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死と死後の希望 サンディとの出会い

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昨日の日曜日は、アメリカシアトルは、フットボールで湧き上がってしました。
シーホークスが二年連続スーパーボールを目指して、奮闘していました。

私たちは、日本人礼拝の後、一人のもう死を目前にしている人の願いごとをかなえに病院に行って来ました。

彼女は、私たちホライズン教会の英語礼拝に来ておられるおばあさんの、娘さんの義理のお母さんでした。

彼女の名前は、サンディさん、がんが転移してしまい、もう手の施しようがないとのこと、延命措置も外し、あと2日以内には天国に行くだろうとのこと。

延命措置を外す前に、彼女は、イエス・キリストを救い主として信じ、心にイエス様を受け入れました。そして、死後永遠の命をもって天国で生きる希望をもらったのだそうです。

彼女の最後の願いは、誰か彼女のために歌って欲しいということでした。

その願いを知った、主人エリックは、とても使命を感じました。彼は、歌うことにパッションを感じていて、また誰かの役に立つことをしたいと思ったのです。私も一緒に歌うということで、あわてて、英語の賛美歌の本を手に車に乗りました。

病室では家族がそろっていました。サンディは、意識があるのかどうか分かりません。とても苦しそうに音を立てて息をしていました。

私が祈り、エリックが大きな声でろうろうと賛美歌を歌いだしました。

一人もクリスチャンのいない病室でしたが、一人、また一人と泣き出し。なんともいえない神様の臨在に包まれました。

サンディは、うっすら目を開け、家族の話によると、目をきょろきょろさせていたそうです。家族たちは、サンディにそのような反応があったことがとても嬉しかったようです。

エリックは、いつくしみ深き友なるイエス、驚くばかりの、イースターの曲、イエスその名に、などと次々と歌いました。

歌詞から流れる、神様のメッセージ、慰め、力をこれほど私は感じたことがありません。そして、こんなにストレートに人の心に入っていくのをみたことがありません。

私は、部屋が暗いのと、小さな英語の歌詞が読めなかったので、ひたすらハミングをしていましたが。。。

まるで、病室を天使たちが取り囲んでいるように感じました。全く暗い雰囲気がありませんでした。またサンディも部屋にいる天使たちの踊るのを目で追うかのように見えました。

とても短い訪問でしたが、神様の愛をご家族も私たちも一緒に感じるときとなりました。

もう、今日、今、彼女は旅立ったかもしれない。
けれども、また天国で再会できる。「昨日見た天使はどうだったの?」 と聞いてみようと思う。

人生は、何が起きるか分からない。自分に定められた月日の数すら分からない。けれども、ゴールを目指して生きている人には確信がある。
喜びがある、希望がある。
たとえ、希望を見出したのが、残り3日の道のりであっても。。。。
私は、サンディの中に、沸き立つ喜びを見ました。
明日あるいは、今日本当に死んでしまう人のように感じませんでした。

シーホークスが最後まで、あきらめずに、自分たちを敗者とはせず、勝者として戦い抜き、最後20秒で逆転したこの日、
同じドラマを病室で見させてもらいました。

サンディ、ありがとう。
そして、天国でもっと話しましょう。

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サマリヤの女の救いA Samaritan Woman's Salvation

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2015年1月18日日曜日礼拝音声は、http://youtu.be/f9L2T8Ejpqg

ヨハネ4章3-30, v39

今日の箇所は、聖書のなかでも有名な個所です。よく、素晴らしいカウンセラーとしてのイエス様の例として引用されたりします。さて、今日は、一人のサマリヤ人の女性がどのようにしてイエス様に出会っていったか見ていきたいと思います。その中で、神様は私たちに語って下さることがたくさんあります。
このサマリヤの女性が、イエス様に出会ってから、三つの覚醒がされ、真の意味で最後にイエス・キリストというお方に出会います。そして、その出会いが、彼女の恥を完全に取り去り、彼女を通して町中がイエス様を信じるほどになっていくのです。

① イエスとの出会い v3-10

主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。4 しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。5 それで主は、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。6 そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は第六時ごろであった。7 ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは「わたしに水を飲ませてください」と言われた。8 弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。9 そこで、そのサマリヤの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」―ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである。―10 イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれという者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人を求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」

V4 しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。But He needed to go through Samaria

この短い言葉は、多くのことを表しています。そもそも、当時ユダヤ人はサマリや人と付き合いをしなかった。それは、歴史をさかのぼって、アッシリア捕囚Assyrian captivity of Israelの後、北イスラエルと異邦人との混血がすすんだ民族であり、自分たち独自の祭壇をゲリジム山に設け、宗教的にもイスラエルと対立していた。宗教的に混血を嫌うユダヤ人から、邪道perversionとみなされ嫌われていたのです。イエス様とその一行は、近道とは、いえ、サマリヤをと通って行かなければならなかったということなのです。

v7 ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは「わたしに水を飲ませてください」と言われた。7 A woman of Samaria came to draw water. Jesus said to her, “Give Me a drink.”

イエス様は、ここで、妙な時間帯に水を汲みに来た一人の女性に話しかけている。当時の文化では、ユダヤ人がサマリヤ人に進んで話しかけることはなかった。また、男性が女性に話しかけることはなかったはずである。また、普通の人が水をくむ時間に来ない人、つまり、何か人の目を気にする必要のある問題のある、ややこしい人と簡単に想像できる、この問題のありそうな女性に話しかけたのです。

★私たちに何を教えているでしょうか。

イエス様は、あなたに個人的にあうために出てこられる。民族を超えて、常識を超えて、宗教を越えて、あなたがどんなに人の目から嫌われていようと、99匹の羊を置いて一匹を探すためにでていく神様。あなたのところへでていってあなたを探す方。
みなさんが今教会に来ているのも、偶然ではない、イエス様があなたに出会おうとしていらっしゃるのです。

この女性に話しかけ、水を求めたイエス様に対して、この女性は、びっくりして、「どうして、サマリヤ人の女のわたしに飲み水をお求めになるのですか。」と聞き返している。するとイエス様は、

10 イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれという者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人を求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」

と言われました。あなたは、知らないから求めていなだけだけど、知っていいたなら求めている神である、わたしに生ける水を求めたでしょう。。。。と。
私たちが神様を意識しない、イエス様を知らない時から、イエス様の方では、私たちを探して、また遠く離れたどこにいても探して会いに来てくださる。私の場合は、日本にいるとき、どうしようもなく人生に挫折in a setbackを感じていた時、アメリカから一人の青年を海を越えて送って下さり、その人を通してイエス様は、私を探し出してくれました。
あなたにも、そんな経験があるでしょう。まだ、あなたが神様のことなど何も求めていない時に、向こうから近寄ってきてくれた。。。
私たち教会も、イエス様の心をくんで、出ていくもの、誰かを探すものになりたいものです。

② 内なる求めへの覚醒 生ける水 v11-15
11 彼女は言った。「先生。あなたはくむ物を持っておいでにならず、この井戸は深いのです。その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。12 あなたは、私たちの父ヤコブよりも偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を与え、彼自身も、彼の子たちも家畜も、この井戸から飲んだのです。」13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」15 女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」

女は、イエス様が言っているのが、自然界の水だと思っていました。バスターダッグが先週霊の目覚めを絵にして書いてくれましたが、霊の世界に目覚めていない時、人は、一生懸命自分の見えている世界で、物事を考え吸収しようと思います。教会に来ると、道徳的ないいお話しが聞ける。とか、ユダヤの世界、またその他のキリスト教的な芸術、文化理解の助けになると考えたりし、教会に来ることに興味を持つ方がよくいらっしゃいます。それは、魂の領域の満たしのみで満足しようとする姿勢です。この世がオファーできるのは、魂の領域までです。霊の領域までは行きません。そして、自分の魂の領域の理解の限界を超えていることに出くわすと、急に教会が嫌いになるということになります。。。

この女は、それ以上のものをデスパレイトに求めていたようです。もう自分の人生は、自分ではどうしようもないと分かっていたと思われます。
人は、心の中にぼっかり穴があいているような感覚を持っている。聖書では、永遠への思いといわれているものだ。人は、毎日それをうめようとして生きている。私も若いときに、自分の将来、自分自身を探そうとしてたくさん小説を読んだり、映画をたくさん見たり、多くの外国を見ようとしたり、もっといい恋人、もっといい仕事についたら満たされるのではないかとも考えた。

この女性も、一生懸命自分を満たすためにあくせくして、疲れていただろう。この女性の場合は、男性に取り付くことで自分自身を満たそうとしてた。男性こそが、自分を満足させると信じているが、ことごとく裏切られていたのだ。そして、その生活に嫌気がさしていたのであろう。

「先生、その水、永遠のいのちへの水をください」と、イエス様にお願いしました。続けて聖書を読み進めると。。。

③ 罪への覚醒 v16-19
16 イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」17 女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。18 あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。」19 女は言った。「先生。あなたは預言者だと思います。

彼女は、はっとしたはずです。イエス様が、ぴしゃりと彼女の問題を預言的に言い切りました。しかも、傷つけない形で。。。彼女は、同棲をいろいろな男性と繰り返していたのです。これは、明らかな罪でした。結婚関係以外の性的な関係は、当時厳しく裁かれました。彼女は、近所でも有名なふしだらimmoralな女でした。彼女の罪のサイクルを明らかにしました。
私たちは、自分の罪のサイクル、何が自分を神様から遠ざけているのか、何が自分にとっての、偽の神、すなわち偶像になっているか分かるまで、成長しません。また魂の癒しもきません。
この女は、イエス様の言葉によって、はっきりとさとったのです。自分は、今まで間違ったものを追いかけて自分を満たそうとしてたということを。。。

④ 宗教と伝統の問題 v20-25
20 私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」21 イエスは彼女に言われた。「私の言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。22 救いはユダヤ人から出るものですから、あなたがたは知らないで礼拝しています。23 しかし真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。24 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」25 女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」
 
この女にとって、今すぐにでも欲しい生ける水であるが、心にわだかまりとなっている宗教と伝統の問題をイエス様にぶつけた。サマリヤ人として育ってき、ユダヤ人といつも対立関係にあったのですから、無理もないでしょう。また、こんな宗教問題について対立しているユダヤ人と議論するということは、タブーだったことでしょう。
しかし、イエス様は、その問題をはっきりと示されました。宗教ではない、伝統ではない、理屈や伝統による礼拝ではなく、心から、しんから変えられた人たちが神を礼拝する時が来ていると。場所じゃない、やり方じゃない。神は、霊だから、神を礼拝するものたちも霊によって礼拝しなければいけない。霊が死んでいる状態でなくて生きている状態、すなわち生ける水を飲んだ状態で礼拝するのだ。と。

⑤ イエスとの真の出会い v26-30, 39
26 イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」27 このとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話しておられるのを不思議に思った。しかし、だれも、「何を求めておられるのですか」とも、「なぜ彼女と話しておられるのですか」とも言わなかった。28 女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。29 「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。」30 そこへ、彼らは町を出て、イエスのほうへやって来た。

V39 さて、その町のサマリヤ人のうち多くの者が、「あの方は、私がしたこと全部を私に言った」と証言したその女のことばによってイエスを信じた。

イエス様は、面と向かって、この女性に、「あなたと話しているこのわたしがそれです。」と答えられた。真の神と面と向かって答えをいただいた、この女性にこれ以上の説明は必要なかった。彼女の心の中には、すでに命の水があふれていた。彼女は、今まで、人目をさけて隠れるようにして生きていたのに、大通りに出て行って、人目をはばからず、みんなにこのイエス様を証しするようになった。
これが、生ける水を受け取った人のしるしです。変えられた人は、過去にもう縛られていません。恥ずかしくないのです。イエス様との真の出会いが、彼女を変えたのです。

私たちは、今どこにいるでしょうか。イエス様にぶつけたい問題があるなら、イエス様に直接聞いたらいいでしょう。イエス様との面と向かっての出会いがあるでしょうか。それを求めてください。あなたは、すでに探しあてられています。見つけられています。あなたにもう語り掛けられているはずです。

“13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」”

生ける水を飲みましょう。受け取りましょう。


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上より生まれる

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ヨハネ三章一節から十二節

1 さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。
2 この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができません。」
3 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
4 ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」
5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。
6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
8 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」
9 ニコデモは答えて言った。「どうして、そのようなことがありうるのでしょう。」
10 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。
11 まことに、まことに、あなたに告げます。わたしたちは、知っていることを話し、見たことをあかししているのに、あなたがたは、わたしたちのあかしを受け入れません。
12 あなたがたは、わたしが地上のことを話したとき、信じないくらいなら、天上のことを話したとて、どうして信じるでしょう。

この聖書についてよく勉強していたパリサイ人のニコデモという人は、イエス様の偉大な奇跡を見聞きし、イエス様は、偉大なことをするので神からのものだと思って、イエス様に質問しにきました。

そこで、イエス様は、ニコデモにこのように答えました。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

奇跡を見て、これは普通じゃない、人間よりも優れた大きな方のされることだと分かることはできる。しかし、『神の国』のあり方、『神の国の心』を見るには、新しく生まれなければならないという。

ニコデモは、「そんなこと、どうしてできるのか、もう一度母の胎にもどるのか」と聞き返している。

「新しく生まれる」 というのは、上より生まれるという意味がある。
神によって、人間界と違う領域で生まれる。神の霊によって神の世界に生まれるということ。
すなわち、死んでいて昨日していなかった、人間の中にある霊が生きるようになることです。

5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。

上より、新しく生まれるということは、水と霊によって生まれるということです。

水は、悔い改めのバプテスマを意味しています。心から自分の罪を悔いてバプテスマを受けるなら、罪が赦されます。
また、真に悔い改めた人は、神様の霊、見えない力が自分を変えることを体験します。
今まで、きずかなかった罪にもっと敏感になったり、神の国について、霊の世界について認識することができるようになる。
それは、自分も霊の存在として生まれ、また神の霊を内にやどすものとなったからです。

6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

とあります。肉の領域で、認識できる、神の世界と霊の領域で見る神の世界というのには、格段の違いがあります。
肉の領域では、見たつもり、理解したつもりでしかありません。

よく、教会に何ヶ月、あるいは、何年か通って、もうキリスト教は分かった。といって、教会に来なくなる人がありますが、
本当は、何も分かっていないのです。

霊によって生まれなければ、見えないことの方が多いのです。

神は、悔いた砕かれた心を決して蔑まれません。と詩篇にあります。

神様を本当に求める心で神様に近づく者はかならず、神様を見出します。
また心が変えられます。
それが、悔い改めによって私たちにもたらされる神の奇跡です。

みなさんも、ぜひ、聖書を読むとき、ただの霊気史書としてではなく、自分のこととして読んでみましょう。
そして、人は決して変わらないものだ、自分は、変わらないという思いではすに構えて読むのではなく、自分の心を照らす光として読みましょう。

神様を求めましょう。


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何を見て生きるか 新年2015

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一月四日の礼拝で、みなさんでお... 一月四日の礼拝で、みなさんでお節とお雑煮を食べ、書き初めをしました。みなさんいいのができましたね。
2015年1月4日新年礼拝

ルカ11: 34-35

からだのあかりは、あなたの目です。目が健全なら、あなたの全身も明るいが、しかし、目が悪いと、からだも暗くなります。
35 だから、あなたのうちの光が、暗やみにならないように、気をつけなさい。
The lamp of the body is the eye. Therefore, when your eye is good, your whole body also is full of light. But when your eye is bad, your body also is full of darkness. 35 Therefore take heed that the light which is in you is not darkness.

箴言29:18a

幻がなければ、民はほしいままにふるまう。Where there is no revelation, the people cast off restraint;

私たちは、自分の目に見えるものに従って生きる。目に見えるものによって、心を暗くしたり、明るくする。目は心の明かりです。

あなたは何を見て生きていますか?

多くの人々は、自分の過去を見つめながらの生きているそうです。過去に縛られ、過去の経験から、物事を考え判断し。またトラウマで苦しんでる。
また、そうでない人たちは、将来を見つめて、不安と怖れと心配の中、そうならないようにびくびくしながら生きているかのどちらかだそうです。
なかなか、今、現在をしっかり見つめて生きている人はいないと言われています。

また、先ほど読んだ、他の聖書の箇所には、「幻の無い民はみな滅びる」とあります。
この箴言の箇所のrevelation とは、日本語では幻や夢と訳さされている。英語では、啓示。私たちにとって一番大切なのは、これです。これが無ければ、現在に集中して生きられないのです。そして、これがあるときに希望があるのです。
私たちは、希望に根ざして物事をみなければ、目が明るくならない。目が開かれません。

そして、この希望の土台となるのは、神様です。神様の素晴らしさ。Goodness of God. です。

もし、私たちが、自分自身に目を向け、自分の過去を土台として夢を見ようとするなら、夢を見ることができません。また希望もありません。目が見えなく、また身体が暗くなることでしょう。

私たちは、自分にあるものを土台にして夢を見る必要がないのです。私たちを造り、私たちの父である神様、私たちに良い計画を持っている神様、私たちを愛しておられる神様、全てを可能としてくださる、愛に満ちた良い神様に希望をもって夢を見ましょう。

良い神様が私たちを助けてくださるとすれば、何を今年はいただきたいですか?

2015年、希望をもって毎日生きて生きたいですね。

今年の夢を書き初めにしましょう。(このあと、みなさんで書き初めをしました。)


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2015年拡大のために Year 2015 to Expand

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2014年12月28日日曜日年末礼拝 音声は、http://youtu.be/Kj3vK2y0-6I

Ⅰペテロ4:7-11

7 万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。
8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。
9 つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。
10 それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。
11 語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべて のことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。
7 But the end of all things is at hand; therefore be serious and watchful in your prayers. 8 And above all things have fervent love for one another, for “love will cover a multitude of sins.” 9 Be hospitable to one another without grumbling. 10 As each one has received a gift, minister it to one another, as good stewards of the manifold grace of God. 11 If anyone speaks, let him speak as the oracles of God. If anyone ministers, let him do it as with the ability which God supplies, that in all things God may be glorified through Jesus Christ, to whom belong the glory and the dominion forever and ever. Amen.

来年のために祈っているときに与えられた聖書の箇所。神様は、2015年私たちの驚くような栄光を見せてくださる。そして、拡大Expand することを示された。このExpansion 拡大は、大きく広がることだけではなく、成熟することも意味している。そのために、このみ言葉が示された。これは、私たち、日本人教会にもぴったり語られていることです。また、2014年に教会で学んできた土台をもとにできる内容です。今日は、私たち教会に与えられている主のみ言葉として、この言葉を受け取っていきましょう。

神様の栄光のために仕えるために

①v7 祈り

万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。But the end of all things is at hand; therefore be serious and watchful in your prayers.

万物の終わり、イエスキリストの再臨が近づいている。終末論については、また詳しく違う機会にするとして、私たちは、神とともにこの世を治めているだろうか。神とともに創造的な働きをしているだろうか。私たちは、神の協力者です。祈りこそ、神様とともにものを創造し、世を治める鍵です。私たちは、時間をとりわけ、祈りの奉仕のために心を整え、実を慎むべきです。

また、個人としてだけではなく、教会は、キリストの花嫁であるが、教会はキリストの似姿になっているか? Meekであるか。教会としてキリストを愛し待ちわびるものであるか。群集をさけ、一人退き祈っているか。
個人的な祈りの時間を大切にする。また、教会としての祈り会をもつ。

②v8 愛し合う

何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。And above all things have fervent love for one another, for “love will cover a multitude of sins.”

愛することについて、二つの側面

一、熱心にfervent

愛することについて、私たちはよく話を聞きますし、みなさんとても愛のある方ばかりだと思います。一つ今日考えたいのは、「熱心に愛し合うこと」です。これは、積極的に愛するということです。私とエリックのバナナブレッドの証し。一つの積極的な愛が、人の心を溶かす力がある。行き当たりばったりもいい、しかし、前もって用意し、取り分ける神様への十分の一献金のように、取り分けられて示される愛には力がある。

二、多くの罪を覆うcovers multiple of sins

私たちの死っている多くの罪をおおった愛は、イエスキリストの十字架の愛です。イエス様は、ご自分の犠牲をして、全人類の罪を覆いました。その根本にある動機は、愛でした。私たちの愛は、赦しでもあります。私たちが赦す時、相手の人は神にも赦されるとあります。罪を甘やかすことを言っているのではありません。罪を憎んで人を憎まず。です。人を赦していくとき、神様の愛が流れていくのです。
来年、積極的に人を愛し、人を赦すものとなりましょう。

③ v9 もてなし hospitality

つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。Be hospitable to one another without grumbling.

先日吉田先生ご夫妻が久しぶりに来られましたが、私たちの教会としてのおもてなしの態度を感謝してくださいました。私は、とても励まされました。人は、よくもてなされるとき、そこにいることを歓迎されているように感じますし、自分が来たことを喜んでくれる気持ちがします。居心地がいいです。受け入れられている気持ちがします。
聖書は、もてなすことを何度も勧めています。聖書には、アブラハムもみ使いをもてなしたことが書かれています。アブラハムという人は神様に対する信仰がしっかりしていただけではなく、人に対しても並外れて親切な人であった。

また、もてなす心は、単に人に対するものに留まりません。神様の臨在をホストする能力のことでもあります。聖霊様は、ご自分が歓迎されているところに留まられる。私たちは、歓迎されていないなら、もてなしが無いところには、長くいたいとは思わないし、二度と訪れたいとは思わないだろう。神様の臨在、聖霊様も同じです。私たちは、人をもてなす時、聖霊様をもてなすことを学ぶのです。

つぶやかないで、というのが鍵です。つぶやきは、もてなす心、雰囲気をつぶしてしまいます。お客さんにすぐに感じ取られてしまいます。

来年は、みなさんにチャレンジします。積極的にもてなしましょう。家に人を招く、家庭を開放してスモールグループをするなど。

④v10-11 あなたの存在が他の六つの賜物の人たちを祝福する

10 それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。
11 語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべて のことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。As each one has received a gift, minister it to one another, as good stewards of the manifold grace of God. 11 If anyone speaks, let him speak as the oracles of God. If anyone ministers, let him do it as with the ability which God supplies, that in all things God may be glorified through Jesus Christ, to whom belong the glory and the dominion forever and ever. Amen.

今年、賜物について学びました。賜物は、自分のためにあるのではなく、ほかの六つのためにあります。互いに仕えるために賜物があります。なぜなら、互いに愛し、尊敬し、仕えるときに、私たちは一つとなり、七つの賜物すべてをもつキリストのあり方をこの世に示すことができるからです。あなたの成長が他の賜物の人たちの祝福となるのです。。今年、自分が何の賜物で、何が成長の鍵であるかを学びました。来年は、ぜひ、それぞれの成長に心を配り、成長を目指しましょう。成長スケールというものもあるので、自分が今どのくらい成長しているか知りたい方は、私まで聞いてください。

祈ること、愛すること(積極的に愛すること、赦すものとなること)、もてなすこと、自分の賜物を成熟させること。これらを心にとめ、新しい年を祈りつつ迎えましょう。
大みそかは、教会で恒例の年越し祈り会があります。また、一月最初の礼拝は、恒例のお雑煮、お節、書初め礼拝です。神様に新しいビジョンをもらって一年を始めましょう。



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ヨセフのクリスマスJoseph's Christmas

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2014年12月21日クリスマス礼拝、音声は、http://youtu.be/vmCZeE2eXvk

マタイ1:18-25

18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。19 夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。20 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」22 このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)24 ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、25 そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。18 Now the birth of Jesus Christ was as follows: After His mother Mary was betrothed to Joseph, before they came together, she was found with child of the Holy Spirit. 19 Then Joseph her husband, being a just man, and not wanting to make her a public example, was minded to put her away secretly. 20 But while he thought about these things, behold, an angel of the Lord appeared to him in a dream, saying, “Joseph, son of David, do not be afraid to take to you Mary your wife, for that which is conceived in her is of the Holy Spirit. 21 And she will bring forth a Son, and you shall call His name Jesus, for He will save His people from their sins.”22 So all this was done that it might be fulfilled which was spoken by the Lord through the prophet, saying: 23 “Behold, the virgin shall be with child, and bear a Son, and they shall call His name Immanuel,” which is translated, “God with us.”24 Then Joseph, being aroused from sleep, did as the angel of the Lord commanded him and took to him his wife, 25 and did not know her till she had brought forth her firstborn Son.[d] And he called His name Jesus.

クリスマスおめでとうございます。

クリスマスとは、私たちの救い主、イエス・キリストご降誕をお祝いする日です。イエス・キリストが天から、人間の形をとってこの地上に来てくださった。人類に救いをもたらすために来てくださった日です。イエス・キリストは、私たちへの最大の神からのプレゼントです。ですから、私たちは、神様からあまりにも大きなプレゼントをもらったので、プレゼントを隣の人にもおすそわれしたくなるのです。喜びは分け合うときにもっと大きくなりますね。

またクリスマスは、あなたの前に差し出されたプレゼントのようです。プレゼントはどうしたら自分の物になりますか? 受け取ることです。働く必要も、何もありません。ギフトは受け取るときに自分の物になるのです。

今日は、ヨセフにとってのクリスマスということで、ヨセフの目線からクリスマスのお話をしたいと思います。ヨセフは、クリスマスをどのように受け取ったのでしょうか。

★ヨセフは、頭で理解できなくても、受け取った。

ヨセフにとってクリスマスは、全く理解できない、否定的な出来事から始まった。
いいなづけの後一年の婚約期、その婚約期は事実上結婚とユダヤの世界ではみなされていた。そして、マリアは、この婚約期に妊娠したのである。ヨセフにとってこの出来事は、どう写ったであろう。。。神様を信じる世界では、婚前交渉は禁止されている。マリアは、浮気をしたかと思ったであろう。

◎神の計画…アダムの罪の性質を受け継がないため。

しかし、このことは、神の目にとっては完璧であった。人間同士から生まれたのなら、アダムの性質、つまり罪の性質が遺伝しまう。しかし、聖霊によって宿ったなら、完全な人であって完全な神である。罪がなくて初めて、人類の罪を贖うことのできる、神の小羊となることができるからである。

★ヨセフは、神の言葉を受け取った。

夢で、主の使いの言葉があった。
そして、ヨセフは、その通りにした。…

神の言葉とは、それに従った見るまでは奇跡を見ない。ヨセフの従順がヨセフにクリスマスをもたらした。

私たちは、神の言葉を聞くだけになっていないだろうか。受け取るというのは、心に受け取って、それを実行したときにはじめて自分のものとなる。
クリスマスのお話しを何回聞いても決して自分のものにはならない。それを心に受け入れて、それを実行しないならば、神様の奇跡も、力もあなたの人生に何の力も及ぼさないのです。。

★ヨセフの人となりが神のプレゼントを全人類のために渡るために用いられた。

先日衆議院総選挙the Lower House general electionが日本で行われましたが、出口調査の結果、人々は、政策や政党に票を入れているのではなく、人柄に入れていることが分かったそうです。人柄というのは、それほど、パワフルに人に影響を与えます。人柄があれば、その人のやること、政策全てに信頼が置けると思うものです。それは、どの分野においても同じ。神様の世界でも同じです。ヨセフには人柄がありました。神様は、ヨセフの人柄を知って、この大役を任せることにされたのではないでしょうか。その人柄とは。。。。。

正しい人 a just man

ヨセフについて特筆すべき性質があります。それは、聖書が言っている通りに、正しい人であったことです。彼は、常識ある立派な人でありました。しかし、みなさん、時々、常識だけでものを言う人の周りにいると、窮屈に感じませんか? 何かいつも裁かれているような気になります。裁きのあるところには人は寄り付きません。神様は、唯一裁き主でもありますし、義なる聖なる神です。罪に決して妥協される方ではありません。しかし、神の憐れみは、いつも裁きよりも勝ります。それゆえに、私たちは、どんな罪を犯しても、心から神様に悔いるなら、必ず赦していただけるのです。ヨセフは、このような神様を本当に心底信じている人だったと思われます。だからこそ、彼は、マリヤの秘密を暴露し公に彼女を辱めることをしなかったのです。彼のこの資質があったからこそ、神様のご計画を持ち運ぶことができたのです。

従順さ obedience

ヨセフは、み言葉の通りに行動します。そして、その後もエジプトに逃れよなどなど、神様からのお告げがありますが、その都度従っています。また、マリヤがイエス様を産むまでマリヤを大切に聖潔を保ちました。Purity
この資質が神様の計画を現実にしたのです。
後に、エジプトへ行け、もうよい、エジプトから帰ってきなさいなどと、神様のお告げがあり、それに即座に従っていますが、彼のこのような人格があったからこそ、イエス様の命が守られたのです。

★あなたは、どのようにクリスマス、神様からの最大のプレゼントを受け取りますか?

頭で理解出来ないからということが、受け取らない理由ではありません。常識に合わないからということが受け取らない理由にはなりません。神の最大のクリスマスプレゼントをもらった、マリヤとヨセフは、心に受け入れたのです。

ぜひ、このクリスマス、みなさんがいつもとは一味違うクリスマスを味わわれますように。神様からのプレゼントを受け取られますように。
祝福を祈っています。



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日本からゲストをお迎えして幸いなクリスマス会と礼拝

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土曜日のクリスマス会のあとで ... 土曜日のクリスマス会のあとで プレゼント交換をしました クリスマスの歌を数曲披露して下... クリスマスの歌を数曲披露して下った 吉田宣教師夫妻
フルートも吹いてくださいました。すばらしかったです。
みなさん、こんにちは。

先週の土、日は、日本から吉田隆、えりこ宣教師ご夫妻をお迎えしてクリスマス会と礼拝を持ちました。
先生方は、アジアの国々で奉仕をされています。お話しの中でもたくさんアジアのお話しが出てきて、興味深かったです。

さて、日曜日も吉田先生がメッセージをしてくださいました。ダイジェスト版を下に書きます。

もうすぐクリスマスですが、イエス・キリストは、ベツレヘムでお生まれになりました。昔の預言にあっとおりベツレヘムで生まれました。
ベツレヘムという町の名前の意味は、パンの家という意味です。
イエス・キリストは、ご自分のことをいのちのパンであると説明されました。また、だれでも、このイエス様をいただく人は、永遠のいのちを得ることができるのです。
イエス様は、永遠のいのちのパンです。

さて、次に読むマタイの福音書では、有名な五千人以上の人々を満腹させた奇跡のお話しがあります。

マタイ14:14-21

イエスは舟から上がると、多くの群集を見、彼らを深くあわれんで、彼らの病気をいやされた。15 夕方になったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここは寂しい所ですし、時刻ももう回っています。ですから群集を解散させてください。そして村に行ってめいめいで食物を買うようにさせてください。」
16 しかし、イエスは言われた。「彼らが出かけて行く必要はありません。あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」
17 しかし、弟子たちはイエスに言った。「ここには、パンが五つと魚が二匹よりほかありません。」18 すると、イエスは言われた。「それを、ここに持って来なさい。」
19 そしてイエスは、群集に命じて草の上にすわらせ、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群集に配った。20 人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、十二のかごにいっぱいあった。21 食べた者は、女と子どもを除いて、男五千人ほどであった。

イエス様は、弟子たちに「あなたがたで」群集に食べさせなさいと言われました。
弟子たちは、群集とイエス様の間にたたされ、困りました。
群集には必要がある、イエス様は自分でそれをせよという。

私たちも、キリストを信じている信者であれば、この弟子たちの立場にあります。
イエス様は、奇跡をはじめから起こすことは知っていたが、弟子たちに参加して欲しかったのです。今も、イエス様は、私たちと一緒に働かれたいのです。

五つのパンと二匹の魚が差し出され、そして、イエス様が祝福されました。そして、イエス様がまずパンを裂き弟子に渡しました。
弟子がまたパンを裂き配りました。
弟子たちの手の中で奇跡が起き、食べ物が増えていきました。
五千人以上の人々が食べて満腹になりました。

私たちが、イエス様のされたようにし、隣人にしてあげるなら、奇跡がおきるのです。

このクリスマス、永遠のいのちのパンであるイエスさまを隣人に分けてあげたいですね。


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主の真実は力強い Great is Your faithfulness

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2014年12月7日日曜日礼拝 音声は、http://youtu.be/p9cNL4kHSHo

哀歌3:22-24

私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。23 それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。24 主こそ、私の受ける分です」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。Through the Lord’s mercies we are not consumed, Because His compassions fail not. 23 They are new every morning; Great is Your faithfulness. 24 “The Lord is my portion,” says my soul, “Therefore I hope in Him!”

今週は、哀歌を読みました。哀歌は、預言者エレミヤによって書かれた書です。
この哀歌は、エレミヤがエルサレムの北壁のちょうど外側にある場所の名で、洞窟でエレミヤは泣きながら、自分が救おうとした町のために悲しみの哀歌をつづったとしている。この洞窟は、イエスの十字架のたてられた丘と同じゴルゴタの丘にある。イエス様が苦しまれることになる同じ場所で、涙の預言者エレミヤは声をあげて泣いたのです。

この哀歌は、一章のはじめに「ああ」で始まっているが、この悲しみの嘆きの言葉が5章全体を貫くテーマである。
読んでご存知のとおり、BC586年にイスラエルは捕囚となり、エルサレムが荒廃の地となり、包囲の恐怖、飢えた子どもの泣き声、自分の子どもを煮て食べる女たち、などなど恐ろしい光景がつづられている。まったく、あの美しいエルサレムは、見る影もなく、荒れ果ててしまったのです。

◎偶像礼拝の罪

そもそも、バビロン捕囚は、イスラエルの民の偶像礼拝の罪の故の懲らしめでした。偶像礼拝とは、神を神とせず、神以外のものを神とすることです。イスラエルの民の場合は、ソロモン王が多くの外国の妻を持ち、その妻たちが外国の神々、偶像を持って入ったことに始まりました。バビロン捕囚についても、多くの預言がされ、神様からの警告がありましたが、民は悔い改めることをしませんでした。

◎私たちの苦しみ

イスラエルの民は非常な苦しみの中を通ることになりました。私たちも、苦しみにあいますが、苦しみには三種類あると以前にもお話ししました。

① 自分の罪の結果を刈り取っている。
② 自分の矯正と訓練のため。
③ 悪魔の攻撃。

この場合は、①と②です。そして、よく「苦しみは全部神様からだと解釈したり」、逆に「苦しみは全部悪魔からだ」と言う人がありますが、どちらも正しくありません。心の癒しのシリーズでも話した通りに、ほとんどは自分から出ていることが多いことと、また未処理の罪のために敵がそこを突いてくるのです。
あなたは、今何らかの苦しみの中にいますか?  今が変わる時です。神様の前に悔い改めるべきことを示していただき、変革しましょう。

★主の真実

エレミヤは、哀歌全5章をつづる中で、真ん中の参照に宝石のように光る言葉を書いています。そして、これが私たちのよりどころであり、真理です。

哀歌3:22-24
私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。23 それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。24 主こそ、私の受ける分です」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。Through the Lord’s mercies we are not consumed, Because His compassions fail not. 23 They are new every morning; Great is Your faithfulness. 24 “The Lord is my portion,” says my soul, “Therefore I hope in Him!”

エレミヤは、こんなに悲しみ、泣きながらも、なおも主を待ち望むというのです。なぜなら、主の真実は力強いからです。この苦しみの中にも主の恵みがある。主の憐れみは尽きないからだと。。。。

◎私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主の憐れみは尽きないからだ。

恵みとは、私たちにふさわしくない神様の贈り物。私たちの神様の憐れみは、裁きにいつもまさる。神は、義なる神であり、愛でもある。けれども結局愛が大きい。
恵みとあわれみについて少し説明します。あなたがスピード違反をしました。ちょうどそこに警察がいました。もちろん止められます。そして、チケットを切られそうになります。100ドルの違反です。あなたが必死でお願いします。どうぞ赦してください申しません。と。するとその警察官は、今回はまあ、いいでしょう。行きなさいと赦してくれます。それは、神様の憐れみです。けれども恵みと言うのは、こうです、じゃ、スピード違反するんじゃないぞ、と別れ際に、ちょっと待ちなさい、と警察官にとめられます。これ、持って行きなさい。と言って、百ドル札を渡されます。これが恵みです。
恵みとは、私たちに値しない、全くの神様からの好意なのです。
エレミヤは、私たちは滅ぼされてもおかしくない罪深いものなのに、神の恵みによって生かされていると言っているのです。主の憐れみは、尽きないからです。
あなたが、悔い改めるなら、神は、赦してくださいます。
神様に立ち返るならば、憐れんでいただけるのです。

◎メリットの法則と不変である神の愛

私たち、この世の法則では、良い子にサンタクロースが来る。ように、良いことには良いこと、悪いことには悪いことが来るという法則で物事を考えています。これがメリットの法則です。
そして、その考えで神様やクリスチャンの信仰の世界も考えてしまいます。
みなさん、今日覚えていただきたいことが一つあります。
それは、「神の愛は変わらない」ということです。
私たちがどんなに落ちぶれても、どんなに罪を犯しても、神様の素晴らしさは変わらない。私たちがどんなに汚れても、罪を犯しても、神様の聖さは変わらない。神様の私への愛は、私たちが変えることができない。神様は、私たちのことを、私たちが理解できる以上に愛している。
神の大きな愛は、私たちが何かすることでそれ以上増やすことも、減らすこともできない!
この大きな神の愛の中に生きることが私たちの祝福。安息。幸せ。充足。自信。解放。力。です。

◎主の真実は力強い。

真実は、英語では、faithfulness 忠実であること。コンスタントに外れることなく、同じことをしてくれること。
私たちは、裏切り易く、人をがっかりさせるようなものですが、神は違います。神は、真実。誠実、忠実です。忘れるような方ではありません。
事実、このバビロン捕囚の苦しみを通った、イスラエルの民は、この真実な神に変えられ、この後、決して他の神々にひざをかがめることはありませんでした。
神の誠実、神の不変の愛が私たちを教え、造り変えてくれるのです。神に帰りましょう。

最後に新約聖書の一節をお読みします。

ロマ8:37-39

37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできません。Yet in all these things we are more than conquerors through Him who loved us. 38 For I am persuaded that neither death nor life, nor angels nor principalities nor powers, nor things present nor things to come, 39 nor height nor depth, nor any other created thing, shall be able to separate us from the love of God which is in Christ Jesus our Lord.

この不変、不動の愛の顕現がイエス・キリストの誕生です。今月は、クリスマスのお祝いの付です。神様の愛を今月受け取りましょう。留まりましょう。そして、キリストの誕生を祝いましょう。

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ご連絡・ご質問のお返事

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みなさん、こんにちは。

時々、このブログを見て、教会のサイトに行ってくださって、

Eメールを下さる方々がおられます。

ありがたいことです。

でも、お返事を差し上げたところ、どうも、携帯のメールアドレスだったようで、

ジーメールなどの、サイトからのメールを迷惑メール防止のため拒否設定にしておられるようで、

メールが届かずに帰ってくることがあります。

けれども、なんどもお悩みのメールを下さったりしておられます。

こちらでは、お名前も何も分からないです。

もしも、お返事を期待されて連絡を下さる方は、

ご自分のメールの設定を確認してくださいね。

今日も神様の祝福と守りがありますように。

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癒しを保つために How to Keep your Healing

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2014年11月30日日曜日礼拝音声は、http://youtu.be/xURVDLD7yGk 

四回シリーズで、心の傷と癒しのお話しをしてきましたが、いかがでしたでしょうか。癒しのヒントを得た方は多いのではないでしょうか。それでは、癒しを完全に自分のものとし、またクリスチャンとして成長するためにはどうしたらいいのかということを今日はお話ししたいと思います。

まず第一に、私たちは、自分の権威について良く知らなければなりません。

★クリスチャンの権威

今まで、学んで来られて、いかに、私たちが真理ではなく、敵のうそに惑わされ、縛られていたかが分かると思います。癒やしを保ち続けるのに、一番大切なことがあります。それは、自分の権威を知ること。そしてまた、それを行使することです。敵のリーガルライトを無効にした以降、敵は、またやってきて、私たちの心をつっきます。それは、私たちが手放したリーガルライトを取り戻しにくるのです。そして、つっつかれることで、私たちがまだ癒やされていないと錯覚することを目的としてます。聖書にも、“いわれの無い呪いはない”とあります。無効にしたものに対して、襲ってくる敵には、頑として拒絶するべきです。私たちが心を揺るがされず、敵の存在も無視していると、敵は戻ってきません。時間の無駄だからです。それでは、私たちの、権威についておさらいしてみましょう。

権威とは

権威とは、他の者を服従させる威力です。

この世の最高権威は、神です。神によって世界が造られ、全ては神のものであり、神によって治められているからです。
創世記1:1,ロマ13:1,コロサイ1:16-17、マタイ28:18

★罪による権威の譲渡

私たちの権威はどうなっているのでしょうか。
初めの人アダムとエバは、神から地を治める権威を与えられました。(創世記1:26-29 海の生きもの、空の鳥、地に住む生きもの、地を這う生きもの、地に生える植物、木、木の実)しかし、アダムとエバは、神ではなく、サタンに聞き従い善悪の知識の実を食べました。そして、彼らは、サタンに聴き従うことによって、サタンに権威をあげたのです。すなわち、自分の上に権威があるのは、神とするのでなく、サタンとしたのです。以来、サタンは、この世の君として君臨してきました。

★義人であること

ガラテヤ2:20

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
しかし、キリストの十字架の贖い、死と葬りと蘇りのゆえに、誰でも、キリストを救い主として信じる者は、この権威を取り返す、いや、これ以上の権威を受けることができるのです。

義とはなんでしょうか。裁判において、無罪とされることです。罪がみとめられないことです。私たちは、キリストによって、義とされます。キリストに罪を告白し、悔い改めるなら、神の目には、義とされます。一切、罪が見当たらないようになります。神とっては、西から東が遠いように、私たちから罪を遠く遠ざけ、もう思い出すこともないとさえおっしゃいます。
その神の義にしっかりと立つこと。これが、重要です。
もちろん私たちは、未熟であったり、失敗を犯すものです。けれども、義というのは、イエス・キリストとの正しい関係において認められます。すなわち、キリストに対し、正しい謙遜をもって悔い改めるなら、あなたは、義なのです。
自分が義人であることを忘れないでください。

★私たちに現在与えられている権威

さて、堕落後、キリストによって私たちに回復された権威とはいかなるものでしょうか。実は、堕落前、アダムとエバにゆだねられていた権威よりも増しているのです。はじめの人アダムとエバには、地上の生き物と木々に権威があったが、キリストにより私たちに与えられている権威は、天と地に関わるものであり、天を地上にもたらすほどのものであるのです。

マタイ28:18-20

18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

ヨハネ14:12

まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。

マタイ18:18-19

まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。
19 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。地上でつなぐものは天でもつながれ。。
私たちが地上にいながら、天上のものをもつないだり解いたりすることができる。信者の権威ある祈りには力がある。

ヨハネ20:23

あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」

私たちは、人の罪を赦すことができる。私たちが赦すなら、神様もその人を赦されるというほどである。

キリストにあって、私たちが権威ある者にされていることが分かりましたか。義とされた私たちは、もはや、敵に討たれっぱなしの、軟弱な犠牲者ではないのです。私たちは、勝利者なのです。

★権威を行使するための訓練

しかし、どうして、今の信者たちには力がないのでしょうか。それは、古傷をトリガーされて、過去に縛られているからです。
癒しを受け取る祈りをしたあと、また敵がうそを仕掛けてきたり、突っついてきますが、それらの攻略に反応しないようにするのです。
サタンができることは、次の二つです。私たちから「時間」を盗むことと、「喜び」を盗むことです。天の通過/報酬は喜びです。イエス様も将来の喜びのために十字架も耐えられました。私たちも喜びがあるから、人生に意味があり、奉仕のやりがいを感じるのです。しかし、私たちの古傷をつつくサタンは、私たちを悩ませ、感情をいらだたせることによって、私たちの時間をぬすみます。彼らは、そんなことしかできないのです。彼らは、決して私たちの救いや神様からの約束を奪うことはできません。
しかし、私たちは、サタンに時間と喜びを取られてあたかも、救いがなくなってしまったかの様に感じることができるのです。すなわち、すっかり敵に騙されることになるのです。
私たちと世の終わりまでいつもともにおられるイエス様であるので、私たちとイエス様が一致しともに権威をもって働く時間を少しでもなくすために、そうして時間を奪ってくるのです。
時間を奪われないように、気をつけてください。

ここに二つの成長の鍵があります。

一つは、サタンにNO と言うこと、敵にうそにNO と言い、敵の攻撃に反応することをやめるのなら、私たちの権威は増し加わります。NOと言えば言うほど増し加わります。

また、もう一つは、神様にYESと言いましょう。神様の真理、み言葉に同意し、そして、従順すればするほど、神の真理が私たちに受肉し、私たちの権威は増し加わります。

サタンにNO, 神にYESです!

★さあ、今度はあなたの番です!

この自由の中を歩み、今度は、権威をもって人々を解放と癒しに導く番です。イエス様と一緒に働いていきましょう!

ルカ10:36-37
この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」37 彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」

癒やしを受けたなら、自分がされたと同じように、他人を導いて癒やしをもたらすものとなってください。これがイエス様の願いです。 


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