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ギター余話

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「中尊寺」日帰り旅情編・・・(22)

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等身大であるという話を聞きまし... 等身大であるという話を聞きましたが、
ハッキリしたことは分かりません・・・。
事実だとすればそれほど小柄な人ではないですね。

石碑の文字は判読できないですね... 石碑の文字は判読できないですね。
年月を感じさせます・・・。

なかなか忙しくていっぺんにアップができないですねぇ・・・。
小刻みアップで時間がかかってしまってます・・・。

松尾芭蕉像です。
中尊寺には松尾芭蕉の句碑が似合いますね。
この日は「奥の細道」のことが書いたるようです。
かなり薄くなって判読できないですが・・・。

この有名な句を芭蕉が詠んだなんと、
57年後の1746年にこの芭蕉句碑建てられました。
年代的には江戸時代ということになります。
薄くなるわけですね・・・。

源義経が平泉に自害し、
奥州藤原氏が滅亡して500年目にあたる元禄2年(1689)、
松尾芭蕉は門人の曽良と2人、
「奥の細道」の旅に出ます。
芭蕉46才、曽良41才の春です。
江戸を発ってから44日後の5月13日、細道のはて平泉を訪れた芭蕉は、
まず義経公の居館があったと伝えられる高館の丘陵にのぼります。
丘の頂きに忽然とあらわれるのは、
束稲山のふもとに悠然と横たわる北上川と、
それに合する衣川。
そこには往時の栄華はなく、
旧跡は田野となってひろがっているばかり・・・。

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集団的自衛権容認を閣議決定の日。

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今日、歴代内閣の憲法解釈を覆して、
集団的自衛権の行使容認が閣議決定!!
安倍さんの戦前の大日本帝国回帰が成功した瞬間ですね。

国民の生活と安全を守るため・・・。
そんな似たような言葉で太平洋戦争に突入したんですよね。

必要最小限の武力を使って・・・。
必要最小限の武力って誰が決めるわけですか・・・。
核を使う手前までの武力も必要最小限と言えばそうなりますね。

戦争に駆り出される自衛隊員が、
これをきっかけに辞めたがってる隊員がいるそうな・・・。
徴兵制を復活させるからやめても無駄って安倍さんはいいたそう。
そのうち現実に復活せざるおえないでしょう。
国民の義務として・・・。

もう決まったことだからこれを覆すのは難しい・・・。
自民党に票を入れた子供、孫が戦争に行く可能性が出てきたわけですね。
自民党がクーデターを起こしてこれを決めたわけでもないですからね。
選挙で選ばれて今回の集団的自衛権行使を決めたわけです。
選挙で自民党に入れた選挙民の責任は重いですね。
自分たちが戦争に駆り出されることに賛成なら問題なし。

今日が国の戦争参加を可能にした記念日になりそうです。
岸伸介からの願望を具体化した安倍さんは英雄になるのかも・・・。

このことで一番喜んでるのはアメリカです。
日本の軍事力も手ごまで使えるようになったわけですから・・・。
沖縄に基地を提供してしてもらってしかも軍事力も使えるというのは、
アメリカにとっては実に美味しい話ですよね。
アメリカは中国に負けず劣らずの覇権国家ですから・・・。
安倍さんのアメリカに対しての手土産ですかね。

自分自身は兵隊に引っ張られることはなさそうですが、
娘の子供たちはありそうな話です・・・。
これを決めて政治家のおじさんたちは、
後方で左うちわだからなぁ。
決めるだけ決めちゃえば楽チンなんですよ。
どのみち子供達にとっては大変な世の中になりそうだなぁ・・・。

太平洋戦争を戦った父親は生きていたらなんというかな・・・。
ちょっと聞いてみたい気はする。

ちょっと考えたことを書き記しておきます・・・。
#政治 #歴史 #環境 #社会 #経済

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「中尊寺」日帰り旅情編・・・(21)

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「経蔵」です。 いい形をしてま... 「経蔵」です。
いい形をしてますね。
歴史を感じさせる建物の一つです。

よく写ったという感じですが少し... よく写ったという感じですが少しわかりにくいので、
下に雑誌の写真を載せておきます。
「騎師文殊菩薩像」です。


両サイドの像はなく、 真ん中だ... 両サイドの像はなく、
真ん中だけの像が安置されてるみたいですね。

脇にある説明板がかなり古く文字... 脇にある説明板がかなり古く文字がはっきりしないのですが、
「天満宮」という文字と、
「観世音菩薩」が祀られていると書いてあります。
ほとんど読めません・・・。

「経蔵」は「中尊寺」の境内にある間口3間、
屋根は宝形、金属板葺き建物です。

「中尊寺金色堂」のそばに建つ「経蔵」は、建武4年(1337)の火災で
その二階が焼失、後々修理を重ねて現在は銅板単層の建物となりました。
現在の建物は平安時代の古材を使った鎌倉時代に
造られたものとされ、案内板によると創建時の経蔵は、
「供養願文」には「2階瓦葺」とああります。

当時の文化を伝える数少ない建物の一つで、彩色などは、
剥げ落ちていますが、金色堂とは異なった趣があります。
本尊は「騎師文殊菩薩像」

「経蔵」は国重要文化財に指定されています。

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ジョギング記録・・・(88)

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前回から中一週あいてのジョギング。
先週は仕事だったのか走れなかった・・・。

l今日は頑張ってとにかく仕事を済ませて、
なんとかジョギングに出発。

それにしても足り始めはやはり足が重い。
コンスタントに走れてない影響です。
それでもしばらく走ってると足も軽くなってきて、
ゆっくりながら調子よく走ることができるようになる。

往路はなかなか調子がよく、
30分ながら前回より一つバス停を伸ばして、
「虹ヶ丘小学校前」まで25分で到達。
ひとつ遠いバス停までで25分は、
スピードが結構出いたということだ。

しかし、その反動かどうなのか、
復路では結構苦しくなってしまって、
長~~い「極楽坂」の登りでは結構苦しかった。
この坂は坂の終わりが見えないので余計厳しい・・・。

この坂をすぐ下ると「地獄坂」
この坂はかなりの急坂だが終わりが見えるので、
結構な急坂ではあるが苦しくても登り切れる・・・。

この二つの坂を上るとほとんどスタミナは残っていず、
最後はかなりヘロヘロになってしまった。
バテたね・・・(*_*;


往路 「虹ヶ丘小学校」バス停まで 25分

復路 35分

最後の「だまし坂」の往復はなし・・・。

#スポーツ

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「中尊寺」日帰り旅情編・・・(20)

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これも痛みが激しいですね。 石... これも痛みが激しいですね。
石碑のほうは判読できなくなってます・・・。
パンフレットに載ってなく、 行... パンフレットに載ってなく、
行ってみないと分からないところですね・・・。

松尾芭蕉の「奥の細道」有名な句がありますね。

中尊寺にちなんだこの句が有名で、
句碑になってました。

>五月雨の降り残してや光堂<

俳句を少しかじってるわたくしも、
一句ひねってみたいのですが、
もう一つ才能がなくダメですね・・・。

陛下が昭和45年、岩手国体の時に、
金色堂をお尋ねになった時に、
読まれたお歌が歌碑になってました。

これらはパンフレットにも載ってないところです・・・。

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「中尊寺」日帰り旅情編・・・(19)

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コンクリート造りのがっしりした... コンクリート造りのがっしりした造りです。
比較的屋根が低いんですね・・・。


こちらのほうがしっかり写ってま... こちらのほうがしっかり写ってますね。
写ってるのは出口がです。
いい形なんですね・・・。

古くて今にも崩れそうです・・・... 古くて今にも崩れそうです・・・。
年月を感じさせます。

結構大きなお地蔵さん・・・。 ... 結構大きなお地蔵さん・・・。
金色堂の入り口の横にありました。

「金色堂」を収めている新覆堂です。
それほど大きなものではないですが、
コンクリート造りのしっかりした建物ですね。

撮影した写真だとよく分からなさそうなので、
パンフレットの写真もアップしておきます。

いかにも古そうな「鐘楼」です。
そうはいってもなんだか言い方は悪いですが、
古いトイレのようです・・・。

「新覆堂」の入り口そばにあるお地蔵さん・・・。
卒塔婆の藤原四代というのだけ読めますが、
あとは分からないですね。

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「中尊寺」日帰り旅情編・・・(18)

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書かれてる文字もかなり判読は厳... 書かれてる文字もかなり判読は厳しいです。
タイトルだけはかろうじて分かりました。
文字は賢治自筆の文字ということです。
詩碑をアップしてみましたが、 ... 詩碑をアップしてみましたが、
やはり文字の判読は難しいですね。
金色堂の周辺にはいろいろあるんですね。
写真に写したものを少しアップしていきます。

宮沢賢治の詩碑があります。
タイトルは「中尊寺」と書いてありますが、
内容は難しいです。
とりあえず書かれてる詩をアップしておきます。

>七重の舎利の小塔(ことう)に 蓋(がい)なすや緑の燐光

大盗はぎんのかたびら おろがむとまづ膝だてば 赭(しゃ)のまなこたゞつぶらにて

もろの肱映(ば)えかゞやけり 手(た)触(ふ)れ得ね舎利の宝塔 大盗は禮(らい)して没(き)ゆる<

詩碑の文字は宮沢賢治自筆のものを、
約二十倍に拡大して謝したもので、
金色堂建立八百五十年を記念し、
昭和三十四年に建てられたものです。

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「中尊寺」日帰り旅情編・・・(17)

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これは実際に見るとこういう写真... これは実際に見るとこういう写真とは全く違います。
驚くべき細工と豪華さです。
実際の金色堂は横幅広く、
カメラに全景は写せません・・・。
このパンフレットの写真も両サイドは切れてます。

斜め横からですね。  ... 斜め横からですね。
 
本尊の阿弥陀如来です。... 本尊の阿弥陀如来です。

藤原三代目秀衡の復元図です。 ... 藤原三代目秀衡の復元図です。
源義経との因縁深い人物ですね。
身長は165センチくらい・・・。
死因は脳塞栓などらしい・・・。
50歳~60歳くらいの死だったということです。

いよいよメインの「金色堂」に行きます。
新覆堂の中に収められてるので外からは見えません。
少しワクワクしながら中に入りました。

「金色堂」と拝観する場所は仕切られていて、
写真を撮ることも禁止されてます。
パンフレットや雑誌の写真を載せておきます。

それにしてもこの螺鈿の細工には驚嘆しました。
修復があったとはいえ元があったわけで、
そのもとの細工をした職人の技は考えられないほどすごい!!

隅々まで細工がされており、
金色に輝く仏像が並んでます・・・。

金色堂のとこちらは仕切られてるわけですが、
なんだか金色堂のある空間との空気感が、
まったく違うのが感じられました。
こちらより圧縮された感じがするのです。

800年前に作られたとはとても思えない美しさです。
修復されて綺麗になってるとはいえです・・・。

まったくとんでもないものを作ったものです。

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「中尊寺」日帰り旅情編・・・(16)

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行った時期が5月だったので、 ... 行った時期が5月だったので、
まだ葉も出てなくて何だろうと思いました。
「中尊寺ハス」が栽培されてたんですね。
鮮やかな赤でビックリ!! 即撮... 鮮やかな赤でビックリ!!
即撮影です!!


「讃衡蔵」ですが、 建物が横に... 「讃衡蔵」ですが、
建物が横に大きくて正面からはカメラに入らなかったです。
宝物館なので中では写真は禁止でした(当然ながら)
金字の立派な看板です。... 金字の立派な看板です。
「讃衡蔵」の前の広場です。 新... 「讃衡蔵」の前の広場です。
新緑が綺麗で驚きました・・・。
昼食を済ませて、
いよいよ「中尊寺金色堂」を目指してトボトボ歩いていると、
なんだか植物を栽培しているところに遭遇。
通りかかったということですが、
この時はなんだか分かりませんでしたが、
あとでこれが有名な「中尊寺ハス」を栽培してるところだと分かりました。

「中尊寺ハス」または「泰衡ハス」
藤原泰衡(奥州藤原氏四代)の首桶から蓮の種が発見されて、
それが花開いたということです。
800年の時を経て開花し奇跡のハスと呼ばれているそうです。

歩いていく途中にこの木がありました。
真っ赤な花を咲かせていて、
なんだろうと思いましたが、
これはなんだか分かりませんでした。
とにかくここで咲いてる木の花は皆色鮮やかで綺麗です。

「讃衡蔵」へ到着。
讃衡蔵は中尊寺に伝わる文化財・宝物を永く後世に伝える宝物館として建設され、
平成12年(2000)に新築されました。
館名の讃衡蔵とは、
「奥州藤原三代(清衡・基衡・秀衡の衡)の偉業をたたえ(讃)る宝蔵」という意味です。

建物自体はコンクリート製の近代的建物です。

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「中尊寺」日帰り旅情編・・・(15)

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品数豊富。 いろんな味わいを楽... 品数豊富。
いろんな味わいを楽しみました。
「毛越寺」を回ってきてちょうどお昼になった。

お昼を食べようと、
この料理を食べた・・・。

場所が場所だけに精進料理のようでした。
美味しかったですが・・・。

歩き回って空いたお腹を満たしてから、
「中尊寺」へ出発。

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