広島原爆投下から69周年を迎えた。
一般の米国人はこの日を知っているだろうか?
多くの人は知らないようだ。
50代後半の白人男性が小切手に本日の日付を記入している時だった。
答えは分かっているが聞いて見た。
「この8/6は何の日であるかご存知ですか」
「………………」
「69年前のことです。」
「……………………」
「日本と米国との間に何かがあって、酷いことが起きた日なんです。」
「………………………」
案の定、ここまでヒントを与えても答えられない。
これは95%以上の米国人一般の認知度であるように感じる。
私が答えを与えてからの彼は饒舌だった。
機関銃のような勢いで戦争に対する自らの見識をまくし立ててくる。
「戦争は全く、愚かなことだ。愚か、愚かだ。
敵も見方も傷つけ、破壊し、殺しあって一体何か得るものがあるのか。
戦争に勝者はいない。
だのに何故起きてしまうか?
何故だと思う?
国のリーダーたちがやらかすんだ。
全く迷惑な話だ。
平凡で普通の俺たちは戦争なんて真っ平なんだ。
リーダーたちが決めたことを俺たちがしなくちゃならないだなんて、どうかしているよ」
その不条理な戦争の究極が原爆だった。
あのキノコ雲の下で
人としての尊厳を奪われた10万人以上の被爆者たち。
生きた証人としての語り部が年々少数となって行く。
現実の原爆がどういうものであったか風化をさせないために
今年も「はだしのゲン」を一人読むこととしよう。
郵便局の窓口に立った時だった。
私のTシャツに Peace from Jerusalem と書かれてあるのを見つけた局員。
40代後半と思しき白人男性が私を見据えて聞いてきた。
「どうしたらエルサレムに平和が来るか私は知っているよ。教えようか?」
「ぜひとも教えてください!!」
以後、彼の独壇場となった。
「イスラエルがハマスを全て駆逐することだ。
仕事を途中で止めてしまわないで、最後までやり遂げるんだ。
そうしないなら、再びロケットでのテロ攻撃が始まって、
平和なんてあったものでじゃあない!
ハマスは殺人を何ら罪悪感を持っていないテロ集団なんだ。
彼らを野放しにしている限り、たとい停戦したって一時的なものにしかならない。」
確かにその通りだと私も思う。
だがイスラエルの正当防衛行動が
どれほどの罪のない一般民衆を犠牲としていることか。
民衆の生活と安全を奪い、幼子の命まで奪う現実に胸が痛い。
「明日から学校が始まっても
家も破壊されてしまって、子供たちはこれからどうしたら良いの?」
TVニュースにインタビュー出演した母親の嘆きである。
夫は荷物を取りに自宅に戻った際に爆撃を受け、
崩壊した自宅の瓦礫の中から遺体で発見された。
解決の無い問題提起をしたところでどうにかなるものではない。
私の後ろに行列が出来ているのを知って
局員に同意する仕草をしながら窓口から立ち去る他なかった。
彼の信条を一通り聞いたところで支払いも全ての用をおえた。
自分の意見主張より、背後の行列を気にしてしまうあたり
やはり私は日本人なのだと想う。
イスラエルとハマスとの戦闘が再開してしまいました。
やるせないのは、子供を含む一般市民が犠牲となっていることです。
下記に
ベツレヘムバイブルカレッジ(パレスチナ人のクリスチャンが建てたベツレヘムにある福音派の聖書学校)の声明を掲載します。
http://bethbc.org/news/statement-bethlehem-bible-college-regarding-current-crisis-gaza
ほとんどのクリスチャンはこの声明文にある祈りに同意すると思います。
神を神とすることからの平和が実現されますように。
※翻訳家の中村佐知さんによる、リンク記事の全文日本語訳が下にあります。
"As Christians committed to nonviolence, we do not and cannot endorse Hamas’ ideology. However, we believe that the people of Gaza have the right to live in freedom and dignity. This means that the siege over Gaza should be lifted and the borders should be open. The people of Gaza need a chance to live.
We oppose Hamas launching rockets at Israeli town and cities. At the same time, we are shocked by the unproportional and inhuman response by the Israeli military and the disregard of civilian life and specially innocent women and children.
We are grieved by the mounting hate, bigotry and racism in our communities today, and the consequent violence. We are specially grieved when Christians are contributing to the culture of hatred and division, rather than allowing Christ to use them as instruments of peace and reconciliation."
全文日本語訳(Japanese translation of the article):
ベツレヘムバイブルカレッジによる、ガザにおける現在の危機に関する声明(2014年7月25日)
今日、神はパレスチナとイスラエルの状況を嘆き悲しんでおられます。今日、神はガザのために涙を流しておられます。
神とともに、ガザとイスラエルでの大量殺戮を見るとき、私たちの心も痛みます。
ベツレヘム・バイブル・カレッジでは、イスラエル人とパレスチナ人両方の公正な平和を、声を上げてずっと求めてきました。紛争に対する非暴力による解決をいつも求めてきました。「Christ at the Checkpoint」声明には、「暴力はいかなる形のものも、断固として否定されなければならない」とあります。また、パレスチナ領の占拠とガザ包囲が続く限りは、紛争は拡大し続けるだけだと信じます。前述の声明では、「パレスチナ人クリスチャンにとって、占拠が紛争の中核となる問題である」と述べています。
非暴力に献身しているクリスチャンとして、私たちはハマスのイデオロギーを支持しませんし、支持できません。しかしながら、ガザの住民にも自由と尊厳を持って生きる権利があると信じます。ガザの包囲と境界封鎖は解除されるべきだという意味です。ガザの人々にも生きるチャンスが必要です。
私たちは、ハマスがイスラエルの都市にロケットを打ち込むことに反対します。同時に、イスラエル軍による度を超した、非人間的な反応と、一般市民(特に戦いに無関係な女性と子どもたち)のいのちへの無頓着さにも衝撃を受けています。
私たちは、今の私たちのコミュニティーの中で憎悪と偏見と人種差別が増大し、結果として暴力が拡大していることに悲しんでいます。特に、クリスチャンたちが、平和と和解をもたらすキリストのしもべとして用いられるのでなく、逆に憎悪と分裂の風潮に加担していることを、悲しんでいます。
この状況を前に、ヨハンナ・カタナチョウ(Dr. Yohanna Katanacho)博士の言葉を用いて、私たちは次のように主張します。
「私たちは子どもたちと無実の人々の命を奪うことに反対します。私たちは、憎しみではなく愛を、抑圧ではなく正義を、偏見ではなく平等を、軍事解決ではなく平和的解決を支持します。暴力は戦争を生むだけです。さらなる痛みと破壊を、この地域のすべての国々にもたらすだけです。正義に根ざした仲裁こそ、前進に向かう最善の道です。したがって、私たちは、暴力と憎しみと抑圧に対抗し、愛と平和と正義の文化を広げていくという決意を表明します。」
早急な停戦と、問題の症状ではなく根源を扱う真剣な取り組みのために、ベツレヘムバイブルカレッジのすべての友人たちに祈りを要請します。愛する家族を失った人たちのために慰めを祈ります。特にガザ在住のクリスチャンのために祈ります。彼らは爆撃にさらされつつも、居場所を失った人や負傷した人たちのために、避難場と支援を提供しています。そして、暴力と憎しみと抑圧に直面しつつも、愛と平和と正義の文化を広げることに献身している、パレスチナ人、イスラエル人、外国人たちを含むすべての人たちのために、どうぞお祈りください。
ここのアバディーン・センターにはお気に入りの日本食レストランがある。
そこでは耳が痛くなるほどの威勢の良い日本語が店員間で交わされている。
聞いてみると中国人も二人ほどいて彼らは熱心に日本語を勉強しているのだそうだ。
完全に和合し、信頼しあって仕事している彼らを見るのは微笑ましい。
夕食を終えて店を後にした私を追いかけてきて、
忘れ物の本を届けてくれたのもその中国人であった。
数ヶ月前にカナダの移民政策に大変革が起こった。
数千万円を投資すれば永住権が与えられるとあって
中国からの裕福層が毎年、数万人規模でカナダに移民していたのだが
その制度が何の予告のなしに突然廃止されたのである。
永住権申請中の数万人の方々の無念のため息が聞こえてきそう。
カナダ当局のその理由として
「中国人は英語も習おうとせず、カナダ社会に同化していかない。
雇用が創出されないまま、カナダとは別個の社会を作っている。
このままではこの国が変質されてしまう。」
香港返還に伴って大量の移民が押し寄せてきた歴史にピリオドが打たれたようである。
その大量移民政策ゆえに出現したと言っていいのが
ヴァンクーバーの南方に広がるリッチモンド。
そこの代表的なショッピングモールであるアバディーン・センターへ行けば
看板に掲げられている文字は全てが中国語。
売り子さんも中国人、
モール内で人々が会話しているのを聞けば中国語ばかり。
本国と同様の生活ができるのなら
個人財産を守るためにカナダへ移民したい人々がいるのも良く分かる。
ポートランドダウンタウンの長老教会
組織化は1854年とある
ポートランドにて、歴史を感じる教会堂を発見。
今日、ダウンタウンのAlder通りを歩いているときだった。
これまでその壮麗な教会堂の目前を何度も通ってきたが、
壁に掛かる碑文に注意を向けたことはなかった。
その教会の設立は1854年とある。
その年、数百年間の鎖国を破り日米和親条約が締結された。
前年からのペリー艦隊による砲丸外交によって
江戸幕府は無理やりに開国を余儀なくされた。
時に、二十歳前の坂本竜馬は江戸の千葉道場で剣術修業中である。
「歴史を感じる」と冒頭に書いたがこの州の、
そしてこのアメリカという国の若さを改めて実感してしまう。
長い平安王朝貴族の時代が終わって武士の世となり、
鎌倉から武士政権が誕生して以来650年ほど続いた
「刀とちょんまげ時代」が終焉を迎えようとするころ、
このオレゴン州が産声を上げることになる。
オレゴンがアメリカ合衆国の州に昇格したのは、1859年2月14日である。
ついでにもう少し遡ると、
ジェファーソン大統領の時
ルイスとクラークの二人が陸路北西部の探検に派遣されて、
ロッキー山脈を超えて太平洋岸に達するのが、1805年であった。
当時英国もクックらの探検家を送っていてこの北西部の領有を主張していたため、1818年の米英協定で、共同領有とされた。
当時のオレゴンとは、オレゴン州、ワシントン州、アイダホ州の北西部一体を指している。
1830年代には、ミズーリ州インディペンデンスから
ロッキー山脈を越えてオレゴンに達する「オレゴン街道」が開かれると、
西部に移り住む開拓民が後続するようになる。
1846年、オレゴン条約によって国境問題が平和的に解決される。
アメリカ合衆国とイギリス領北アメリカの国境が北緯49度線に設定されたもの。
これは現在のカナダとの国境線になっている。
1848年にはオレゴン準州が公式に組織化され、
再度記すが合衆国33番目の州に昇格するのが1859年である。
ちなみにワシントン州の昇格は、
さらに送れること1889年11月11日であり、
大日本帝国憲法が公布されるとの同年である。
あるレストランにあった壁掛絵画
「最も住んで見たい街」全米ベスト10から
3-4ほどの街はベイエリアから選ばれている。
サウスベイに群居しているお馴染みのFacebookやGoogleなどのIT関連企業は
若い技術者たちを惹きつける。
それが最大の理由であるようだが、
この地域の住宅不動産価格は高率での上昇が続いている。
昨年同月に比べること14%を超える上昇率。
数年前の不動産の冷え込みはどこへ行ったのだろうか。
「持てるもの」には景気の良い話になっても、
賃貸生活者には厳しいばかりである。
友人のSさんはPaloAltoで一軒家を賃貸しているが、
大家から突然$500の家賃値上げを突きつけられたという。
やむなくも出て行くことしかなく、
現在は引越し作業の中にいる。
その多忙の間隙にともに夕食する機会を得た。
この地域の高騰の波は、
いつかシアトルにも押し寄せて来るのだろうか。
本日のシアトルオーナー会は今年初回となり、
新年会を兼ねて普段とは異なる趣向。
10ドルを少々上回る弁当が通例だが、それに加えて寿司が付きました^_^
講師は早稲田大学社会学部で専任講師をされておられる奥迫元博士。
国際関係が専門であられることから、国際関係学の学問としての始点から現代までの複雑な国際関係の実情に至るまでを概観させていただきました。
2時間余りの講演の中で、学問的に整理された部分はもちろん一般には知り得ることのない国際会議での各国の攻防戦など、興味尽きないお話を伺いました。
特にルワンダでの虐殺問題は、家内が現地を訪れて奉仕しており、私の知人もその宣教に携わっていることから強い関心を持ちました。
ルワンダ内戦が、隣国のウガンダやコンゴにどういう経緯で波及して、一体どこが問題点でどこに解決への糸口があるのか、専門家を通じての分析に新しい視野が開かれて行くような感覚を持ちました。
現在の国際社会での日本の立ち位置や役割をどこに見出していくか、そのような視点からの質問が参加者から多く寄せられて、終わった時には午後10時を過ぎていました。
奥迫氏はシアトルの大学の研究室で数年学ばれ、この3月に帰国されるとのこと。
今後のご活躍を期待しています。
バラードとホービーの交差点
バンクーバーでは、I宣教師と会食。
地元に住んでいる人からの現地情報は、新鮮で正確。
彼女は聖書を教えるだけでなく、ワーホリでカナダに来ている日本人の萬(よろず)相談役でもある。
ワーホリとは、ワーキングホリデー・ビザの略称で、
日本人なら1年間の就業ビザが与えられる。
それで来ている25歳以上の彼らのほとんどは夢の中を生きていらっしゃるとのこと。
「日本では就職先も無いので何とかならないかと、取り敢えず外国で働いて見たかった…
英語は外国に出れば何とかなるのだろう…
英語を教えてくれる職場を世話して欲しい…」
そう考えている人が実に多いそうです。
結局給料の出る仕事が与えられない彼らは、
日本食レストランのキッチンで働くことになるようです。
現実逃避して外国に出たところで、現実は常に自分自身について回る。
現実からは誰も逃れようがない。
たとい外国へ行ったとしても。
その現実を知っただけでもワーホリでの1年は価値があったとも言えるのでは?
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