3月
17日,
2008年
Skypeのバージョンが上がっています
SkypeのBUGは脆弱性を伴うことがおおいので、早めにアップされたほうが良いです。
3月
17日,
2008年
WindowsServerCore
Linuxを使い慣れた私には「似て非なるモノ」と感じています。
とはいえ、今後導入がすすむのでしょうから、やらざるを得ません、因果な商売と感じるこの頃です。
3月
17日,
2008年
春の明治村
この写真は西郷隆盛の実弟西郷従道のゲストハウス内部です。
洋館ですが、至る所に日本情緒が演出してあります。
椅子も机も豪華ですが、一部は鹿鳴館のものだそうです。
食器その他は当時の物ではなく、「ノリタケ」の製品ですが、かなりのモノでした。
3月
16日,
2008年
気になる墓石
路傍にひっそりとたたずむ感じで、見落としてしまいそうです。
構造から同時に作成されたと思います。
夫婦だったのでしょうか・・・・
奈良に通い始めた時から気にはなっていましたが、調べる術もなく、いつも前を通っています。
3月
16日,
2008年
映画「明日への遺言」
文芸春秋4月号の210Pageに「BC級戦犯岡田資中将の闘い」と題して掲載されています。
原作は大岡昇平「長い旅」であることも、ここで知りました。
映画館で予告では見ていましたが、東京裁判とはある意味異なる視点での展開である点に興味を引かれています。
以下は公式ブログに書かれていた感想です・・・
38歳女性
映画を見る前まで「自分はかなり幸せなほうだ」と思っていました。
・長時間並んで買ったドーナツは自慢でした。
・われ先に列にならんだ浦安の遊園地に行ったことが自慢でした。
・雑誌で紹介してたブランド物を夢中で買い求め持っていることが自慢でした。
・郊外のマンションに住み、ペットの犬もいることが自慢でした。
・娘はお受験のための塾に通っていて近所の子供より上位の成績なので自慢でした。
・夫が買い物や食器洗い、洗濯や掃除も手伝ってくれるのを近所に自慢しました。
・夫は一流大学を出ているので安心していました。
・数年に一度は海外旅行にも行けるので自慢してお土産を配りました。
・雑誌で紹介された有名店に行き、友人に自慢しました。
・自分はセレブだと思っていました。
映画を見終わった今、私は「なんでこんなに不幸なんだろう」と思っています
引用終り
仕事のリーダーとして、今求められる人物像の一つだと感じました。
3月
14日,
2008年
東大寺お水取り最終日
「お水取り」は3月2日に若狭の国から送られた「水」が10日間かかって写真の若狭井に到着するとされ、12日深夜にここから聖水としてくみ上げられます。
この建物は若狭井呼ばれますが、正式には閼伽井屋でです。
閼伽は仏教用語で、仏壇にお供えする「水」のことです。
徒然草の「神無月の頃」にも閼伽棚として出てきます。
この閼伽、語源はラテン語で、これが英語ではAQUAに転じています。
二月堂から大仏殿や正倉院を見ると、はるか昔西方からシルクロードで文物と共に「言葉」も伝わり、ここに形として残っていることに深い感慨を覚えます。
3月
11日,
2008年
春の陽光
写真は聖ザビエル天主堂内部から入鹿池の遠望です。
撮影時間は午前11時、日照角度があがり、内部のステンドグラスの撮影は難しくなってきています。
3月
6日,
2008年
尾張平野の古戦場
タワーから南東方面には歴史ではあまり目だっていない古戦場が一望出来ます。
秀吉の天下統一直前に徳川家康と一戦を交えた小牧山の合戦は、徳川に多くの自信を持たせた重要な戦いです。
今ひとつ、織田信長24歳の時の浮野の合戦も歴史的には極めて重要な戦いです、齋藤道三亡き後、彼の庇護の無い状態で、信長は多くの犠牲を払いながらこの合戦で勝利しています、既に鉄砲はこの合戦で投入されています。
この戦いの余勢で信長は勢い乗り、尾張平野を手中に納め、数年後に桶狭間の合戦となります。
桶狭間は信長の兵が少なくゲリラ戦のように伝わっていますが、私はそうは思いません、かなりの兵力を温存しての正規戦と思っています。
一宮のタワーからはこれらが一望出来ます。
3月
3日,
2008年
東大寺お水取り:その2 青衣女人
参考URL
http://www.kcn.ne.jp/~narayama/omizutori/top.html
青衣の女人:(しょうえのにょにん)
お水取の儀式はいろいろあるのですが、私はこの話が気に入っています。
いろいろな儀式のなかで過去帳の読み上げがあり、二月堂に関わった人々の名前が延々と読み上げられます。
聖武天皇に始り、順次名前が読み上げられるのですが青衣の女人の話は、この過去帳の時です。
固有名詞ではなく、この様な名前で読み上げられるのは、以下ような理由によります。
昔、過去帳読み上げ時に、堂内に青い衣を着た亡霊が立ち現れ、「我が名、何故読み給わずや」と、読み上げ役に迫ったといいます。
その僧侶は、驚き、とっさに「しょうえのにょにん」と叫んだようです。
亡霊は、その声に満足したのか消え去ったという話です。
女人の素性は諸説紛々ですが、その読み役の僧侶
に思いを寄せながら亡くなった女性との説が有名です。
※この話は司馬遼太郎さんの「街道を行く」の奈良東大寺に記載されています。
奈良国立博物館で過去帳の現物を見ましたが、青衣(の)女人と記載してありました。