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人間くさくていい

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人間くさくていい
「人間くさい」
 
AIが浸透してきたのを実感するこの頃。
この言葉が妙に心に刺さる。
 
「自分らしさ」
 
によく似た、そんな印象。
 
同じようで違うような、そんな感覚。
 
 
「人間くさい」
 
そこには感情があり、矛盾があり、揺らぎながらも誰かと関わろうとする『生きた存在』を表す言葉のようにも思う。  
 
 

毎日の中で、ついつい正しさや効率、スマートさを求められ、自分の『人間くささ』を隠そうとすることがある。
 
けれども、人間くさくいることは、自分の弱さや未完成さを否定せずに、そのまま抱えて生きるという、静かな勇気の表現にも思える。
 
 
 
 
人間くさくいるとは、感情を持っている自分を否定しないことなんだろう。
 
 

誰かに嫉妬してしまう
 
落ち込む
 
焦る
 
泣きたくなる
 
 
 
そうした感情を「未熟だから」と切り捨てるのではなく、「それも自分だ」と受け止めてみる。  
 

それは、感情に振り回されることとは違う。
 
むしろ、感情を丁寧に言葉にし、扱えるようになることで、自分の内面との信頼関係が深まっているように思う。
 
人間くささを許すことは、自分の感情に居場所を与えること。
 
 
そしてそれは、他者の感情にも寛容になれる土台をつくってくれている気がする。
 
 
人間くさくいたいという願いには、「完璧じゃなくても、誰かと関わっていたい」という想いも込められているんだろう。
  
 
うまく言葉にできないまま誰かに頼ること
 
失敗を認めて謝ること
 
照れながらも感謝を伝えること
 
それらはすべて、不完全な自分をさらけ出す勇気があってこそ。
 
人間くささとは、「弱さを見せられる強さ」でもあるんだろう。
 
 
ただ、それがあるからこそ、関係性は深まり、信頼が育つ。  

「ちゃんとしていない自分でも、ここにいていい」と思える場所をつくること。
 
それは、自分にも他者にも優しい世界をつくる第一歩になる。
 
 
 
人間くさくいることは、効率や成果だけでは測れない「生きることの味わい」を大切にすることでもある。  
 

遠回りしてしまった経験
 
言い過ぎて後悔した夜
 
誰かの一言に救われた瞬間
 
 
そうした出来事の中にこそ、人間らしい温度や物語がある。
 
 
完璧さを求めるあまり、人生が『正解探し』になってしまうと、そこには余白がなくなってしまう。
 
 
でも、人間くさくいることを許すと、失敗も迷いも、すべてが『生きている証』として意味を持ち始めるの。
 
 
それは、人生を丁度よく「整える」ことではなく、「味わう」ことへの変換でもあるのような気もしている。
 
 
 
「人間くさく居たい」という願いは、自分の弱さや揺らぎを否定せずに、誰かと共に生きていこうとする姿勢だ。
 
 
それは、完璧さを手放し、感情を抱きしめ、不器用なままでも関係を築こうとする、静かな強さ。  
 

そしてその在り方は、他者とのあいだに温度を生み、信頼を育て、人生に深みを創ってくれる。
 
人間くささを恥じるのではなく、それを『生きている証』として大切にしてみる。
 
 
そのまなざしが、言葉や行動に温かさと真実味を宿してくれるのだと思っている。

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