※ ※ ※ ※ ※ ※ 都心でも30度近くまで気温が上がったが、 通る風は、なんとなく秋を感じさせる。 しっかりと季節は、変わりつつある。 大都会のまっただなかだが、情緒ある粋な姿。 和服姿が、辺りに溶け込んでいる!! ※ ※ ※ ※ ※ ※
《時節感慨・・ひとりごと・・》 今月は、横浜に出る機会が、幾度かあった。 隠居状態の僕は、会合の席で頓珍漢な事を言っていたようだ。 しかし老人の戯言も「囈」である。暴走を留める抑止力もあったと!! 昔、親に反発、指導者・先輩に懸命に自己主張をしていた頃を思い出す。 会合を終えて、赤レンガ倉庫から中華街まで散歩した。 終戦後、暫くの間、山下公園は駐留軍専用の公園で一般人は立ち入り禁止。 金網で仕切られ公園は一面芝生が敷き詰められ異国って感じだった。 道路の反対側ニューグランドホテルからシルクセンターへの並木路には、 瀟洒な洋館がいくつも建っていた。その中にアメリカ文化センターがあった。 米国の資料を依頼すると丁寧に探して頂けた。高・大学生時代お世話になった。 東京のセンターと違って静かで趣があった。思い出しながら皆に解説して。 ちょっとお茶を飲もう、とニューグランドホテルのCafeに。 そこで、同道の女性から初めて聞くCafeの内容に驚いた。 一般的に動物と触れ合える店、「犬カフェ」「猫カフェ」のように、 「動物名+カフェ」という名前は、聞く所だ。 しかし「はりねずみびれっじ」こんな表現は初めて聞いた。 なぜに「ハリネズミカフェ」でないのか!?! その理由は、なんと「ハリネズミカフェ」が商標登録されているのだとか。 そのためにやむなく「ハリネズミ専門店」という名前にしているのだそうだ。 商標登録って・・・凄いことになってる。中国・韓国の影響か?? 其れは其れとして、「ハリネズミ専門店」って、ちょっと驚いた。 しかし、とっても癒されるのだそうだ。 今時の中年女性!!って、いろんな所に行くのだ!!と驚いた。 「猫カフェ」すら実見分した事がない。名前・存在程度ならわかるが。。。 そんなカフェに行かなくとも、江ノ島を一回り、否、身近な寺に行けば。。。! 各地にはない物珍しい所に行って、みやげ話にするのかもしれない。。。! 「喫茶店⇒サテン」にいこう、なんてはるか昔の表現になった。 喫茶店=コーヒー。そのコーヒー豆価格は、原産国で決まるのではない。 世界市場、即ちイギリスやフランスの取引所、国際市場で価格が決められている。 豆を作っている地元の人には高価で飲むことができない。おかしくはないか?? 未だ、植民地支配の悪影響が存在する。現状では、改善されているかもしれないが。 今、日本の現況は、、、生活自体が 比較的安定している。 そんな暮らし向きで、危機感、危惧感がわからなくなっている、と感じるのだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ルリタマアザミ(瑠璃玉薊) ルリタマアザミの蕾みは、蕾みを包むガク片の中でもすでにトゲトゲの丸姿。 花が開き始めた直後に近づいて見ると、 5枚の花弁を持つ小さな花が集まって球状になっていることがわかる。 ヨーロッパや西アジア原産で、日本には園芸用や薬用として渡来。 日本原産のヒゴタイやテラオカアザミにそっくりだが、 これらはキク科ヒゴタイ属で、こちらはキク科アザミ属。 葉の裏側に白い毛が生えるので、別名はウラジロヒゴタイ。 解熱や解毒、炎症止めの薬草としても栽培される。 リトロ〔E. ritoro〕(和名:ルリタマアザミ)は、 庭植えや切り花やドライフラワーに利用される。草丈は、1m前後になる。 葉は長楕円形で深く切れ込みが入り縁にトゲがあり、アザミに似ている。 夏に咲き、淡いブルー、もしくは白色の小さな花がまとまって咲く。 直径4cm~5cmの真ん丸な球形(頭状花)姿、故ルリタマアザミ(瑠璃玉薊)の和名がある。 日本にはヒゴタイ〔E. setifer〕が自生しているが、その自生地は極端に減少している。 ヒゴタイは環境省のレッドデータブックで、 絶滅危惧IB類(近い将来絶滅の危険性が高い種)に指定されている。 名前はギリシア語のエキノス(ハリネズミ)とオプス(似る)から。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ 《時節感慨・・ひとりごと・・》 北朝鮮は、北海道上空を通過した29日のミサイル発射について、 中距離弾道ミサイル「火星12」の発射訓練であることを表明した。 米韓合同軍事演習への対応措置、そしてその序幕にすぎない、と述べている。 米トランプ政権に突き付けた挑発行為なのか。 驚いたことには、「日本が慌てふためく大胆な作戦を練った」とし、 1910年に日本による朝鮮統治が始まった韓国併合条約の公布日、 8月29日に合わせ、実施した点を強調した。 火星12は、順安(スナン)飛行場から発射、「首都で初めての発射訓練」とも発信。 ミサイルの性能が完璧なものになった、と強調している。 周辺国の安全にいかなる影響も与えなかったとも主張した。 * * * * * * * 朝鮮統治に遡っての主張となれば、第二大戦後の拉致問題、日本側の対処は、困難を極める。 日本国民、世論の大きな声が必用、、、と思える。マスメディアのキャンペーンを望みたい。 ※ ※ ※ ※ ※ ※
※ ※ ※ ※ ※ ※ ソテツ(蘇鉄) 雌雄異株で、雄花は50cm~1mの先の尖った円柱状で、鱗片の間に花粉嚢が密生する。 ソテツの名は、枯れそうになった根に鉄屑を与えたり幹に釘を打つと蘇ることから付いた。 雌花は炎のように燃え上がる姿をした大胞子葉で包まれ、その中にオレンジ色種子を付ける。 日本では九州南部から沖縄に自生しているといわれている。 低木で幹は柱状、高さ2-4m位、表面は枯死した葉柄の基部に覆われている。 葉は茎頂に集まってつき、長さおよそ1mの1回羽状複葉、表面は深緑色で光沢がある。 研究者ノート(筑波大・國府方吾郎) 『ソテツのなかま(ソテツ目)は、1億5千万年以前の中生代中期にもっとも栄えた裸子植物で、 その形態や生殖様式が原始的であることから「生きた化石」とよばれています。 ヤシに似ているため、学名もドームヤシのギリシャ語[Koikas]に由来すると考えられています。 しかし、ヤシは被子植物で、ソテツはイチョウやマツと同じように裸子植物ですので、 両者は系統学的にかなり遠縁で、いわば他人の空似です。 裸子植物で、イチョウと同様に中世代のジュラ紀の地層から 多数のソテツ属の化石が発見されており、生きた化石ともいわれる所以である。 根に珊瑚状の根粒がある。幹は高さ8mになるものもある。 古来、不老長寿の効あり、とも言われたのはその豊富なでんぷん質のせいかと思われる。 沖縄では食料事情の悪いときにこのソテツの実から澱粉を取って足しにしていた由。 だが、水さらしが十分でないと中毒症状を起こすこともしばしばであった。 これを「ソテツ地獄」と呼んだそうである。』 ソテツといえば、子供の頃、ご近所のお宅の裏庭に大きなソテツの樹があった。 夏、この樹にカナブンが集まってきた。又、クワガタもいたような気がする。 昆虫採集に事欠かなかったあの頃を思うと、今は昆虫が少なくなった。 昆虫に限らないが、何でも手に入れることが容易になった今の時代。 お陰でペットも色々多種になった。又、ペットが逃げ出し野生化して問題になることも。 今、鎌倉市内で当たり前の様にどこでも見れる「タイワンリス」。 このリスは、伊豆大島からの移住到来種と云われている。 前の東京オリンピック(昭和39、1964年)でヨット会場になったのが藤沢市江ノ島。 1965年から1974年まで江の島ー伊豆大島間に高速ジェットフェリーが定期運航されていた。 その船に乗って大島から逃亡した「タイワンリス」が、緑濃い三浦半島で繁殖したと云われる。 2009年より年3回、直行便の運行が再開された。懐かしく昔の記憶が甦える。 話をソテツに戻して。。。! ソテツと母の思い出。 ソテツの葉を煮出していると、トウモロコシやそら豆を煮ている様なにおいがする。 黒々とした葉の姿からして濃厚な染液が出るやに思えるが普通の水ではなかなか色が出ない。 試行的にアルカリ水で煮出すと、薄黄色の液になったと記憶している。 なんとなく白濁でトロミがあるのは、多く含まれるでんぷん質によるものか?? 努力してソテツ液で媒染するとあっさり色。鉄分での媒染で明るい飴色や枯野色とは、見事だ。 母は、楽しみで子供の浴衣等を自分で染めていた。戦後の物資のない時代だったからか?? 記憶にあるのは、泥染め時、ソテツの葉を泥の中に入れていたこと。そんな事を思い出す。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ 《時節感慨・・ひとりごと・・》 先日終戦(敗戦)の詔書を改めて読んでみた。終わりがあるのだから始めもある。 と大東亜戦争(太平洋戦争)の開戦の詔勅(米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)を読んだ。 <現代語訳文(正確な訳文か否か??> 神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、 忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。 私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。 私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、 私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、 私の国民はおのおのその本分をつくし、 一億の心をひとつにして国家の総力を挙げ この戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。 そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、 大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、 遠大なはかりごととして、私が常に心がけている事である。 そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、 帝国の外交の要としているところである。 今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。 まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。 中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、 東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。 さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、 ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、 兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。 米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、 東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。 あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、 更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、 帝国の生存に重大なる脅威を加えている。 私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとさせようとし、長い間、忍耐してきたが、 米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、 経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。 このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、 ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては、 我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。 皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、 すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、 それによって帝国の光栄の保全を期すものである。 天皇の署名と印 昭和十六年十二月八日 * * * * * * * 始まり、と終わりの詔書を読み史実を遡って考え合わせると、感慨深いものがある。 1950年代幼・小・青年期を過ごす、当に「自虐史観」を教えられていた。 そんな中、小6担任の先生は、全きの軍人感覚の持ち主で誇りある日本人感覚を示して下さった。 そして、中学生時代に体験した「いじめ」、これらのことが僕の感性の源と思っている。 「護憲」「今の日本は、平和」等々と言い切っている国会議員。。。!?! わが子たちには、比較衡量、物事を真摯に受け止める、 他人の論理をも受け止めた上で物事を思考できる人に育って欲しい。 ※ ※ ※ ※ ※ ※
※ ※ ※ ※ ※ ※ ハマオモト(浜万年青) 種子が海流によって運ばれ、海岸で育ち、姿がオモト(万年青)に似ているので名前が付く。 別名ハマユウ(浜木綿)。これは花が神事に用いる幣を作る木棉(ユウ)に似ていることから。 元々南方系植物だが、房総半島の家々では、園芸用として庭に植えている。 花だけをみるとシロバナヒガンバナにそっくり、ハマオモトもヒガンバナ科である。 和名は、葉がオモトに似て海岸に生えることから。一般にはハマユウのほうが知られてるか。 地下茎は鱗茎になる。葉は、帯状で厚く光沢があって先が尖る。 花茎は太く頂部の散形花序に固まって花を多数つける。 花序の基部に総苞片が2個あり蕾のときは包まれている。花被片は、白色。 花の芳香は、結構強い。夜間には、更に強く匂う。種子は、球形コルク質で種皮に包まれてる。 在来種で、 暖地海岸の砂地で生きている。 神奈川県レッドデータ生物調査報告書(1995年)によると(抜粋); 三浦半島ブロック、佐島・天神島周辺は、海岸段丘が発達している。 三浦半島は,黒潮が流れ込む海に面しているため,比較的温和な気候でもある。 海洋性気候を反映して三浦半島が亜熱帯起源植物の北限地と云われている。 三浦半島以北に分布しない植物にハマオモト,ハマボウなどがある。 このような地形的、地史的な背景から三浦半島に局在する種類とその種構成が特徴的でるのは、 護岸や埋立などのなされていない自然海岸には、 エビアマモ、タチアマモ、スカシユリ、ハマオモト、ハママツナ、ホソバノハマアカザ、ハマボウ、 スナビキソウ,イソギク,ワダンなどが見られる。 海岸段丘斜面には、ハマイブキボウフウ,ソナレマツムシソウなどが見られた。 絶滅種、絶滅危惧種の概要 大楠山・芦名・子安・秋谷・大田和・長坂・荒崎などは相模湾側の半島西部で、 横須賀ではもっとも人口密度の低い地域であるが、最近丘陵地山林の宅地化が著しい。 天神島,荒崎などの海岸は自然海岸であるが、そこに生きる植物は絶滅危惧にさらされている。 ハマボウ(1935年に佐藤達夫が発見)、グンバイヒルガオ(1960年)、ソナレマツムシソウ、 ミズオオバコ(1960年)、ハマアザミ(1959年)などが記録されているのだが、 最近はめっきりと減っているやに見える。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ 《時節感慨》 目に見えない国家間戦争が、愈々熾烈になってきた、と感じる記事を読んだ。 * *YOMIURI ON LINE* * 空自「宇宙部隊」創設へ…対衛星兵器など監視 防衛省は人工衛星の運用を妨げる宇宙ゴミ(スペースデブリ)や 対衛星兵器などを常時監視する「宇宙部隊」を航空自衛隊に創設する方針を固めた。 新たに監視レーダーを設置し、2023年度からの監視活動の開始を目指す。 人材育成のための関連経費を18年度予算の概算要求に盛り込む。 宇宙部隊は宇宙航空研究開発機構(JAXAジャクサ)とも情報共有し、 主にアジア地域に関係する宇宙空間を監視する。 また、米軍と連携することで全世界的な監視網を整備する。 18年度中に監視レーダーの設置場所を決める予定だ。 また、同省は中国などがレーダーで捕捉しにくいステルス性能を持つ 最新鋭戦闘機の開発を進めていることを受け、 ステルス機を早期に探知する新たな警戒管制レーダーの開発に着手する。 概算要求に関連経費約196億円を計上する方針で、24年度から運用を始めたい考えだ。 2017年08月18日 10時30分 Copyright © The Yomiuri Shimbun * * * * * 安全保障・国土防衛、なんとも面倒くさい・・難しい局面に来たって感じる。 ※ ※ ※ ※ ※ ※
※ ※ ※ ※ ※ ※ 《時節感慨・・ひとりごと・・》 昭和20年(1945年)8月15日正午、昭和天皇が自ら詔書(大東亜戦争終結ノ詔書)を朗読・放送、 日本がポツダム宣言を受け入れたことを国民に対して明らかにしたラジオ放送を「玉音放送」と呼ぶ。 以下、「終戦の詔勅」を口語訳で表記し(不正確かも知れないが)、今を考えたい。 『私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、 ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。 私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、 それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告するよう下命した。 そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、 代々天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことである。 先に米英二国に対して宣戦した理由も、 本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、 他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない。 ところが交戦はもう四年を経て、我が陸海将兵の勇敢な戦いも、我が多くの公職者の奮励努力も、 我が一億国民の無私の尽力も、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、 戦局は必ずしも好転していないし、世界の大勢もまた我国に有利をもたらしていない。 それどころか、敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、 しきりに無実の人々までをも殺傷しており、 惨澹たる被害がどこまで及ぶのか全く予測できないまでに至った。 なのにまだ戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、 ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう。 このようなことでは、私は一体どうやって多くの愛すべき国民を守り、 代々の天皇の御霊に謝罪したら良いというのか。 これこそが、私が日本国政府に対し共同宣言を受諾(無条件降伏) するよう下命するに至った理由なのである。 私は、日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対しては 遺憾の意を表せざるを得ない。 日本国民であって前線で戦死した者、公務にて殉職した者、戦災に倒れた者、 さらにはその遺族の気持ちに想いを寄せると、我が身を引き裂かれる思いである。 また戦傷を負ったり、災禍を被って家財職業を失った人々の再起については、 私が深く心を痛めているところである。 考えれば、今後日本国の受けるべき苦難はきっと並大抵のことではなかろう。 あなたがた国民の本心も私はよく理解している。 しかしながら、私は時の巡り合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて、 未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思うのである。 私は、ここに国としての形を維持し得れば、善良なあなたがた国民の真心を拠所として、 常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。 もしだれかが感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起したり、 あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ、 そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは、 私が最も強く警戒するところである。 ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、 責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、 正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、 世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。 あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動せよ。』 ※ ※ ※ ※ ※ ※ 勝てば官軍、負ければ賊軍、こんな表現が思い浮かぶ。 第二次世界大戦から70年以上をもった。戦争は、あってほしくない。 願わくば、軍備も保持しないほうがいい。 だが、国の安全保障・国民の安全を考えれば軍備は必要不可欠。 今の自衛隊の法的位置づけは、全く隊員の人権を無視していまいか。 而して海上保安官、行政警察官、消防吏員の職務を軽んじてはいまいか。 国民・庶民は、かような人々に守られて生活出来ている。 現場の過酷な・熾烈な職務に感謝の念が希薄である。 国会議員のみんさん、奉仕とか、公僕と言った言葉を真摯に考えて頂きたい。 8月15日は終戦の日ではない、敗戦の日であることを肝に命ずるべきである。 70年立っても「東京裁判史観」感覚が態勢か?? もっと永い、遠き昔からの日本史・史実を国民は深く知るべきであろう。 国家主権とは、なんぞや?? 隣国から聞き及ぶ干渉ごとに堂々と対処すべきだ。 日本国民は、法の下に権利・義務を持つが、自衛官は、中途半端な位置づけだ。 正式に軍隊と認めるべきではないだろうか。災害救助隊ではないだろうに。。。? 数十年前に異国で見た戦闘、全くの他人事であった。 今、我が国の隣国は、色々な意味で「敵」状態だ。しっかりと守らねばいけない。 武力ではない戦争状態が、今・・・と映る。 ※ ※ ※ ※ ※ ※
※ ※ ※ ※ ※ ※ ヒメヤブラン(姫藪蘭)クサスギカズラ科(Asparagaceae) 学名:Liriope minor (Maxim.) Makino ヤブランよりちょっと小形。多分姫薮蘭。 花の大きさに大差ないが、花の付き方がヤブランは連続して付くが、姫は、まばら。 又、ヤブランは日陰を好むが、ヒメヤブランは日当たりの良い場所を好む。 根は、先端付近で肉質の紡錘形に太る。葉は、狭線形で基部は膜質の鞘に被われ葉縁は平滑。 花茎は、葉よりかなり短い。花は、単生か2~3個で束生する。 まれに白花のものもあり、シロバナヒメヤブランという由。 コヤブランにも似ているが、中々見分けられない(私観)。 居所近くの公園で偶然見つけたのだが、果たして何薮蘭か??確信は、持てない。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ 《時節感慨・・ひとりごと・・》 隣国の報道発表に驚く。日本国政府の対応は聞こえてくるが、しかし!?! 国会野党の見解が見えない。有事の際は、ただただ、政府批判で終わりか?? 脅威に対する前後策を何故に協議しないのか、不可思議だ。 ※ ※ ※ ※ ※ ※
※ ※ ※ ※ ※ ※ 神奈川県葉山町に「鐙摺」(アブズリ)と呼ばれてる所がある。 あぶみ‐ずり【×鐙×摺】 1 馬の脇腹の、鐙が当たる部分。また、鐙が当たってできたたこ。 2 鎧(よろい)の脛当(すねあ)ての内側下部。かこずり。 3 播磨革(はりまがわ)などで作った簡単な障泥(あおり)。 4 馬の鐙がすれるほど、道幅の狭い箇所。あぶずり。 . (出典・小学館/デジタル大辞泉) 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説では; 鐙摺あぶずり 神奈川県三浦郡葉山町北部の一地区。逗子(ずし)市南部に接する。 海岸沿いに国道134号が走る。海岸道は中世までは古東海道の一部であった。 平安末期から三浦氏の一族、大多和義久(おおたわよしひさ)の別館があったが、 1177年(治承1)伊豆の蛭ヶ小島(ひるがこじま)に配流中の源頼朝が訪ねたおり、 近くの小山に築城(現鐙摺城跡)しようと検分したが、道が狭く急で、 岩に鐙(あぶみ)が摺(す)れたので頼朝が「鐙摺」と命名したのが地名のおこりと伝える。 小山下の船溜(ふなだま)りはわが国近代ヨットの発祥地で、現在もヨットハーバーがある。 この付近から逗子市境にかけた一帯の基盤地層に、日本列島の生成史、 即ち第三紀の造山運動を物語る「鐙摺の不整合」が露出していることでも有名。[浅香幸雄] 鐙摺城址(あぶずりじょうし) 源頼朝にゆかりの深い葉山の鐙摺城址(鐙摺山)は、旗立山とか軍見山とも呼ばれ、 鐙摺城址、鐙摺山山頂は、小さな平場になっている。 国道134を下り、逗子の渚橋を右折して少し進むと日影茶屋がみえ、 その対面に高さおよそ25メートルくらいの小山があり、これが鐙摺城址(旗立山、軍見山)。 鐙摺城址へは日影茶屋の駐車場脇から登る。 山頂からは逗子、鎌倉の海岸沿いを見渡せ、江ノ島や富士山を望むことができる。 小さな山には、3つの歴史がある。 鐙摺城址は、 1177年(治承元年)、挙兵前の源頼朝が三浦を訪れた際に逗留した場所か!! 又、 1180年(治承4年)8月、挙兵した頼朝のもとに参じるため、 三浦一族300騎は鐙摺城址の北側にある小浜から出向したが、河川の氾濫などで間に合わず、 その間に頼朝は石橋山の合戦に敗れてしまった。 三浦一族の軍勢は引き返すが、帰路、由比ヶ浜のあたりで畠山重忠の軍勢と小競り合いとなった。 その時、軍勢を率いた三浦義澄はこの山に旗を立て軍勢を鼓舞したとの伝説から旗立山とも呼ばれている。 更に時代は下り戦国初期、北条氏に滅ぼされた三浦一族は再興を果たし、 三浦道寸を領主として三浦半島に勢力をもっていたが、今度は後北条の北条早雲に滅ぼされてしまう。 その戦いの最中、1512年(永正9年)、北条早雲と戦い小坪の住吉城(住吉城址)から撤退。 退却する三浦道寸はこの山に登って物見したといい、この逸話から軍見山と云われるようになった。 山頂の平場には葉山町指定史跡になっている「伊東祐親入道供養塚」がある。 『曾我物語』に「伊東祐親入道は三浦の鐙摺というところで首をはねられた」とあることに由来している。 塚は石を重ねた簡素なものだが、中々の趣きがある。 伊東祐親入道は伊豆の豪族。源頼朝の伊豆配流時代、北条とともに世話をした伊豆の名族でもあった。 祐親には4人の娘があり、この内3女と頼朝が通じ合い男子が生まれ千鶴御前と名付けた。 大番勤のため祐親は京都におり、伊豆に帰ったのは千鶴御前が3歳になった時であった。 この事を知った祐親は激怒し、千鶴御前を殺してしまう。さらに3女をむりやり北条義時に嫁がせた。 その上、頼朝を夜討にしようとしたが、失敗に終わる。 平氏が倒れ、源氏の時代となると源頼朝にこのような不信を働いた伊東祐親が許されるわけもなく、 生け捕りにされ祐親の長女が嫁いた三浦義澄に預けられたのち、鐙摺において首をはねられた。 源頼朝の愛妾、亀の前、「鐙摺」というところは源頼朝と縁の深い場所である。 頼朝は愛妾、亀の前を小坪飯島にある伏見冠者広綱の家に住まわせていた。 1182年(寿永元年)11月10日、頼朝の御台所であった政子は北条ゆかりの牧宗親に命じて広綱館を壊させたため、 広綱は亀の前を鐙摺にある大多和義久の屋敷に逃した。それがためか、頼朝は度々義久の屋敷を訪れ遊宴を催した。 今の鐙摺バス停まえに小さな浜がみえる。三浦一族300騎が船出した小浜の名残だ。 時代はさがって、現代。この小浜脇が近代ヨットハーバー発祥の地。色々と由緒ある地だ。 僕の青春時代、思いである地、又、味の素創業の地でも在るが、今や知る人も少ないだろう。 青春時代、画像探しによくよく通った場で見た富士山、今も景観は変わらない。 鐙摺の隣に森戸海岸があり、夏に母校の海の家で時折たむろして法律談義をした。 当時と今、我が考えは、変らない(改憲思考)。当時も改憲などと主張される先生は、極少数だった。 今の社会情勢・国際関係・安全保障等を思うと、基本法たる憲法を再考すべき時、と思うのだ。 「原爆」 「核保有」 「被爆」 「抑止力」 「広島」「長崎」 「チェルノブイリ」「福島」其々の地で爪跡・資料を見てきた。 核兵器廃絶・・不戦、その上での安全保障を如何に考えるか。。。! 《時節感慨・・ひとりごと・・》 1945年8月6日広島に、同年8月9日長崎に相次いで投下された原子爆弾、 その投下で20余万人もの人々が亡くなった。 更には、放射能被曝による後遺症は、70年を以ってしても消えていない。 これほどの現実が在る故に、あったが故に核兵器の脅威を想像できるのである。 核保有国が、新たに保有しようとする国を批難する事自体、おかしなことだ。 兵器によってではないが、放射能を浴びてしまった人々もいる。 だが、核実験を知らされずに、放射能を浴びて苦しんでいる人々の存在は、更に悲惨だ。 隠蔽されてる、否、平然と汚染を放置している核保有国、とても許す事などできない。 戦争の悲惨さを身をもって体験した日本にとって、永遠に不戦の誓いを持ち続けたい。 だが昨今の日本を取り巻く環境の変化に、如何に対処すべきか真摯に検討しないと。 余りにも、ある種の平和ぼけに在るのが今の日本人だ。 戦争は、反対だ。がしかし、国を守る、国民を守る策は、講じる必用はあるだろう。 安全保障、国防を考えれば、国法の基本たる憲法の見直しを切に願う。 先進国と言える如くに復興!?!した日本は、弱小国と言われる国々に援助の手を。 隣国の脅威・・・遺憾ともしがたい。 ※ ※ ※ ※ ※ ※
※ ※ ※ ※ ※ ※ イズカモメヅル(伊豆鴎蔓); コバノカモメヅルの変種で伊豆半島の海岸近くに分布。 コバノカモメヅルより葉ガ丸い。 カモメの名は、葉がカモメの翼に似ることから。他にアズマカモメヅルが在る。 絶滅危惧2類 (VU) 、一般的に砂礫地植物(海岸性)と言われている。 草丈30~80cmで茎は先端が伸びてつる状、葉は下部は厚く丸みがある。 コバノカモメヅルの海岸型といった感じである。(「海岸草木列伝」近田文弘著) コバノカモメヅル(小葉の鴎蔓・学名:Vincetoxicum sublanceolatum)は、 都心で見ることもできる野草らしいが、箱根湿生花園でしか拝んだことがない。 かもめづるとは、葉がカモメの翼に似ることからに由。 数年前に伊豆高原近くの海岸線で確認した。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 《時節感慨・・ひとりごと・・》 安倍首相は8月3日、内閣改造を行い第3次安倍改造内閣を発足させた。 戦後の内閣の中でも成果・結果を出している方だが、倒閣しか表に出てこない(マスメディア)。 野党の無策でしかないのだが・・・・!?! どうか、隣国の脅威を払拭する対策を示し、実践してほしく願うばかりだ。 ※ ※ ※ ※ ※ ※
※ ※ ※ ※ ※ ※ ハマナス(浜茄子)の果実。 ハマナスと呼ばれていてもバラ科の植物。 花やトゲのある茎や葉を見ると明らかにバラ科と映る。 仲間には コハマナス、マイカイ、白花のシロバナハマナスがある。 実がナシに似る??でハマナシ(浜梨)がなまったという説が有るが、 赤い実を見ると、ナシには見えず、ナス科のトマトそっくり。 海岸の砂地に生え、樹高、1~1.5メートル。 1~2回3出複葉の葉は毛で被われ、枝には棘が多くある。 6月から7月ごろ、枝先に淡い紅色の5弁花を咲かせる。 花後の果実は平たい球形で赤く熟し、食べることもあるらしい。 画像は、多分園芸品種でルブラ(cv. Rubra)ではなかろうか??? 茨城県鹿嶋市大小志崎が「自生南限地」と言われている(日本海側は島根県)。 太平洋側・日本海側ともに南限が「鹿島」という地名区域とは、偶然か?? 数年前に茨城県北茨城市「五浦海岸」でも見た。 津波に耐えたのか、偶然発生したものか??いずれにせよ自然は凄い。 花には芳香がある。庭木、鉢植え、花材に用いられている。 果実にはビタミンCが多く含まれている。又、根にはタンニンを含み染料とされている。 花弁を乾燥させた生薬は胃痛、下痢止め等に用いられた。花からは油をとって香料に。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 《時節感慨・・ひとりごと・・》 隣国で又々、ミサイルの発射・・実験??を、それも今回は、東北・北海道方面。 あちこちへと打ち上げているのに、国内では打倒政権への愚論主張ばかりが目立つ。 国防・安全保障問題を蔑ろにして、国会議員の役割って何だ??? 個人的には、僕自身の体調不良もあってボヤキばかりが出てくるのだが。。。 マスメディアの印象・・引証??操作は、あまりにも悍ましい。 わが子たち年代は、ネット等で諸論考を比較、自己判断はできようが、、、! 我々老齢者年代は、地上波TVや新聞が殆どのニュース源だろう。 獣医学部問題で、最後の岩盤規制を作り上げたのが前地方創生大臣だった!! 族議員は、与党内に多い。この問題が出てこないのがおかしい。 現政府の方策は、現実に見合っている。 憲法論議・憲法改正は、早急に対処しないといけない最重要問題だ。 ※ ※ ※ ※ ※ ※