られない未来設計」が見えてくるようになった。  
 
 
とはいえ、未だに朧気に(笑)
 

手元の額に関係なく、選択は「理想の方向へ進むことのできる力」になる。  
 
できない、ではなく「できるように」進んでいくこと。
  
未来は、稼ぐ額も間違いなく大事であるうえで、「どう積み上げるか」によって形になるような気がする。
 

収入を待つのではなく、今できる選択を積み重ねることで、未来が動き出すのをリアルに感じることができる。  
 

お金を理由に動けないのではなく、今の一歩が未来を決めるんだ。  
 

その視点を持った瞬間から、理想の暮らしはすでに始まっていると思ってもいいと思う。
 
今できることは確かにある。 
 
選択で未来を切り拓こう。

ワオ!と言っているユーザー

疑わず素直に受け止めてみる

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疑わず素直に受け止めてみる
ただ受け止めてみるだけ。
 
そうしたら世界が変わった。
 
 

「本当にそうなの?」  

そう思わずにはいられなかった。  
 
誰かが話すたびに
 
 
「それは正しいのか?」
 
「根拠はあるのか?」
  

慎重に物事を見極めるのは大事だ。  
でも、そのせいで誰かの言葉を素直に受け取ることができていなかったんだと思う。  
 
 
 
気づけば、なんだか自分の世界は「検証」ばかりで埋まっていた。  
 
 
 
  
「納得できないと、受け入れられない」  

それが習慣になっていたのかも。  
 
 
誰かの助言も、好意も、まず疑う。  

「信じて傷つくより、最初から距離を置くほうが安全だ」
 
と無意識に思っていた。  
 
 
でも、あるとき感じた。
 

確かに傷つくことは少ないかもしれない。  

でも、心が動く瞬間も、誰かの想いに触れる機会も、自分から閉ざしていたのではないか?  
 
 

とある友人が、ふとこう言った。  

「君と話してると、ジャッジされてる気分になるんだよね」  
 
その瞬間、時間が止まるような感覚になった。
 
 
自分が「考える力」だと思っていたものが、「誰かの言葉を受け止める力を奪っていたんではないか」と。
 
誰かのお心遣いを粗末にしていたんじゃないかと。
 
  
 
その日、自分にひとつ決めたことがある。  
 

「疑う前に、一度まっすぐ受け止めてみる」 
 

次の会話の機会で、試してみた。  
 
 
誰かが話すとき
 
「それはどうなんだろう?」
 
ではなく
 
「この人は今、こう思っているんだ」と捉える。  
 
 
 
すると、不思議なことが起きた。
 
 
頭の中で「判断する声」が静まり、相手の表情や言葉のニュアンスが見えてくる。  
 

ただ聞くことで、初めてわかることがあるのだと知った感じがした。  
 
そうやって、受け止めることに意識を向ける日々が続くうちに、気づいた変化がある。  
 

対話が深まる。  

関係がほどける。  
 
「考える」よりも、「感じる」ことが増える。  
 
 
疑わずに受け止めることは、思考を止めることではなく、相手を信じることで、自分の世界を広げることだったんだ。
 
 

何も疑わずに受け止めることは、無防備になることではないんだ。  

それは、まず「今ここにある言葉や感情を、ちゃんと受け取る」という選択なんだと思う。  
 
もし、すべてを見極めようとしているなら
 
その前に、「ただ、聞いてみる」という方法を試してみてほしい。  
 
信じてみたことでしか生まれないものが、たしかにあるんだ。  

ワオ!と言っているユーザー

Ⅱ.嫌われてもまぁいっか 伝えることで生まれる誤解より伝えないで生まれる距離の深刻さ

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Ⅱ.嫌われてもまぁいっか 伝え...
もしも
 
「伝えないことで失うもの、伝えることで得るもの」
 
があるとしたら。
 
 
 
  
「まあ、このくらいなら言わなくてもいいか」  

そう思うことが増えていた。  
 
 
違和感を覚えても、空気を壊したくなくて黙る。  
 
必要最低限さえも言わない。
 

誰かに言いたいことがあっても、角が立つのが嫌で流してしまう。  
 

気づけば、心の中に「伝えそびれた言葉」がどんどん溜まっていく。  
 

それは、いつか消えると思っていた。  
 
でも、消えなかった。  
 
消えたものもあるけど、消えずにふくらむものもたくさんあった。
 

そして
 
言わなかったことが積もるほど、自分が自分でなくなっていくような気がした。  
 

「言うべきか、言わざるべきか」  

その選択のたびに迷い、言えなかった自分にモヤモヤする。  
 
人間関係を守るために沈黙したはずが、その沈黙が逆に距離を生んでいるのではないか?  

そんな疑問が心の隅にわだかまる。  
 
 
でも、正直に言ったら嫌われるかもしれない。  
 

関係が壊れるかもしれない。  
 

そう思うと、喉の奥に言葉がひっかかったまま動けなくなった。  
 
 
喉が乾くのは、飲み物がほしいだけとは限らない。
 
 

「どう思う?」
 
と視線を向けられたことがあった。  
賛成とも反対とも言えない案だった。  
 

でも、何かが引っかかっている。  
 
いつもの自分なら、「まあ、大丈夫です」と濁す。  
 

けれど、その瞬間ふと考えずにいられなかった。  
 
 
……もし、誰も何も言わなかったら、どうなる?……
 
 
このまま進んでは、あとで後悔するかもしれない。  
 

それなら、「何か」は言うべきじゃないか?  
 
 
 
「少し気になっている点がありま
す」
 
 
と、いつもより深く息をして言葉を出した。  
 
少しだけ声が震えていたような気もする。
 
心拍の高鳴りを感じる。
 
頭は真っ白に近かった。
 
 

場の空気がすーっと静まった。
 
 
 
誰かが
 
「自分も思っていた」
 
と続けた。  
 
 

その瞬間、気づいた。  
 
言葉に出してもなかなか伝わらないのに、言葉を出さなければ、本当に誰にも伝わらない。  
 

だからこそ、言葉に出したことで生まれるものがある。
 
 
それが、はじめてストレートに言葉を投げた瞬間だったかもしれない。  
 
 

それからは、できる限り自分の言葉でストレートに伝えることを意識した。  
 
文法なんてクソ喰らえ。
 
接続がめちゃくちゃだろうが気にしない。
 
会話の展開法なんて考えていたら気持ちなんて伝えられない。
 
自分の真意は
 
感情は
 
自分と相手に対する敬意を最上位に置いて
 
「私はこう感じています」  
「こういう可能性もあると思います」  
 
単なる批判ではなく、視点を共有することを大切にした。  

最初はぎこちなかったが、少しずつ場の空気が変わっていったように感じた。
 
 

そして、自分の言葉が相手の思考のきっかけになることがあることも知った。  
 
 
 
伝えることで、関係がより深くなる瞬間を何度も経験できるようなった。  

気づけば、「嫌われるかどうか」ではなく、「素直に思いをに届けられているか」が基準になっていた。  
 
 

伝えなかったことで、後悔することがある。  
 
いや、伝えなかったことで後悔したことばかり浮かぶ。
 

伝えたことではじめて生まれる関係がたくさんあった。
 
 
言葉は、自分を守るためではなく、「自分と相手と本当に向き合うため」にあると思っている。  
 
 
もし今、言いたいことを飲み込もうとしているなら、  それが「恐れ」からなのか、「敬意」からなのか、問い直したい。  
 
素直に、ストレートに。  

そこから、本物の対話を楽しんでいきたい。  

ワオ!と言っているユーザー

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