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家系に住み着いている傷Sins in Your Family

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2014年11月23日礼拝、音声はhttps://www.youtube.com/watch?v=eNPza_LVlpk
   
家系の中に繰り返し起こる出来事はありせんか。自殺、失踪、離婚、不和、暴力、不倫等々。人には、言う必要もなかったし、今まで誰にも話したことはない、家系の中に潜む繰り返される悲劇はありませんか。クリスチャンになった後でも、同じサイクルにいることと、自分の子供たち、孫たちがそのサイクルに入ってくるのを見て、歯がゆい思いをすることはありませんか。この課では、そのような問題を取り扱います。
また、家系に流れている特徴で、神様のお心に沿わないもの、また、神様のご人格に沿わないものなども、取り扱うべきです。家族の中で当たり前になりすぎていることはありませんか。悪口、陰口、いじめ、引きこもり、秘密主義、だます、不正、コミュニケーションの欠如、男尊女卑、お金の扱い方等。

世代にわたる罪の呪い

私たちに、罪が入ったのは、最初の人アダムとエバが罪を犯したから。そして、罪が入り、死が入りました。すなわち、私たちに病気も死とともに入ってきたのです。また、永遠から限られた時間という概念に移されたのです。私たちは、アダムとエバから生まれることによって、DNAにこれらのことが刻まれて生まれてくるようになったのです。また、それぞれの親がユニークに傷つき、罪を犯したこともすべて、DNAに刻まれて生まれてくるのです。この世では、それは、遺伝といいますが、本来は、祝福・呪いの相続、継承というべきものでしょう。

私たちの神は家系の神

アブラハム・イサク・ヤコブの神とご自身を紹介される神は、アブラハムの家系の神である。アブラハムの神への信仰と従順ゆえに、アブラハムは世代にわたる契約を賜り、祝福された。(創世記17:6-8)

創世記17:6-8
わたしは、あなたの子孫をおびただしくふやし、あなたを幾つかの国民とする。あなたから、王たちが出て来よう。わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。8 わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。」
また、ダビデの家系を神は、祝福され、永遠に王位が続くとされました。(彼の子孫はとこしえまでも続き、彼の王座は、太陽のようにわたしの前にあろう。詩篇89:36) それは、ダビデが神を敬った(honorした)からでした。ダビデが死んだ後も祝福が途絶えないと言うほどの祝福を授けることのできるお方が私たちの神なのです。

★ 従順と敬意について…宗教的に正しくあることのみが神を敬うことではない。神との親しい関係。神を自発的に愛する思い。
サンドラの証し。アブラハム、シャデラク・メシャク・アベデネゴ。また、イエス様の例、殉教者たちの例。神は、彼らによってhonorされた。神への敬意が祝福をもたらす。イエスは、その敬意と従順のゆえに多くの子孫を得、祝福を流すことができた。
私たちも、神をhonor 尊敬する・第一にするライフスタイルによって、神の祝福を次世代に渡すことができる。

罪は四代まで、祝福は千代に及ぶ

 下記の御言葉の通り、私たちの神は、千代に渡って、祝福をもたらしたい、祝福の神なのです。神様の本来の意図は、アダムとエバが創造されて、生めよ増えよ地を満たせ、そして、世々に神の祝福が広がるようにとのデザインだったのです。

出エジプト記34:6~7

主は彼の前を通り過ぎるとき、宣言された。「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、7 恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に。」
しかし、罪については、四代までその呪いとして、罪の結果を刈り取らなければなりません。つまり、先祖の犯した罪を、子孫も犯すようになる。そして、真の悔い改めが来ない限り、またやってくるのです。

★ 四代目の敵の攻撃

罪のアクティベーション

一つのストーリーを紹介しましょう。ここに、二人の男性がいます。どちらとも、16歳。どちらともクリスチャンです。一人は、クリスチャンホームで育ちました。A君とします。もう一人は、自分だけがクリスチャンです。彼をB君とします。A君の家系には、性的な罪がありませんでした。B君の家系には、性的な罪がありました。ある時、この二人がポルノを見て罪を犯してしまいました。二人とも悔い改めました。A君は、悔い改めて以降、同じ問題に陥ることは二度と無く、ポルノは彼のクリスチャンライフの問題とはなりませんでした。一方、B君は、悔い改めてもまた戻ってしまい、中毒になり、失敗と成功の間を行ったり来たりするようになりました。ポルノはクリスチャンライフの問題となりました。
決して間違えて取らないでください。神様に対する悔い改めは完全です。また、家系の中の罪の傾向、呪いがあなたを強いて、あなたに罪を犯させる訳ではりません。あくまでも、自分の意思でそのパンドラの箱を開けたときに、このサイクルがアクティベイトされるのです。
皆さん方のクリスチャン生活の中でもこのようなことは、ありませんか? ある問題だけは、悔い改めてもまた戻ってくる。何が自分がこの部分だけ極端に弱いのかと思うような点はありませんか?
私の例) 先祖の罪の呪いを取り扱ってから、自由になった。性的な罪の呪い。中学生の時からよく痴漢にあう、性的虐待、フラッシュバック。性的罪は、非常に恥をともなっているので、光の中にだしにくく、クリスチャンでも人知れず持ち続けている人が多い。有効なのは第三者に一緒に祈ってもらうこと。

解放と千代にいたる祝福へ

イエス・キリストの十字架の業によって、今、私たちには、全てが可能とされました。いわば、何億円も入った通帳をわたされているようなものです。しかし、その恵みを自分の物にするには、リーガルな手続きが必要なのです。チェックを切る。はんこを押すように。

By faith, by appropriation 信仰によって、十字架への適用によって

思い出してください。ヨシュアは、四十年間荒野をさまよった民とともに、ついに約束の地に入りました。しかし、その地に入っただけで自動的に土地が自分のものにされたのではなく、主が必ずイスラエルの民に土地を渡されると約束にたって、戦っていかなければなりませんでした。新約の私たちは、約束のための全ての戦いは、キリストの十字架によってなされました。私たちが、約束のもの、神の祝福を得るためには、キリストのなしてくださった業を信じることと、過去の家系の罪をも十字架につけられたと認めていくことです。また、金輪際敵の策略は無効であることを宣言していくのです。
ですから、家系の中に潜んでいる罪、神様のお心に沿わない習慣があるならば、自分が神の前に立って、とりなし、祈り、そして呪いの力を解いていくべきです。

そして、神の祝福を流すものとなりましょう。


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ファミリークリスマス at Horizon Japanese Church

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どなたでもお気軽に参加していた... どなたでもお気軽に参加していただけるクリスマスパーティのお知らせです。
みなさん、こんにちは。

このプログを見ている方は、たいてい遠方の方だと思うのですが、

クリスマスの案内を貼り付けます。

今年も、三部に分かれています。
一部は、ミニコンサートと、クリスマスのお話し
     みなさんもクリスマスキャロルを一緒に歌っていただきます。
     今年は、主人もメサイアの一節を独唱の予定です。
     今年は、ピアノを弾ける方がいたのでお願いできました。
     あと、クラッシックギターの独奏。
     ゲストの吉田宣教師夫妻の歌など
     盛りだくさんです
二部は、クリスマスディナーです。
     教会員による持ち寄りディナーです。 
     お楽しみに!
三部は、ゲームと、プレゼント交換です。
     5ドル程度の交換できるプレゼントをお持ちください。
     子どもさんも楽しめるゲームになっていますので、
     ぜひご家族で!

という具合です。

お近くの方々、もしよろしかったら覗いてみてくださいね!

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ワオ!と言っているユーザー

感情の癒やし Emotional Healing

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2014年11月16日日曜日礼拝音声は、http://youtu.be/3Cv_8tdHJbA

感情の癒しがなければ、何かのときにトリガーされて感情が全く関係ないときに湧き出てきたり、心が堅くなって神様からの良い物が受け取れなかったりする。記憶がよみがえるごとに心に当時と同じ痛みがわきあがる。なかなか、ある分野で開かれない、などと言うことが起きる。

私たちの問題解決の鍵は、感情の癒やし。心の中の痛みが消えたとき、初めて真の意味で人を赦せるようになる。人を赦せないのは、私たちの心の痛み、感情が癒えていないため。私たちの心の痛みは、もう消えているでしょうか。もし痛みが残っているなら、イエス様による、感情の癒やしが必要です。
 
イエス様と心の傷の癒やし

 イエス様ご自身、心の痛み、感情の傷を受けた方でした。また、心の傷ついた人たちを癒やす油注ぎを受けてこの地上に来られました。

イザヤ53:3-5

彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

ルカ4:18-21  

「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。※主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」イエスは書を巻き、係りの者に渡して座られた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。 イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」

※主はわたしを遣わされた。は、英語の聖書では、to heal broken hearted という言葉が遣わされたの目的語として付いている。

そして、私たちの感情の癒やし主であるイエス様は、きのうも、今日も、いつまでも同じ方です。イエス様は永遠から永遠までおられ、時間を作られた方です。私たちは、過去を変えたい、でも、過去が変えれないからいつまでも過去を引きずるしかないと考えがちですが、キリスト・イエス様にあっては、私たちの過去も贖われ、回復させられることが可能なのです。時間を所有しておられる方は、時間を越えてあなたにミニストリーすることができるお方です。このお方を信頼しましょう。

心の傷の癒やしのプロセス

 それでは、感情の癒やしはどのように成されるのでしょうか。
もちろん、私たちが探すのは、うそ、神様から来ていない信条、また、赦していない心です。しかし、それらを手放したくても、人を赦したくても、赦しきらないときがあります。
それは、感情に癒やしが来ていない場合です。感情の中に痛みや混乱がある限り、完全に人を赦すことができません。

Ⅰ 心の感情を注ぎだす

私たちの感情の癒やしのためには、感情を注ぎだすことが必要です。<感情を出し切るまで、癒やしを体験できなかった

私の例> 幼いときから父がなく育った私は、父に対するいろいろな思いが押し殺されていた。ある癒しの集会で、男の牧師先生が父親に成り代わって私に泣きながら謝罪した。その時、初めて本音が私の中から出てきた。今まで、出したことの無い感情が出てきた。もっとそばにいて欲しかった。私を守って欲しかった。養って欲しかった。などなど。。。三時間ほど神様に感情を吐き出し、泣きじゃくったあと、父を赦したいという気持ちに変えられた。いつも、頭では、赦している、赦そう、赦したなどとやっていたが、心の底から心底赦せると思ったのは、この時が初めてだった。

私たちは、誰に感情を注ぎだすのでしょうか。それは、神様にです。人ではありません。神様は、私たちのお父さんですから、私たちの感情を受け止めてくださいます。幼い子が転んだり、けんかをして悔しい思いをしたときに、まっさきに、お父さん、お母さんのふところに泣いてとびこみます。そして、ひとしきり泣けば、すっきりしてまた遊びにできけます。ちょうどそのように、私たちも天のお父さんのところに真っ先に行けばいいのです。

感情の傷からの解放の証し…
私が人に言うのをやめ、神様に感情を注ぎだしたとき、癒やしが始まった。ある時、ひどく傷つくようなことを人に言われたとき、その人が部屋からでたあと、すぐに、「聖霊様。今の聞いておられましたよね。ひどいと思いませんか」と、言ってみた。その瞬間、心があらわれ、いつもなら苦々しい気持ちが取り去られないのに、そんな気持ちは一切心に残らなかった。

私たちは、よく、辛いこと、いやなことがあると、あんなことされた、こんなことされたと、人に言いにいきますが、人にどれだけ吐き出しても、それは、単なる文句やゴシップにしかなりません。癒しには絶対になりません。何年もそれをしても、一向に癒されていない人を何人も知っています。

大切なことは、神様に感情を注ぎ出すこと。そして、次の項にあるように、相手を赦すことです。
聖書の中では、モーセやダビデが自分の辛い感情を神様に表現し、ぶつけているいい例ですね。

モーセ 民数記11:10-15
   
ダビデ 詩篇142編

神様に、心を注ぎだしてもいいのです。さあ、神様に話し始めましょう!

Ⅱ イエス様を見出す

心を神様に注ぎだし、文句も不満も疑問も感情とともに神様の前に注ぎだしているうちに、心が平安になっていくことでしょう。
きのうも、今日も、いつまでも同じイエス様に、痛みの光景の中にきていただきましょう。今まで、痛みが大きすぎて、その場所にイエス様を迎えることなど考えたことも無かったかも知れません。しかし、祈りの内に、その光景にイエス様をお迎えしましょう。
ある人は、イエス様があなたを守っているのが見えるでしょう。またある人には、イエス様があなたの代わりに戦っているのが見えるかもしれません。ある人は、イエス様があなたを抱きしめて優しい言葉をかけている光景が見えるかもしまれせん。
悲惨な出来事の只中にいて、イエス様のあたたかさ、愛に触れるとき、人の心、感情の傷は癒やされていきます。
人間は、あまりにも辛い体験をすると、自分を守るために、その感情にふたをして毎日痛みに直面しないですむようにしています。ですから、そのシステムが強く働いている人たちには、もちろん、一度に感情を出すことが難しいことがあります。その場合は、一度だけではなく、何度も、何ヶ月かおきに、神様に導かれるときにやってみるといいでしょう。

Ⅲ 完全な赦しへ

感情が落ち着き、イエス様に触れていただいたら、今度は、あなたの心の中に一つの変化が出てきているのが分かるでしょう。今までは、できれば、赦したくない。聖書に赦しなさいと書いてあるからこそ、赦しますと言うが、感情がゆるさなかった人がいませんか。
心を神に注ぎだした人は、今度は、自然にその人を赦したいと思うものです。というのも、いわば相手に負わせている自分の感情の負債というものをイエス様が払ってくれたので、もう相手を責める気にならないからです。そして、赦せるようになるでしょう。
そして、今後は、同じ光景を思い出しても、今までのように痛みは思い出さなくなるでしょう。また、自分が、相手を完全に赦せていることにびっくりすることでしょう。

みなさんの感情の痛みが完全になくなりますように。心が癒され、解放を体験できますように。お祈りしています。

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バナナブレッドが運んだ幸せ

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昨日は、シアトルは2℃。
夜もものすごく寒かったです。

いつもよくいくスーパーの前に、立って生活のためにReal Change という新聞を売っていたり、小銭や寄付を求めている人が必ずいるんですが。。。

Real Change... 元ホームレスなど、いろいろな理由で職がなかったり、お金儲けのすべがない方が、このNPOから新聞を60セントで買って、街角に立って、1、2ドルで売って儲けをだして、生活の足しにする、というものです。

その中でも、スティーブさんという、もと米軍兵士の方はおなじみで、主人もかつて空軍にいたことから、戦争で障害を負ってしまったスティーブさんには共感できる部分が多いようです。また彼は、とても明るく、道行く人を笑顔にしてくれます。

こんな寒い日に車いすのスティーブさんはいるかどうか分からなかったのですが、少しの買い物ついでに、袋に食べるものを詰めて持っていくことになりました。

缶詰め、リンゴ、カキ、ほかにないかなあ。そうだ、バナナブレッドはどうかな? 主人の好物のバナナブレッドを数日前に焼いていたのがたくさんありました。

それらを、詰めて、歩いていきました。
今日はいるかなあ。。。と。

すると、一人だけ、知らない人が立って、Real Change を売っていました。
私たちは、普段現金を持っていないので、通り過ぎました。
彼は、素足にスリッパです。

忠誠心の強い主人は、スティーブに会いたかったようですが、今日は彼にあげようよ、ということになりました。

その方は、元ジャーナリストのトッドさんでした。彼は、バナナブレッドにいたく感動し、身の上話を始めました。
大方30分ほど話したと思います。
彼は、その日、昔の幸せだった日のことを思い起こしていたのだそうです。恋人が作ってくれたバナナブレッドが懐かしいな。美味しかったなー。なんて思ってたら、なんと、手作りのバナナブレッドが来た。と大喜び。

大成功の人生から一転して様々な不幸が押し寄せ、6年間のホームレスを経て、やっとアパートに入れたという彼。昨日は、キーアリーナで、貧しい人のために、ただで歯の治療やメガネを作ってくれるというボランティア活動があったそうで、眼鏡も作ることができたそうで、彼は、感謝でいっぱいでした。

話しているうちに、彼の顔は、ほころび、輝いていました。
一人寒空の中立っていた時の表情とは、全く違っていました。

今日は、何気なく持ってきたバナナブレッドがとっても役に立った。
この人生立ち直りかけた、トッドさんが、やっぱり将来を信じてやっていこうと思える励ましとなることができた。

良かった。

帰り道。こんなに、バナナブレッドが人を幸せにするなら。今度から、毎回少しづつもって歩こうか。なんて、話しながら家に帰りました。

たくさん歩いたせいもあるし、トッドさんの人生に触れることができたこともあり、家に帰るころには、寒さもまったく感じないほどでした。

トッドさん、またジャーナリストとして活躍できる日がくるといいですね。

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言葉の力  The Power of Your Word

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2014年11月9日日曜日礼拝、音声はhttp://youtu.be/-pHpbOFK-Ww

次の詩を読んでみましょう。

Belief System

If you accept a Belief, you reap a Thought.
If you sow a Thought, you reap an Attitude.
If you sow an Attitude, you reap an Action.
If you sow an Action, you reap a Habit.
If you reap a Habit, you reap a Character.
If you sow a Character, you reap a destiny.          
                                         Anonymous
私たちの運命は、あなたの心の信じていること次第ということですね。
あなたが何を信じているかと言うことは、とても重要なことです。

言葉の力

 人間は、神の似姿に造られました。創世記2:7で、神が人に息を吹き込み、人は生ものととなったとありますが、言語ヘブル語では、Speaking Spirit になった。と言う意味です。
 以来、人は、絶えず、言葉を発信しながら生きています。頭の中で、言葉といわずとも、イメージを描きながら生きています。この言葉を組み立てる場、イメージの場が実は、戦場です。悪魔は、ここを占領したいと思っています。そして、ここで、おきていることが実際の行動にでてくるのです。
 なぜでしょうか。私たちの源、原形神様はどんなお方でしょうか。神は、「光よ。あれ。」と言われました。すると、光ができました。神は、ご自身の頭のイメージを口にすることによって、世界をご自分のイメージ通りに造り上げられました。また、神の言葉は、ギリシャ語で、Sperma スパーマ 神の種と言う意味があります。(Ⅰヨハネ3:9) 神の言葉には、その意味するところを完成に至らせる力かこめられているのです。このように、神のイメージで造られた人間の言葉にも、力があります。

同意の力

 祈りは、天で起きていることと同意することです。また同意の祈りに力があります。(マタイ18:18-20) 神の御言葉に同意するとき、信仰が生まれます。また、前回の偶像礼拝の仕組みの説明にもあったように、手を合わせるという悪霊との同意を表す行為によって、悪例との契約関係が成り立ち、悪霊からの力を全面的に受けるという同意となり、ネガティブな力が人生に働くようになるのです。このように、同意には、力が働きます。
 では、私たちは、日々何に同意して生きているのでしょうか?

マインドの役割

御言葉は、次のように言っています。

ローマ書12:2
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。And do not be conformed to this world, but be transformed by the renewing of your mind, that you may prove what is that good and acceptable and perfect will of God.

神の御心に同意するように。同意できるようにするためには、マインドを新しくされる必要があるということです。
 私たちのマインドは、本来神にあっては、聖なる場所、神にあってビジョンと聖なるイメージによって、御心にそって世の中を治めるための場である。

私たちのマインドで何が起きているのでしょうか。①敵は、本来聖なる場所であるマインドを自分たちのうそで一杯にしたい。霊的戦いの場である。②神の真理が実現する、信仰の場。神とともに将来を産み出す場である。③マインドは、トラウマや経験によって、自分なりの人生の解釈をする人間的な実体験を整理する場でもある。

真理と偽り

 私たちはイエス・キリストを信じて、真理によって救われました。そして、聖書に書かれてあることは、全て真理だと信じているはずです。しかし、実際にそうでしょうか。信じているなら、どうして疑いや心配をするのでしょぅか。
 実は、私たちは、聖書の真理よりも、脳に記憶されている実際自分が経験した過去のデータを強く信じているのです。また逆に、信仰生活にはいってから、聖書のみ言葉に従えば従うほどそれが、自分の経験になり、それが自分の真理として現在の自分の行動の理由になっているのではないでしょうか。
 例) 双子の姉妹。いつも比べられる。自分がいつも姉と比べて、ねたみを持つ。「姉はいつも物事がうまくいく、自分はだめ。姉は美人、自分はだめ」と言う風に信じるようになる。その人は、次第に太っていく。何をしても痩せられなくなった。

権威者と言葉

 私たちは、物事を祝福するためと、神のマインドをもって世界を築くために言葉の能力が与えられています。 しかし、必ずしも祝福と神様の御心にそって言葉が使われているとは限りませんね。
 私たちの上に置かれた権威者の言葉というものには、力があります。それは、私たちが霊的に私たちの上に立ち治めるものとしてsubmit しているからであり、神様にあってもそうあるべきだからです。しかし、権威者の言葉と言うものは、良くも悪しくも、強く私たちの魂に影響を及ぼします。

  幼いときに父母に繰り返し言われた、言葉。学校の先生に言われた言葉。妹の例 / クラブの先生に、「のろま、気がつかない、あほ。」牧師に言われた言葉。

トラウマと言葉

  トラウマは、個人にとって心理的に大きな打撃を与え、その体験が長く残るというもの。ギリシャ語で傷という言葉から来ている。いわば心の傷。 言葉というものは、絶えず心の傷と密着しています。この言葉が神の言葉となったら勝利です!
 生活、人生、ものの考え方にまで影響を及ぼす傷と言うものは、どのようにできるのでしょうか。
 それは、たとえば、小さいときに、親がものすごく怖い顔で、ものすごい剣幕であなたに向かっていった言葉があります。”怖い” と言うだけで、トラウマです。そこへ来て、否定的な言葉を浴びせられるとします。「おまえは、馬鹿だ」と。すると、トラウマと、「わたしは馬鹿だ」がセットになって心に納められます。子どもは、常に「わたしは馬鹿だ」というフィルターを通して物事を見るようになります。

 また、交通事故にあいます。心身ともにこれは、大きなトラウマです。ここに、悪魔がふっと思いや疑いを入れてきます。またこのようなことがおきるかもしれない。おきたらどうしよう。という恐れ。そして、それと同意し信じ心の中に受け入れます。すると、その恐れと、その言葉を通して物事を考え、世界をみるようになるのです。
心の傷は、癒やされる行程を踏まずにいると、このように、敵が言葉や恐れを入れてきて、それを信じるようにさせるのです。そして、鍵の英語のみ言葉にもありますが、人は、信じたとおりに生きるようになるのです。

 心の傷は、いつも、辛い、痛い、悲しい、恐ろしいという感情とともに、言葉がくっつき、それが信条となり、根深く人の行動の基として残ってしまっているのです。

イエス様とトラウマ

 イエス様は、十字架につく際に、ひどく侮辱され、痛めつけられ、辱められた。しかし、それはトラウマとはならなかった。むしろ、彼は、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分のしていることがわからないのです。」という余裕すらあった。それは、なぜか。アイデンティティをしっかり持っていた。自分は、何者であるのか、何の目的でこの地上にいるのか。はっきりしていた。健康なセルフイメージ、アイデンティティを持っている人。健康な聖書理解のある人は、どんな目にあってもトラウマとならない。傷とはならない。わたしたちは、ここまで成長したい。

あなたのアイデンティティは?

 御言葉はあなたのことをなんと言っているでしょうか。 私たちの多くは、人に言われた言葉や、自分の過去の経験や失敗から、自分のアイデンティティを形作っている。また自分が分からない人も同じである。私たちの、本当の姿、神に創造された素晴らしいあなたというのは、それらの偽のアイデンティティを一掃しなければ見えてこないものです。
また、私たちのアイデンティティは、私たちの造り主、神から来るものです。あなたの友達でも、あなたの考えでも、あなたの両親でもありません。私たちは、神の言葉がなければ、自分を見出せないのです。

さあ、マインドのフィルターを掃除しましょう  

 祈りのうちに、添付のプリントに当てはまるものに〇印をつけていきましょう。そして、二人グループになって、祈りの実践をしていきましょう。祈りの終わりに必ず、神様からの真理を受け取ってください。

宿題
 ミニストリーの中で受け取った真理言葉を毎日、朝声を出して宣言してください。四十日毎日続けてください。そうすると、脳が変わり、行動が変わってきます。


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心の傷のメカニズム The Mechanism of Your Wound

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2014年11月2日礼拝 Bilingual Audio http://youtu.be/u8LgNAuHf58

カウンセリングがなぜ必要か

ずばり、問題があるから。クリスチャンになっても、なかなか成長できない。また、いつもトラブルに巻き込まれる。悲惨な出来事に繰り返しあう。なかなか、成功できない。人間関係がいつまでたっても、うまく行かない。人が怖い。人が嫌い。常に、何らかの恐れに縛られている。心の中にいつも不安がある。孤独感がいつもある。など、あるのではないでしようか。本当の意味で、神様にあって、解放と自由の中を歩めないとき、そこに問題を感じるのではないでしょうか。そういう人に、クリスチャンカウンセリングが必要です。

癒やしの定義  SOZO

Sozo ?  私たちの救いってなんでしょう。
Sozo とは、ギリシャ語で「救われる」、「癒される」、「解放される」という意味があり、新約聖書の中で110回使われている言葉である。ルカ19:10で、「人の子は、失われた人を探して救う(Sozo)ためにきたのです。」 ローマ10:9では、「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われる(Sozo)からです。」  マタイ9:22「イエスは、振り向いて彼女を見て言われた。「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。」すると、女はその時から全く直った。」それは、Sozoと言う意味です。 ルカ8:36「目撃者たちは、悪霊につかれていた人の救われた次第(made well)(Sozo)を、その人々に知らせた。」これらは、使用されている例のほんの一部です。Sozoというのは、救われる、癒される、解放されるという言葉の基語であり、これが、この癒しのミニストリーの全てです。つまり、敵のあらゆる働きから人々が完全に自由にされているか確認していくミニストリーなのです。

心の傷のメカニズム

 心の傷とは、どのようにできるのでしょうか。また、どうして問題がいつまでたっても私の人生につきまとうのでしょうか。

オープニングドア 敵のリーガルライト

 私たちは、オープニングドアとか、敵のリーガルライトなどという言葉をよく使いますが、これは、私たちの側の罪に対して開かれたドアです。このドアが開いている限り、敵がそこから入ってくるということですね。知らずに開けっぱなしにしている罪のドアを閉めなければなりません。すなわち、罪を罪と認め、悔い改め、罪の原因となった人たちを赦し、キリストの十字架の御業によって、赦しを受け取ることが必要になります。すると、御国の法律で、もう敵が居座る権利がなくなってしまうのです。

罪のドア

 私たちは、救われてからは、好き好んで自分から罪を犯すわけではありません。私たちが開きっぱなしの罪のドアを持ちやすいのは、人にいわれの無いひどい仕打ちを受けた時、一方的に痛めつけられたとき、などです。いわゆる、傷つけられたときです。その時に、どのような反応をするかによって、罪のドアが開きます。 
 
  ・相手を裁く。(「この人はこういう人だから」も裁き) ・相手を赦さない。 
  ・自分を責める。 ・心に誓いを持つ。(もう二度と恋なんてしない)
  ・次回このようなことが二度と起きないように、自分を守る対策を作り上げる。
(コントール:本来は神様に守ってもらうべき。)

自分から相手を傷つけるような積極的な罪ではありませんが、これらの罪のドアが私たちの人生に大きな影響をもっているのです。 また、その他、感情的な傷に関わる以外の罪のドアで、私たちのキリストにある歩みを妨げるものに霊的な契約を伴うものがあります。これらの罪も、実は感情的な傷と密接に根の部分で繋がっているのです。

  ・霊的な罪のドア…占い、異なる神々との契約(偶像礼拝、お宮参り、氏子、檀家)
 ・性的な罪のドア…結婚以外の肉体関係(これも霊的な契約関係)、ファンタシー、
ポルノ
  ・先祖の開いた罪のドア これは、第四課で詳しく話します。

よくある例

  たとえば、不幸な家庭で育ち、父親が暴力を振るうので、小さいときから、父親を心の中で裁いていた人がいたとします。赤ちゃんのときからそうしていたので、無意識に続けていた。そうすると、その人の問題は、なかなか結婚できない。または、職場などでも、男性の上司とうまくいかない。という問題が出てきます。普通に振舞っているのに、いつも男性にいじめられる。あるいは、普通に結婚したが、何年か経って夫が暴力を振るうように豹変した。などですね。多くの場合、そのような出来事の周りにもっと多くの複雑な問題を抱えるようになります。そういう場合は、敵のリーガルライト、自分の罪のオープニングドアを閉める必要があります。それは、父親を赦すこと、男性一般を赦すこと、裁いていたことを悔い改めることです。そうすると、オープニングドアが閉じ、問題もなくなります。

聖書の原理原則 癒やしの鍵となるみ言葉

これは、ユーチューブの音声の方で詳しく説明しています。

父母を敬う法則 エペソ6:2-3

「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする」という約束です。

裁きの法則 マタイ7:1-2

さばいてはいけません。さばかれないためです。 あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。

赦しの法則 マタイ18:21-35

そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」22 イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。
23 このことから、天の御国は、地上の王にたとえることができます。王はそのしもべたちと清算をしたいと思った。24 清算が始まると、まず一万タラントの借りのあるしもべが、王のところに連れて来られた。25 しかし、彼は返済することができなかったので、その主人は彼に、自分も妻子も持ち物全部も売って返済するように命じた。26 それで、このしもべは、主人の前にひれ伏して、『どうかご猶予ください。そうすれば全部お払いいたします』と言った。27 しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった。28 ところが、このしもべは、出て行くと、同じしもべ仲間で、彼から百デナリの借りのある者に出会った。彼はその人をつかまえ、首を絞めて、『借金を返せ』と言った。
29 彼の仲間は、ひれ伏して、『もう少し待ってくれ。そうしたら返すから』と言って頼んだ。
30 しかし彼は承知せず、連れて行って、借金を返すまで牢に投げ入れた。
31 彼の仲間たちは事の成り行きを見て、非常に悲しみ、行って、その一部始終を主人に話した。
32 そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。
33 私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』
34 こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。
35 あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」
種まきの法則 ガラテヤ6:7
思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。

イメージの法則 

箴言23:7 彼は、心のうちでは勘定ずくだから。」
       For as he thinks in his heart, so is he. (NKJV)
ヘブル11:1 「信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。」

恐れとは、否定的な形で表現された信仰です。

誓いの法則 マタイ5:34-37

しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。すなわち、天をさして誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。35 地をさして誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムをさして誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。36 あなたの頭をさして誓ってもいけません。あなたは、一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからです。37 だから、あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。

“Inner Vow”

これを聞きながら、過去が思い浮かんだ人がいると思います。それは、聖霊様が語ってくださっているのです。ぜひ、それを罪として認め、悔い改め、罪のドアを閉めていきましょう。

これから、シリーズで詳しく話していきます。

皆さんの心の癒しを心から願ってお祈りしています。



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信仰と希望

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みなさん、こんにちは。

今週の日曜日は、留学生伝道をしている、Bridges International で奉仕している、マイケル&ミーガン タップ夫妻が礼拝に来てくださり、証しを通して、み言葉を取次いでくださいました。

ですから、今週は、私を通してのメッセージは無しです。
来週からシリーズで四回にわたって、心の傷、癒し、解放のお話しをして行きたいと思いますので、乞うご期待。何度聞いても、新しい示し、発見があるものです。

さて、今日は、最近考えていることなどを書いて見ます。

信仰についてです。信じることについてですね。信仰と言えば、とても有名な聖書の箇所に次のような言葉があります。

信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen. 新約聖書ヘブル人への手紙11章1節

これは、私が一番愛しているみ言葉、何かにつけ一番よく思い出す言葉でもあるんです。きっと、神様が私に特別に人生のうちで習得するように導いておられるのだと思います。みなさんにも、そんなみ言葉があるのではないでしょうか。

さて、信仰生活をしているうちに、何か、マンネリになったり、疲れたり、また祈りにくくなったりすることはないでしょうか。

先日、ふと、長く祈り続けている個人的な祈りの課題があったのですが、もう長く待ったので、もうこの件に関しては、あきらめた方がいいのではないかという思いがやってきました。

すると、とたんに、そのことに関して祈れなくなり、またそれだけではなく、神様の声が聞こえなくなりました。まるで、幼い子どもが迷子になったように。。。

その時に、神様は、「信仰をもて」と励ましてくださいました。そして、この聖書の箇所がまた心に浮かんだのです。

信仰は、望んでいる事がらを保証し、とあります。望みと信仰は、直結しているんですね。ですから、望み、心の願いを手放そうとしたとき、信仰から離れてしまったのですね。

望みと言うものは、大きいです。

そして、この望みは、どこに繋がっているかと言うと、永遠です。神様です。神様は、必ず、よきに計らって下さる。という、望みです。神様ご自身にかける信頼です。

私のこのような、心の小さな願いが、神様にとってどれほど重要だろうかと、思うかも知れませんが、あなたを愛して、あなたを祝福されたい神様にとっては、あなたと同様、あなたの心の願いも大切に思っていらっしゃいます。

もちろん、これは、神様との愛の関係の中ででのことです。罪ぶかいことを願うならば、それは、神様が喜ぶはずがありません。

祈り続けている方々。どうぞ、今日、望みを抱いてください。神様は、その望みに興味があります。
そして、神様を信じてください。今日、みなさんの心に信仰から来る確証が与えられますように。
必ず、神様はよくしてくださる。と信じて一日が始められますように。

PCのこちら側から、皆さんのためにお祈りしています。

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秋のイベント

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秋のイベント
おとといの10月25日土曜日に、パンプキンカービングパーティをしました。
新しい留学生さんも来られて、楽しくできました。

カボチャを彫る前に、カボチャを使った、パンプキン君の人生の変革のお話しをしました。
子どもたちも大人も食い入るように聞いてくれました。

今年は、とっても凝った作品が多く、
コンテストは、本当に厳しいものとなりました。

が、ケビンさんのおかげで、みーーんな何かの賞をもらうことができました。
いつも思いますが、
神様は、みーーーんなにこうして、天国で良くやったね、とご褒美を一人ひとりにくださるんだなぁ。と思いました。

いつも、賞をひとりひとりにくれるケビンさんから教えられました。

教会では、様々なイベントを通して、神様の愛を伝えています。

みなさんもお近くの教会へどうぞ足を運んでみてくださいね。

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投資のライフスタイルThe Lifestyle of Investment

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2014年10月19日日曜日礼拝 音声は、http://youtu.be/FI4nBaoMB2w

伝道者の書11:1-6

あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。
2 あなたの受ける分を七人か八人に分けておけ。地上でどんなわざわいが起こるかあなたは知らないのだから。
3 雲が雨で満ちると、それは地上に降り注ぐ。木が南風や北風で倒されると、その木は倒れた場所にそのままにある。
4 風を警戒している人は種を蒔かない。雲を見ている者は刈り入れをしない。
5 あなたは妊婦の体内の骨々のことと同様、風の道がどのようなものかを知らない。そのように、あなたはいっさいを行われる神のみわざを知らない。
6 朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。

★投資の神

私たちの信じている神は、投資の神です。賜物セミナーのギバーのところでいつも詳しくはなしますが。。。そして、神は、刈り取りを期待して蒔かれる方です。刈り取りが期待できるからこそ蒔かれるのです。
今日の聖書の箇所でも、後の日にあなたはそれを見出そう。For you will find it after many days 他の訳では、報酬を受け取ると書いてあります。You will be rewarded .

また、私たちの神は、豊かに蒔く神です。コリント人への手紙の中に、「豊かに与える」ことが書かれていますが、神ご自身が豊かに蒔かれる方だからです。
豊かに蒔く。

2コリント9:6

私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。But this I say: He who sows sparingly will also reap sparingly, and he who sows bountifully will also reap bountifully.

蒔きすぎる神というふうに読んでも良いくらいです。Our God is the God of plenty!  一人の人を身ごもるのに必要なのは、一つの卵と一つの精子です。しかし、神は、一つの卵に対して、二億五千万の精子を用意している。250 million!  

また、種まきの例話でも、良い地にだけではなく、岩地や道端にまで種が蒔かれている話しをイエス様はしています。神は、さまざまなところに豊かに蒔く神なのです。

今日、読んだ聖書の箇所も投資のお話です。

「水の上にパンを投げる」と言う言葉は、当時の世界ではよく使われていたことわざのようです。水の上にパンを投げる。とは、私たち日本人の考えでは、ちょっと理解できません。鯉にエサをやるくらいの想像力です。また、水の上にパンをいれると、すぐに、ふやけて消えてなくなってしまいます。
このソロモンの時代のことわざは、船による貿易をさしていたようです。船の上に商品をのせるが、当時の船の安全は、今と比べると不安定、本当に掛けのようなものであったことでしょう。また時間的にも、ずいぶんとかかったことでしょう。後の日にならないと、どれほどの儲けがあったか分からないようなものだったのです。

また、「パン」というのは、ユダヤ人の伝統的な解釈では、善意や親切とされるといわれます。善意や親切を普段から存分にしておけば、やがてまわりまわって自分にかえって来るということです。

また、私たち、クリスチャンにとっては、イエス・キリストは、いのちのパンです。私が二十数年前、中国にまだ聖書が自由に手に入らないときに聖書をもって中国に行きましたが、私たちは、盗聴されているので、聖書のことをパンと読んでいました。聖書は、日々の霊の糧だからですね。そのパンを投げるというのは、福音の種を蒔いていく。福音を伝えていくということともとらえられます。
私たちの神様は、このパンを水の上に投げよ。そうすれば、ずっと後の日になって、あなたはそれを見出そう。というのです。英語では、後にそこから報酬を得るだろうというのです。
蒔くならば、かならず、刈り取ることができるというのが、神様の教えなのです。

たとえ、それが、「水の上」であってもです。

★投資のコンディション

①水の上v1 … 無駄に思えたり、賭けのように思えるところに、大切なパンを蒔け。私たち、損をしたくないという恐れての戦い。福音伝道においても同じです。私たちの教会は、学生さんの出入りが多いですが、まさに、こんなに短い間かかわったところで、この人の人生にどんなインパクトがあるのかと思いがちですが、それでも蒔くのです。教会にとっては、すぐに出て行く人に、時間とお金を掛けるのは無駄だと考える人もいます。

②いろいろな場所に分けてv2 … 投資をする人は、良く知っていることですが、株でも一社にしぼって大量に買うよりは、数社に分けて、小分けに投資した方が何かあった時のリスクが減ります。神様は、一つの概念に凝り固まって、蒔くよりは、様々な分野に、場所に蒔くことを勧めています。

③時や環境を分析せずにv4 … 株をやっている人たちは、いつも新聞を読んで世の中の動向を見ています。東京オリンピックがあるといえば、その関係の株が売れました。しかし、聖書の言葉は、風を恐れるな、雲を恐れるなと書いてあります。聖書の他の箇所で、時が良くても悪くてもしっかりやりなさいとあるが、そのとおり、風がふこうが、雨雲がでてこようが、蒔くことを辞めるべきではないのです。 

④豊かに

★ソロモンのポイント v5, 6

投資の神を知らなければ、むなしい。
投資するものを持っていても、神を信頼しないなら、むなしい。
信仰がなくてはならない

ヘブル11:1
「信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。」Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen. 

私たちは、信じて、蒔き続ける。
必ず、報い・刈り取りをもたらしてくださる神様に信頼して、信じて蒔く。
世の中の考え方と同調しないようにしましょう。世の中は、状況を見て、いろいろと分析して蒔きます。それを賢いことと言います。
ある伝道者が、若いころ、年長の牧師に連れられて路傍伝道に行きました。誰も話をききません。無視され、また子どもたちにアーメンソーメンと冷やかされ、とても辛い思いをしました。しかし、この伝道者が教会に帰ったとき、年配の牧師は、一緒に感謝祈祷会をしようと言いました。感謝などばかばかしく思えたそうです。しかし、ずいぶんたって、巡回伝道をしているとき、ある教会で、その時の話をしたそうです。するとあとで一人の青年がやってきて、あの時のあの場所で、この二人の話を通りすがりに聞いたというのです。それで、イエス様を信じたということが分かりました。
人は、どのようにして母の胎の子どもに霊が入るのか知らないのです。

神を信じて、収穫が必ずあることを知らないなら、渡したの投資、働きはむなしいものです。

あなたは、信じて蒔きますか?

祈りましょう。

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チームアップの勧めExhortation of teaming up

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2014年10月12日日曜日礼拝 音声は、http://youtu.be/kvy4eaQeduA

伝道者の書4:9-11

9 ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。
10 どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。11 また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かくなろう。12 もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。9 Two are better than one, Because they have a good reward for their labor.
10 For if they fall, one will lift up his companion. But woe to him who is alone when he falls,
For he has no one to help him up. 11 Again, if two lie down together, they will keep warm;
But how can one be warm alone? 12 Though one may be overpowered by another, two can withstand him. And a threefold cord is not quickly broken.

今、賜物セミナー第二回が終わって、ますます一人ひとりの素晴らしさ、またともに協力することの大切さを学ばされています。
神様は、常に誰かと協力して生きるように聖書を通して語っている。
創世記の初めから、人が一人でいるのは良くないと言われ、女を造られた。また、神ご自身も三位一体の神であり、互いに交わり、協力しあい、建て上げ合いながら存在しておられる。

今日の箇所、伝道者の書4章では、ひとりの空しさについて書かれているが、チームでいることの祝福について言及されている。この箇所は、二人ということで、よく結婚式のときに引用される言葉である。

★チームでの働きには。。。。

◎二人が労苦すれば、良い報いがある。Because they have a good reward for their labor.
  報い…先週も話しましたが、喜びのことです。喜びは分かち合うときにもっと増えます。一人で物事を成し遂げたときよりも、みんなで成し遂げたときの方が喜びが大きい。
父の喜び ヨハネ

◎どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。For if they fall, one will lift up his companion.  チームは、互いに補い合うことができる。結婚して、私はミニストリーしていても落ち込まなくなった。主人がさっと励ましてくれるからだ。
このように、チームでの、働きには、大きな報酬と、助けが約束されている。

◎三つよりの糸は、簡単には切れない。a threefold cord is not quickly broken
三つよりとは、どういうことでしょうか。三本のより糸。一つがわたし、一つがあなた、そして、もう一つは、神様、三本の糸が一本に寄り合わされたということです。そして、その糸は、切れにくいというのです。
神様は、チームの中に加わってくださる神様なのです。そして、神がおられるかぎり、決してチームは簡単にはつぶれないのです。

★チームの中に加わり、約束をもってともに働かれる神

(A) チームの上に油注ぎがある。

詩篇133
1 見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。2 それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。3 それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。 Behold, how good and how pleasant it is For brethren to dwell together in unity! 2 It is like the precious oil upon the head, Running down on the beard, The beard of Aaron, Running down on the edge of his garments. 3 It is like the dew of Hermon, Descending upon the mountains of Zion; For there the LORD commanded the blessing— Life forevermore.

油注ぎとは、神様の召しに従って、その御用ができるように聖霊様の力の注ぎの象徴です。チームの上に、神様の恵みが注がれているというのです。また、チームの上には、「とこしえのいのちの祝福」があると。いのちが生まれ、流れ出す、周りの人々を生かすそのような祝福がある。

★気を付けたいこと。。。。
◎罪は、分裂をもたらす。 最初の人アダムとエバは、罪を犯し、自分の身を隠した。神との関係から自分から離れようとした。このように罪というものは、親密な親しい交わりから私たちを離すものなのです。 夫婦の間でも、友達との関係でも、罪が入るときに、親密さは、逃げていく。  悪口は、その人に直接言わなくても、伝わるもの。

★チームを強くするもの。。。
◎謙遜と一致について
ケルビムを思い出す。
エゼキエル10:16-17
ケルビムが行くと、輪もそのそばを行き、ケルビムが翼を広げて地上から上るとき、輪もそのそばを離れず向きを変えなかった。17 ケルビムが立ち止まると、輪も立ち止まり、ケルビムが上ると、輪もいっしょに上った。それは、生きものの霊が輪の中にあったからである。When the cherubim went, the wheels went beside them; and when the cherubim lifted their wings to mount up from the earth, the same wheels also did not turn from beside them. 17 When the cherubim stood still, the wheels stood still, and when one was lifted up, the other lifted itself up, for the spirit of the living creature was in them.

(B) チームの中から語ってくださる神。

出エジプト25:22
「わたしはそこであなたと会見し、その『贖いのふた』の上から、すなわちあかしの箱の上の二つのケルビムの間から、イスラエル人について、あなたがたに命じることをことごとく語ろう」22 And there I will meet with you, and I will speak with you from above the mercy seat, from between the two cherubim which are on the ark of the Testimony, about everything which I will give you in commandment to the children of Israel.

・一致。。。ケルビムは二つが互いに向かい合っていた。二は、統一と同意を表す数字である。贖われたものはキリストとひとつとされる。信徒たちも、互いに神にあって、統一し、同意しあうもの。神は、そのようなしんとたちの只中に座られたい。二つが互いに同意し統一するためには、互いを認め、赦し、愛し、尊敬しなければならない。神は、私たちの只中に、住まわれたい/とどまられたいのです。どこか遠くにいるのではなく、私たちの内側に、私たちの交わりの只中にお座りになりたいのです。

一人よりも二人がいい。神様は、チームで働くことを願っておられ。キリストの身体である教会に非常に注目され、祝福され、期待をしておられます。

また、私たちが神様にあって、チームであるなら、神様は、すでにともにいてくださっています。油注ぎと、神が語られることを約束してくださっています。どうぞ、チームの中にいる神様を無視しないように。分裂するよりは、神の声をともに求めるようにしましょう。

ともに、祈りましょう。今まで、家族、結婚関係、友達関係、教会での人間関係において、チームの上にすでにおられる神を無視し、分裂、仲たがいをしてはいませんでしたか。神様の前に悔い改め、もう一度、神様の臨在をチームの中に招きいれましょう。

ともに助け合いながら、主の働きをしていきましょう。


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