1977年(昭和52年)11月15日、中学1年生の時に新潟市の学校から帰る途中北朝鮮に拉致された<横田めぐみ>さんの父親で、40年以上もの間、娘の救出活動を続けてきた<横田滋>さんが体調を崩し、一昨年4月から川崎市内の病院に入院していましたが5日午後、亡くなられています。87歳でした。
1997年(平成9年)に拉致被害者の家族会が結成されてからは、会の代表として、妻の<早紀江>さん(84)とともにすべての都道府県を回り、救出を求める署名活動や講演を重ねてきました。
2005年(平成17年)の暮れに血小板の難病を患っていることが分かり、これに長年の活動による疲労も重なって、13年前に家族会の代表を退きましたが、「拉致問題への世論の関心を維持しなければ」と、定期的に病院で検査を受けながら各地で被害者の帰国を訴え続けられていました。
2014年(平成26年)には、モンゴルで、めぐみさんが北朝鮮で産んだ孫に当たる<ウンギョン>さんと面会しましたが、その場に<横田めぐみ>さんの姿はなく、娘を救出する覚悟を新たにしていました。高齢となり解決が時間との闘いとなる中、被害者の一刻も早い帰国に向けた北朝鮮の決断と日本政府の取り組みを求めていました。
<早紀江>さんとともに「拉致被害者の救出運動のシンボル」として活動の先頭に立ってきた<横田滋>さんでしたが、解決にあまりにも長い時間がかかる中、足腰の衰えに加え、会話にも詰まるようになり、全国を回っての講演活動などは2016年(平成28年)3月を最後にできなくなっていました。
<横田めぐみ>さんが拉致される前日の自分の誕生日(1932年11月14日)に娘からプレゼントされた、「くし」を大事にされていた<横田滋>さんのご冥福を、心より祈りたいと思います。
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