12番パー3 185ヤード
18番パー5 501ヤード
今日はシニアメンバーによるこの地域の他のゴルフクラブとの交流戦であるSenior Exchangeがシアトルの南に位置するMeridian Valley Country Clubで開催された。5時30分起床は少し辛いが、Rainier、Meridian Valley双方各20名が参加し、8時30分ショットガンスタートでクラブ対抗戦と4名一組のチーム戦を競う。
今日はダブルボギーがいくつかあったもののパーが5つでトリプルボギー無し、スコアは43/46と久しぶりに90を切ることが出来た。個人賞は2nd Best Net、またチーム戦は2位、仲間とおいしいランチを共にし、良い半日であった。
鹿がわがやを訪問するのは近頃では珍しくなくなったが、昨日はまだ生まれて間もない小鹿が2頭、母に連れられて裏庭にあらわれた。小鹿が可愛らしかったので写真を撮った。
この小鹿たちもそのうちにわがやを餌場と心得て頻繁に訪ねてくるようになるのだろう。
国際宇宙ステーションで使用されるリチウムイオンバッテリー (JAXAより借用)
最近、国際宇宙ステーションの電源である2次電池を日本製のリチウムイオンバッテリーに交換する、というニュースが報じられた。現在使用されているものはアメリカ製のニッケル水素電池だが、宇宙ステーションを2024年まで使用するために、これから10年間は使用可能な高性能リチウムイオンバッテリーが選ばれた。
私たちの周りを見ると、現代社会では高性能で軽量な2次電池(蓄電池)が不可欠である。スマートフォン、ラップトップコンピューター、デジタルカメラなどの移動式電子機器はもちろんのこと、自動車や航空機などの輸送機器、各種家電製品などにも内蔵されているものが少なくない。最近は太陽光発電や風力発電などによる電力の貯蔵用やハイブリッドカー、電気自動車、燃料電池自動車などの蓄電用としても重要性を増している。
2次電池として最も馴染みの深いものは鉛蓄電池であろう。1989年にフランス人のブランテが2枚の鉛板の間に2本の絶縁テープをはさんで円筒状に巻き、希硫酸溶液中での充放電を繰り返した。負極に海綿状鉛、正極に二酸化鉛、電解液として希硫酸を使用した鉛蓄電池は据置き用、可搬用として普及していったが、電池の重量や容積に対する電気容量(エネルギー密度)が重量基準では30~40Wh/Kg、容積基準では60~75Wh/Lと高性能な電池に劣るものの安価なため、自動車の普及に伴って急速に生産量が増加し、また技術的にも進化して現在でも最も一般的な二次電池の地位を保っている。
1899年にスウェーデンのユングナ~が発明したニッケル・カドミウム電池は負極にカドミウム、正極にオキシ水酸化ニッケル、電解液に水酸化カリウムを使用し、低温など厳しい使用環境に耐えられることから1960年代に量産化されたが、1990年代にカドミウムの負極を水素吸蔵合金に置き換えたニッケル・水素電池が量産化されるようになった。水素吸蔵合金は水素を吸蔵しやすいランタン、ネオジム、レニウムなどの希土類金属(発熱型金属A)と、触媒効果を持つ遷移元素のニッケルにコバルトやアルミニウムを添加した金属(吸蔵型金属B)を1:5の割合で組み合わせたAB5型が量産型電池で使用されている。ニッケル・水素電池は有毒物質であるカドミウムを使用しないことと、電気容量がより優れた30~80Wh/Kg、140~300Wh/Lであることにより、ニッケル・カドミウム電池を凌駕するとともに、世界最初の量産ハイブリッド車であるトヨタプリウスにも採用された。最近のニッケル・水素電池は低温でも性能を発揮すること、大容量化が容易なこと、出力が安定していること、自然放電が少ないことなどにより、現在でも多分野で使用されている。
2次電池は負極と正極の電子の放出のしやすさの差を利用して電気を発生させるが、負極には電子を放出しやすい(イオン化傾向が大きい)金属が、また正極には電子を受取りやすい金属を用いる。携帯電話やラップトップコンピューターなどの普及に伴い、ニッケル・水素電池より小型・軽量で高性能な2次電池が必要となり、リチウムはすべての元素の中で最もイオン化傾向が高く、電池の負極としては最適なため、リチウムイオン電池の開発が進捗した。但し金属リチウムは金属ナトリウム同様、水に触れると激しく反応して水素を発生し発熱するため安全性に問題があり使用出来ない。リチウムの反応性の高さをおさえ電子を放出しやすい能力を発揮させたのがリチウムイオン電池である。
1980年に水島公一博士はオックスフォード大学でグッドイナフ教授の元でコバルト酸リチウムが金属リチウムを使わないリチウムイオン電池の正極に適していることを発見した。また1985年に旭化成の吉野彰博士は負極として炭素材料である黒鉛を使用すると、黒鉛がリチウムを吸蔵するため金属リチウムが電池内に存在せず安全であること、およびリチウムの吸蔵量が多く高容量が得られる、としてリチウムイオン電池の基礎概念を確立した。電池内でリチウムイオンを移動させる電解質は水溶液系ではリチウムによって電気分解するため、ヘキサフルオロリン酸リチウムなどのリチウム塩とエチレンカーボネートなどの有機溶剤が使用される。
これらの技術を組合せ、1991年に世界で初めてソニーが、次いで旭化成がリチウムイオン電池を商品化した。リチウムイオン電池の電気容量は初期モデルでも160Wh/Kg、270Wh/Lとニッケル・水素電池を越え、軽量で自己放電による容量低下が少なく、更に2次電池の欠点である継ぎ足し充電により発生する電圧降下(メモリー効果)もほとんどなく、携帯電話やデジタルカメラなどのモバイル機器用として普及した。しかし過充電や過放電によって発熱や爆発を起こす事故が発生したため、保護回路によって対応し、リン酸鉄リチウムを電解液とした発火の恐れがないリチウムフェライト電池なども開発されて安全性、性能共に向上させた。また電解液にポリマーを加えることによって電解質をゲル状にしたリチウムポリマー電池は液漏れしにくく、外装がラミネートフィルムのため軽量・薄型で形状に柔軟性があるためiPhoneなどに採用されている。現在多くのメーカーが電気容量が大きく、安全性が高く、高速充電が可能で、耐久性の高いリチウムイオン電池を生産している。
リチウムイオン電池の性能向上に貢献しているものがカーボンナノチューブである。1991年にNEC主管研究員(現名城大学教授)の飯島澄男博士が発見したカーボンナノチューブは炭素原子が網目のように結びついて筒状になったもので、その直径は10のー9乗メートルで人間の毛髪の5万分の1程度である。カーボンナノチューブは色々な特徴を持つがイオンの貯蔵性にも優れており、リチウムイオン電池の電極に導電助剤として使用することによる電気容量の向上と長寿命化が期待されている。
リチウムイオン電池をハイブリッドカー・電気自動車、太陽光発電・風力発電などの再生可能エネルギーの蓄電池として使用するためには、更なる急速充電性能や電圧を高めることが求められる。東京大学の山田敦夫教授の研究グループは電解質の溶媒にアセトニトリルを使用し、リチウムイオン濃度を4倍以上にすることにより電解質でのリチウムイオンの移動効率を向上させ、電圧は3.7ボルトから5ボルトに、充電時間は従来の3分の1となることを実証した。この電解質は高価なため直ちに実用化されることはないが、将来が期待される。
新エネルギー産業技術総合開発機構においてトヨタ自動車と東京工業大学の研究グループは2016年3月、従来のリチウムイオン伝導体の2倍の伝導率を有する超イオン伝導体を発見し、これを応用して有機電解液を用いた従来のリチウムイオン電池の3倍以上の出力特性を持ち、低温および高温での優れた充電性、高い充放電サイクル耐久性などの特徴を持った安全性の高い全固体電池の開発に成功した。全固体リチウムイオン電池の実用化が期待される。
リチウムイオン電池はニッケル・水素電池と比較すると高性能ではあるが高価な点が欠点である。そのため電池の大きさや重さが選定の決定要因とならない電気自動車や、価格競争の激しいデジタルカメラなどでは今後もニッケル・水素電池が使われていくものと思われる。またリチウムイオン電池は集積化による大型電池では電池内の熱の蓄積により性能が損なわれる上、希少金属のリチウムやコバルトを使用し、コバルト酸リチウムを正極とした場合、現在の技術では全世界で生産されるリチウムやコバルトを使用しても電気自動車1,000万台分の電池しか作ることが出来ない。そのため、資源の豊富さと価格の点で代替電池としてナトリウムイオン電池の将来性が注目されている。ナトリウムはリチウムと同じアルカリ金属であり、イオン化傾向はリチウムに次いで高い。しかし電池の電圧はやや低く、現状では電気容量もリチウムイオン電池に劣るため、更なる電極や電解質に関する研究により、安全で高性能な大容量ナトリウムイオン電池が実用化されることが望まれる。
はやぶさ2(JAXAデジタルアーカイブより借用)
下に長く伸びているのがサンプル採取用サンプラーホーン
2014年12月3日に小惑星探査機『はやぶさ2』が打上げられてから既に1年以上経つ。2015年12月3日には地球に最接近した機会をとらえ、地球の重力を利用したスウィングバイにより軌道を約80度変更、スピードも秒速1.6km上げて目標値の31.9kmとし、いよいよ目的地である小惑星『リュウグウ』を目指す軌道に入った。はやぶさ2のミッションはリュウグウからサンプルを地球に持ち帰ることであり、そのサンプルを分析することによって地球の生い立ちをより詳しく知ることが出来る。
2010年6月13日に苦難の末地球に帰還した初代はやぶさは小惑星探査実験機であり、はやぶさ2が実用機として計画されたものの、JAXAは太陽系探査より情報収集衛星や国際宇宙ステーションの実験棟きぼうを優先することではやぶさ計画は頓挫しかけたが、実験機のドラマチックな帰還により2011年にはやぶさ2の予算が承認され、計画が再スタートすることとなった。はやぶさ2は太陽光パネルを除いた大きさが幅1m、長さ1.6m、高さ1.25mで燃料込みの重量が600kgと初代はやぶさより重量が90kg増加した以外は大きさは大差ないが、初代はやぶさでのトラブルに鑑み信頼性を格段に向上させた。
そのひとつが機体の姿勢制御装置であるリアクションホイールの追加で、初代はやぶさでは3個取付けられていたがそのうちの2個が故障して危機に陥ったため、はやぶさ2では4個取付け、またリュウグウに到着するまでは1個だけを運用し、他の3個はリュウグウ近くでの詳細な姿勢制御が必要になるまで温存する予定である。
初代はやぶさに搭載された推進エンジンはイオンエンジンと呼ばれる電気推進エンジンで、キセノンガスをキセノンイオンと電子に分解し、キセノンイオンを強力な磁場で加速して高速で噴射することによって推進力を得るが、燃料と酸化剤を使用する化学推進エンジンと比較すると推進力は小さいが燃費が約10分の1であり、長時間の加速を行うことが出来る。イオンエンジンはマイクロ波放電加熱によるイオン生成部、生成したイオンを静電的に加速して推力を得る炭素繊維複合材グリッド加速部、それに放出されたイオンビームを電気的に中和する中和器からなるが、初代はやぶさの4基のイオンエンジンのうちの1基はキセノン分解用点火器が不調となり、また、帰還途中に宇宙で迷子になりかけたことが原因で設計寿命を大幅に越えたために他の3基も中和器が機能しなくなり、一時は帰還が絶望視された。しかし4基のイオンエンジンのうち、ひとつは中和器のプラスの出口、またもうひとつはマイナスの出口がまだ機能しており、これら2基のイオンエンジンの中和器を同期して噴射すれば推進力が得られることが判明し、このような変則的な運行で初代はやぶさはなんとか地球に帰還することが出来た。
はやぶさ2に搭載されるイオンエンジンは基本的には初代はやぶさと同じ設計であるが、イオン生成部の推力発生効率とマイクロ波放電加熱の確実性を向上させるために入念な調整が実施され、また中和器の長寿命化を目的として放電室内壁の保護および電子放出の必要電圧低減のために磁場が強化され、信頼性の向上が図られている。またキセノンガス噴射口配置やグリッド加速部の設計変更により、1基あたりの推力が8ミリニュートンから10ミリニュートンに25%増強されている。
はやぶさ2には初代はやぶさと同様に姿勢制御や軌道の微調整を行うヒドラジンと酸化剤を用いる化学推進システムを12基搭載しているが、初代はやぶさでは小惑星いとかわへの着陸の際に燃料漏れと配管凍結が起こって使用出来なくなった。この対策としてはやぶさ2では燃料漏れの原因となる溶接箇所を最少化するとともに溶接法も改善した。金星探査衛星あかつきは2011年に化学推進システム破損により金星周回軌道投入に失敗したものの、2015年12月に姿勢制御用エンジンにより金星周回軌道に乗せることが出来て話題となったが、あかつきでの経験により燃料と酸化剤の高圧ガス系統を完全に分離し、はやぶさ2ではあかつきのような問題を回避するよう改善された。更に高圧ガス系統バルブの異物閉塞を防止するために高圧ガスの清浄度管理を向上させてある。
はやぶさ2は2018年6月頃に約900mの大きさと推定されている小惑星リュウグウに到着する予定で、まず上空20km付近からリュウグウの観測を開始する。観測データをもとにはやぶさ2の着地点を選定し、本体下側に取付けられたサンプラーホーンと呼ばれるサンプル採取装置を使ってリュウグウ表面に着地した際に石や砂を採取する。一旦上空に戻ってから衝突装置を分離し、リュウグウに衝突・爆破させて小さなクレーターを作るが、その間本体は飛散物との衝突を避けるために上空に退避する。観測の結果安全が確認されたらはやぶさ2はクレーターに着地し、サンプラーホーンによりリュウグウの地下の石や砂を採取する。これら一連の作業は2019年11月頃まで実施される。リュウグウの地下の石や砂は太陽風に晒されていないため、小惑星誕生当時の状態を保っていると考えられるが、これらのサンプルを分析することにより、地球の水はどこから来たのか、生命はどのように生まれたのか、など地球の起源を知る手がかりとなる。
リュウグウを出発してから約1年後の2020年11月頃、はやぶさ2は地球に帰還し、リュウグウのサンプルを搭載したカプセルを切り離す。はやぶさ2は初代はやぶさとは異なり大気圏には突入せず、カプセル分離後、地球スウィングバイを行うことになっている。その後のはやぶさ2の運命は未定だ。切り離されたカプセルは大気圏に突入し、上空約10kmの高度でパラシュートを開いてオーストラリアの砂漠に着地する予定だ。
はやぶさ2は約4ヶ月前に地球のそばを通過したが、現在は地球から離れて目的地である地球近傍小惑星リュウグウを追いかけて太陽の周りを回っている。28ヶ月もある宇宙ひとりぼっちの長旅だが、JAXAで大勢の人たちが見守っているので寂しくはないはずだ。みんなではやぶさ2の成功を祈ろう。
10 Kmレーススタート前の賑わい
10 Kmレースゴール地点
恒例のMercer Island 10 Km Runを走ってきた。3月はじめより右膝に違和感があり、走った後に少し痛むので練習を軽めにしてきたが、試しに3月7日に10キロを走ってみると9キロ過ぎから膝の痛みが強くなり、最後の500メートル位は軽くびっこを引く感じになったので、週2回の練習ランは中止することにした。膝を冷やしたり、痛み止めクリームを塗ったりしてみたが、膝の違和感はなくならないまま今年のレースを迎えることとなった。
今日のレースは膝が痛くならないよう、スピードを抑え気味にし、特に下り坂は平地と同じ位のペースにして右膝の負担を軽くするように心がけた。コースはここ数年同じで、きつい登りが3ヶ所ある。コース全体の登りは合計441フィート(134メートル)もあるタフなコースだ。最初と2番目の登りは練習で走っているところなのでペース配分はわかっているが、3番目の登りは7.6キロ地点付近にあり足に疲れが出始めるあたりなので過去には歩いてしまったこともあり毎年苦労する。今年はペース配分が良かったせいかこの登りを昨年と同じように走りきり、レースの途中で膝に軽い痛みを感じることはあったが止まることなく10キロを完走することが出来た。
フィニッシュの公式記録は1時間6分34秒で、ペースは6.65分/ Km、昨年はレースの前日にゴルフで左足首を痛め完走出来ないかと危惧したがそれでも1時間4分1秒、一昨年は1時間3分36秒だったのでかなり遅い。しかしこのペースは練習ランとほぼ同じなので、これが現在の実力と納得するしかない。くまごろうのエージグループでは1着で、今年もメダルを貰ったから満足しよう。
わがやのさくらは今日満開となった。昨年と2010年に満開となったのは3月15日だったから、記録を取りはじめてから最も早い満開だ。因みに2009年は4月11日、2011年は4月8日の満開だからそれに較べると約1ヶ月も早い。東京の満開は3月29日と予想されており、わがやのさくらは2週間以上も早い。噂によればシアトルのそめいよしのの名所であるワシントン大学やスワードパークのさくらも咲いているようだ。
今日このあたりは春の嵐で強風と強いにわか雨に襲われ、折角満開となった花びらが必死に枝にしがみついていてさくらが気の毒になる。この分ではいつまでお花見が楽しめることやら心配だ。
日曜日からサマータイムとなり、ようやくうっとうしい冬に別れを告げ、心も軽くなる春爛漫の季節になる。来週はマーサーアイランド10キロラン、完走を目指してがんばろう。
Rainier 9番ホールフェアウェイのさくら。日本のさくらとは異なる。
くまごろうのリモコン電動カートとフェアウェイのさくら
土曜定例ゴルフは照っても降っても行われる。時にあまりにも雨足が強いので9番ホールが終わった所で上ってしまうこともあるが、メンバーは高齢にもかかわらずよくがんばる。
3月5日の土曜日は天気予報では曇り時々にわか雨であったが見事に外れて上天気、最高のゴルフ日和であった。ただ夜中に降った強い雨のためにはじめのうちは一部のグリーンに少し水がたまっていたり、フェアウェイもびしょびしょの所があったりと、最高のコンディションとは言い難いが、3月最初の土曜日とあればやむを得ない。
9番ホールウェアウェイに沿ったさくらが満開となり目を楽しませてくれる。他のホールでもあちこちで普段は目立たない木がピンク色になっていて、存在を主張している。
3月からUSGAによるゴルフスコアのポスティングが始まった。今年こそはハンディキャップインデックス15.0の目標を達成したい。
また今月からコースのティーボックスマーカーのカラーが従来は後ろから青、白、赤であったのが、黒、青、白に変更になった。その理由は性的な差別をなくすため、とのことだが、スコアカードにはそれぞれのティーボックスに対応するスコアとコーススロープが男女別に示されており、カラーを変更した真意がよく理解出来ない。
2015年マーサーアイランド10キロランゴール付近
去年の3月にマーサーアイランド10キロレースの模様を投稿してからランニングについては何もブログルに書いていないが、くまごろうはまじめにランニングに励んでいる。2015年はトレーニング用のマーサーアイランドのコースを91回走った。週2回として年間104回走れば100%だが、悪天候や体調不良を考慮すれば88%は悪い数字ではない。今年も8キロないし9キロのコースを週2回ペースで既に12回走っている。
今年のマーサーアイランド10キロレースは3月20日、残すところ5週間だ。今の状態なら完走は問題ないが、1時間を切ることは難しそうだ。トレーニングのタイムから予想すると1時間6分前後となる。昨年は1時間4分だったので、せめて去年並みのタイムでフィニッシュしたい。
東大宇宙線研究所教授の梶田隆章博士は素粒子のひとつであるニュートリノが質量を持つことを示すニュートリノ震動の発見により、太陽ニュートリノ震動を観測したカナダのアーサー・マクドナルド博士とともに2015年ノーベル物理学賞を受賞した。梶田博士の師匠である小柴昌俊博士が岐阜県にある観測装置カミオカンデを使って、1987年に世界で初めて宇宙から飛んできた大気ニュートリノの観測に成功したことが評価されてアメリカのデイビス博士と共に2002年ノーベル物理学賞を受賞したことでニュートリノは日本人にはなじみがあるが、この時に観測されたニュートリノは16万光年離れた大マゼラン星雲で起きた超新星爆発によって生じたもので、わずか11個のニュートリノを検出した。
小柴博士が使用したカミオカンデは3,000トンの純水を満たした地下1,000メートルのタンクに1,000本の光電子増倍管が取付けられたニュートリノの観測装置で、ニュートリノがタンク内の水分子にたまたま衝突すると電子やミュー粒子などの荷電粒子を発生させるが、これらの粒子が水中での光を越える速度で移動すると、超音速機が大気中で衝撃波を発生するようにチェレンコフ光と呼ばれる特殊な干渉光を発生し、この光を光電子増倍管で測定することが可能になる。光の速度は真空中では自然界で最も速いが、水中では真空中の約0.75倍のため荷電粒子が光の速度を越えることがあるのだ。またミュー粒子がタンク外から侵入したりするのでこれらの雑音を最少とするために地下1,000メートルの場所にタンクを設置するとともに、水に含まれる微量の放射性物質による雑音を除去するために純水を使用したうえで、雑音の中からニュートリノ由来のチェレンコフ光を識別するために精密な観測が要求される。なおこの観測装置は電子ニュートリノとミューニュートリノを検出することは出来るが、タウニュートリノの検出は困難である。故戸塚洋二博士・梶田博士のグループは、小柴博士が使用したカミオカンデの15倍の規模である直径39メートル、高さ41メートルの円筒タンクに5万トンの純水を満たし、13,000本の光電子増倍管が取付けられたスーパーカミオカンデを使って1996年よりニュートリノの観測を続けた。
ニュートリノとはどのような素粒子なのだろう。素粒子物理学では物質を構成する素粒子の仲間として標準模型と呼ばれる12種類の素粒子が特定されている。すなわち6種類のクォークと6種類のレプトンと呼ばれる素粒子だ。レプトンにはマイナスの電荷を持つ電子、電子の約210倍の質量を持つミュー粒子、電子の約3,500倍の質量をもつタウ粒子、それに電荷を持たない電子に対応する電子ニュートリノ、ミュー粒子に対応するミューニュートリノ、タウ粒子に対応するタウニュートリノがある。これらの素粒子のうちわれわれの身近な物質を構成しているのはクォークの中のアップクォーク、ダウンクォーク、それに電子の3つだけだが、他の素粒子は宇宙空間を飛びまわっていたり、素粒子の実験施設である加速器で人工的に作り出すことが出来る。
ニュートリノを歴史的に見ると、1930年にスイスの物理学者パウリは放射性同位元素の原子核崩壊を観察し、エネルギー保存則が成立するためには中性子がベータ崩壊する際に電子を放出するだけでなく、電荷を持たない小さな粒子が飛び出すと考えた。その後イタリア生まれの物理学者フェルミがベータ崩壊理論を提唱し、質量がとても小さいかゼロで他の物質とは反応せずに通り抜けてしまうこの粒子をニュートリノと名づけた。ニュートリノはその質量がとても小さいかゼロである上に電荷を持っていないため、物質を通り抜けてしまう。これはどういうことかというと、水素原子の直径、すなわち電子が原子核の回りをまわる軌道の直径はおよそ10-10メートルであるのに対し原子核の直径は10-15メートルであり、原子核から見ると電子ははるか遠くを周回しているので原子はほとんどが空間でできているためだ。ちなみに原子核を直径43ミリのゴルフボールに例えれば、電子軌道は4,300メートル離れた所を周回していることになり、その間は空間なのだ。ニュートリノは質量が小さいために検出が困難で、1950年代になってアメリカの物理学者ライネスとコーワンが原子炉で発生したニュートリノを初めて観測することに成功した。
宇宙空間を飛びまわっている主に陽子で構成される宇宙線が地球大気の原子核に衝突するとパイ中間子となるが、これはすぐに分裂してミューニュートリノと電子ニュートリノと電子になる。そのため地球には宇宙線由来の大気ニュートリノが大量に降り注いでいる。また太陽の中心部で起こっている核融合反応では4つの陽子からヘリウム原子がつくられ、電子ニュートリノが放出されるが、これは太陽ニュートリノと呼ばれ、地球に降り注いでいる。しかし地球で観測される太陽ニュートリノが理論的モデルから導かれる値より大幅に少ないことが、宇宙物理学では太陽ニュートリノ問題として約40年に渡り議論されてきた。
ニュートリノは宇宙空間を進行中に、電子ニュートリノがミューニュートリノになったり、タウニュートリノが電子ニュートリノに変身することが1960年頃から坂田昌一博士などにより理論的に提唱され、これはニュートリノ震動と名づけられた。これは素粒子の量子力学的な性質によるもので、ニュートリノが粒子としての性質とともに波としての性格も持ち合わせているためだ。特殊相対性理論によれば、ニュートリノが震動するということはニュートリノが光速よりも遅い速度で移動していることになり、すなわちニュートリノに質量があることになる。
梶田博士がカミオカンデのデータ解析により地球の裏側から来るミューニュートリノが少ない、とニュートリノ震動の可能性を最初に発表したのは1988年だったが当時はあまり評価されず、1996年からのスーパーカミオカンデを使った観測により、電子ニュートリノとミューニュートリノの比率がニュートリノ震動を仮定した理論値に近いこと、上方から来る電子ニュートリノと地球の裏側から来る電子ニュートリノの値がほぼ同じだったこと、ミューニュートリノについては上方から来る値は下方から来る値の半分程度であり、減少した分はタウニュートリノに変身していること、などを示すデータが蓄積され、1998年のニュートリノ国際会議での発表によりニュートリノ震動の観測が多くの研究者に認められた。
ニュートリノ震動を確かなものとするために、1999年から2004年にかけて250キロ離れたつくば市にある高エネルギー加速器研究機構の加速器からスーパーカミオカンデに向けて人工的に作ったニュートリノを発射し、ニュートリノ震動が起きている証拠を99%以上の精度で確認した。このK2K実験の成功を発展させ一層精密なニュートリノ震動を実証するために、2009年より東海村のJ-PARC(Japan Proton Accelerator Research Complex)の大強度陽子加速器で作られたK2K実験の50倍のニュートリノビームを約300キロ離れたスーパーカミオカンデに打ち込み、発生源と観測点でのニュートリノのエネルギーや数を高い精度で観測し、ミューニュートリノの電子ニュートリノへの変身の確率などを測定しているが、この実験はT2Kと呼ばれ、これらの実験によりニュートリノ震動は確実なものとなった。
梶田博士とともに2015年ノーベル物理学賞を受賞したマクドナルド博士は太陽ニュートリノの観測に重水を使用することで3種類のニュートリノの総数と電子ニュートリノの数を観測し、太陽の方向から飛んでくるニュートリノの総数はほぼ理論値通りであるのに対し、観測される電子ニュートリノはその3分の1であり、ニュートリノ振動が起こっていることを2002年に発表している。
ニュートリノ震動の観測によりニュートリノに質量があることがはっきりしたが、これは従来の物理学の基本となる標準理論に変更を迫ることになる。またニュートリノの更なる研究は宇宙に物質が存在する理由を明らかにするかもしれない。すなわち宇宙創生のビッグバンの際には物質とそれと同じだが電荷が反対の反物質が同じ数だけ生まれたはずなのにこの宇宙に物質が存在することは、何らかの理由で反物質の数が少なかったためと考えられる。その理由として1964年に素粒子に働く4つの力のうち『弱い力』とよばれるベータ崩壊を起こす力に対象性が崩れていること(CP対象性の破れ)が発見され、1973年に小林誠博士・益川敏英博士は6種類のクォークが存在すればCP対象性が破れるという理論を発表し、2001年に高エネルギー加速器研究機構のB-ファクトリー加速器を使って小林・益川理論が実証されている。しかしCP対象性の破れだけでは宇宙全体の物質の存在を説明出来ない。電荷のないニュートリノが反物質を物質に変えたのではないか、という仮説が提案されているが、この仮説が実験的に確認されれば宇宙の成り立ちが一層明確になる。スーパーカミオカンデの20倍の体積を持つ後継ニュートリノ観測設備であるハイパーカミオカンデが2025年に観測を開始すれば、この仮説が実証されるかもしれない。
このところ気温が下がり、最低気温は氷点下、最高気温も7℃に達するかどうか、という日が続いている。柚子の木も寒そうに見え、今日すべての実を収穫した。10月末にはまだ緑色だった柚子も2週間ほど前から大分黄色くなってきた。
今年は全部で15個の実がなった。一番大きい実は直径が60ミリ程度で、日本で店頭に並ぶ柚子に較べれば随分小ぶりだが、香りは負けていない。シアトルのような土地ではこれ以上大きく育てるのは無理なのだろうか。
実を収穫した柚子の木は鉢植えだが、この鉢をより大きな鉢に入れ、そのまわりに断熱材をつめて根の寒さ対策を施した。これで越冬出来ることを期待する。
これから寒い時期、われわれはゆっくりと柚子の香りを楽しむことにしよう。
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