等身大であるという話を聞きましたが、
ハッキリしたことは分かりません・・・。
事実だとすればそれほど小柄な人ではないですね。
石碑の文字は判読できないですね。
年月を感じさせます・・・。
なかなか忙しくていっぺんにアップができないですねぇ・・・。
小刻みアップで時間がかかってしまってます・・・。
松尾芭蕉像です。
中尊寺には松尾芭蕉の句碑が似合いますね。
この日は「奥の細道」のことが書いたるようです。
かなり薄くなって判読できないですが・・・。
この有名な句を芭蕉が詠んだなんと、
57年後の1746年にこの芭蕉句碑建てられました。
年代的には江戸時代ということになります。
薄くなるわけですね・・・。
源義経が平泉に自害し、
奥州藤原氏が滅亡して500年目にあたる元禄2年(1689)、
松尾芭蕉は門人の曽良と2人、
「奥の細道」の旅に出ます。
芭蕉46才、曽良41才の春です。
江戸を発ってから44日後の5月13日、細道のはて平泉を訪れた芭蕉は、
まず義経公の居館があったと伝えられる高館の丘陵にのぼります。
丘の頂きに忽然とあらわれるのは、
束稲山のふもとに悠然と横たわる北上川と、
それに合する衣川。
そこには往時の栄華はなく、
旧跡は田野となってひろがっているばかり・・・。
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今日、歴代内閣の憲法解釈を覆して、
集団的自衛権の行使容認が閣議決定!!
安倍さんの戦前の大日本帝国回帰が成功した瞬間ですね。
国民の生活と安全を守るため・・・。
そんな似たような言葉で太平洋戦争に突入したんですよね。
必要最小限の武力を使って・・・。
必要最小限の武力って誰が決めるわけですか・・・。
核を使う手前までの武力も必要最小限と言えばそうなりますね。
戦争に駆り出される自衛隊員が、
これをきっかけに辞めたがってる隊員がいるそうな・・・。
徴兵制を復活させるからやめても無駄って安倍さんはいいたそう。
そのうち現実に復活せざるおえないでしょう。
国民の義務として・・・。
もう決まったことだからこれを覆すのは難しい・・・。
自民党に票を入れた子供、孫が戦争に行く可能性が出てきたわけですね。
自民党がクーデターを起こしてこれを決めたわけでもないですからね。
選挙で選ばれて今回の集団的自衛権行使を決めたわけです。
選挙で自民党に入れた選挙民の責任は重いですね。
自分たちが戦争に駆り出されることに賛成なら問題なし。
今日が国の戦争参加を可能にした記念日になりそうです。
岸伸介からの願望を具体化した安倍さんは英雄になるのかも・・・。
このことで一番喜んでるのはアメリカです。
日本の軍事力も手ごまで使えるようになったわけですから・・・。
沖縄に基地を提供してしてもらってしかも軍事力も使えるというのは、
アメリカにとっては実に美味しい話ですよね。
アメリカは中国に負けず劣らずの覇権国家ですから・・・。
安倍さんのアメリカに対しての手土産ですかね。
自分自身は兵隊に引っ張られることはなさそうですが、
娘の子供たちはありそうな話です・・・。
これを決めて政治家のおじさんたちは、
後方で左うちわだからなぁ。
決めるだけ決めちゃえば楽チンなんですよ。
どのみち子供達にとっては大変な世の中になりそうだなぁ・・・。
太平洋戦争を戦った父親は生きていたらなんというかな・・・。
ちょっと聞いてみたい気はする。
ちょっと考えたことを書き記しておきます・・・。
前回から中一週あいてのジョギング。
先週は仕事だったのか走れなかった・・・。
l今日は頑張ってとにかく仕事を済ませて、
なんとかジョギングに出発。
それにしても足り始めはやはり足が重い。
コンスタントに走れてない影響です。
それでもしばらく走ってると足も軽くなってきて、
ゆっくりながら調子よく走ることができるようになる。
往路はなかなか調子がよく、
30分ながら前回より一つバス停を伸ばして、
「虹ヶ丘小学校前」まで25分で到達。
ひとつ遠いバス停までで25分は、
スピードが結構出いたということだ。
しかし、その反動かどうなのか、
復路では結構苦しくなってしまって、
長~~い「極楽坂」の登りでは結構苦しかった。
この坂は坂の終わりが見えないので余計厳しい・・・。
この坂をすぐ下ると「地獄坂」
この坂はかなりの急坂だが終わりが見えるので、
結構な急坂ではあるが苦しくても登り切れる・・・。
この二つの坂を上るとほとんどスタミナは残っていず、
最後はかなりヘロヘロになってしまった。
バテたね・・・(*_*;
往路 「虹ヶ丘小学校」バス停まで 25分
復路 35分
最後の「だまし坂」の往復はなし・・・。
これも痛みが激しいですね。
石碑のほうは判読できなくなってます・・・。
パンフレットに載ってなく、
行ってみないと分からないところですね・・・。
松尾芭蕉の「奥の細道」有名な句がありますね。
中尊寺にちなんだこの句が有名で、
句碑になってました。
>五月雨の降り残してや光堂<
俳句を少しかじってるわたくしも、
一句ひねってみたいのですが、
もう一つ才能がなくダメですね・・・。
陛下が昭和45年、岩手国体の時に、
金色堂をお尋ねになった時に、
読まれたお歌が歌碑になってました。
これらはパンフレットにも載ってないところです・・・。
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書かれてる文字もかなり判読は厳しいです。
タイトルだけはかろうじて分かりました。
文字は賢治自筆の文字ということです。
詩碑をアップしてみましたが、
やはり文字の判読は難しいですね。
金色堂の周辺にはいろいろあるんですね。
写真に写したものを少しアップしていきます。
宮沢賢治の詩碑があります。
タイトルは「中尊寺」と書いてありますが、
内容は難しいです。
とりあえず書かれてる詩をアップしておきます。
>七重の舎利の小塔(ことう)に 蓋(がい)なすや緑の燐光
大盗はぎんのかたびら おろがむとまづ膝だてば 赭(しゃ)のまなこたゞつぶらにて
もろの肱映(ば)えかゞやけり 手(た)触(ふ)れ得ね舎利の宝塔 大盗は禮(らい)して没(き)ゆる<
詩碑の文字は宮沢賢治自筆のものを、
約二十倍に拡大して謝したもので、
金色堂建立八百五十年を記念し、
昭和三十四年に建てられたものです。
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品数豊富。
いろんな味わいを楽しみました。
「毛越寺」を回ってきてちょうどお昼になった。
お昼を食べようと、
この料理を食べた・・・。
場所が場所だけに精進料理のようでした。
美味しかったですが・・・。
歩き回って空いたお腹を満たしてから、
「中尊寺」へ出発。
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