“野草として残したい花”《森羅・/・万象19-09》

“野草として残したい花”《森羅...

《時節・_・襍感⇔春を想わせる花”》
サクラソウの花を見た。鉢植えにされたものだ。
大和市ふれあいの森の一角にあるグリーンアップセンタ-で。
サクラソウについて昨年もブログルに記したので仔細は略す。
昨年見たよりも10日程早く花を見せてくれた。
単に早くなっているだけか、気候のせいかは分からない!?!
かつては、何処でも見られた野草が、今や鉢植え、少々寂しさを覚える。
それはさておき、早咲きの河津桜は、未だ小さな蕾み状態。
樹々の営みも楽しみだが、野草の営みも楽しい。
鉢植えであるが、元は野草だ。草花が先に咲き、次に樹々が花を見せる。
地表から徐々に咲き上がる。これも自然の摂理か。。。!
“桜”という名前、春を想わせる花だ。
「2019/01/18・大和市グリーンアップセンタ-」

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“道端の小さな花2”《森羅・/・万象19-08》

キュウリグサ(胡瓜草) ムラサ... キュウリグサ(胡瓜草) ムラサキ科(Boraginaceae)
学名:Trigonotis peduncularis (Trevis.) Benth. ex Baker et S. Moore
別名: タビラコ

《時節・_・襍感⇔見過ごすほどに小さい花2”》
キュウリグサ(胡瓜草);
葉をもむとキュウリのような匂いがする。3~5mmと小さな花なので見逃してしまう。
茎高15~30cm位。下部の葉は長い柄があるが、上部の葉には柄がない。葉は、1~3cmの卵円形。
茎の先にサソリ形花序をだし、直径約2mm位の淡青紫色の花を次々に咲かせる。
良く似た仲間にハナイバナがあるが、この花は花が葉と葉の間に付く。
又、園芸種の勿忘草(ムラサキ科)もよく似ている。
区別は、キュウリグサ は花が咲いているところから先の巻いているところまでが離れて長い。
対してワスレナグサは咲いているところからすぐ巻いている。
「2019/01/14・泉の森」

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“道端の小さな花”《森羅・/・万象19-07》

ウシハコベ(牛繁縷) ナデシコ... ウシハコベ(牛繁縷) ナデシコ科(Caryophyllaceae)
学名:Stellaria aquatica (L.) Scop.
Myosoton aquaticum (L.) Moench

《時節・_・襍感⇔見過ごすほどに小さい花”》
ウシハコベ(牛繁縷);
ハコベやミドリハコベとの違いは、ハコベの雌しべは3つに分かれているが、
ウシハコベは5つ。とは申せ実際に肉眼では見分ける事が難しい程に小さい。
ハコベより大形というのが名前の由来、道端、畑や草原等々何処にでも見れる野草で食用でもある。
茎はよく分枝して下部は地につき、上部は立ち上がって高さ50cmに達する場合もある。
茎の片側に1列の縮れた毛が生え、茎上部には軟らかいちじれた毛と腺毛がある。
葉は卵形、鋭頭または鋭尖頭、上部の葉は茎を抱き葉脈が深く波打ち下部のものは小さく柄がある。
萼片は花弁に比べ少し短い程度が普通であり、白毛と腺毛が生える。
花は白色の5弁花、花弁が基部まで深裂し、10弁に見える。花柱は5個あることが特徴である。
雄しべは10個。種子は長さ1.0~1.1mmのやや楕円の厚い円盤形で、全体に低い突起がある。
花は、普通4~6月に多いが、今年は既に咲いている。年間を通して咲いているかもしれない。
とにもかくにも小さすぎ目立たない花だ。ルーペが必要、それ故、必死に観察するのである。
※この小さな花を眺めると“躙口”とか“長閑”という言葉が脳裏を過ぎった ※
「2019/01/14・泉の森」

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“成人の日”《森羅・/・万象19-06》

子供の頃、散髪屋と言えば、ハサ... 子供の頃、散髪屋と言えば、ハサミと櫛、そしてバリカン。
大学生になって通った!!理髪店... 大学生になって通った!!理髪店では、レザーカットだった。
当時、スカルプチャ・カットと言っていたようなきがする。
1960年代から1970年代のはなし。

《時節・_・襍感⇔1965年頃”》
昨日は、日本式で「成人の日」。僕自身は、遥か昔のことだ。
成人とは、満20歳を言うが、成人年齢を2022年4月~18歳にすると決まった。
又、1948年~1999年までは毎年1月15日が成人の日だった。小正月・元服を想える。
2000年からハッピーマンデー制度導入で1月第2月曜日が、「成人の日」となった。
僕は、1月15日が「成人の日」と思い続けている。心意的だが。。。!
ハッピーマンデーとか、成人式とかの在り方を再検討するべきではないか!?!

1月15日は、小正月、松の内に忙しく働いた主婦を労う意味で「女正月」とも云われる。
又、上元(新暦)なる呼び名もある。小豆粥を食べるとその一年中の疫病が避けられる由。
ちなみに、 7月15日を中元、10月15日を下元という由。
扨、さて・・・、
僕自身は、漸く思慮ある(思い上がりだが)大人に熟れたと、実感する昨今である。
長いこと西欧社会で色々学ばせて頂いた者からすると今の日本・日本人を誇りに思う。
経済面、社会・国際面、文化面、其々を観ると日本人の活躍は眩い、輝くばかりだ。

第二次世界大戦終戦後、粛々と復興に努力してきた日本。そんな日本が、今、貶められている。
而して、日本を批難する韓国政府の声明は、事実をねじ曲げ言いたい放題、と思えるのだ。
1965年締結「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国間の協定」、
略称は「韓国との請求権・経済協力協定」、国交正常化の「日韓基本条約」と共に締結された事だ。
「両国及び国民の間での請求権を完全かつ最終的に解決した」とされた。
日本の敗戦後、韓国はサンフランシスコ条約の当事国に含まれなかったため、国交は不成立のままだった。
1965年の「日韓基本条約」に付随して交わされたいくつかの協約の一つが日韓請求権協定である。
この協定で日本が韓国に対して無償3億ドル、有償2億ドルを供与している。両国の合意あっての事だ。
確認内容は、「戦時中などに生じた事由に基づく請求権は、いかなる主張もすることができない」とある。
この協定に関する紛争があれば外交経路で解決する。解決できない時は、第三国を交え仲裁委員会に付託する。
これ等を韓国政府は、韓国国民に向かって長いこと明らかにして来なかった。それ自体、不可思議なこと。
更には、2009年に徴用工(否、応募工ではないか?)の未払い賃金等のことに就いてだが・・・、
日韓請求権協定に含まれていたと公式に韓国は、弁明している。記録に残っているではないか。
韓国政府は、国民が受け取るべき補償を韓国政府が一括で受け取り、国民に渡していないのが事実だろう。
所が、近年になりって戦争中に応募した韓国人の訴訟で韓国の裁判所が、日本企業に対し賠償命令を出した。
最終的に韓国の最高裁判所(大法院)で賠償を確定させた。請求権の具体的な内容が協約に記されてない、と。
同様に従軍慰安婦や在韓被爆者等についても協約の対象とはならないとすることなのか??
国際法に照らしての2国間の約束事項は、一方の国内法より拘束力は上位にある。当然の理である。
1965年といえば、個人的には成人になる前頃でもあったが、ノンポリの僕は、山登りに夢中であった。
成人式すら出ていない(住居地近くの登攀練習場で前日からトレーニングしていた)。
公的には、1965/01/08韓国は、南ベトナムに派兵決定。02/07米軍のベトナム北爆開始。
03/18ソ連の宇宙飛行士レオーノフ中佐が人類史上初の宇宙遊泳に成功。
06/22日韓基本条約ほか関係4協定調印。11/10中国で文化大革命始まる。
国内世相では、IVY族(若者の服装)、大塚製薬「オロナミンC」発売、現・白元が「アイスノン」を発売。
こんな時代背景であったが、高校・大学学部時代は、山・山・写真しか思いだせない。
そんな若い頃の出来事をニュース報道で思い起こした。「ライダイハン」の事だ。

ライダイハンとは、ライがベトナム語で「混血」を意味し、ダイハンは「大韓」のベトナム語読み。
ベトナム語でLai Đại Hàn。ベトナム戦争に派兵した韓国人兵士と現地ベトナム人女性の間に生まれた子供。
京郷新聞によれば、ベトナム戦争が終わって残された子供は少なくとも3000人以上、2、3万人との推算もある。
ベトナム人女性が韓国兵等と結婚し生まれた子供や韓国兵による強姦によって生まれた子供を指す表現。
ベトナム戦争時の韓国軍による現地女性への数々の非行もあったと報告されている。
韓国人男性らは帰国し、ライダイハンは置き去りにされた。
1975年にベトナム戦争終結後、共産党政権下でライダイハンは「敵国の子」として迫害・差別されてきた。
英国民間団体「ライダイハンのための正義」(ピーター・キャロル会長)は、
「ライダイハンの苦境」はベトナム戦争で語られざる悲痛な出来事で韓国政府に公式な謝罪を求めている。 
その一方、韓国は今年4月、日本を含む世界50カ国の在外公館で「建国100年記念式典」を開く由。
100年前の1919年は、日本統治時代で反日運動「3・1独立運動」が起きた年。
運動(暴動か?)は、日本に制圧されたが、民族主義者らは中国に逃れて「大韓民国臨時政府」を立ち上げた。
この「臨時政府」が現在の韓国のルーツと主張するのが、文在寅現大統領である。
建国等の経緯は別問題として、現韓国政府の論理は破綻している。日本は、正々堂々と自己主張すべきだ。
謙虚・和合だけでは、相手に「意」は伝わらない。自体験から悟った事柄である。而して冷静に、である。

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“干支・己亥《森羅・/・万象19-05》

“干支・己亥《森羅・/・万象1...
京都・清水寺門前、洛趣舎. 中... 京都・清水寺門前、洛趣舎. 中西庸介作、亥の干支土鈴

《時節・_・襍感⇔干支土鈴^^)”》
七草の節句、七草粥も頂き正月気分も少し冷めてきた。今年は、い「亥・いのしし」どし「年」。
イノシシの肉は、万病に効き無病息災を象徴する、と。また、猪突猛進・一途で情熱的とされてきた。
十二支(じゅうにし)と干支(えと)は本来異なった意味だが仔細は検索して調べてください。
十二支は12、十干は10この組み合わせが干支。十干と十二支の組み合わせで60通りになり、干支は60で一周する。
60歳を還暦(かんれき)と呼び60年で干支が1周してまた自分の生まれた干支に戻った事を意味する。
2019年の十二支は、「亥(い=いのしし)」十二支の12番目、最後の年。
干支では己亥(つちのとい)の年に相当し60番中36番目に当たる年。歳の数え方を思うと面白い。
そして表現する動物も国によって異なる。中国では、亥=ブタ。チベットやタイではウサギがネコなる。
モンゴルではトラではなくヒョウが入っている等々、国や地域によって十二支の動物は異なっている。
十二支はアジア圏で広く使われている。各国の文化や生活習慣の表れ、字・動物に込められた意味は興味深い。
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“七草粥”《森羅・/・万象19-03+1》

“七草粥”《森羅・/・万象19...
“七草粥”《森羅・/・万象19...
御相伴・・させて頂けた、七草粥 御相伴・・させて頂けた、七草粥
北島家内での模様 北島家内での模様
“七草粥”《森羅・/・万象19...
“七草粥”《森羅・/・万象19...
ミツマタ(三又、三椏) ジンチ... ミツマタ(三又、三椏) ジンチョウゲ科(Thymelaeaceae)
学名:Edgeworthia chrysantha Lindl.
民家脇に植えられている三椏に花芽がついて、初春を感じる。

《時節・_・襍感⇔正月気分^^)”》
今日は、人日の節句(七草の節句)
古来中国では、正月の1日を鶏の日、2日を狗の日、3日を猪の日、4日を羊の日、5日を牛の日、6日を馬の日とし、
それぞれの日にはその動物を殺さないようにしていた由。
そして、7日目を人の日として犯罪者に対する刑罰は行わなかった。
この日は7種類の野菜を入れた羹を食べる習慣があり、これが日本に伝わって七草粥となった。
日本では平安時代から始められ、江戸時代より一般に定着した由。
(羹とは、肉・野菜を入れた熱い吸い物、とあった)
又、七日は「つめ切りの日」とされていた由!!
新年になって初めて爪を切る日、昔から七草爪といってこの日に初めて爪を切った由。
草を浸したお湯につめをつけて柔らかくしてから切るとその年は風邪をひかないとも言われた由。
云われ、風習は、楽しい。今の時代、色々思い返して伝統を再認識すべきではなかろうか!?!

※   ※   ※   ※   ※   ※   ※

昨今の「七草粥」、材料はスーパー等でパック詰めで販売されている。
我が家のは、すずな・すずしろ三浦産(最近は、どこででも作られている)を使用。
お粥だが、暮れの残りご飯を土鍋で炊いてお粥にした。
今年は、菜の花も加えて八草にして頂いた。七草だけでは味ッけがないので。
実は、昨日の朝「泉の森・郷土民家園」で森管理者とボランティアの方々が作った七草粥を頂きました。
七草粥って基本的に作ると薄味だ。地方によっては、だし汁など他の具材を入れたりもするらしい。
僕が入れたように菜の花だったり鶏肉といった具を入れ美味しく食しているとか。
だがしかし、正月のおせち料理は結構濃密。さっぱりとした七草粥で丁度良いのかもしれない。
我が家族は、揃って全くお酒を頂かない。お酒まみれには、七草粥が適してるって思う。

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“年頭に思ったこと”《森羅・/・万象19-03》

サザンカ(山茶花) ツバキ科(... サザンカ(山茶花) ツバキ科(Theaceae)
学名:Camellia sasanqua

《時節・_・襍感⇔白い華!!”》
恒例正月2・3日の箱根駅伝、今年はドキドキ・惑惑の応援でした。
毎年、今年こそ!?!と東海大学(わが子の母校)の優勝を祈ってきました。
今年は、着実に歩を進め満を持してのレース運び、10人が一丸となっていた。
身近に見る山茶花の白色が、彼等の栄誉をたたえているように映った。

※   ※   ※   ※   ※   ※   ※

2017年 12月31日にブログルで“魅せる「白花」”を記した。
その中で《ひとりごと》に国会の事、隣国との外交の事を記したのだが・・・!?!
1年間を以ってしても「反日」は、過激さを増すばかり。如何ともし難い。
粛々と真意を提示するしかない。そして益々、改憲を思う年頭である。

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“2019年正月”《森羅・/・万象19-02》

箱根芦ノ湖湖畔の記念碑。 箱根芦ノ湖湖畔の記念碑。

《時節・_・襍感⇔箱根駅伝!!”》
穏やかな元旦であったが2日の午後は、箱根の山に雪がパラついた。
そんな中で、正月恒例の第95回東京箱根間往復大学駅伝が行われた。
2・3の大学を応援しているが、今年は、次男の母校が念願の総合初優勝に輝いた。
大学のティームカラーの衣服に着替えてTV観戦。東海大学の初優勝、今年は目出度い!!
我が母校は、訳あって長いこと不参加だったが、最近「箱根駅伝プロジェクト」を立ち上げた。
近い将来、本戦に出れるかもしれない。楽しみだ。又、沿道で応援したいものだ。
今年の学連選抜ティーム中に防衛大学校・東大の選手が見えた。将来の本戦出場が楽しみ。
毎年、箱根駅伝が終わらないと我が家の正月は始まらない。これからが、我ガ家の「おせち」。

「塵も積もれば山となる」・・・走者は、断じて塵ではない。
が、10人が一丸となって勝ち取った。襷の力が証明されたようで感動した。
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“2019年元旦”《森羅・/・万象19-01》

近在の泉の森を見守ってくださる... 近在の泉の森を見守ってくださる{熊野神社やしろ」
ヒマラヤ山脈麓に位置する「ネパ... ヒマラヤ山脈麓に位置する「ネパール」
素朴だが艶やかな「糸」を産する国。こうした小国と共同する。
ネパールには、神聖な所として立ち入れない山がある。
「マチャプチャーレ」、そんな山と人間感性を大切にしたい。



《時節・_・襍感⇔紡ぎ始める年!?!”》
今年は、穏やかな・陽ある感で元旦を迎えた。冷え込んだ、と言った実感はなかった。

明けましておめでとう御座います。本年も良しなにお付き合いお願い申し上げます。

愈々、平成から**へと代が受け繋がれようとしています。
明仁天皇には、深々と頭を垂れたいと存じます。
そして次代徳仁天皇には、ご専門の交通史、流通史を広く国民に語って頂きたい。
「道」「水」についてもであります。

相模湾・・・先年末に蒲鉾を紹介しましたが、相模湾は、海洋生物の宝庫です。
昭和天皇は、世界に3例しか見つかっていない蟹を発表しています。
甲殻類の中にサカイラ(酒井属)という故酒井 恒博士を冠した属があります。
その中に、学名サカイラ インペリアルと言う蟹がおりました。
「相模おさちら蟹」と言われる可愛い蟹、しばらく前を思い出しました。

今年は、祝意ある年、これからを「紡」ぎ始まろうとしています。
西欧の友に紹介したい次天皇、(Qui bis tincto telas・糸を紡ぐ人)。
歴代天皇から少し学ばせて頂こうかと存じおります。

今年は、言霊(De linguam meam)を考えてみたい。森羅万象(Rerum natura)を以って。
「2019年元旦」

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“歳の瀬!?!”《襍感・/・点描18-83》

小田原蒲鉾の認定店!!一覧。こ... 小田原蒲鉾の認定店!!一覧。これ等の店の蒲鉾なら間違いない!!
小田原・蒲鉾通り「うろこき本店... 小田原・蒲鉾通り「うろこき本店」

《時節感慨・・呟記・・蒲鉾!?!”》
2018年も通り過ぎる。楽しいこと、辛いこと、色々あった。当たり前の事か。
僕の記憶の中で今年ほど日本の政治に関心を持ったことはなかった。今後が楽しみ。
日本のお人好し加減もそろそろ終わり。平成の終わりでもある。さぁ~~来年は!?!
そんな感覚を思っていて、来年への期待も込めて、まずは腹ごしらえって^^)。
例年、年末は小田原の蒲鉾を身内が届けてくれていた。今年は、自分で探し求めに・・。
久しぶりに小田原へ蒲鉾探訪に出掛けた。小雨の中だが買い物には好都合(混雑しない)。
まずは、お米を求めた。神奈川には、美味しくもっちりとした「はるみ」があるのだが。。
今回は、「さとじまん」を買うことにした。粒が大きくモチモチッとした食感が特徴的。
お米を求めて、一路、小田原へ。最近は、観光的で蒲鉾探訪が人気だとか。。。!

今様の板蒸し蒲鉾は、江戸時代後期に小田原で「蒸しかまぼこ」として誕生した。
『杉板に魚肉を推し蒸す』関西では蒸したるままをしらいたといい、多くは蒸した後、焼いて売った。
が、江戸では焼いて売ることは無く、すべて蒸したものを売っていた由(蒸し板)。
小田原式の白かまぼこは江戸の代表的製法だった(小田原蒲鉾協同組合資料より)。
小田原蒲鉾は、地場産業。それ故、誇りと企業としてのあり方を厳しく問い品質保持に努力してる。
蒲鉾に含有される必須アミノ酸の量を測定し、基準を保ったものを小田原蒲鉾として認定している。

小田原蒲鉾で最も古い老舗が、「田代吉右衛門本店」通称「うろこき」である。
うろこき、とちょっと変わった名前だが、漢字で「鱗吉」。
鱗とは、三角形を鱗に見立てた北条氏の家紋(三つ鱗または北条鱗)のこと。
魚の原料が由来ではない。うろこきの先祖が北条氏から家紋の一部の三角形を賜ったことから。
田代家では代々、鱗紋を許されていた。蒲鉾屋を立ち上げた際、初代の吉右衛門が自分の名前、
吉の字を中に入れたことから、うろこきの屋号を名乗るようになった由。
元々、現在店舗の本町付近で魚問屋を営んでいた田代家は、天明元年(1781)に蒲鉾屋に転身。
当時の小田原は宿場町、活気に溢れ、腕のいい職人や料理人が多く集まっていたらしい。
蒲鉾作り技術にしても調理職人達によって小田原に持ち込まれたと思われる。
最初は、魚のすり身を練って丸めて蒸すだけで、すり身を板に乗せることを始めたのが初代吉右衛門。
「小田原式板付蒸し蒲鉾」の元祖が、田代吉右衛門だった由。
板に蒲鉾を乗せるのは、画期的、すり身の形は整えやすさ、蒸し器の中で安定性。
更には、板が適度に湿度調整をしてくれ、蒸しあがった蒲鉾は丁度良い保湿加減になる。
蒲鉾造りに際して、伝統的作業にこだわっているのが、「うろこき」の職人達である。
すり身の攪拌(かくはん)がそうである。ミキサーを使うのではなく大きな石臼で挽いている。
そして殆どが手作業で蒲鉾を作っている。古き製法ではない理にかなった丁寧な製法である。
それ故「大量生産」は、無理で「全国区」ではない。小田原蒲鉾店として余り知られていないだろう。
このような、職人気質が好きで我が家は、贔屓にしている。
蒲鉾は一般的に二層になっているのを知っていますか!?!
本体部分は白グチを使用し、味に重きをおく、対して上塗りの化粧部分はあくまで表面的な外観が大事。
上層部の原料は船で運んでくるグチではなく、地元小田原産のオキギスを使用している。
キスは、今でこそ天ぷらなどで人気ネタだが、かつては小田原沖で大量に獲れ、雑魚扱いされていた。
身が白くて柔らかい蒲鉾の上塗り用に向いている。何度も漉し汚れを取りきめ細かく練って本体に上塗りする。
「汚れ」と一緒に旨みも一緒に落としてしまうため、蒲鉾の味は、内側の本体部分だと言われている。
僕は、「うろこきしんじょ」がお気に入りだ。板に乗せない蒲鉾、身が引き締まり濃厚な魚の味が活きている。
他にもてこね揚げ、きんぴら揚げ、いわし揚げがある。店脇の囲炉裏休憩室^^)で頂いた。
蒲鉾は、身内が届けてくれるので、五色しんじょと自然薯棒を土産にした。
「じねんじょ棒」とは、白身の魚6割と大山産の自然薯4割を石臼で丹念に摺り上げたふっくらした揚げもの
実に美味しい揚げ物。小田原に出向かれた折には、土産としてお薦めの蒲鉾屋さん。

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