7月
5日,
2012年
TDF・ノルマンディーで見せてくれた新城君!!
第4ステージは、英仏海峡沿いの美しい海岸線を前半は走る。海風・・横風、プロはかわす術を心得ているか!美しいアルバートル海岸に沿って走るコースで新城君が見せてくれた。スタート地点からいきなりスパート、逃げに入り、3人でラスト8kmまでエスケープ。逃げ切れなかったが、彼の積極的な走りが評価され、敢闘賞を獲得する快挙。楽しんで走っている、顔には余裕すら見える。今年は、もっとすごいことが起こりそうだ!!
7月
3日,
2012年
世界最大と謳われる自転車レース(ツールドフランス)。
3週間にも及ぶレースが6/30に開幕した。今年のスタートは、フランスのお隣・ベルギーのリエージュ。この地は、自転車レースでよく登場する場所である。
この出発点から3日間、ベルギー内でステージレースが行われた。
唯一参加している日本人の新城君、春のレースで手首を傷めたが、ほぼ回復しているようだ。 この先の活躍が楽しみ。
レースとは関係ないがスタート地、リエージュには有名なお菓子”リエージュ・ワッフル”がある。こんがりとキツネ色に焼きあがったアツアツのワッフル。弾力のある甘い生地とシャリっと歯応えのある真珠砂糖、立ちのぼる甘いバニラの香り。シンプル極まりない。この三位一体の組み合わせがなんともいえません。特に冬の寒い日、街角に漂う甘いワッフルの香り。人々はまるで花を探すミツバチのようにワッフル屋に引き寄せらる。初めていただいたのは、知り合いの家でのこと(30年以上も前)。いまどきのワッフルとは少し違っていた(伝統あるワッフルの原点を食べさせてくださったとのこと)。
ベルギーの至るところで売られているワッフルには必ず真珠砂糖が入っている。それ故、ユニークで美味しい。しかし、13世紀に生まれたとされるワッフルには真珠砂糖は入っていなかった!
ワッフルの起源は古く、古代ギリシャやエジプトまで遡る。当時は粉と水で練った粥状のものを熱い石の上で焼き食料としていた。13世紀になると鍛冶業が発達。鍛冶屋が長い柄をつけた鉄の型を考え、長方形の2枚の鉄板の間に粥を流し、上下をひっくり返して焼くという発明は、時間の節約という意味で画期的なものだったとか。小麦粉以外にもそば粉や栗粉、ドングリ粉そしてジャガイモの卸したものまで使われていたらしい。18世紀に入り卵やミルク、蜂蜜、シナモンなどが加えられ、ワッフルが甘い嗜好品に。説明してくれた人にいわく、古くは、真珠砂糖ではなくシナモンを入れていた。その理由にも歴史的背景がある。リエージュはフランク王国分裂以来、皇子司教が支配する司教国となりフランス革命まで続いた。皇子司教はバチカンの法王に次ぐといわれたほどの権力を持っていて“聖職者はうまいもの好き”といわれるように、歴代の皇子司教は大変な美食家だった。司教宮殿の台所には世界中の珍味が集まり、当時は高価な香辛料だったシナモンも豊富にあり、その影響で、昔からリエージュ地方ではシナモンを何にでも使い、おのずからワッフルにもたくさんのシナモンを入れたとか。真珠砂糖がシナモンにとって代わった理由・・それは単なるコストの問題。ベルギーは昔から砂糖大根から良質の砂糖を生産、輸出していました。ワッフルがデザートとして民間でも食べられるようになると、高価なシナモンの代わりに安価な砂糖を入れることが考えられた。では何故グラニュー糖ではなく真珠砂糖だったのか?この地方では昔からクラミック(真珠砂糖と乾しブドウ入り)とクラックラン(真珠砂糖のみ)と呼ばれるパンがあり、自ずとワッフルにも真珠砂糖を使った。食感にもこだわるグルメなリエージュ人というわけで、真珠砂糖入りのワッフルが出来た。
古典的なシナモン入りのワッフルを口にすると…柔らかい。真珠砂糖入りのしゃきっとした食感と異なり、甘くとろける生地とシナモン独特の上品で繊細な美味しさのハーモニーなんともいえませんでした。
今年は、レースステージの中で、通過する街等のお菓子を追っかけてみたい!?!
6月
28日,
2012年
伝統ある自転車レースが始まる!!
日本ではメジャーではないロードレースだが西欧では絶大な人気を誇る。
ツール・ド・フランス(フランス一周)と呼ばれるレースは、今年は、隣国ベルギー・リエージュで開幕。21日間(21ステージ)、毎日200km程度の距離を走る、なんとも過酷なレース。
そんなレースにここ数年、日本人が参加している。
今年は、オリンピックの自転車競技にも参加する沖縄出身の“新城幸也”君がメンバーに選ばれた(チームユーロップカーのメンバーとして)。自転車、ロードレース界では誇らしいことである。総距離にして3000km以上も走る。高低差2000m以上と半端ではない。平坦ステージ、山岳ステージ、タイムトライアルステージ(個人、チーム)と多彩なステージ設定がされている。ジーロ・ディターリアやブエルタ・ア・エスパーニャと共に世界3大ステージレースのひとつ。スポンサーの名を冠したプロティームのレース。今年で99回目。
ツール・ド・フランス( Le Tour de France)は、1903年から続いている伝統あるレース。
昔は、画像のようなこともあったらしい。。。!?!
新城君の活躍・・・楽しみだ。
6月
24日,
2012年
いま様・・・あらかんさん??
今年は、時間が取れる・・・って、楽しみにしていた”あじさい”さがし。
野生のあじさいを探す予定にしていた。
ところが、春先に不注意から、昔の怪我の後遺症が再発症、探すところではなかった。
リハビリの合間をぬって・・・少しの時間・・・アジサイあるところへ案内してもらった。
朝早くもあったが、そこは、割と静かで・・・事前に知識を持たず参ったので???
ちょと面白かった・・・。こじんまりとした境内に、今風・・石造阿羅漢さんが・・・!なにやら思索にふけっている??ご様子だった。
続きは、コメント欄に。
6月
17日,
2012年
紫陽花の季節だが・・この花は!?!
雨に似合う花、紫陽花。以前「七段花」のことを記した事があった。
あじさいとシーボルト、西洋との架け橋。。。この花は、日本原産。
アジサイ(アヂサヰ)Ajisai(Adzisai).紫陽.あじさい.紫陽花等いろいろに表現される。
アジサイ属で東アジア、フィリピン~インドネシア周辺は落葉性のものが、中央・南アメリカには常緑性のものが多い。北アメリカにはアパラチア山脈にのみ自生している。
先の尖った卵形か広楕円形の大型の葉。特徴的なのは、花で一見花びらに見えるのは、萼片が発達して花弁状に・・・これを装飾花と呼ぶ。
日本原産のガクアジサイ(額紫陽花)H.macrophylla f.normalisを母種として日本で作られた園芸品種の各種のあじさい。時間とともに色も変化する楽しい花だ。江戸期の園芸技術は西洋を越していた!?!「フロラ・ヤポニカ(日本植物誌)」をみると。
「万葉」の時代から文献にいずるあじさいだが、鎌倉時代には園芸品種として栽培が始まるも「よひら」とも呼ばれるように萼が4片で「死」を連想させ、枯れた花がいつまでも枝についていること等から日本では印象悪くヤツデやドクダミと並んで日陰の花扱いされていたようだ。発想が、往時の鎌倉時代らしい。だが18世紀末ヨーロッパに渡ったアジサイは、多色系でセイヨウアジサイ(H.m.f.hortensia)に品種改良され今日、逆輸入されている。酸性土壌の多いヨーロッパでは鮮やかな青色になりやすく、多様な色も出しやすい!!がしかし、その花の色変わりを奇異とするのか、花言葉には「高慢、心変わり」等と説明されている。
漢名「紫陽花」は、白居易(白楽天)の「紫陽花詩」に登場する「紫陽花」をアジサイと解した平安時代の学者・源順( みなもとの したごう )が、「倭名類聚鈔」に「白氏文集律詩云紫陽花、和名安豆佐為」としたのが初見。
だが、この詩の注に「招賢寺有山花一樹、無人知名.色紫気香、芳麗可愛、頗類仙物.因以紫陽花名之」とあり、紫色で香がある点を考えると「紫陽花」はライラックを指したとも言われている。アジサイを中国では「繍球(花)」と表記する。
1823~8年、日本に滞在したシーボルトが花序全体が装飾花になる園芸品種のアジサイにつけたH.otaksaの小種名”オタクサ”。
これはガクアジサイの変種。
シーボルトの思い入れある花のようだが、1775-6年に来日したツンベルクが命名したH.macrophyllaと同一とされ、有効な学名とされていない。学問的は・・・置いといて、長崎の市花はあじさいである。
長崎といえば・・・”蝶々夫人”でも有名だが、人間的にピンカートンとシーボルトを想うと面白い。
シーボルトが、故郷のドイツに書き送った手紙の中に『 お滝さん以外の女性を妻に迎えることは絶対にない 』。こんな書簡も現存している。
時代背景・西洋と日本での環境背景を垣間見れる。
シーボルトとお滝さんの孫娘に当たるオタカさん( お稲さんの娘) が祖母の『 お滝さん 』を次のように語っている。
『 祖母(お滝さん)は、祖父(シーボルト)が追放になった2年後に、無理矢理再婚させられました 』
『 祖父(シーボルト)も、10年後に郷里のドイツ女性と再婚したようです 』
『 明治時代に入って、白髪の老人になった祖父(シーボルト)が明治維新政府の招きで来日しました 』
『 その折に、祖父と祖母、娘の(お稲)、オタカを交えて、涙の抱擁を果たすことが出来ました 』
『 年老いた祖父(シーボルト)は、今まで肌身離さず持っていた “ 妻と娘の髪の毛 ” を両手に握り締めて言いました 』
『 いかなる時であっても、2人のことを一日たりとも想わなかった日はなかったのだよ! 』
シーボルトが持ち帰った紫陽花や他の植物、現在日本では見られない種類もあるとか。以前、フランスのコレクターが保存、株分けされたものを浜名湖で開催された花博のおりお里帰りした紫陽花があった。「フロラ・ヤポニカ(日本植物誌)」に載っていながら実物を発見できずに幻の花と言われていた紫陽花、「七段花」が、1959年に六甲山で発見され今ではどこでも見られるようになった。これまた、園芸ニッポンだ。
「フロラ・ヤポニカ」には、植物目録・433の植物名がある。
アジサイ属では、アジサイ、ベニガク、フイリベニガク、ガクアジサイやアジサイの園芸品種。
そのほかツバキ、カザグルマ、クサボケ、フヨウ、カノコユリ、シャクヤク、サクラソウ、チャノキ等。
その中で興味深い花がある。
ヨーロッパのツバキは氷河期に絶滅していて化石でしか存在していなかった。
それが短期間の間に小説「椿姫」(アレキサンドル・デュマ・フィス、1848年)が生まれている。
それほどにシーボルトが園芸植物をヨーロッパに普及させる道を開いたといえようか。
その当時は日本のほうが園芸先進国であったようにもおもえてくる。
アジサイ属(Hydrangea)の日本固有種は次の14種が自生している
ガクアジサイ、ヤマアジサイ、タマアジサイ、コアジサイ、コガクウツギ、ガクウツギ、ノリウツギ、ツルアジサイ、トカラアジサイ、ヤハズアジサイ、アマギコアジサイ、チチブアジサイ、ヤエヤマコンテギリ、リュウキュウコンテリギ。
今、各地のお寺さん境内に紫陽花が、流行り的に植栽されている。が、野趣あふれるものは、少ない。あじさいは、高木の林床にあるべきと感じる。特にヤマアジサイ系に思う。
シーボルトが持ち帰った花木の中に百合があった。
当時欧州にあった百合の花は白い小さなもので、死者に捧げるものとされていた。
日本でいえば献花や仏花に使う菊の花といった感じか。
それに比べると日本から持っていったいくつかの百合は花も大きくカラフル。それだけで双手をあげて大歓迎をされたのだそうだ。
中には球根がそれと同じ重さの銀と交換されていたものもあったようだ。
日本の花木、特に背の高い木々の下に生育する低花木の類に相当するものは、環境的にも一致する。
シーボルトが日本から西欧に持ち帰った花木類は西欧での庭園に様々に影響を与えてきた。
その一方、日本の原種が消えてしまっている。何とも言いようがない。
今ひとつ、関心を持っているのが、西欧に渡った“フジ”。
ベルギーの民家にシーボルトが持ち帰ったフジの分身が存在していると資料で読んだ。
ベルギー人は、“センジャク”と呼んでいるらしい。
『Wisteria floribunda(wild.)DC.'senjaku'』
日本の何処のフジかもわからないとか、何とも神秘的。
また、オランダのライデン大学植物園のシーボルトコレクションにもない由。
アジサイの七段花のように発見されるとよいのだが・・・。
6月
10日,
2012年
週末は自宅で。。。!
自室でPCと向き合って・・後ろで僕の椅子を占領して猫が昼寝している。
おかげで、小さなミシン用の丸椅子に座りこれを記して・・・。
扨々、小さな庭を眺めていると・・・いろいろな野草が自己主張して見せてくれる。
何とも可愛い風情。ほんと・・・小さな花たちだが、近づいて見ると瀟洒に魅せている。
自然界は、不思議(思う方が不可思議なのかもしれない)。
なんで、このような、小さな花たちが様々にあるのだろう???
我が家の猫は、首輪をして・・迷子札をつけ・・・その上でリードをつけて。。。狭い庭・裏を歩くのが朝昼晩の日課??
僕を朝から散歩に誘いに来た!?!雨上がりの庭は、雫を携えた野草がいっぱい。
猫は、うまく野草を避けて歩き郵便受け下の隅に地植えしたキャットグラスを食べに行った。
近づいて見ると紫蘭の大きな葉っぱに隠れて、キャットグラスの前に可憐な”雪の下”が咲いている。
猫は、その径を避けながらグラスを美味しそうに食べていた。
それにしても小さな花。よくよく見ればちょっとユーモラスにも見える。
で、カメラを向けてパチリ。
6月
6日,
2012年
鉄線・・・風車!?!
ずいぶんと年月を以って・・・!?!月日を忘れるほど前に長野の善光寺を訪れたことがあった。
通り沿いの民家の庭に日本原産のクレマチス(風車 Clematis patens)が咲き誇って。
家の方にお聞きすると、昔より庭先にあったと。。野生の風車だ・・と写真を撮らせて頂いていたら、
土産にお持ちなさいと・・・鉢に一株分けてくださった。
翌年から、今年まで10数年間、花を付けなかった。
父親の代理で出かけた折のことだったのだが。。。
それが、突然・・・今年花を咲かせた??
それも不思議なことに・・鉄線と呼ばれる花も同じ株から・・!?!
風車(8枚花びら)・鉄線(6枚花びら)が!!
先年11月に父を見送った。
何だろう???今年、咲くなんて・・・ふしぎだ。
花言葉に「旅人の喜び」(クレマチス)。再訪してみたい、彼の地へ。
4月
20日,
2012年
静かなお花見・・・!
そんな中で・・丹沢山地、表丹沢の山合いに樹齢100年はあろうか!!
しだれ桜のたいぼくを見に出かけてみた。30年振り・・・それ以上かもしれない??
訪れたそこは、すっかり様変わりしていて、かつてのバス終点場が分からなかった。
自分の記憶をたどってみると集落を過ぎ上って行った所に一寸開けた土地があり
最後の民家があった。
そこの庭先??山道に忽然と桜の気が1本あったのを覚えている。
そんなイメージで出掛けたが・・・!?!
箱庭みたいな集落が・・・モダンな住宅が立ち並び・・・瀟洒な集落と成っていた。
目的の山道に入る所も舗装され・・・「しだれ桜祭り」???の看板等があって!!
すっかり観光地化されている。
当たり前か!!って上ること15分、しだれ桜のイメージは変わらなかったが、
民家うしろ上には、超モダンな民家が2件立ち並んでいた。
駐車スペースには、ベンツの大型高級車が止まっていた!?!
何とも複雑な想いで・・・久し振りのしだれ桜を観賞させてもらった。
平日とあって、訪れる人は少なく・・・静かに花見が出来た。
この周辺・しだれ桜の里にするのか!! 沢山の苗木が植栽されてあった。
2月
12日,
2012年
“Peugeot”
長きに渡ってブログルを傍観するのみで書き込みしていなかった。
公私に紛していた、、、単なる言い訳ですが。
復帰・・・同じ感慨を持つことに出会った!?!
“Peugeot”といえば普通・・自動車を思います。
僕の中では、最初に出てくるのが自転車。
フランスにある自転車&レーシングティームがかつて活躍していた。
フランス人的で・・全てのパーツをフランス製に拘った自転車で。
今では、一般的にも知られるようになった・・・、
”ツール・ド・フランス”で活躍したBike & Team。
日本人には忘れられていた感がある。
日本の若いサイクリストが西欧の最高峰のレースに
参戦できるレベルにある今。
そんなときに、この“Peugeot”ロードレーサーが日本に再登場した。
おまけに、国内にティームまで作って。
日本の自転車パーツメーカーが世界に君臨してる現代、
それを象徴するかの様に全てのパーツがフランス製ではなくなった。
日本製パーツが使われている。
“Peugeot”家は、
自転車が発明された1880年代には自転車の製作に乗り出していた。
鉄鋼業を糧としていたのだから・・・自然の成り行きか???
その歴史を今に伝えるものに・・・
胡椒のペッパーミルがある・・ご存知か???
自動車メーカーのイメージが強すぎて、
プジョー製ペッパーミルってピンとこない。
ミル・自転車・自動車・・
応用技術が合ったのではないか、等と想像してるけど!?!
プジョーが自転車製造をするきっかけになった逸話が残っている。
昔、スカートを膨らませる為に使用されたワイヤ入りペチコート、
クリノリンを手掛けていて、
そのワイヤ取扱技術が発展して自転車に行きついたのだとか!!
ペッパーミルご家庭にひとつはあるだろうか??
フランス製だとしたら・・・そこの刻印・・・まさにプジョー!?!
1月
31日,
2011年
御無沙汰のブログル。。。!
昨年1年間は、飛び回る日々で、日記を記する思いが消え伏せていた。
短いトンネルの様にみえる。出口が見えているのに・・・?
明るい先!?!が見えている。でも中々出口に到達しない。
このトンネルを抜けて明るい所にでた先は、どんな所か??
楽しみでもあり、不安でもある。
南は、噴火・・・北は大雪、災害地の皆さん、お見舞い申し上げます。