7月
5日,
2005年
ロゴ・夏ヴァージョン!!
今日も夏を思わせるお天気。
そこで、ロゴも夏に模様替えすることに・・・。禁煙運動が、広まっているか。叛旗を翻して・・・。パイプの煙をイメージしてみた。
6月
30日,
2005年
お見舞い。
天災は、いかんともしがたい。良策を早く講ずることを国、行政に切望したい。
災害被災地の皆さん、お見舞いもうしあげます。
せめてブログルの仲間には何がしかの協力を。
情報交換を、掲示板に書き込んでみたらいかがなものだろうか。
6月
28日,
2005年
初夏!!
明治28年(1895年)4月10日、川上澄生は横浜市紅葉坂(現・西区紅葉ケ丘)に生まれた。
横浜・東京・青山で育った、モダンな感覚の持ち主であった。「ハイカラ」と言う言葉が師には、似合う。『横浜懐古』『横浜どんたく』『横浜』といった「横浜もの」や「南蛮もの」等々が、タイルになって横浜の雰囲気(現在)をかもし出している。板画と称して世界に日本版画を見せつけた 棟方志功は、川上澄生に影響されて版画の世界に入った。横浜・文明開化、異国情緒を想像させる、赤レンガ倉庫群は、知られ足る観光スポットだろうが、僕は、一般的には見過ごされてる、このタイル画に感好を覚える。横浜を訪れる時には、足元も見てほしい。
赴Lした、初夏の風、詩・版画共に、師の作品の中で最も好きなものである。
6月
22日,
2005年
紫君子蘭
紫陽花の小さな花を、ネジ花の小さな花を楽しんで眺めていた、我が母が、梅雨の時期になると紫陽花でしょうが・・・と前置きして、「でもねぇ〜〜!!人を眺めに行くより、こんな風情もよいものでしょう」と紫君子蘭を指差した。
「濡れた花びらが、ガラスのように透き通っているでしょう」と。雨上がりに思い出して・・・。一粒の涙のようだ。
6月
15日,
2005年
夜・・紫陽花。
ちょっと違った風情があった。
6月
14日,
2005年
光る波!!
5〜6月頃にこの地では見れる現象だ。見慣れていて、これが「夜光虫」であることを忘れていた。甲殻類の専門家であった故、酒井 恒 先生は、相模湾は、世界でもまれに見る海洋・深海生物の宝庫であると語っておられた。海水浴場としては、赤潮を毛嫌いするが、生物学的には、この赤潮が、神秘的な光景を見せる、と教えてくださった。 「夜光虫」は、英名でも学名でもノクチルカといい、原生動物鞭毛虫類の仲間で、世界各地の沿岸や内湾海域に広く見られる。大きさは約1ミリの半透明な球形で、細かい溝と紐状の鞭毛(触手)を持っている。この触手を使い体を動かしエサを捕まえる。夜光虫はバクテリアや小型の植物プランクトンを食べているとか。時には甲殻類の幼生やカタクチイワシの卵なども食べるといわれ、かなり獰猛(どうもう)な食性をもっているのだそうだ。
この夜光虫は、分裂によって増殖し、春から夏にかけて増える。増殖しすぎて赤潮となる。それを鎌倉では見て取れる。この赤潮には毒性はない。赤褐色の赤潮が、淡いピンク色をした夜光虫の集まりであることは、地元の人々にはあまり知られていない。
昼間、この赤潮を見た。海面に油の帯びのように広がり見た目には汚らしい。だが、夜間に浜にでると打ち砕ける波頭に光る夜光虫の幻想的な青緑色の光を見ることができる。まさに「美」、神秘の世界である。夜光虫は、発光細胞を持ち、刺激を受けると細胞から発光物質を分泌し、これが酸素と結合して光る。刺激を受けたときだけ発光する。それ故、波たった時に発光しているのである。その光景は、実際に見た人では分からないほど、神秘的。今頃の鎌倉海岸線を夜・通るときは必見で、余り知られていない、夜の風物詩と思っている。
日本各地の沿岸で見られると聞いています。そんな機会を持ったかたあらば、掲載してください。
6月
13日,
2005年
「紫陽花」岩殿寺 II
6月
7日,
2005年
鎌倉!?!
静かに紫陽花など・・・拝むのは不可能である。
そんな中で、往古以来由緒ある寺で、坂東三十三観音の第二番の岩殿寺(がんでんじ)がある。
しかし、この寺は、隣の逗子市に位置している。だが僕にとっては、鎌倉の延長である。かつては、一番の杉本寺から山道をつたって巡礼道がしっかりとあった。その由緒ある巡拝道の中ほどを大規模開発をして分断してしまった。開発自体をここでは問わないが、巡拝道を記録に残しておくのが開発者の良心!!文化を尊重する姿勢ではあるまいか。
鎌倉の雑踏を離れて訪ねてみた。
今年は、紫陽花の開花が遅い鎌倉である。
この岩殿寺の紫陽花も開花には程遠いものであった。しかし人影はなく、一組の巡礼者が、去るところといった具合で、あまり広い境内ではないが、山間の風情は、鎌倉らしいものである。
鎌倉を訪れる方あれば、紫陽花の風情では、お勧めの場所である。
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