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つまずいても大丈夫

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つまずいても大丈夫
『レジリエンス』という言葉を学んだ。
 
回復力、復元力といった自然的治癒力。
 
逆境や困難を乗り越える力。
 
そして
 
誰もが備えている力。
 
「折れない強さ」というニュアンスで訳されていることが多いイメージだが、「折れても大丈夫」というところまで含められているような気もしている。

また
 
レジリエンスは「回復力」や「しなやかさ」と訳されることがあるが、それは決して『無傷でいるための強さ』ではない、と思っている。
 

むしろ
 
傷つきながらも、少しずつ自分の力で立ち上がろうとする力
 
それが『レジリエンス』なんだと思う。  
 
 

悲しみ
 
失敗
 
不安
 
喪失
 
 
 
人生の揺らぎの中で、私たちは何度も立ち止まり、迷い、傷ついてきた。
 
けれども
 
そのたびに、自分なりの方法で呼吸を整え、言葉を見つけ、また前を向いてきた。
 
 
「自分の中にある」レジリエンスとは、その過程すべてを肯定する『生きる力の記憶』といえるような気がする。
 
 
 
 
レジリエンスは、過去の困難を「うまく乗り越えた」ことからしか生まるというわけではないとも思う。  
 

むしろ
 
「あの時は苦しかった」
 
「できないことばかりだった」
 
と思える経験の中にも
 
自分なりに持ちこたえた瞬間
 
助けを求めた勇気
 
涙をこらえた時間
 
忘れられがちになるが、そうした中に『微細な力』が宿っているんだと思っている。
 
 
たとえば

・誰かに相談できた  
・休む選択ができた  
・感情を言葉にできた  
・ 小さなことに笑えた  
 
些細なことかもしれないが、これらはすべて、「自分が自分の味方でいられた瞬間」なんだ。
 
 
その記憶を丁寧にすくい上げることで、「自分の中にも、しっかりとしなやかな力がある」と気づくことができる。
 
 
 
自分の中にあるレジリエンスとはいえ、その力は他者との関係性の中で育まれることが少なくない。 
  

誰かに話を聴いてもらえたとき
 
自分の存在を肯定してもらえたとき
 
寄り添ってくれる人がいたとき
 
  
そうした経験があることで、私たちは「自分はひとりではない」「また立ち上がれるかもしれない」という『関係性による回復』が生まれ、そしてそんな瞬間が実は今までたくさんあったことに気づかされる。
 
 
だからこそ
 
自分のレジリエンスに気づくためには、「誰との関係が、自分を支えてくれたか」「どんな言葉が、自分を励ましてくれたか」を思い出すことが有効なんだ。  
 

それは、自分の中にある力と誰かとのつながりが共鳴して育ったレジリエンスといえるのかもしれない。
 
 
 
レジリエンスという言葉に、「完全に立ち直ること」「常に前向きでいること」などのイメージを重ねてしまうことがあった。  

でも
 
本当のレジリエンスは、常に揺らぎながらも、自分なりに選び直す力のことを指すような気もする。  


 
「今日は休む」
 
「涙が出るままに泣いてみる」
 
「無理せず話せる人を探す」
 
そうした選択のひとつひとつが、自分だけの回復力の表現であり、自分に対して誠実な実践方法なんだと思う。
 
そう考えると
 
レジリエンスとは完成された回復ではなく、その過程にいる『自分を否定せずにいられる力』もレジリエンスなのかもしれない。
 
 
「自分の中にあるレジリエンス」に気づくことは、傷ついた過去を否定するのではなく、そこに力が宿っていたことを丁寧に見つめ直すことなんだろう。
 
 
その力は、完璧さでも、強がりでもなく、揺らぎながらも選び続けてきた「自分だけの営み」。  

そしてそれは、自分を整える力であると同時に、誰かに寄り添うときの足場にもなる。
 
ただの回復力ではなく、  

「自分の弱さを扱う力」
 
「困難の中でも選べる力」
 
「再びつながり直す力」
 
回復するまでの過程そのものがレジリエンスで、それは全ての方が備えていて、そしてこれまでの経験の中に確かに息づいているように感じる。
 

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