花の雰囲気・・同じ花でも気象条件等、場所によっても感じ方が違う。 桜の種類ってどれほどあるだろうか??? 名前だけで実際に見たことはないが、資料で見ても100種以上。 全国区の種はよしとして・・・神奈川特産(名前)の桜を紹介してみる。 表題の「春めき」は登録名。登録以前は、「足柄桜」と呼ばれていた。 小田原・大雄山線富士フイルム駅近くの狩川沿に「春めき桜」土手並木がある。 早咲の桜で3月15日頃から例年開花するみたいだ。 この「春めき桜」はカンヒサクラとシナミサクラ『別名カラミザクラ(唐実桜)』の交雑種らしい。 実生の桜から生まれたと言われている。 色・形 淡紅紫色中輪の桜で、コヒガンに似た色合いだ。 面白いことに開花後の退色が早いと言われている。 朝の花弁の色合い、その日の夕方の色合いで印象が違うのか!?! 近寄って見ると、 毛深い小花柄・すずらんのような萼筒・萼片、 花弁からはみ出すほど長いおしべ…と 特徴あり印象深い。 足柄市のふくざわ公園に60本、狩川両岸の春木径(はるきみち)と幸せ道に171本。 これから年々増えていくことだろう。 ※ 春木径の桜は、南足柄市の名誉市民でおられた富士写真フィルムの創業者春木榮さんが101歳で天星された翌年2001年の春、101本植樹されたもの。※
この時期に里山等でかわいい姿を魅せる花・ミスミソウ(三角草)。 一般的には、「雪割草」と呼ばれている(花図鑑・ネット・園芸店等で)。 里山で行き交った方に「何を撮っているか?」と尋ねられて、ミスミソウと答えた。 近寄ってきた方が、「雪割草」ですよ・・それ!?! ちょっと説明すると納得してくれたが「雪割草のほうが聞こえがいい??」って去っていった。 僕達山仲間では、普通に区別しているが、「雪割草」といえば・・・。 日本固有種で中部地方から関東地方北部、北海道それに四国・九州の一部に分布。山地から亜高山帯の岩場や草地などに生え、高さは10~15センチ位。葉は倒卵状楕円形で基部はしだいに細くなる。裏面は黄色を帯びて、5月から7月ごろ、花茎の先端に散形花序をだし、紅紫色からピンク色の花を咲かせる花を指している。(画像1)。 ところが、一般的には、画像2~4のミスミソウ、その他にも、すはまそう・けすはまそう・オオミスミソウをひっくるめてたんに雪割草と呼んでいる。 覚えるほうが大変だ^^)。 これらのみすみそう属植物は、本州、中部地方以西から九州に分布し、落葉樹林内に生える。高さは10~15センチ位。葉には長い葉柄があり、3裂して裂片の先が尖り、3月から4月ごろ、花茎を伸ばして、直径1~1.5センチほどの花を咲かせる。花弁のように見えるのは萼片で、白色や淡紫色、淡青紫色、淡紅色などの変異があり、別名で「ゆきわりそう(雪割草)」とも呼ばれる。 「国営越後丘陵公園」のネット紹介をみると、 「新潟県の草花」雪割草。 「雪割草」は、キンポウゲ科ミスミソウ属( Hepatica )の園芸名で、北半球に9種類の分布が知られています。日本にはその中の1種類( H.nobilis )から分かれたミスミソウ・スハマソウ・オオミスミソウ・ケスハマソウが自生しています。 こうした国営と冠を戴く所では、はっきりと別名として正式名をかざすべきと思うのだが!?!
『お花見の季節』 気温の変化が激しい今年。桜前線もどこかおかしい(*_*)!! 例年のことだが、梅見~~桜のお花見、と。 中を取り持つ、桃の花見場所が少ない(知らないだけかも^^)。 市民農園の梅の花を鑑賞(画像1)。そして、 偶然だが近くの里山の森の中に水道局が植林した桃園を見つけた(画像2・3)。 里山の散策路から外れている。地元の人のみが知る!?!「桃園」 更に驚いたのが、桃の木の後ろ側、下がった所に!!(画像4・5・6・7) 連れはマメザクラといっていたが花色の紅色具合・花が大きい等々 マメザクラとエドヒガンの交配種「コヒガンザクラ」ではなかろうか?? マメザクラは箱根周辺で見ることができるが、 この「コヒガンザクラ」とおぼしき花・樹は??神奈川県内の野で初めて見た。 学名;Prunus Xsubhirtella cv.Subhirtella バラ科サクラ属。 酒宴を好まない(お酒をいただかないだけ)、人混みが嫌いな僕には、 程よいお花見ハシゴだった。
春到来。だが、東北青森と神奈川県では温度差20度以上もある。 早朝の青森から神奈川に戻ってみると一気に“暑い”って感じた。 1週間で2往復!?!おまけにあちこち寄って。。。 若くないんだァ・・・!って感じるのは左膝・右肩が。。。!?! 若いころ痛めた所が痛みやすい。ケアーを心がけないと。 戻ってきて、リハビリ散歩?^^)。 白・黄色と、一気に花が咲きはじめていた。 (3月9日)
三陸海岸線に予想だもしない大災害をもたらした東北大震災、早い、あの日から明日で2年。 拙宅ある神奈川県も地震には怯える地域。だが何となく他人ごとのような感じでの生活環だ。 被災地の全体像が見えない。それ程に広範囲で被災している。膨大な義援金が集まったと聞き及んでいるが、その全体像・・使途もよくわからない。 できることは何か?? 小さな我々仲間では・・個々の知り合いだけしか応援できない。それでも必死な被災過疎地の人々を思うと如何ともし難い。 改めて、被災地の現状を・・・甚大な被害、未だ進まない復興現場の凄惨さをリィポートしている記者の記事を紹介したい。 【忘れない、立ち止まらない】内外に広がる風化 「震災の恐怖」が「薄れていく恐怖」に 上記の表題で被災地;岩手県大船渡市・陸前高田市・住田町を販売エリアとする地域紙「東海新報」社の記者、鈴木英里(すずき・えり)氏の叫び。 * * * * * * 「復興も進んで、だいぶ落ち着いたようですね」 こうねぎらわれるたび、思わず言葉に詰まる。こちらが曖昧な笑みを返すだけなのを見て、相手もいぶかしく思うらしい。気まずい思いをさせて恐縮なのだが、なんと答えたら分かってもらえるだろうと考えを巡らせるうちに、つい絶句してしまうのだ。 東日本大震災発生から、まもなく丸2年を迎える。 カーテンを体に巻きつけ、寒さをしのいだ3月。消えた家族を捜し、徒歩で遺体安置所を回る毎日。足の踏み場なくうごめく蛆(うじ)、そして蜂ほどもある蠅の大群におびえる夏-そうした日々は確かに過ぎた。 仮設住宅への入居で一段落、町にあふれた報道陣やボランティアも大半が去り、住民も落ち着きを取り戻したかのように見えるだろう。 だが決して、被災前の暮らしが戻ったわけではない。むしろ、以前にも増して“失い続けている”と言っていい。 陸前高田市では被災した公共施設の解体が始まり、昨秋から建物との「お別れ式」が相次いだ。がれきが片付けられ、初めから何もなかったと言わんばかりに広がる更地。ひとつ、またひとつと“町の記憶”が失われていく(画像1)。 以前を知らない人にどれほど言葉を尽くしても、もはや「そこに町があった」と想像することはできまい。空恐ろしいのは、視界から消えた途端、そこで暮らしていた者さえ、どこに何が建っていたのか定かでなくなってしまうことだ。 内にも外にも広がる風化。「震災の恐怖」が、「薄れていく恐怖」。このまま忘れ去られるばかりなのかと、住民は焦燥感を募らせる。 さらに、だだっ広い浸水域を目にし、改めて「ここへ住むことまかりならぬ」という現実を突き付けられる。高台移転の実現は何年先になるのか、具体的なスケジュールはまだほとんど示されていない。見通しのきかぬ濃い霧中へほうり出されたような歯がゆさは諦念に変わり、「もうずっと仮設でいい」という声が、高齢者のみならず若い世代からも聞こえ始めた。 これまで無我夢中で走ってきた人たちが、ふとわれに返り「まだこれしか進んでいないのか」と立ち止まってしまうと危険だ。下手をすれば、そこから先に進む気力を保てなくなってしまうからだ。 この2年、闇の中から必死にはい上がってきたものの、多くの人は心身ともに、いつまた転げ落ちるか分からないギリギリのバランス上にある。被災地ではあの日から何も“終わって”などいない。それどころかまだ“始まって”すらいないのだ。 【忘れない、立ち止まらない】「防潮堤」で気付かされた自然へのおごり(画像2) 「12・5メートルにするって、いつ、どう決まったんだ」「そんなもの本当に意味あんのか」。 陸前高田市の防潮堤づくりに関する行政や議会とのやりとりのなか、市民はしばしばいらだちを滲ませた。 4階建てビルに相当するコンクリートの壁が、海沿いに延々と続く…。想像するのも難しい非日常的光景であると同時に、それだけの高さ・規模と聞いて、まず住民が思い浮かべたのは、釜石市の全長2キロにわたる防波堤ではなかったろうか。 「世界最新」のギネス記録を誇り、30年の歳月をかけて2009年に完成したこの“海の砦(とりで)”は、東日本大震災の大津波で崩壊。総工費1200億円が一瞬で水泡に帰した。 津波を6分間遅らせる効果があったとも分析されているから、全く無意味だったとはいえない。だが。 「人の造るものには限界がある」-。それがこの津波を経験した人に等しく宿る思いだろう。 こうしたなか、「森で防潮堤を築こう」というプロジェクトが注目されている。埋め立てたがれきの上に盛り土して常緑広葉樹を植え、堤防を“育てる”-。横浜国立大の宮脇昭名誉教授が提唱するこの方法は、岩手の大槌町、宮城の岩沼市などで実現を目指すところだ(画像3)。 10~15年かけて地中深く根を張った木々は、押し波に耐えるだけでなく、引き波で人や物が流出するのを防ぐ。実際、カシやタブノキの木立がこの津波にビクともせず立ち、何十台もの車をせき止めている光景は圧巻だった。 発災後まだ半年のころ、京都の高僧と陸前高田で出会った。その僧が「人間の傲慢さに、自然が警鐘を鳴らしたのだろう」と口にした。「罰があたったのだ」。言外にその意を感じ取り、「なぜその罰を、東北がかぶらねばならなかったのですか」と叫びそうになるのをようやくこらえた。傷口に塩を塗るような、あまりに心ない物言いに思えてならなかった。 だが今なら理解できる。人は自然のもとに、謙虚であらねばならないのだと。征してやろうなどというおごりは捨て、その力を借り、共存を探る姿勢が必要なのだ。 大船渡、陸前高田の両市で、いまだ300人の行方が分からない。毎月一斉捜索が行われているが、この1年数カ月で見つかったのは「人骨がたった2片だけ」という事実を前に、森の防潮堤構想に携わる陸前高田出身の男性が思いを吐露した。 「鎮守の森があれば、人が海へ“持っていかれる”のを防げたかもしれないのに」…。 戻らない家族を、仲間を待ち続ける人たちの無念さを、置き去りにしてはならない。 ※横浜国立大の宮脇昭名誉教授は、日本で「自然保護」という言葉・定義を定着させた方。自然を生かした町づくりを、40年も前から提唱されている。※
昨今、所要で行き来している近くに立派な植物園がある。 行く度に訪れている。先週も楽しみに訪れてみた。 此のところ、近隣諸国との関係が??? 「支那」「朝鮮」それを冠にした花名が多々ある。 花の少ない野山にあって植物園は、さすがに華々しい!?! 「シナマンサク(支那満作)」(画像1)、 「チョウセンレンギョウ(朝鮮連翹)」(画像2) 「ソシンロウバイ(素心蝋梅)」(画像3)等々に出会えた。 ソシンロウバイ原産国・中国は「素心」を尊ぶ(園芸種として)。 そんな素心蝋梅を中国・四川省北部で見たことがあった(二十年も昔)。 野生種の蝋梅は、内側の花被片が短く暗赤紫色。 この暗赤紫色が抜けて花全体が黄色一色になる花を素心蝋梅と呼ぶ。 素心とは混ざりけのないことを意味するとか。 中国では素心を尊ぶ、ランにしても同様。 「支那」「朝鮮」と冠を戴く国々の知人達、皆、温厚だ。 「素心」「清楚」「簡素」・・「支那」「朝鮮」の奥深い「木の文化」。 それら同様に「和の文化」も含め思うと、文明優先社会が、、、今。 「文化」はどこへいってしまった???等と。。。 激昂・激情的姿の報道を見ると・・どこか・・作為てきに映る。 頭を冷やせ・・・って、「隕石は」気が付かせてくれた!?! 色々な事あるなぁ~~~~! 「咲くも無心、散るも無心。花は嘆かず、今を生きる」 花々より色々と教えてもらっている。。。
雪ニモマケズ、風ニモマケズ、控えめに魅せる「花達」 先日、首都圏に大混乱をもたらした降雪。 見た目には美しいのだが、、、!って、再度今週末に降雪か?? 先日の降雪の翌朝、路面は凍てつき、歩くより良いかって!?! 自転車に乗り近所まで出かけた(脚の鍛錬)。 気をつけていたのだが、左折する所でスッテンコロリ。 厚着??で助かった。それと早朝だったので車も人もいなくてよかった。 目的地のボロ小屋の雪下ろしをしたあと、先の里山方面に歩いてみると・・・!! 陽が当たっている路傍に鮮やかなコバルトブルー色が見えた!!(画像1) 葉っぱに隠れていたがきらりと光って見えた。 綺麗な色合い、ガラス球の様に輝いていた。 じゃのひげ(蛇の髭)、ユリ科の植物の実。 細い髭のような葉に隠れて居る。 そっとかき分けて撮らせてもらった《別名(リュウノヒゲ)》。 まだ1月、関東での降雪は、2~3月に多い。 そんななかでも今、戸外で活き活きと咲いている花が見える(画像2)。 はな菜(菜の花)。花を雪が守っているようだった。 画像の様に咲いてしまうと食用にはならないが、蕾の頃が食べごろ。 食材・野菜でもある。 公園によってみると残雪はあったが・・植物も芽ぶいていた。 ねこやなぎ《狗尾柳(えのころやなぎ)》の花芽も魅せてくれて..。 残雪の中でみるとなんとも言えない。 ゆきのようでもあり・・春を感じさせてもくれた。