© Daisuke Kawai
貝殻とは海辺に行かねば拾えないものと思っていたが
森の底にも転がっているものなのだとはじめて知った
かたつむり,とはまたちがったものである
鈍い銀色の光をおもおもしく放った
その森の巻貝の殻は
もともとそういう色であったのか
それとも長いあいだに擦り切れて
そういう味を出すようになったのか
いずれにせよこの森の貝殻が
森の底にひっそり融けてゆくのには
あとどのくらいの歳月が必要なのであろうかと
そんなせんないことを
ただつらつらと考えている
© Daisuke Kawai
霧の森の底に坐っていると
いろいろなものに出逢える
実に立派な面がまえをした
蝦蟇蛙がのっそり登場した
蝦蟇と書いて がま と読むという
蟇蛙と書いて ひきがえる と読む
どちらにもある この 蟇 という字面が
この妙に存在感ある生きものを表している
おぬし このような場所でいったいなにをしておる
あらわれた主がそう問うてきたような気がしたので
いやとくになにをしているというわけでもないのだ
そう答えつつ がまがえる と ひきがえる では
いったいどちらの呼び名のほうがよいであろうかと
そんなどうでもよいことをただつらつら考えている
© Daisuke Kawai
霧の森の底に坐っていたら
目の前の濡れた木の葉の裏
尺取虫がのそのそしていた
© Daisuke Kawai
霧の満ちる森は
どうしてこのように妖しく,そして麗しいのだろう
なんということのない木のシルエットさえもなまめかしい
身も心もしっとりと潤おいを帯びていく
ふっと霧が晴れれば
またいつもの森に戻ってしまう
森にもいろいろな表情がある
人の心のように
© Daisuke Kawai
苔むした倒木の上に落ちていた
鳥の羽
かけすの羽だろう 青が見事だ
鳥が落としたものなのか
敵にむしられたものなのか
森のおそなえ といったような
こういう綺麗な羽を 偶然に拾うと
なにかよいことがあるような気がする
勝手なものだ
羽を落とした側は
運だとか,あるいは命を落としている
そういうものなのかもしれない
© Daisuke Kawai
光のあふれる草原に咲いた薊(あざみ)ときたら
けばけばした感じがして,てんで興味がもてない
ところが暗い森の底に咲く薊には妙に心ひかれる
© Daisuke Kawai
花が好きだというひとが
森の花は好きになれないというので
それはどうしてなのかと問えば
そんなことはよくわからないという
あらきれいねこれなんの花
花が好きだというひとがそう問うてくれたので
これはきっとガマズミの花 そうこたえれば
名のひびきがあんまり美しくないわねという
ひとつひとつの小さな可愛らしい花が集まって
いっこのこぢんまりとした花玉をつくっている
そえられた葉も森の木洩陽を照らし光っている
それでも花が好きだというひとは
この森のきわにひっそり咲いた花に
あらきれいねという以上の思いを寄せない
目のひかりが,なぜかしだいにくもってくる
名のひびきが気に入らないのか
それとも言葉にあらわせない
もっとべつのなにかがひっかかっているのか
あなたはこの花が好きなの
そう尋ねてくれさえすれば
わたしはもっともっとこの花の魅力を
じょうずに伝えられるだろうと思うのだが
花が好きだというひとは
名以上のことをわたしに問うてはくれない
© Daisuke Kawai
なにかがひそんでいそうな藪がある
いかにもなにかがひそんでいそうだ
けれどなにがひそんでいるのかはわからない
正体はわからない
ただ気配だけが漂ってくる
目には見えないあやしさである
真昼間の森のきわで
なんということもないのに
不意に背筋がざわざわすることがある
緑陰の藪にひそんだ
なにかの気配にうっすらおびえているのだ
いや,もしかしたらそうではないのかもしれない
草藪そのものの存在感におびえているのかもしれない
© Daisuke Kawai
森の緑陰で白い蝶が交尾していた
ひっそりとした息づかいが聞こえてきそうな雰囲気だった
虫けら,という表現がある
蟲のいのちもヒトのいのちも同じように尊い
そんなふうには,私は思わない
虫けら,といいたくなるような存在はいくらでもある
生命の価値は等価である
そんなものの見方は
きわめて宗教的なものだろうと思う
されどこういう光景を目にすると
そっといつまでも眺めていたいと
透明な大きな幻の掌でふんわりと包み込んでみたいと
そんなことを思う
そういう感情を,嘘くさいとは思わない
© Daisuke Kawai
群生するツタウルシが
ほのかな木洩陽に
ふんわり浮かび上がっていた
植物のことなど何も知らなかったころ
森の中で突如猛烈な便意に苛まれ
なにも考えぬまましゃがみこみ
尻をまくったことを思い出した
そこは漆の褥だったのだ
街へ戻ってからまもなく臀部は腫れあがった
なにか妙な病気にでも罹患したのかと杞憂した
そうやって漆という草の存在を刻み込んだ
いまもってこういう光景を目にすると
かすかな警戒のシグナルが鳴るのである
© Daisuke Kawai
葉の上で蛙が寝ていた
この一体感がいいのだ
融和という言葉を想う
© Daisuke Kawai
スゲと呼ばれる
いたって地味な
植物の花が咲く
わるいが特に興味はない
在っても目が向くこともない
ふだんはたいてい無視している
それが妙に気になるときがある
そういうときには素直に写真を撮るのである
イナウというアイヌの祭具がある
神霊の依り代のようなものとされている
このだらんとした垂れ下がり方に
なにか通ずるものを感じるのかもしれない
© Daisuke Kawai
名も知らぬ低木のうっそり繁茂する森の底
理由は知れぬが,妙に魅かれる場所がある
それは言葉にならない感覚的なものである
わたしにとって写真を撮る,という行為は
そういう魅惑の場所の表現欲求でもあって
そこに「なにか」がうまく映ってくれると
とても嬉しい 実に面白い 無類に楽しい
© Daisuke Kawai
花が落ちる
役目を終えて
ぽつりぽつりと
花が落ちる
樹上から林床までの
その瞬時の滞空時間
落とされた首のような白い花のひとつひとつ
どことなくうつろな表情のように思えてくる
© Daisuke Kawai
ホオノキは森の天井でも
ひときわ大きな葉を誇る
春,次々と展葉していく新緑を尻目に
最後の最後に開いて森の天窓をふさぐ
葉の面積が広いぶん
開くには時間がかかる
ならば最初に展開すればよさそうなものだが
最後の最後に開くというのは
森の底に,少しでも長く
明るい光を届けようということなのか
それとも,単純に大きな葉が開くまでには
それなりの準備期間がかかるということか
いずれにせよ,ホオノキの展葉を境に森は暗くなる
されどただ暗いというのではない
葉が厚みを持つようになるまでは
葉を透かす ほんのりとした光で
森の底をやさしげに照らしている
森林の生態学はメルヘンではない
ヒトがおめでたく「助け合っている」などと
感心することの,そのほとんどが
それぞれの生物種の利己的な欲求の相互作用の結果であろう
そんなことをいちいち確かめる必要もないし
あばきたて,訳知り顔で
なにがしかさかしらなことを語るのもつまらないことだが
それでもやはり
葉を透かして届けられる光のもとにたたずむと
森林美学,という言葉があらためて湧き上がる
© Daisuke Kawai
ホオノキの花が終わり
果実の塔が立っている
森を芳香でつつんだ季節がゆく
名残惜しそうなカメムシが一頭
落下寸前の花被片で佇んでいる
© Daisuke Kawai
この蛾はつかれている
そう想った
まだ森の木々の緑が展葉してまもない
精気にあふれた時季だというのに
この蛾は,もはやすでにつかれきっている
魔女の手は
こういうときに
そっとしのびよってくるのかもしれない
© Daisuke Kawai
森の底にじっと坐っていたら
奇妙なものが目に入ってきた
杖を突いた魔女のミイラだ
蛾宿長実粒茸
ガヤドリナガミツブタケという冬虫夏草らしい
見れば見るほど
逆に呪いをかけられ,封じ込められた
おそろしい魔女の物語が躍り出てくる
実に面白い
© Daisuke Kawai
森の底の樹木の根が白骨のように見えた
どきりとした
死ねばみな骨となる 白い骨となる
ひとも けものも 骨格のあるものみな
© Daisuke Kawai
暗い森の底をシダが翔ぶように泳いでいる
海中をゆらゆら遊泳するエイの姿を想った
© Daisuke Kawai
シダに埋もれた森の底を徘徊したのち
眼下に眺めをとれる位置へ身を上げる
林床がシダに覆われた森の雰囲気は素敵だ
午後の斜光が木洩陽となって明暗をつくる
シダの森は美しい
ひっそりとした美しさだ
風の流れがとまり
不意にすべての音がとまる
鳥や蟲たちやけものたちも気配を消している
ウエットで静かな森に浸っていると
やがて目に見えないものが
だんだん見えてくるような気がしてくる
決して見えることはないのだけれど
そういう,妙な心もちになってくる
© Daisuke Kawai
そもそも,地質学というものに興味あったがゆえに
この崖の紋様の秘密を知りたいと思ったのではなく
岩の描く不思議な芸術の雰囲気にひかれたからこそ
その地質学的な意味を知りたい,と思ったのである
学問の端緒とはきっと自然の中にこそ在るのだろう
© Daisuke Kawai
わたしは聖なる水の原点をさぐろうと
小さな苔の森に踏み込んでいったのだ
ぷるるん
かすかな音が聴こえたような気がした
小さな森のふるえのうちに
大きな森が映り込んでいた
雨の日のコツボゴケは
天のしずくと融和して
水の果実となる
ゼリーのような弾力で
ぷるるん,とふるえる
© Daisuke Kawai
聖なる水をふとのぞきこんだとき気づいたのである
これは呑むためのものだけではない
観賞するためのものでもあるのだと
すべてをつなぐもの
その象徴なのだということを
© Daisuke Kawai
精霊の森からこんこんと湧き出す水が集まり
やがて小さな池を作り,川となって流れ出す
それは聖(ひじり)の水である
この透明感が万物の原初である
拝むようにして両手ですくい,喉を潤すとき
わたしの心に森羅万象を崇める仏が生まれる
© Daisuke Kawai
この森からわたしたちはいろんな恩恵をさずかっている
もちろん森そのものは決して人のためにあるのではない
だから怖ろしいものもあれば,あやういものもある
と同時に水や食糧,美しいもの,荘厳なものもある
それらをあたりまえのこととして
ただ漫然とたたずむ者の前に精霊は姿を見せない
というより,そういう者の目には絶対に映らない
聖なるものを自身のまなざしのもとに顕現させる
そのためにはそれを視ようとする心が必要である
「神様は信じるものの前だけに現れる」
信仰者たちのこういういいぐさが昔から気に入らなくて
へえ,そうですか,それならば見えなくたって結構です
ぎらぎらした目をしていったいなにをいっていやがると
ずっとそんなふうに思ってきたし,
ある種のものにはいまもそう思っている
だがしかし,この森の前に立ったとき
ここには確かに何かがいるのであると
わたしの心の奥底が,ぶるぶるぶると
小さな痙攣をおこしたのだ
見よう見ようと,来るか来るかと
そんなふうに待ち構えているときではなく
ふっと空白の時間にわれ知らず落ちたとき
精霊の森は,ゆらゆらと立ち上がってくる
© Daisuke Kawai
森の沼めぐり
水面から突き出した切株の上で
鴨が卵をじっとあたためていた
濃い青い霧のなかで微動だにせず
置物のようにただじっとしている
孤島に鳥が座っているとわかったとき
思わず息を呑み,手を口にあてていた
© Daisuke Kawai
海霧が森に満ちた日の朝
苔むした巨木を見上げた
樹の根元ににじりより
小さなカメラを掲げる
こわい
ああ,この樹には確かに精霊が宿っている
それがわたしを妙に厳粛な気持ちにさせる
ひとは,時にはたったひとりきりで
こうして巨樹を見上げてみるといい
眼には見えない聖なるものへの畏敬
そんなものを体感してみるのもいい
© Daisuke Kawai
ふと目を上げると
オナガバチというやつの姿が目に入ってきた
なんという美しいフォルムだろう
大きな朽木の上でアクロバットな格好をして
尾長蜂の名にたがわぬ長い産卵管を自在に曲げては
いくどとなく樹肌に差し込み,産卵している
昆虫にはさほどの関心はもたないのだけれど
じっと見つめていると
その所作がだんだん崇高な行為に思えてくる
© Daisuke Kawai
森の底に坐っていたら
鼻の黄色いピエロにおどかされた
そういったら,あなたはなんと思うだろうか
林檎毒蛾―リンゴドクガの幼虫
いつみてもためいきの零れるデザインだ
しかも個体により,それぞれ微妙に配色や濃淡が異なるのだ
わたしはまだ,この個体を越える「作品」には出逢っていない
森の底に坐っていたら
鼻と手足の黄色い小さなピエロにおどかされちゃった
そういったら,あなたはなんと思うだろうか
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