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解体心象

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両界曼荼羅と善通寺

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善通寺の西に五岳山がそびえてい... 善通寺の西に五岳山がそびえています。北東から見るとレンゲの花びらのように見えるそうです。
撮影場所は高速道路の直ぐ南「筆の山」と「我拝師山」が丁度重なる位置です。
五岳山 : 香色山、筆の山、我拝師山、中山、火上山
両界曼荼羅と善通寺 東の赤門 東の赤門 西の橋、お寺の境内から撮影。渡... 西の橋、お寺の境内から撮影。渡ると駐車場になります。香色山が左手に奥に筆の山が見えています。 御影堂は弘法大師を祀るお堂で大... 御影堂は弘法大師を祀るお堂で大師堂とも呼ばれています。善通寺の紹介には御影堂が描かれますが、本堂ではありません。 御影堂と鐘楼 御影堂と鐘楼 南の大門 南の大門 五重塔 五重塔 大門から真北に金堂(本堂)があ... 大門から真北に金堂(本堂)があります。 両界曼荼羅と善通寺 両界曼荼羅と善通寺 両界曼荼羅と善通寺 両界曼荼羅と善通寺 本堂の西側に御影堂があります。 本堂の西側に御影堂があります。 御影堂の仁王門 御影堂の仁王門 宮川製麺所パノラマ 宮川製麺所パノラマ
曼荼羅(マンダラ)を見たくて弘法大師後生誕地、善通寺へ行きました。お寺の西にある駐車場に停めて橋を渡れば直ぐに御影堂になります。本来は東の赤門か南の大門を入って先ず金堂(本堂)に参拝するのが参詣順路だと思うのですが 車だと逆になります。橋を渡って左に行くと会館があってお砂踏み道場になっています。以前に行って時にはチベット僧が描く砂絵のマンダラの様子が撮影出来たので 今度も撮影の許可を問い合わせましたが、一切撮影禁止になっていました。久しぶりでしたので境内を一通り撮影して、赤門前にある「郷土資料館」に行き善通寺の古墳遺跡の情報を集めて来ました。
帰りには今月3度目の「宮川製麺所」で昼ご飯じゃなくて「オヤツうどん」を食べて帰路に着きました。
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五角柱地神碑と庚申塔

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青面金剛石塔と看板の背後にある... 青面金剛石塔と看板の背後にある5角柱地神碑 5角柱をした地神碑台座も5角で... 5角柱をした地神碑台座も5角です。 庚申信仰の青面金剛。庚申塔と言... 庚申信仰の青面金剛。庚申塔と言います。青面金剛像の下には「見猿、言わ猿、聞か猿」の像が見えます。 田植えされた田んぼを挟んで庚申... 田植えされた田んぼを挟んで庚申塔を遠望します。 忌部神社の一つ、飯山の麓にある... 忌部神社の一つ、飯山の麓にある王子神社の5角柱地神碑です。忌部氏にまつわる神社には多くあります。基台は円形ですね。 インターネットより引用しました... インターネットより引用しました。斜線部分が「五角柱地神碑」がみうけられる地域の様です。 大窪寺から少し下がった旧道傍に... 大窪寺から少し下がった旧道傍に有る五角形地神碑 榊(さかき)が枯れていますが地... 榊(さかき)が枯れていますが地神碑は神道系の信仰ですね。 地神碑の傍に咲く野アザミにモン... 地神碑の傍に咲く野アザミにモンシロチョウがとまっていました。 田植えされた田圃風景 田植えされた田圃風景 国道傍脇の祠の奥にも地神碑がみ... 国道傍脇の祠の奥にも地神碑がみれます。 旧多和小学校近くの庚申塔です。 旧多和小学校近くの庚申塔です。 五角柱地神碑も文字が見えない程... 五角柱地神碑も文字が見えない程苔むしています。 反対側から見た庚申塔。 反対側から見た庚申塔。 五角柱地神碑と庚申塔 こちらの青面金剛像もかなり劣化... こちらの青面金剛像もかなり劣化しています。
今の所、香川と徳島の忌部氏の歴史と四国八十八箇所霊場にまつわる精神的遺産と云うか遺物を追って連休頃から撮影をして廻っています。
忌部氏は古代日本の祭祀、芸術、技術者の集団でした。古代王権と密接な関係にあり、邪馬台国や古代神話は阿波にあったという説もあります。更に時代が降り平安時代に弘法大師 空海の修行の場として四国八十八ケ所霊場が今に受け継がれています。その為今でもそうした遺産や遺物が現存しています。多くは更に後世の物と考えられますが、現代に至ってはそうした遺構の多くが忘れ去られています。ややスピリチュアルな考えになりますが、こうした遺構の一つ一つに「偉大な想念」が隠されていると思い知らされる様になりました。それを具体的に述べる迄には今の所出来ませんが、少なくともカメラで撮影出来る遺産は存在しています。今それを少しずつ撮影し始めましたので紹介して行きたいと思います。

前回少し紹介した「五角柱地神碑」です。讃岐忌部に所縁の神社や遍路道傍で多く見かけます。5面にはそれぞれの面に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、少彦名命(すくなひこのみこと)、植安媛命(はにやすひめのみこと)、大己貴命(おおむなちのみこと)の神名が刻まれています。五穀豊穣を祈る民間信仰との事ですが調べてみると面白い分布がある様です。四国では香川と徳島、兵庫、岡山、広島、山陰の一部と、忌部氏の分布に近い物が感じられます。一説には江戸時代阿波藩主蜂須賀公が奨励した信仰だとも書かれていますが、分布からしてそれ以前の信仰の様ですね。北海道にも有るそうですが、それは阿波の開拓民によって建立されたそうです。大地を耕し豊作を祈った農民の心の拠り所として「天地の神々」を敬った象徴です。

「庚申塔」あるいは「庚申塚」は中国から伝来した「道教」に由来する「庚申信仰」に由来する石塔だそうです。江戸時代初期頃から盛んに各地に建てられた様ですが、明治政府になって「庚申信仰は迷信」と言う事になり多くは撤去された様です。しかし、第八十八番札所への遍路道沿いに2箇所見ることができます。庚申の日の夜 人間の体内にいる三尸虫(さんしむし・桂三枝では無い^^;)
がその人間の悪行を神様に報告しに行くとされるので夜通し寝ずに青面金剛を祀ったり、宴会をする風習だそうです。青面金剛像の下に「見猿、言わ猿、聞か猿」が彫られているのが象徴的ですね。
青面金剛 庚申信仰 : http://ja.m.wikipedia.org/wiki/青面金剛

この様に四国八十八ケ所霊場巡りでは仏教以外にも古神道や、道教色や、民間習俗色のある信仰などが織りなされている事が判ります。
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古代から祭神を祀り 修験道の霊山 女体山

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女体山からの高松市遠望 女体山からの高松市遠望 古大窪は黄色直線と赤線の林道が... 古大窪は黄色直線と赤線の林道が交差する付近 古代から祭神を祀り 修験道の霊... 古代から祭神を祀り 修験道の霊... 古代から祭神を祀り 修験道の霊... 古代から祭神を祀り 修験道の霊... 雑木に囲まれて見える範囲は限ら... 雑木に囲まれて見える範囲は限られます。 女体神社登山口 女体神社登山口 女体山の以前の名前は「祭神山」... 女体山の以前の名前は「祭神山」と説明しています。忌部氏との関連が有りそうです。 古代から祭神を祀り 修験道の霊... 山頂の女体神社 山頂の女体神社 忌部に関連する神社のシメナワに... 忌部に関連する神社のシメナワによく見られる飾り 古代から祭神を祀り 修験道の霊...
女体山の林道を登って行くと「古大窪(ふろくぼ)」と言う場所が有って大窪寺は初めにこの地に建立されたそうです。ただ傾斜地なので小さなお堂程度の大きさだったのかも知れません。
やがて林道は矢筈山と女体山の間の稜線に出ます。女体山山頂下まで約1kmを稜線に沿って余り高低差無く走ります。此処からは高松市街や小豆島の全景、東讃地区を広く見渡せます。更に稜線上に登ると鳴門海峡に架かる大鳴門橋の橋脚も見ることが出来ます。手前左には大麻山山頂が見えます。この南側の麓に四国八十八箇所霊場一番札所霊山寺が有ります。
女体山山頂へ行くには少し登らないといけません。登山口には「女体山神社」の鳥居が有って、傍に由緒書の札が立っています。由緒はこう記してあります。

祭神山名の由来
太古より祖霊は山中にこもり山頂になるほど浄まった霊が潜むと言う
山中他界(別解説)とか水霊信仰がありました。
寒川町の最高峰である女体山の頂(769m)に祀られている
女体神社の御祭神も埴山姫命(ハニヤマヒメノミコト)
水霊の神の中の1柱
治山治水の神
水分神(ミクマリノカミ)とも称されています。
であります。
しかしながら仏教の伝来(6世紀中期)以降この霊峰にも修験の徒を含む密教行者たちが進出し斗藪(とそう=行脚)の修行地に変容。
為に神仏は次第に習合しました。すなわち弘仁7年(816年)
山岳仏教を開いた弘法大師が密教研学の場を高野山に開設の折 それ以前にそこに鎮まる山の神を女体 それに使えた狩人 すなわち原始宗教者を男体 大師自らを法体と称し 山頂には女体権現、重複には神宮寺的性格の寺が建立されました。また男体も次第に神格化し、山王の御子とか夫婦関係などと称せられるようになりました。
この山系の中腹にある同系のの大窪寺もその前年弘仁6年(815年)建立されました。
したがってこの女体と言う山名その時代に命名されたものと思料されます。

山中他界観 : 古来日本では、死者の霊魂は高いところへと昇っていく性質を持つと考えられ、それは山の頂や高所にとどまって、子孫を見守ると信じられてきました。つまり死んだ人の魂はまったく別の世界へ行ってしまうわけではなく、現実の山の中に死者の霊が集まる他界があるという捉え方が山中他界観です。日本人の他界観にはこの山中他界観のほかに、海中他界、天上他界、地下他界があります。ちなみに浦島太郎が訪れた竜宮は、海中他界観の延長にあるものとされます。
 山中他界観はやがて仏教の影響を受け、山中浄土と山中地獄に分化します。山中の地獄と極楽は、以降の日本の山岳信仰の中心的なテーマとなっていくのです。

女体山の古名は祭神山であると書かれています。古神道の祭事に関わったとされる「忌部氏」に関係が有る記述です。山頂は今は樹々に覆われて見通しが悪いのですが、忌部氏の阿波の国、讃岐国を一望に出来る場所です。

山頂から降り再び鳥居をくぐろうとした時、鳥居のシメナワ(注連縄)をみて、気づいた事が有ります。まず阿波の忌部氏は麻の他、紙も生産していました。シメナワの縄の部分は昔は麻で縄れていて、シデと呼ばれる紙が織り込まれていますから シメナワの発祥は忌部からの物ではないかと言う事。確証は無いのですが、忌部氏にまつわる神社のシメナワは稲わらで大きくフサ状の装飾がある事です。正式なシメナワと略式なシメナワの違いかも知れませんが、今後の宿題としました。また弘法大師は1番札所も88番札所共に忌部氏にとって重要な場所に霊場を開いていると言う事にも気付かされます。
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女体山(にょたいさん)探訪

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かぐや姫伝説を基に長尾町が雅な... かぐや姫伝説を基に長尾町が雅な十二単衣をこしらえて「かぐや姫祭」に使っています。 西照大明神が本尊の「大瀧寺」で... 西照大明神が本尊の「大瀧寺」です。新四国八十八箇所の結願寺でも有ります。 大滝山 大瀧寺近くから見た「女... 大滝山 大瀧寺近くから見た「女体山」です。女体には見えません。峰の連続です。 赤線が「林道矢箸太郎兵衛線」で... 赤線が「林道矢箸太郎兵衛線」です。多和神社や昼寝城跡近くを通る林道です。かなり勾配があったり、落石も多い道です。「歩き遍路」さんが多く利用しています。 讃岐忌部氏ゆかりの多和神社 讃岐忌部氏ゆかりの多和神社 明治時代になって 式内社多和神... 明治時代になって 式内社多和神社は瀬戸内海に近い志度に移されました。郷社の様な簡素な本殿です。 女体山(にょたいさん)探訪 女体山(にょたいさん)探訪 昼寝城解説看板 昼寝城解説看板 昼寝城展望台から見た昼寝城跡の... 昼寝城展望台から見た昼寝城跡の方角。背後に女体山稜線が見えます。 昼寝城跡の報告書 昼寝城跡の報告書 林道脇にひっそり立つ五角形の庚... 林道脇にひっそり立つ五角形の庚申塔。どうやら道路が拡張された時庚申塚の場所が削られたようです。 道路の下に降りると様子が判りま... 道路の下に降りると様子が判ります。 大窪寺山道下にある「兼割庚申塔... 大窪寺山道下にある「兼割庚申塔」。「青面金剛像」も建っています。 「兼割庚申塔」案内板 「兼割庚申塔」案内板 庚申塔の場所 庚申塔の場所 女体山(にょたいさん)探訪 5角柱の庚申塔。何を意味するか... 5角柱の庚申塔。何を意味するか良くわからない。 青面金剛像 青面金剛像 女体山(にょたいさん)探訪 林道に入って集落の川横に在る祠... 林道に入って集落の川横に在る祠。石を祀っています。 何も彫られていませんし、墓標と... 何も彫られていませんし、墓標とも思えません。 ニョキっと慰霊碑がたzつてます... ニョキっと慰霊碑がたzつてます。
東照大明神、すなわち徳川家康の墓陵、日光東照宮の西側には「男体山(なんたいさん)」が有ります。弘法大師が彫ったと言われる西照大明神(にしてる)を御本尊として祀られている大瀧寺の東北には「女体山」が有ります。「東」と「西」、「男」と「女」と言う奇妙な一致点が有ります。「女体山」はまた四国八十八箇所の結願寺である「大窪寺」の背後の山です。大瀧寺は「新四国八十八箇所の結願寺」でも有ります。
5月初め 林道を車で女体山に登って来ました。道の駅を過ぎて県道志度山川線を暫く行くと別れ道が有って「林道矢箸太郎兵衛線」に入ります。この林道は女体山稜線を越えて大窪寺迄通じています。

「多和神社」讃岐忌部氏にまつわる神社とされます。式内社にあるにも関わらず郷社の様な簡素な神社です。実は明治になって志度にある「多和神社」が式内社と変更されたようです。女体山周辺は「多和地区」と呼ばれています。また、「かぐや姫伝説」の地とも言われています。
讃岐忌部氏 竹取物語との関連 : http://ja.m.wikipedia.org/wiki/讃岐忌部氏
竹取物語 : http://ja.m.wikipedia.org/wiki/竹取物語

「昼寝城跡」多和神社を奥に進むと「昼寝城」への登山道が有ります。戦国時代迄の中世の山城ですが、古くから多くの人が暮らしていた様です。山上集落を作る忌部氏が多く住んでいたと思われます。讃岐忌部氏は「笠」と「竹」を朝廷に献上していました。この地区も竹藪が多くて、今でも竹細工工芸が盛んです。
「庚申塚(こうしんづか)」道教の思想が元にある様ですが、いわゆる陰陽道(おんみょうどう)と関係が有りそうなモノリス(石碑)ですね。庚申塔は五角形の角柱です。讃岐忌部氏ゆかりの神社を巡って来ましたが良く見かけます。また、女体山周辺にも多く有ります。
庚申塔 : http://ja.m.wikipedia.org/wiki/庚申塔
庚申塔と道教 : http://ja.m.wikipedia.org/wiki/道教
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よさこい有名チーム「十人十彩」最後の演舞

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よさこい有名チーム「十人十彩」... よさこい有名チーム「十人十彩」... よさこい有名チーム「十人十彩」... よさこい有名チーム「十人十彩」... よさこい有名チーム「十人十彩」... よさこい有名チーム「十人十彩」... よさこい有名チーム「十人十彩」... よさこい有名チーム「十人十彩」... よさこい有名チーム「十人十彩」... よさこい有名チーム「十人十彩」... よさこい有名チーム「十人十彩」... よさこい有名チーム「十人十彩」... よさこい有名チーム「十人十彩」...
春の「土佐のおきゃく」で山内神社横の坂道を舞台にしたよさこいの演舞が有ります。よさこいは2年程行けてませんので 是非一度この演舞も観たかったのですが、残念ながら観に行けませんでした。
ゴールデンウイークに高松で「四国の祭」と言うイベントが毎年催されています。四国の有名な祭が高松サンポート広場で一堂に見られるというお得なイベントです。2日目に観に行きました。
阿波踊りは「独楽連(こまれん)」「娯茶平(ごじゃへい)」とよさこいは「上町よさこい鳴子連」「十人十彩(じゅうにんといろ)」が出演。阿波踊りとよさこいが一緒に見れるのは「四国の祭」しかありません。出演チームは何れも超有名チームです。充分楽しめました。
ところが「十人十彩」が花道から踊りながら舞台に上がって踊りきった後、予期しない事態「十人十彩がこの舞台を最後に当分出場休止宣言」をしました。
斬新な振り付けで 毎年連続入賞しているチームの出場休止宣言はチョットショックでした。アナウンサーの「ホントのホントの最後の演舞です」と言う声に最後の演舞は4K動画撮影で記録しました。
後で分かったのですがこちらも有名チーム「トラック」も出場取りやめするそうです。踊り子の皆さんはさぞかし残念な事でしょうが 新しいチームを作って今年の夏も存分に踊れるようになる事を期待しています。
高知のおきゃくでの十人十彩の演舞、このYouTube良く撮れています是非ご覧ください
高知のおきゃく 春宵祭 十人十演舞 : http://youtu.be/RSNauVPQqoU
#アート #伝統 #文化 #芸術

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三豊平野を望む 粟井神社

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粟井神社 粟井神社 三豊平野を望む 粟井神社 田の院古墳の場所もハッキリ見え... 田の院古墳の場所もハッキリ見えます。 三豊平野を望む 粟井神社 三豊平野を望む 粟井神社 三豊平野を望む 粟井神社 三豊平野を望む 粟井神社 三豊平野を望む 粟井神社 三豊平野を望む 粟井神社 三豊平野を望む 粟井神社 三豊平野を望む 粟井神社 三豊平野を望む 粟井神社 三豊平野を望む 粟井神社 三豊平野を望む 粟井神社 三豊平野を望む 粟井神社 三豊平野を望む 粟井神社 三豊平野を望む 粟井神社
粟井神社は延喜式内名社大社 粟井神社と称します。粟井神社も古来からある神社で、讃岐忌部氏に関係ある神社で行ってみました。
観音寺市市街の東南の丘陵地帯に神社は有りました。三豊平野を望む高台で、展望台からは遠く大麻山を望めます。しかも本殿は大麻山に向いています。
祭神は讃岐忌部氏の祖の太玉命(ふとだまのみこと)を祀っています。神紋は鎌が重なった形です。刈田大明神とも称されるそうです。神楽殿も有る立派な神社です。

粟井神社に関する資料の中で、面白い記述が有りました。
「母神山の近くに粟井神社がある。「延喜式内帳」に記された神社で、讃岐忌部(神に仕える部民)が総祖神である太玉命を祀ったという古社である。ところがこの粟井神社の分霊を祀ったという讃岐神社が、奈良県の広陵町にある。付近に巣山古墳や百済寺があり、蘇我氏の本拠地に近い。また、もっとも溜め池が多い地区でもある。」1979年発行 郷土史辞典 香川県 昌平社出版より

そこでグーグル地図から讃岐神社周辺をピックアップしてみました。私は現地に行ったことは無いのですが、三豊地区によく似た地形ですね。

近隣に「竹成」と言う地名も見られます。また、この付近は溜め池の多い地域で、先日もNHKのふるさと紀行で「溜め池物語」で放送されていました。その内の一つ 大野原町の大谷池のある「萩の丘公園」を散策して来ました。

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讃岐の忌部神社と「ちょうさ」の関係

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香川県観音寺市の「ちょうさ」 香川県観音寺市の「ちょうさ」 笠田高校の北側に忌部神社が有り... 笠田高校の北側に忌部神社が有ります。左上が忌部氏関連の「荒魂神社の境内の御本祖古墳」、右上は「宇賀神社」です。 忌部神社 忌部神社 讃岐の忌部神社と「ちょうさ」の... 讃岐の忌部神社と「ちょうさ」の... 忌部神社裏手から 忌部神社裏手から 灯籠が笠田高校の敷地に建ってい... 灯籠が笠田高校の敷地に建っています。 讃岐の忌部神社と「ちょうさ」の... 御本祖古墳は石塔しか残っていま... 御本祖古墳は石塔しか残っていませんが竹藪です。 竹藪が多く見受けられます。 竹藪が多く見受けられます。 讃岐の忌部神社と「ちょうさ」の... 豪華絢爛な「ちょうさ」 iPo... 豪華絢爛な「ちょうさ」

iPod data ちょうさの動画 参考 : http://i-pod-navi.cocolog-nifty.com/blog/files/ASA610.m4v
香川県にも「忌部神社」があります。古代、讃岐忌部氏が香川県西部を開拓したいという記録が残っています。讃岐忌部氏は「竹」と「笠」を毎年王権に献上するのが役割だった様です。忌部神社の住所は豊中町笠田竹田と言う所です。まさに笠と竹が地名に付いていますね。忌部神社は道を挟んで南側に県立笠田高校が有ります。元参道に高校ができた為か 参道の灯籠は高校の敷地に入り込んで残っています。
国道32号線は琴平から南へ猪鼻峠を越えて徳島県三好市池田町へ 更に高知まで通じてます。琴平から猪鼻峠の道の両脇に竹林が多い理由が古代から竹を作っていたからなのですね。又三豊地域は秋祭りが盛んです。しかも「ちょうさ」と言われるみこしも大型で豪華です。この「ちょうさ」の語源が「長竿」ではないかという見方もインターネット上に有りました。太く真っ直ぐな長い竹竿が出来た事を豊作祭に取り込み、長竿の上にお宮を載せて練り歩いたのではないかと想像します。「ちょーさじゃ!」の掛け声で「ちょうさ」を担ぎ上げて練り歩く姿は古代忌部氏の豊作の喜びを今に残しているのでは無いでしょうか。
ちょうさ祭り : http://www.chohsa.jp/yurai.htm
徳島県阿波忌部ちょうさ : http://project4951.com/news/archives/category/chosa
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西照大権現 杖立所(にしてるだいごんげん ついたてどころ)

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四国別格20霊場 第20番札所... 四国別格20霊場 第20番札所 四国八十八ケ所総奥之院 大瀧寺 西照大権現御杖立所の石碑 西照大権現御杖立所の石碑 西照大権現 杖立所(にしてるだ... 西照大権現 杖立所(にしてるだ... 畑の中に石碑が有ります。 畑の中に石碑が有ります。 花の里のイベント 阿波踊り 花の里のイベント 阿波踊り 大滝山と広棚地区との位置関係。... 大滝山と広棚地区との位置関係。北側が香川県側です。 大瀧寺境内の八重桜が満開で、ツ... 大瀧寺境内の八重桜が満開で、ツツジ、チューリップも咲いています。 西照大権現が御本尊です。御真言... 西照大権現が御本尊です。御真言は『南無 西照大権現』
西照大権現 杖立所(にしてるだ... 西照神社の境内、狛犬の伝説が有... 西照神社の境内、狛犬の伝説が有ります。 頭にツノが生えている一角獣 頭にツノが生えている一角獣 獅子、愛嬌がある顔立ちです。狛... 獅子、愛嬌がある顔立ちです。狛犬の伝説と同じ様に偶然母子が獅子の後ろにいました。 境内 境内 徳島県は人形浄瑠璃が多いのです... 徳島県は人形浄瑠璃が多いのですが、西照神社には神楽殿が有ります。 御本殿 御本殿 西照大権現 杖立所(にしてるだ... 御本殿 御本殿 西照大権現 杖立所(にしてるだ... 灯明杉の手前が願い事をお祈りす... 灯明杉の手前が願い事をお祈りする「願いの石」 灯明杉 灯明杉
4月19日 花の里では2週目のイベントが開かれましたが、あいにくの雨模様の天候だったので(イベントが始まる頃には晴れて来たのですが)会場には雨よけのテントが張られていました。折角の阿波踊りも絵になりません。初回の演技で切り上げる事にしました。その代わり直ぐ近くに「弘法大師の杖立所」の碑があると言うので行ってみる事にしました。
会場から120mくらい離れた田んぼの淵に碑が立っていました。由来も書かれていて、その時は弘法大師が休憩された所と理解して撮影して帰りました。
後日写真を整理していて石碑に掘られた文字は「西照大権現 杖立所」になっているのが判りました。「弘法大師が西照大権現を木で像を刻み、山上の大瀧寺に祀った」と記されています。西照大権現とは?…
西に対して東、すなわち「東照大権現」は「徳川家康の戒名」です。東照大権現は日光東照宮に祀られていますね。そこで大瀧寺に祀つられている「西照大権現」を拝したく 早速大滝山に登りました。

約1000mの大滝山山頂が香川県・徳島県との県境になっていてわずかに徳島県側に下がった場所に「大瀧寺」が有りました。又隣接して「西照神社」が有ります。明治以後神仏分離で新たに「西照神社」が創立されたとの事です。
「大瀧寺」は「四国別格20霊場」の一つです。弘法大師は四国霊場八十八箇所寺以外にも多くの足跡が有ります。それらが集まって出来たのが「四国別格20霊場」です。2つの霊場合わせて「88+20=108」で「煩悩を祓う」と言う事になります。大瀧寺には弘法大師が彫って御自身が祀った「西照大権現」像がご本尊なのです。ちょうど八重桜やチューリップが満開で綺麗でした。西照大権現の詳細は知る事が出来ませんでした。

大瀧寺の右脇に鳥居があって「西照神社」への階段が有ります。車でも境内に行けます。下からの階段を登りきった所に狛犬が有って逸話が有ります。
その昔ここは阿波と讃岐を行き来する峠で、ある日の事日も暮れて神社の祠で母娘が一夜を過ごそうとしていたら 野犬の群れに襲われそうになりました。母親が 南無 西照大明神と唱えると狛犬が現れて野犬を追い払って無事一夜を過ごせたそうです。
この狛犬何処か愛嬌がある顔立ちです。狛犬と言いますが、左側が頭にツノがある一角獣で右は獅子です。阿(あ)と吽(ん)の口元をしている事はよく知られています。

西照神社の縁起は、
『大滝山阿讃国境に位し標高九四六米七尾七谷の源をなす嶺峰にして古代「大嶽山」と稱せられる。
由緒、古伝の存す所を案ずるに上代神世の昔、伊耶那岐尊、高御産巣日神の詔を以ちて、筑紫の日向の橘の小戸の阿波峡原に降り禊祓まして心身清浄なる身を以て山川草木各々の主管者を任命し終りに天照大神を高天原へ。
祖国並に大八州国を統治し次に月読尊は夜の食国(筑柴の国即ち九州全域尚湯の出る国即ち四国の嶋)を統括し
東大和紀伊の動向を看視せよと委任し給ふ。
そこで月読尊は航海の神、田寸津姫命即ち宗像三神の部族を率いて伊豫から阿波の国に移り大嶽山の頂、展望のきく所に櫓を設け瀬戸内海難波及び大和の動向を監視せしめ、天津神の詔を体し九州四国を統括し、蒼生人の九厄十悪を祓ひ退け、夜毎に白露をふらし、五穀草木を潤し海上安全を守護されしと降って、平安朝の初期桓武天皇の御代僧空海二十四才の頃三教指針(神道儒教仏教)の一佛教を選び厳修体得せんと大嶽山に登り、北面の崖の中腹に山籠すること三年。教理に初光を見出し、続いて土佐の国室戸に至って三年余を経て都に赴く。
偶に遣唐使の渡航舟団に加はるに及んで、大嶽山航海の神に安全を祈願して出稿す。
途中台風に遭ひ遣唐使の三隻は行衛不明になるも空海は遙か南方唐の赤岸鎮に漂着。
陸路都長安に至り、青竜寺恵果和尚に教を乞ふ。
和尚之を優遇し密教の奥義を伝授。
さる帰国に及んで大嶽山の三神に厚く感謝せし。後門弟をして別当寺を建て奉仕せしむ。
続いて本地垂迹の説を唱え布教に之努め社号に権現号を贈り、西照大権現と改稱し、神祇官に代わり祭祇を司り明治六年に至る。
中世稲田氏国守となるに及び崇敬社として山麓の九石八斗の村落を寄進し、諸役を定住させ奉仕せしむ。
明治六年、神仏習合分離の大政官布告に基き、社格郷社「西照神社」と旧に服し、神官をして祭祇することとなり今日に至る。』
となっていて、主祭神は「月読尊」です。「田寸津姫命」「田心姫命」「市杵島命」が祭神です。

つまり「月読尊(天照大神の弟神、更に弟が素戔嗚です。このイザナギが産んだアマテラス、ツクヨミ、スサノオが、三貴神と呼ばれています)を大和方面の監視役として田寸津姫命を大滝山山上に遣わして瀬戸内海の監視に当たらした事が神社の起源」という事でした。名前は西照ですが、西照大権現のいわれは無く、むしろ「記・紀の説話は阿波に実在した」と言う説を真っ向から補強する面白い縁起です。

更に境内は杉の巨木が並んでいます。この杉にも「灯明杉」伝説が有ります。
「日清戦争が布告されたとき、杉の穂先に突然灯りがともり、毎晩輝き、翌年突然灯りが消えた朝に戦勝の報が入った」そうで、日露戦争の時も同じ現象が起きたそうです」こちらの説はちょっと眉ツバ物ですね…

「西照大権現」の御姿は今回拝見出来ませんでしたが、「東照大権現」以前に弘法大師によって「西照大権現」が造られ祀られていた事が判りました。
西と東と言うチョット駄洒落的なお話でしたが、もう一つ似た話が有ります。
こちらも弘法大師にまつわるお話ですが、まだ全部写真が撮れていません。近い内に発表したいと思います。
#政治 #歴史 #環境 #社会 #経済

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新緑の大滝山へ向かう

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アザミと胴体側面にも紅い斑紋が... アザミと胴体側面にも紅い斑紋があるジャコウアゲハです。 ピラミッド型した新緑の山 ピラミッド型した新緑の山 昇りフジ 昇りフジ 優しいピンクの山ツツジ 優しいピンクの山ツツジ 桐の花はもう散り始めてます。 桐の花はもう散り始めてます。 山間地の家 山間地の家 新緑の大滝山へ向かう 新緑の大滝山へ向かう 茶畑と大滝山系 茶畑と大滝山系 山上の濃い赤色のツツジ 山上の濃い赤色のツツジ
新緑の中、あまり通らない山道を辿って大滝山へ向かいました。ヤマツツジや桐の花、フジなどピンクや藤色と鮮やかグリーンや杉などの濃いグリーンのコントラストが綺麗です。
#自然

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讃岐忌部氏の古跡を巡る

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大麻山(おおさやま)を朝日山山... 大麻山(おおさやま)を朝日山山上展望台から東向きに望みます。左に見えるテラスの様な場所に野田院古墳が在ります。須崎食量品店は麻地区(手前下)に在ります。 大麻山400mの高さにある3世... 大麻山400mの高さにある3世紀後半の竪穴式の前方後円墳。野田院古墳。しかも石積みの遺跡は全国的に珍しいそうです。
忌部氏の築造とも考えられます。
因みに、竪穴式の前方後円墳は大和王権の墓の造り方だそうで、この野田院古墳は前方後円墳の初期の時期に築かれた様です。
日本の建国と阿波忌部 YouT... 日本の建国と阿波忌部 YouTube画像より
王権の催事は忌部氏と中臣氏が担当していました。「大化改新」以後は中臣氏が藤原氏と姓を変え次第に勢力を強めていきます。
阿波忌部が践祚大嘗祭に献進する... 阿波忌部が践祚大嘗祭に献進する 「あらたえ」 今上天皇の時のあらたえの織りの... 今上天皇の時のあらたえの織りの風景 阿波忌部(三木氏)と践祚大嘗祭... 阿波忌部(三木氏)と践祚大嘗祭に植えられる麻畑 讃岐忌部の説明 讃岐忌部の説明 大麻山(おおさやま)東斜面に建... 大麻山(おおさやま)東斜面に建つ「大麻神社」 讃岐忌部氏の古跡を巡る 讃岐忌部氏の古跡を巡る 上記スライドで説明の由緒書 上記スライドで説明の由緒書 讃岐忌部氏の古跡を巡る 連休に朝早くから参拝者で参道は... 連休に朝早くから参拝者で参道は埋まっています。金刀比羅宮 金刀比羅宮 奉納・蹴鞠会 中大... 金刀比羅宮 奉納・蹴鞠会
中大兄皇子と中臣鎌足は「蹴鞠会」で知り合い、大化改新を実行します。
麻地区にある讃岐ウドンの有名店... 麻地区にある讃岐ウドンの有名店 「須崎食料品店」です。うどん屋には見えませんね。実は製麺所なんです。基本的には器と箸を持参して、うどん玉を買って食べると言うスタイルです。 連休は休みでした。この奥が製麺... 連休は休みでした。この奥が製麺所

さぬきうどん100選の「須崎食料品店」の動画 : http://gyao.yahoo.co.jp/player/00962/v00004/v0000000000000000124/?nc=1
探せばYouTube等で見られますが、タイトル部は全て「須崎食料品店」のウドン製造部分=(^.^)=
撮影編集はペガサスでナレーションは某地元酒販店社長です=(^.
この店の主人の婆ちゃん。毛糸の... この店の主人の婆ちゃん。毛糸の帽子がトレードマークです。製麺所は今 孫がウドンを作っているとのことでした。 讃岐忌部の話をいろいろ聴いてい... 讃岐忌部の話をいろいろ聴いていたら「タケノコ」の天婦羅を分けてくれました=(^.^)=
タケノコも忌部氏と関係が深いのですよ。
忌部(いんべ)氏とはいったいどう言う人達なのか?調べていくと徳島の高校の教師である林博章氏が「日本の建国と阿波忌部」と言う著書を発表した時の出版記念講演会のYouTube映像が有りました。教師をされているので非常に理解しやすい講演です。

日本の建国と阿波忌部 : http://youtu.be/QNS6Gjd_6lo

この中で阿波忌部の果たした役割が簡略に説明されています。阿波忌部の三木家は今でも天皇が新たに即位する時の「践祚 大嘗祭(せんそだいじょうさい)」には「あらたえ」と言う『麻』で出来た特別の織物を織って宮中に献上しています。この『麻』と言う字が忌部氏の足跡を辿るには重要なキーワードになります。
阿波忌部以外にも5つの忌部氏があったと言われています。香川県にはその内の1つ「讃岐忌部氏」が居たと言われます。讃岐忌部氏は朝廷に『笠』と『竹』を献上していたとされています。

今年の連休は「讃岐忌部氏の足跡を辿る」事になりました。
wikipediaで「讃岐忌部氏」をひくと数々の事が出ています。

http://ja.m.wikipedia.org/wiki/讃岐忌部氏

讃岐忌部氏は讃岐西部に入植しています。そこから見える山が「大麻山」です。「おおさやま」と呼びます。キーワードの『麻』が付いています。
この山の北の峰の山上に「石積みの初期の前方後円墳である野田院古墳」や400基以上の有岡古墳群が有ります。
南には「金比羅宮」が有ります。本宮や奥の院は階段を何百段も登らないと御参り出来ません。
また金比羅さんの北側には「大麻神社」が有ります。
更に大麻山の西側は「麻」と言う地名が残り、これは余談ですが、そこには讃岐ウドンの有名店「須崎食料品店」が有りますが、その店の向かいには「讃岐忌部氏の末裔」であるお爺ちゃんが作った「交通安全の人形」が建っています。他にも色々なエピソードも有りますが順次ご紹介していきます。

須崎食品店 : http://tabelog.com/kagawa/A3703/A370303/37000143/

#政治 #歴史 #環境 #社会 #経済

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