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5 成長の鍵 Empower Seminar

スレッド
成長の鍵  |FIVE

録音版は、Youtube にて。リンクは、http://youtu.be/f26iJAswHvY

いかがでしたでしょうか。このセミナーで神様からいろいろと示されたり、聖められたりしたのではないでしょうか。癒やしや成長を保つために、今日は、いくつかのことを紹介したいと思います。

三位一体の神との関係

私たちの神は、父なる神、子なる神、聖霊なる神の三位一体の神であり、この三位一体の神は、互いに従い、互いに尊敬しながら交わりを持ちながら存在しています。私たちも、神の似姿に造られた者ですから、交わりなくしては、生きていけません。また、交わりなくしては、人としての成長もありません。私たちは往々にして、自分の両親、兄弟との関係を他の人間関係や神との関係に投影させます。私たちは、今まで、三位一体の神と個々に交わることは強調されませんでした。しかし、三位のどの神と一番関係が深く、どの神と関係が希薄であるかということから、その人の傷を測ることができます。あなたは、いかがでしょうか。


父との関係

地上での父の役割は、身体のための必要を満たすことです。食べ物、着る物、住む場所を備える。身体の正しい境界線を教える。守りを与える。また、父は、それぞれの子どもにアイデンティティを分与します。息子たちは、一人の男性になっていく時に、父からどんな風に関わってもらい、言葉をかけてもらったかなどによって、自分の男性としての能力を知るようになる。娘たちは、父が自分をどう扱ったか、何を言ったか、どう関わったかによって、女性としての自分の価値を測るようになる。育っていく中で、父親との関わりが希薄な場合、自分が何者であるかということに混乱をきたし、ひいては、キリストにあるアイデンティティをどうつかんでいいのか分からないということになる。
キーワード:身体、アイデンティティ、安心感、守り


兄弟姉妹、友達との関係

地上の兄弟姉妹や友達というのは、コミュニケーションと交友のニードを満たすものです。そして、成長するごとに、心の深みや秘密を分かち合うのも友達ではなかったでしょうか。社交的な会話によって、友達と、つながり、ともにすごす時間を楽しみます。聖書は、イエス様は、私たちと交友関係にあり、私たちの親友であると言います。イエス様が私たちのために十字架で死んでくださった愛ゆえに、私たちは、三位一体の中で一番イエス様に感情的につながりやすいのではないでしょうか。しかし、いじめの経験や、兄姉にコントロールされた経験から、イエス様が怖いと思い込んでいるクリスチャンもいます。
キーワード:魂soul、コミュニケーション、交友


母との関係

地上の母は、慰めや養いの必要を満たす役割を持っています。怪我をしたり、心が傷ついたときに一番に駆け込んでいくのは、母のところです。そして、母は、いつも子どもたちの「なぜ、なぜ?」という質問を一番多く受け、答えをあげます。もしも、この母が忙しすぎて、これらの必要に十分応えられなかった子どもはどうなるでしょうか。聖霊様は、忙しいので、自分のためになど時間を割いてはくれないと思い込んでしまうのです。もしも、支配的で、子どもの自由を奪ってまで、自分の好みや意見を押し付ける母だったらどうでしょうか。聖霊様に寄り付かなくなります。その方が安全だと判断するからです。なぜなら、この方を満足させるのは不可能だと思っているからです。
キーワード:霊、慰め、養い、教え


私の証し


みなさんは、いかがでしょうか。今回のセミナーで、様々なところが触れられたと思います。私は、父の愛が必要だ。と思われる方は、ぜひ、父なる神様のふところで休みを得る体験をしてください。イエス様、聖霊様も同様です。自分が地上の人間関係から幼いころ受けてない部分について、神様は、完全に満たし、回復してくださいます。ぜひ、父なる神、イエス様、そして、聖霊様と関係を築いてください。
ソーキングと静止の時(クワイエットタイム)、聞く祈り(リスニングプレイヤー)の奨め


クリスチャンの権威

今まで、学んで来られて、いかに、私たちが真理ではなく、敵のうそに惑わされ、縛られていたかが分かると思います。癒やしを保ち続けるのに、一番大切なことがあります。それは、自分の権威を知ること。そしてまた、それを行使することです。敵のリーガルライトを無効にした以降、敵は、またやってきて、私たちの心をつっきます。それは、私たちが手放したリーガルライトを取り戻しにくるのです。そして、つっつかれることで、私たちがまだ癒やされていないと錯覚することを目的としてます。聖書にも、“いわれの無い呪いはない”とあります。無効にしたものに対して、襲ってくる敵には、頑として拒絶するべきです。私たちが心を揺るがされず、敵の存在も無視していると、敵は戻ってきません。時間の無駄だからです。それでは、私たちの、権威についておさらいしてみましょう。


権威とは

権威とは、他の者を服従させる威力です。

この世の最高権威は、神です。神によって世界が造られ、全ては神のものであり、神によって治められているからです。創世記1:1,ロマ13:1,コロサイ1:16-17、マタイ28:18


罪による権威の譲渡

私たちの権威はどうなっているのでしょうか。
初めの人アダムとエバは、神から地を治める権威を与えられました。(創世記1:26-29 海の生きもの、空の鳥、地に住む生きもの、地を這う生きもの、地に生える植物、木、木の実)しかし、アダムとエバは、神ではなく、サタンに聞き従い善悪の知識の実を食べました。そして、彼らは、サタンに聴き従うことによって、サタンに権威をあげたのです。すなわち、自分の上に権威があるのは、神とするのでなく、サタンとしたのです。以来、サタンは、この世の君としてキリストが来られるまで君臨してきました。


義人であること

しかし、キリストの十字架の贖い、死と葬りと蘇りのゆえに、誰でも、キリストを救い主として信じる者は、この権威を取り返す、いや、これ以上の権威を受けることができるのです。
それには、神に義とされることが必要です。義とはなんでしょうか。裁判において、無罪とされることです。罪がみとめられないことです。私たちは、キリストによって、義とされます。キリストに罪を告白し、悔い改めるなら、神の目には、義とされます。一切、罪が見当たらないようになります。神とっては、西から東が遠いように、私たちから罪を遠く遠ざけ、もう思い出すこともないとさえおっしゃいます。
その神の義にしっかりと立つこと。これが、重要です。
もちろん私たちは、未熟であったり、失敗を犯すものです。けれども、義というのは、イエス・キリストとの正しい関係において認められます。すなわち、キリストに対し、正しい謙遜をもって悔い改めるなら、あなたは、義なのです。
自分が義人であることを忘れないでください。


私たちに現在与えられている権威

さて、堕落後、キリストによって私たちに回復された権威とはいかなるものでしょうか。実は、堕落前、アダムとエバにゆだねられていた権威よりも増しているのです。

マタイ28:18-20

イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
現在の私たちの権威とその責任は、キリストをこの世に現すほどであるのです。そして、イエス様が私たちに成せといわれることが達成できるために与えられているのです。


ヨハネ14:12

まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。


キリストが成されたことと同じこと、またそれ以上のことをするというならば、キリストがなさったことはどんなことでしょうか。

・ 悪霊に命じ、悪霊は従った。マタイ8:28-32、マルコ1:27
・ 天使の助けを求めた。マタイ26:53
・ 死に対して権威を持っていた。ヨハネ14:14
・ 病を癒やす権威を持っていた。マタイ4:23
・ 呪った。マルコ11:21
・ 自然界のものに対して権威を持っていた。マタイ8:26
・ 不足に対して権威を持っていた。マタイ14:15-20
・ 肉体の領域やその限界に打ち勝つ権威を持っていた。ヨハネ20:19
・ 罪を赦した。マタイ9:7ヨハネ20:23
・ 罪に打ち勝つ力を持っていた。Ⅰペテロ2:22、ロマ6:18


キリストにあって、私たちが権威ある者にされていることが分かりましたか。義とされた私たちは、もはや、敵に討たれっぱなしの、軟弱な犠牲者ではないのです。私たちは、勝利者なのです。


さあ、今度はあなたの番です!

ルカ10:36-37

この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」37 彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」
癒やしを受けたなら、自分がされたと同じように、他人を導いて癒やしをもたらすものとなってください。これがイエス様の願いです。 


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4 家系に住み着いている傷 Empower Seminar

スレッド
家系に住み着いている傷 |FOUR

セミナー録音版は、Youtube にて。http://youtu.be/08MxEZrDdA0

家系の中に繰り返し起こる出来事はありせんか。自殺、失踪、離婚、不和、暴力、不倫等々。人には、言う必要もなかったし、今まで誰にも話したことはない、家系の中に潜む繰り返される悲劇はありませんか。クリスチャンになった後でも、同じサイクルにいることと、自分の子供たち、孫たちがそのサイクルに入ってくるのを見て、歯がゆい思いをすることはありませんか。この課では、そのような問題を取り扱います。
また、家系に流れている特徴で、神様のお心に沿わないもの、また、神様のご人格に沿わないものなども、取り扱うべきです。家族の中で当たり前になりすぎていることはありませんか。悪口、陰口、いじめ、引きこもり、秘密主義、だます、不正、コミュニケーションの欠如、男尊女卑、お金の扱い方等。


世代にわたる罪の呪い

私たちに、罪が入ったのは、最初の人アダムとエバが罪を犯したから。そして、罪が入り、死が入りました。すなわち、私たちに病気も死とともに入ってきたのです。また、永遠から限られた時間という概念に移されたのです。私たちは、アダムとエバから生まれることによって、DNAにこれらのことが刻まれて生まれてくるようになったのです。また、それぞれの親がユニークに傷つき、罪を犯したこともすべて、DNAに刻まれて生まれてくるのです。この世では、それは、遺伝といいますが、本来は、祝福・呪いの相続、継承というべきものでしょう。

私たちの神は家系の神

アブラハム・イサク・ヤコブの神とご自身を紹介される神は、アブラハムの家系の神である。アブラハムの神への信仰と従順ゆえに、アブラハムは世代にわたる契約を賜り、祝福された。(創世記17:6-8)

創世記17:6-8

わたしは、あなたの子孫をおびただしくふやし、あなたを幾つかの国民とする。あなたから、王たちが出て来よう。わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。8 わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。」

また、ダビデの家系を神は、祝福され、永遠に王位が続くとされました。(彼の子孫はとこしえまでも続き、彼の王座は、太陽のようにわたしの前にあろう。詩篇89:36) それは、ダビデが神を敬った(honorした)からでした。ダビデが死んだ後も祝福が途絶えないと言うほどの祝福を授けることのできるお方が私たちの神なのです。


★ 従順と敬意について

宗教的に正しくあることのみが神を敬うことではない。神との親しい関係。神を自発的に愛する思い。

サンドラの証し。
アブラハム、シャデラク・メシャク・アベデネゴ。また、イエス様の例、殉教者たちの例。神は、彼らによってhonorされた。神への敬意が祝福をもたらす。イエスは、その敬意と従順のゆえに多くの子孫を得、祝福を流すことができた。


罪は四代まで、祝福は千代に及ぶ

 下記の御言葉の通り、私たちの神は、千代に渡って、祝福をもたらしたい、祝福の神なのです。神様の本来の意図は、アダムとエバが創造されて、生めよ増えよ地を満たせ、そして、世々に神の祝福が広がるようにとのデザインだったのです。

出エジプト記34:6~7

主は彼の前を通り過ぎるとき、宣言された。「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、7 恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に。」

しかし、罪については、四代までその呪いとして、罪の結果を刈り取らなければなりません。つまり、先祖の犯した罪を、子孫も犯すようになる。そして、真の悔い改めが来ない限り、またやってくるのです。

★ 四代目の敵の攻撃


罪のアクティベーション

一つのストーリーを紹介しましょう。ここに、二人の男性がいます。どちらとも、16歳。どちらともクリスチャンです。一人は、クリスチャンホームで育ちました。A君とします。もう一人は、自分だけがクリスチャンです。彼をB君とします。A君の家系には、性的な罪がありませんでした。B君の家系には、性的な罪がありました。ある時、この二人がポルノを見て罪を犯してしまいました。二人とも悔い改めました。A君は、悔い改めて以降、同じ問題に陥ることは二度と無く、ポルノは彼のクリスチャンライフの問題とはなりませんでした。一方、B君は、悔い改めてもまた戻ってしまい、中毒になり、失敗と成功の間を行ったり来たりするようになりました。ポルノはクリスチャンライフの問題となりました。
決して間違えて取らないでください。神様に対する悔い改めは完全です。また、家系の中の罪の傾向、呪いがあなたを強いて、あなたに罪を犯させる訳ではりません。あくまでも、自分の意思でそのパンドラの箱を開けたときに、このサイクルがアクティベイトされるのです。

皆さん方のクリスチャン生活の中でもこのようなことは、ありませんか? ある問題だけは、悔い改めてもまた戻ってくる。何が自分がこの部分だけ極端に弱いのかと思うような点はありませんか?

私の例) 先祖の罪の呪いを取り扱ってから、自由になった。性的な罪の呪い。中学生の時からよく痴漢にあう、性的虐待、フラッシュバック。性的罪は、非常に恥をともなっているので、光の中にだしにくく、クリスチャンでも人知れず持ち続けている人が多い。有効なのは第三者に一緒に祈ってもらうこと。


解放と千代にいたる祝福へ

イエス・キリストの十字架の業によって、今、私たちには、全てが可能とされました。いわば、何億円も入った通帳をわたされているようなものです。しかし、その恵みを自分の物にするには、リーガルな手続きが必要なのです。チェックを切る。はんこを押すように。


By faith, by appropriation 信仰によって、十字架への適用によって

思い出してください。ヨシュアは、四十年間荒野をさまよった民とともに、ついに約束の地に入りました。しかし、その地に入っただけで自動的に土地が自分のものにされたのではなく、主が必ずイスラエルの民に土地を渡されると約束にたって、戦っていかなければなりませんでした。新約の私たちは、約束のための全ての戦いは、キリストの十字架によってなされました。私たちが、約束のもの、神の祝福を得るためには、キリストのなしてくださった業を信じることと、過去の家系の罪をも十字架につけられたと認めていくことです。また、金輪際敵の策略は無効であることを宣言していくのです。
ですから、家系の中に潜んでいる罪、神様のお心に沿わない習慣があるならば、自分が神の前に立って、とりなし、祈り、そして呪いの力を解いていくべきです。


先祖が開いた罪の扉

このセッションでは、あなたの両親、祖父母や、また曽祖父母が関与した罪の領域を識別していきます。目的は、この罪からくる圧迫をあなたの人生から取り除くことです。下記のリストにおいて、当てはまるものに○印をつけてください。また加えて、あなたの今の問題に強く関係していると思われる項目には◎印を付けて下さい。できる限り正直に、またよく思い起こして印をつけましょう。

虐待(言葉、感情、性的を含む)、中毒・衝動強迫、怒り・攻撃性・憤怒、
苦々しさ、恨み・文句、子供の問題 、混乱、支配欲、新興宗教への関与、
最愛の人の死、だます、ごまかす・うそ、悪霊からくる苦痛 、うつ・深い悲しみ、
離婚・別離、摂食障害・食欲異常、恐れ・心配、経済的問題、健康上の問題・虚弱、
仕事・職業の問題、法律上の問題、早死に、結婚問題、精神病、オカルトへの関与、
両親・義理の両親との問題、完璧主義、婚前問題、プライド、反逆心、拒絶・捨てられる、宗教的問題・律法主義、性的罪・問題、恥・非難、睡眠障害、ストレス問題、不和・分裂、自殺願望、トラウマ・深い心の傷、不信仰・懐疑、無価値感・劣等感、
被害者意識・受動的、暴力、その他 _____________


先祖の傾向

あなたの先祖、近親、拡大家族に共通に見られる下記の傾向に○印をつけて下さい。(遠い親戚は、叔母、伯母、叔父、伯父、従兄弟、従姉妹を含む。) それに加えて、あなたの今の問題に見られる傾向にも○印を付けて下さい。

結婚における親密さの欠如、男性が女性を支配する、女性が男性を支配する、
家系の偶像(スポーツ・美・学歴など)、家庭内の秘密がある、
夫婦間のコミュニケーションの欠如、両親と子供の間のコミュニケーションの欠如、
子供を偏愛する、子供を軽視する、経済的繁栄・損失の循環、
ほとんどまだ救われてない


祈りましょう

1. 私は先祖の罪、私の両親の罪、そして私自身の罪として、 __________________________を/ したことを告白し、
2. 彼らの罪と、私の人生に呪いと罪の結果をもたらしたこと(詳しく)を赦し、彼らを 解放します。
3. 主よ、これらの罪を赦してください、私がその罪に習い従ってきたこと、それ故 に人生に呪いをもたらしたことについて私を赦してください。私は、あなたの赦 しを受け取ります。
4. 主の赦しを基に、私は自分自身がこれらの罪に加担したことを赦します。
5. 私はこれらの罪と、_______________________を引き起こした原因をイエス にあって否定します。この罪の力をイエス・キリストの十字架のあがないの業に よって打ち砕き、もうこれ以上私の人生と私の子孫たちの人生に影響を及ぼさ ないように断ち切ります。
6. 神様の自由と罪と呪いからの解放を受け取ります。その代わりに、私は主から ________________________を受け取ります。


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3 トラウマ・心の傷の癒やし Empower Seminar

スレッド
トラウマ・心の傷・感情の癒やし |THREE

セミナー録音版は、youtube にて http://youtu.be/0zDcALbE1o8

私たちの問題解決の鍵は、感情の癒やし。心の中の痛みが消えたとき、初めて真の意味で人を赦せるようになる。人を赦せないのは、私たちの心の痛み、感情が癒えていないため。私たちの心の痛みは、もう消えているでしょうか。もし痛みが残っているなら、イエス様による、感情の癒やしが必要です。
 
イエス様と心の傷の癒やし

 イエス様ご自身、心の痛み、感情の傷を受けた方でした。また、心の傷ついた人たちを癒やす油注ぎを受けてこの地上に来られました。

イザヤ53:3-5

彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

ルカ4:18-21  

「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。※主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」イエスは書を巻き、係りの者に渡して座られた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。 イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」

※主はわたしを遣わされた。は、英語の聖書では、to heal broken hearted という言葉が遣わされたの目的語として付いている。

そして、私たちの感情の癒やし主であるイエス様は、きのうも、今日も、いつまでも同じ方です。イエス様は永遠から永遠までおられ、時間を作られた方です。私たちは、過去を変えたい、でも、過去が変えれないからいつまでも過去を引きずるしかないと考えがちですが、キリスト・イエス様にあっては、私たちの過去も贖われ、回復させられることが可能なのです。時間を所有しておられる方は、時間を越えてあなたにミニストリーすることができるお方です。このお方を信頼しましょう。

心の傷が引き起こす問題

 トラウマと心の傷は、それに派生し、また軸として多くの問題を生み出します。

① 心の傷は、家族の中から始まり、家族全体に影響を及ぼす。
    ・見ないふり … 現実から目をそらす  
    ・無言を保つ … 誰にも家族の問題を話さない
    ・感覚の麻痺 … 自分の感情や境界線に関して
    ・注意深くする … 誰も信頼することができない
    ・完璧になろうとする … 見返りがあるから

② 心の傷は、その人の全人に影響する。
    ・肉体 … 数々の病気や不調
    ・行動 … 自虐的、成長しない、感情を閉ざす
    ・考え … 痛みの伴うフラッシュバック、ungodly belief、不信、歪んだものの見方や目標。
    ・感情 … いつも動揺する、否定的な感情、つまり、恐れ、憎しみ、自分を憎む、怒り、悲しみ、不信、恥、拒絶、見捨てられた感
    ・霊 … 鈍い、抑圧を感じる、徐々に命の流れが薄れていく、神様から遠ざかる。

③ 心の傷は、他人を傷つける。
④ 心の傷は、うそ(Ungodly belief)の確立を導く。
⑤ 心の傷は、継続的に傷つき易い不安定な心の状態を作り、失望感に導く。
⑥ 心の傷は、恥じをもたらす。
⑦ 心の傷は、ディフェンスメカニズム(壁やコントロール癖)を作る。
⑧ 心の傷は、自分に「仮面」をつけさせるようにする。
⑨ 心の傷は、成長を妨げる。
⑩ 心の傷は、神への怒りや失望に導く。
    ・神様、あなたはあの時どこにおられたのですか? ・神様、もしあなたが私を愛していたなら、こんなことになる前にとめてくれたらよかったのに。・どうしてあなたは私の祈りに聞いてくれないのですか。等々

⑪ 心の傷は、感情の封鎖を起こす。
⑫ 心の傷は、性格を分裂させる。
⑬ 心の傷は、悪霊からの圧制を導く。


心の傷の癒やしのプロセス

 それでは、感情の癒やしはどのように成されるのでしょうか。

もちろん、私たちが探すのは、うそ、神様から来ていない信条、また、赦していない心です。しかし、それらを手放したくても、人を赦したくても、赦しきらないときがあります。
それは、感情に癒やしが来ていない場合です。感情の中に痛みや混乱がある限り、完全に人を赦すことができません。

Ⅰ 心の感情を注ぎだす

私たちの感情の癒やしのためには、感情を注ぎだすことが必要です。<感情を出し切るまで、癒やしを体験できなかった私の例>

私たちは、誰に感情を注ぎだすのでしょうか。それは、神様にです。神様は、私たちのお父さんですから、私たちの感情を受け止めてくださいます。幼い子が転んだり、けんかをして悔しい思いをしたときに、まっさきに、お父さん、お母さんのふところに泣いてとびこみます。そして、ひとしきり泣けば、すっきりしてまた遊びにできけます。ちょうどそのように、私たちも天のお父さんのところに真っ先に行けばいいのです。
感情の傷からの解放の証し…私が人に言うのをやめ、神様に感情を注ぎだしたとき、癒やしが始まった。
聖書の中では、モーセやダビデが自分の辛い感情を神様に表現し、ぶつけているいい例ですね。

モーセ 民数記11:10-15

モーセは、民がその家族ごとに、それぞれ自分の天幕の入口で泣くのを聞いた。主の怒りは激しく燃え上がり、モーセも腹立たしく思った。モーセは主に申し上げた。「なぜ、あなたはしもべを苦しめられるのでしょう。なぜ、私はあなたのご厚意をいただけないのでしょう。なぜ、このすべての民の重荷を私に負わされるのでしょう。私がこのすべての民をはらんだのでしょうか。それとも、私が彼らを生んだのでしょうか。それなのになぜ、あなたは私に、『うばが乳飲み子を抱きかかえるように、彼らをあなたの胸に抱き、わたしが彼らの先祖たちに誓った地に連れて行け』と言われるのでしょう。どこから私は肉を得て、この民全体に与えなければならないのでしょうか。彼らは私に泣き叫び、『私たちに肉を与えて食べさせてくれ』と言うのです。 私だけでは、この民全体を負うことはできません。私には重すぎます。 私にこんなしうちをなさるなら、お願いです、どうか私を殺してください。これ以上、私を苦しみに会わせないでください。」     


ダビデ 詩篇142編

私は主に向かい、声を上げて叫びます。声をあげ、主にあわれみを請います。私は御前に自分の嘆きを注ぎ出し、私の苦しみを御前に言い表します。私の霊が私のうちで衰え果てたとき、あなたこそ、私の道を知っておられる方です。私が歩く、その道に、彼らは、私に、わなを仕掛けているのです。私の右のほうに目を注いで、見てください。私を顧みる者もなく、私の逃げる所もなくなり、私のたましいに気を配る者もいません。主よ。私はあなたに叫んで、言いました。「あなたは私の避け所、生ける者の地で、私の分の土地です。私の叫びに耳を留めてください。私はひどく、おとしめられていますから。どうか、私を迫害する者から救い出してください。彼らは私よりも強いのです。私のたましいを、牢獄から連れ出し、私があなたの御名に感謝するようにしてください。正しい者たちが私の回りに集まることでしょう。あなたが私に良くしてくださるからです。」

神様に、心を注ぎだしてもいいのです。さあ、神様に話し始めましょう!


Ⅱ イエス様を見出す

心を神様に注ぎだし、文句も不満も疑問も感情とともに神様の前に注ぎだしているうちに、心が平安になっていくことでしょう。

※あまりにも、燃え上がる感情が高まり、おさまらない場合は、悪霊の影響があると考えられます。その場合は、契約の解除、誓いの言葉などのミニストリーにもどり、そちらをまず取り扱います。

きのうも、今日も、いつまでも同じイエス様に、痛みの光景の中にきていただきましょう。今まで、痛みが大きすぎて、その場所にイエス様を迎えることなど考えたことも無かったかも知れません。しかし、祈りの内に、その光景にイエス様をお迎えしましょう。
ある人は、イエス様があなたを守っているのが見えるでしょう。またある人には、イエス様があなたの代わりに戦っているのが見えるかもしれません。ある人は、イエス様があなたを抱きしめて優しい言葉をかけている光景が見えるかもしまれせん。
悲惨な出来事の只中にいて、イエス様のあたたかさ、愛に触れるとき、人の心、感情の傷は癒やされていきます。
人間は、あまりにも辛い体験をすると、自分を守るために、その感情にふたをして毎日痛みに直面しないですむようにしています。ですから、そのシステムが強く働いている人たちには、もちろん、一度に感情を出すことが難しいことがあります。その場合は、一度だけではなく、何度も、何ヶ月かおきに、神様に導かれるときにやってみるといいでしょう。


Ⅲ 完全な赦しへ

感情が落ち着き、イエス様に触れていただいたら、今度は、あなたの心の中に一つの変化が出てきているのが分かるでしょう。今までは、できれば、赦したくない。聖書に赦しなさいと書いてあるからこそ、赦しますと言うが、感情がゆるさなかった人がいませんか。
心を神に注ぎだした人は、今度は、自然にその人を赦したいと思うものです。というのも、いわば相手に負わせている自分の感情の負債というものをイエス様が払ってくれたので、もう相手を責める気にならないからです。そして、赦せるようになるでしょう。
そして、今後は、同じ光景を思い出しても、今までのように痛みは思い出さなくなるでしょう。また、自分が、相手を完全に赦せていることにびっくりすることでしょう。


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2 言葉の力 Empower Seminar

スレッド
言葉の力  TRUTH OR UNGODLY BELIEF? |TWO

録音は、http://youtu.be/_aKDtujiPhw
 からどうぞ。

  Belief System

If you accept a Belief, you reap a Thought.
If you sow a Thought, you reap an Attitude.
If you sow an Attitude, you reap an Action.
If you sow an Action, you reap a Habit.
If you reap a Habit, you reap a Character.
If you sow a Character, you reap a Destiny. Anonymous


言葉の力

 人間は、神の似姿に造られました。創世記2:7で、神が人に息を吹き込み、人は生きたものととなったとありますが、言語ヘブル語では、Speaking Spirit になった。と言う意味です。
 以来、人は、絶えず、言葉を発信しながら生きています。頭の中で、言葉といわずとも、イメージを描きながら生きています。この言葉を組み立てる場、イメージの場が実は、戦場です。悪魔は、ここを占領したいと思っています。そして、ここで、おきていることが実際の行動にでてくるのです。
 なぜでしょうか。私たちの源、原形神様はどんなお方でしょうか。神は、「光よ。あれ。」と言われました。すると、光ができました。神は、ご自身の頭のイメージを口にすることによって、世界をご自分のイメージ通りに造り上げられました。また、神の言葉は、ギリシャ語で、Sperma スパーマ 神の種と言う意味があります。(Ⅰヨハネ3:9) 神の言葉には、その意味するところを完成に至らせる力かこめられているのです。このように、神のイメージで造られた人間の言葉にも、力があります。

同意の力

 祈りは、天で起きていることと同意することです。また同意の祈りに力があります。(マタイ18:18-20) 神の御言葉に同意するとき、信仰が生まれます。また、前回の偶像礼拝の仕組みの説明にもあったように、手を合わせるという悪霊との同意を表す行為によって、悪例との契約関係が成り立ち、悪霊からの力を全面的に受けるという同意となり、ネガティブな力が人生に働くようになるのです。このように、同意には、力が働きます。  では、私たちは、日々何に同意して生きているのでしょうか?


マインドの役割

ローマ書12:2

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。And do not be conformed to this world, but be transformed by the renewing of your mind, that you may prove what is that good and acceptable and perfect will of God.

 私たちのマインドは、神様にあって神聖に造られたところです。 マインド/頭は、ユダヤの世界では聖なるところとみなされていた。 また、マインド/ 頭は神に似せられて造られたところ。言葉がイメージとなり、イメージが現実となる信仰の実践の場。 (ヘブル11:1イメージの法則) 実際に、脳の研究でも明らかになっている。ポルノ中毒の人は、脳の形が変わってしまっている。また、経験によってトラウマと感情を結ぶ道筋が脳の中にできる。それゆえに、同じような場面に遭遇すると、感情が反射的に蘇るようになっている。 このように、イメージ/言葉がどれほど、脳に影響し、現在の行動に影響するか。本来神にあっては、聖なる場所、神にあってビジョンと聖なるイメージによって、御心にそって世の中を治めるための場である。

私たちのマインドで何が起きているのでしょうか。

①敵は、本来聖なる場所であるマインドを自分たちのうそで一杯にしたい。 霊的戦いの場である。
②神の真理が実現する、信仰の場。神とともに将来を産み出す場である。
③マインドは、トラウマや経験によって、自分なりの人生の解釈をする人間的な実体験を整理する場でもある。


真理とUNGODLY BELIEF

 私たちはイエス・キリストを信じて、真理によって救われました。そして、聖書に書かれてあることは、全て真理だと信じているはずです。しかし、実際にそうでしょうか。信じているなら、どうして疑いや心配をするのでしょうか。
 実は、私たちは、聖書の真理よりも、脳に記憶されている実際自分が経験した過去のデータを強く信じているのです。また逆に、信仰生活にはいってから、聖書のみ言葉に従えば従うほどそれが、自分の経験になり、それが自分の真理として現在の自分の行動の理由になっているのではないでしょうか。
 例) 双子の姉妹。いつも比べられる。自分がいつも姉と比べて、ねたみを持つ。「姉はいつも物事がうまくいく、自分はだめ。姉は美人、自分はだめ」と言う風に信じるようになる。その人は、次第に太っていく。何をしても痩せられなくなった。


権威者と言葉

 私たちは、物事を祝福するためと、神のマインドをもって世界を築くために言葉の能力が与えられています。 しかし、必ずしも祝福と神様の御心にそって言葉が使われているとは限りませんね。
 私たちの上に置かれた権威者の言葉というものには、力があります。それは、私たちが霊的に私たちの上に立ち治めるものとしてsubmit しているからであり、神様にあってもそうあるべきだからです。しかし、権威者の言葉と言うものは、良くも悪しくも、強く私たちの魂に影響を及ぼします。
  幼いときに父母に繰り返し言われた、言葉。学校の先生に言われた言葉。
  例 / クラブの先生に、「のろま、気がつかない、あほ。」牧師に言われた言葉。


トラウマと言葉

  トラウマは、個人にとって心理的に大きな打撃を与え、その体験が長く残るというもの。ギリシャ語で傷という言葉から来ている。いわば心の傷。 言葉というものは、絶えず心の傷と密着しています。この言葉が神の言葉となったら勝利です!
 生活、人生、ものの考え方にまで影響を及ぼす傷と言うものは、どのようにできるのでしょうか。
 それは、たとえば、小さいときに、親がものすごく怖い顔で、ものすごい剣幕であなたに向かっていった言葉があります。”怖い” と言うだけで、トラウマです。そこへ来て、否定的な言葉を浴びせられるとします。「おまえは、馬鹿だ」と。すると、トラウマと、「わたしは馬鹿だ」がセットになって心に納められます。子どもは、常に「わたしは馬鹿だ」というフィルターを通して物事を見るようになります。

 また、交通事故にあいます。心身ともにこれは、大きなトラウマです。ここに、悪魔がふっと思いや疑いを入れてきます。またこのようなことがおきるかもしれない。おきたらどうしよう。という恐れ。そして、それと同意し信じ心の中に受け入れます。すると、その恐れと、その言葉を通して物事を考え、世界をみるようになるのです。
心の傷は、癒やされる行程を踏まずにいると、このように、敵が言葉や恐れを入れてきて、それを信じるようにさせるのです。そして、鍵の英語のみ言葉にもありますが、人は、信じたとおりに生きるようになるのです。
 心の傷は、いつも、辛い、痛い、悲しい、恐ろしいという感情とともに、言葉がくっつき、それが信条となり、根深く人の行動の基として残ってしまっているのです。


裁きの言葉と悪口

  私たち、言葉を発するものとして、注意したいのは、ネガティブなメッセージをもつ言葉です。人を誉めたり、立てあげる言葉には、命が通いますが、裁きの言葉は人間関係から命を奪います。また、陰口、悪口も同じです。私たちの言葉が、物事を成し遂げる神の言葉のイメージでデザインされているなら、陰口、悪口は呪いの言葉となります。


イエス様とトラウマ

 イエス様は、十字架につく際に、ひどく侮辱され、痛めつけられ、辱められた。しかし、それはトラウマとはならなかった。むしろ、彼は、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分のしていることがわからないのです。」という余裕すらあった。それは、なぜか。アイデンティティをしっかり持っていた。自分は、何者であるのか、何の目的でこの地上にいるのか。はっきりしていた。健康なセルフイメージ、アイデンティティを持っている人。健康な聖書理解のある人は、どんな目にあってもトラウマとならない。傷とはならない。わたしたちは、ここまで成長したい。


あなたのアイデンティティは?

 御言葉はあなたのことをなんと言っているでしょうか。 御言葉を探して書き出してみましょう。


マインドのフィルターを掃除しましょう 
 
 祈りのうちに、添付のプリントに当てはまるものに〇印をつけていきましょう。そして、二人グループになって、祈りの実践をしていきましょう。祈りの終わりに必ず、神様からの真理を受け取ってください。

祈り… 神様の真理でなく、敵のうそを信じていたことを自分罪として告白し、悔い改める。そして、この嘘を信じるようにさせた人たちを赦す。そして、神様からの赦しをキリストの十字架によって受け取る。そして、この嘘がもう自分の人生と関係がないことを宣言し、神様からの真理 (うそと反対の肯定的な言葉と、それに合う聖書のみ言葉) を受け取る。 敵の嘘は、塗りつぶし、二度と見ないようにする。

宿題

 ミニストリーの中で受け取った真理の言葉と聖句を毎日、朝声を出して宣言してください。四十日毎日続けてください。そうすると、脳が変わり、あなたの思いが変わり、行動が変わってきます。

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1 心の傷のメカニズム Empower Seminar

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心の傷のメカニズム|ONE 録音は http://youtu.be/C-s7kCbhg5U から。

カウンセリングがなぜ必要か

ずばり、問題があるから。クリスチャンになっても、なかなか成長できない。また、いつもトラブルに巻き込まれる。悲惨な出来事に繰り返しあう。なかなか、成功できない。人間関係がいつまでたっても、うまく行かない。人が怖い。人が嫌い。常に、何らかの恐れに縛られている。心の中にいつも不安がある。孤独感がいつもある。など、あるのではないでしようか。本当の意味で、神様にあって、解放と自由の中を歩めないとき、そこに問題を感じるのではないでしょうか。そういう人に、クリスチャンカウンセリングが必要です。

癒やしの定義  SOZO

Sozo ?  私たちの救いってなんでしょう。

Sozo とは、ギリシャ語で「救われる」、「癒される」、「解放される」という意味があり、新約聖書の中で110回使われている言葉である。ルカ19:10で、「人の子は、失われた人を探して救う(Sozo)ためにきたのです。」 ローマ10:9では、「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われる(Sozo)からです。」  マタイ9:22「イエスは、振り向いて彼女を見て言われた。「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。」すると、女はその時から全く直った。」それは、Sozoと言う意味です。 ルカ8:36「目撃者たちは、悪霊につかれていた人の救われた次第(made well)(Sozo)を、その人々に知らせた。」これらは、使用されている例のほんの一部です。Sozoというのは、救われる、癒される、解放されるという言葉の基語であり、これが、この癒しのミニストリーの全てです。つまり、敵のあらゆる働きから人々が完全に自由にされているか確認していくミニストリーなのです。

心の傷のメカニズム

 心の傷とは、どのようにできるのでしょうか。また、どうして問題がいつまでたっても私の人生につきまとうのでしょうか。
オープニングドア 敵のリーガルライト
 私たちは、オープニングドアとか、敵のリーガルライトなどという言葉をよく使いますが、これは、私たちの側の罪に対して開かれたドアです。このドアが開いている限り、敵がそこから入ってくるということですね。知らずに開けっぱなしにしている罪のドアを閉めなければなりません。すなわち、罪を罪と認め、悔い改め、罪の原因となった人たちを赦し、キリストの十字架の御業によって、赦しを受け取ることが必要になります。すると、御国の法律で、もう敵が居座る権利がなくなってしまうのです。

罪のドア

 私たちは、好き好んで自分から罪を犯すわけではありません。私たちが開きっぱなしの罪のドアを持ちやすいのは、人にいわれの無いひどい仕打ちを受けた時、一方的に痛めつけられたとき、などです。いわゆる、傷つけられたときです。その時に、どのような反応をするかによって、罪のドアが開きます。 
 
  ・相手を裁く。(「この人はこういう人だから」も裁き) ・相手を赦さない。 
  ・自分を責める。 ・心に誓いを持つ。(もう二度と恋なんてしない)
  ・次回このようなことが二度と起きないように、自分を守る対策を作り上げる。 (コントール:本来は神様に守ってもらうべき。)

自分から相手を傷つけるような積極的な罪ではありませんが、これらの罪のドアが私たちの人生に大きな影響をもっているのです。 また、その他、感情的な傷に関わる以外の罪のドアで、私たちのキリストにある歩みを妨げるものに霊的な契約を伴うものがあります。これらの罪も、実は感情的な傷と密接に根の部分で繋がっているのです。

  ・霊的な罪のドア…占い、異なる神々との契約(偶像礼拝、お宮参り、氏子、檀家)
  ・性的な罪のドア…結婚以外の肉体関係(これも霊的な契約関係),
ファンタシー、ポルノ
  ・先祖の開いた罪のドア これは、第四課で詳しく話します。

よくある例

  たとえば、不幸な家庭で育ち、父親が暴力を振るうので、小さいときから、父親を心の中で裁いていた人がいたとします。赤ちゃんのときからそうしていたので、無意識に続けていた。そうすると、その人の問題は、なかなか結婚できない。または、職場などでも、男性の上司とうまくいかない。という問題が出てきます。普通に振舞っているのに、いつも男性にいじめられる。あるいは、普通に結婚したが、何年か経って夫が暴力を振るうように豹変した。などですね。多くの場合、そのような出来事の周りにもっと多くの複雑な問題を抱えるようになります。そういう場合は、敵のリーガルライト、自分の罪のオープニングドアを閉める必要があります。それは、父親を赦すこと、男性一般を赦すこと、裁いていたことを悔い改めることです。そうすると、オープニングドアが閉じ、問題もなくなります。

善悪の知識の木の実から十字架へ

 創世記3章、はじめの人アダムとエバは、神から禁じられている善悪の知識の実を食べてしまいました。それ以来、人間は、善悪を常に意識して生きています。罪が入る以前は、善しかありませんでした。その善というのは、神との交わりから得るものでした。神の御思いは、私の思い。神の願いは、私の願い。愛の交わりの中で、神が、人の全てでありました。罪が入り、あらゆる苦しみが入り、病気が入り、そして、死が人間に入りました。

 しかし、神は、救い主イエス様を私たちにお与えになりました。私たちは、善悪の知識の実をイエス様にお返しするのです。そして、自分の罪がイエス様の十字架にともにつけられ、古い自分がイエス様とともに死に、葬られ、新しい人として蘇ったことを受け取るのです。そうして、もう一度、はじめの人がはじめに持っていた、神のみ思いは、私の思い、神の願いは、私の願い。神の愛することを愛し、神の憎まれることを憎むという、真の神への畏れをもって生きられるようになったのです。
 心の癒やしとは、クリスチャンを真の神への畏れに導くものです。

よくある質問

1. 私は、救われたときに完全になったのではないですか?

この言葉は、Ⅱコリント5:17を基に言われるが、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」の”新しくなりました”は、原語ギリシャ語の意味は、”継続的に新しくなる”と言う意味です。

2. 私の過去は、救われた時から私の人生に影響が無いのではないですか?

あなたは救われた時に、あなたの過去も赦されました。しかし、習慣化した罪やungodly belief 神様の御思いに沿わない考えは、改正されなければなりません。ロマ12:2 「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」

3. 救われたら、自動的にキリストの似姿に変えられるのではないですか?

神様は私たちに常に新鮮な関係を持ち続けることを求められる。マタイ6:33「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」の、”求めなさい”は”絶えず求め続けなさい”という意味。 私たちは、日々の神様との交わりで成長していく。


聖書の原理原則 癒やしの鍵となるみ言葉

父母を敬う法則 エペソ6:2-3

「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする」という約束です。

裁きの法則 マタイ7:1-2

さばいてはいけません。さばかれないためです。 あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。

赦しの法則 マタイ18:21-35

そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」22 イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。
このことから、天の御国は、地上の王にたとえることができます。王はそのしもべたちと清算をしたいと思った。
清算が始まると、まず一万タラントの借りのあるしもべが、王のところに連れて来られた。
しかし、彼は返済することができなかったので、その主人は彼に、自分も妻子も持ち物全部も売って返済するように命じた。
それで、このしもべは、主人の前にひれ伏して、『どうかご猶予ください。そうすれば全部お払いいたします』と言った。27 しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった。28 ところが、このしもべは、出て行くと、同じしもべ仲間で、彼から百デナリの借りのある者に出会った。彼はその人をつかまえ、首を絞めて、『借金を返せ』と言った。
彼の仲間は、ひれ伏して、『もう少し待ってくれ。そうしたら返すから』と言って頼んだ。
しかし彼は承知せず、連れて行って、借金を返すまで牢に投げ入れた。
彼の仲間たちは事の成り行きを見て、非常に悲しみ、行って、その一部始終を主人に話した。
そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。
私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』
こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。
あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」

種まきの法則 ガラテヤ6:7

思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。

イメージの法則 

箴言23:7 彼は、心のうちでは勘定ずくだから。」For as he thinks in his heart, so is he. (NKJV)
ヘブル11:1 「信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。」
恐れとは、否定的な形で表現された信仰です。

誓いの法則 マタイ5:34-37

しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。すなわち、天をさして誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。35 地をさして誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムをさして誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。36 あなたの頭をさして誓ってもいけません。あなたは、一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからです。37 だから、あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。
“Inner Vow”


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心の癒やしと解放セミナー Empower Seminar

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みなさん、こんにちは。

お元気ですか。

昨年から今年にかけて、心の癒やしと解放のセミナー、エンパワーセミナーを行いました。クリスチャンとして解放されるだけでなく、神様の力を着せられて他人のためにも働けるようになるという素晴らしいコンセプトです。

大変好評につき、Youtube に録音版をアップすることとなりました。そして、レジメをこのブログ上に載せるようにしたいと思います。レジメの初めにYoutube のリンクを貼りたいと思います。貼れるのかな?やってみますね。

内容は次のとおりです。

心の癒やしと解放セミナー Empower Seminar

クリスチャンになったけれど、心の弱さがあまり変わっていない。いつも同じ恐れに縛られている。いつも職場でいじめられる。親子関係に問題がある。自分の子どもが問題を持っている。自分の問題が何かは漠然としていて分からないが、神様に変えられたい。なかなか霊的に成長できない。などという方はおられませんか。
このセミナーでは、心の傷と束縛のメカニズムを知り、どのようにキリストと御言葉の真理によって癒やしと解放にあずかれるかを教え、癒やしに導き、自分が癒やしを体験することによって、他者の癒やしを助けることができるようにするセミナーです。
聖霊様がきっと様々なことを語ってくださいます。祈り心で参加してください。

第一課 心の傷のメカニズム 2013年9月14日録音
     SECTION 1.1  なぜカウンセリングが必要か
     SECTION 1.2  心の傷のメカニズム
     SECTION 1.3  聖書の原理原則/ 癒やしの鍵のみ言葉

第二課 言葉の力・あなたが真に信じていることは何?2013年10月12日録音
     SECTION 2.1  マインドの役割
     SECTION 2.2  真理とUNGODLY BELIEF 自分の経験からくる真理 
     SECTION 2.3  マインドのフィルターを掃除しましょう  祈りの実践

第三課 トラウマ・心の傷の癒やし 2014年1月11日録音
     SECTION 3.1  イエス様と心の傷の癒やし
     SECTION 3.2  心の傷が引き起こす問題
     SECTION 3.3  心の傷の癒やしのプロセス

第四課 家系に住み着いている傷 2014年2月8日録音
     SECTION 4.1  世代にわたる罪の呪い
     SECTION 4.2  罪のアクティベーション
     SECTION 4.3  解放と千代にいたる祝福へ

第五課 成長の鍵 2014年3月8日録音
     SECTION 5.1  三位一体の神との関係
     SECTION 5.2  クリスチャンの権威
     SECTION 5.3  さあ、今度は、あなたの番です!

聖霊様がきっと語られます。祈り心で聞いて下さい。


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ダビデの逃亡生活の始まりDavid’s Life on the lam

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2014年3月23日日曜日礼拝

聖書箇所

1サムエル21章  詩篇34  詩篇56 ヨハネ15:1-5

20章では、ダビデとサウルの息子ヨナタンとの契約。また、サウルが本当にダビデを殺そうとしていることが分かった。賞賛と王の婿となる華やかな一面から手のひらを返したように一変する。そして、21章からダビデの逃亡生活が始まる。ダビデは、サウルが死ぬまで、逃亡生活が続くことになる。ダビデにとっては、今まで経験したことのない質の試練であった。Unknown problem to him. 敬っている王であるサウル、また義理の父であるサウル、親友の父でもあるサウルに命を狙われている。わけが分からない状態ではなかったでしょうか。Confusion. そして、分からないからこそ、不安だったことだろう。私たちも、このような混沌とした、何が起きているか分からない、理解しきれないことが人生のうちにはあるものです。今まで経験も想像もしたこともない試練にあるダビデの初めはどうだったのでしょうか。

ダビデがまずしたのは、

1. 祭司アヒメレクのところへ行った 

  v1ダビデはノブの祭司アヒメレクのところに行った。アヒメレクはダビデを迎え、恐る恐る彼に言った。「なぜ、おひとりで、だれもお供がいないのですか。」Now David came to Nob, to Ahimelech the priest. And Ahimelech was afraid when he met David, and said to him, “Why are you alone, and no one is with you?”
ここでも、主を第一にしているダビデの姿勢がうかがえる。困難のときこそ、主を礼拝する。また神の人のところに行く。
主の守りがあった。エドム人ドエグもきていた。v7―その日、そこにはサウルのしもべのひとりが主の前に引き止められていた。その名はドエグといって、エドム人であり、サウルの牧者たちの中のつわものであった―Now a certain man of the servants of Saul was there that day, detained before the Lord. And his name was Doeg, an Edomite, the chief of the herdsmen who belonged to Saul.

私たちは、何かあったとき、人のところではなく神のところに行くべきだ。

2. 混沌が不安を、不安が恐れを生んだ 

v8-9 ダビデはアヒメレクに言った。「ここに、あなたの手もとに、槍か、剣はありませんか。私は自分の剣も武器も持って来なかったのです。王の命令があまり急だったので。」1. 9 祭司は言った。「あなたがエラの谷で打ち殺したペリシテ人ゴリヤテの剣が、ご覧なさい、エポデのうしろに布に包んであります。よろしければ、持って行ってください。ここには、それしかありませんから。」ダビデは言った。「それは何よりです。私に下さい。」
And David said to Ahimelech, “Is there not here on hand a spear or a sword? For I have brought neither my sword nor my weapons with me, because the king’s business required haste.”
9 So the priest said, “The sword of Goliath the Philistine, whom you killed in the Valley of Elah, there it is, wrapped in a cloth behind the ephod. If you will take that, take it. For there is no other except that one here.” And David said, “There is none like it; give it to me.”

恐れから出たもの  

① うその証言 アヒメレクにサウルの急な命令だと言った

ダビデなりの人間的な配慮だったのかも知れない。サウルの評判を守るためか。
これは、次の章で恐ろしい惨事となる。ドエグによって、祭司と家族、家畜までが全て殺されることとなる。神に信頼しての透明なコミュニケーションというものがいかに大切であるか。

②  目に見えるものを頼みとする ゴリヤテの剣
しかし、勝利の思い出、証しとしては、ゴリヤテの剣は役に立つ。守りを与えるのは神である。ダビデは、石一つでゴリヤテに勝ったのではなかったのか。
Oppression makes a wise man do foolishly.
恐れと言うものは、目に見えるものに頼らせる。信仰の反対だ。信仰は、目に見えないものを保証するものだ。私たちが目に見えるものに頼るときに、信仰よりも恐れが勝っているのかもしれない。目に見える、お金、地位、持ち物にしがみついているならば、あなたは、恐れによって歩んでいるといえるだろう。

3. 敵の領内に逃亡          ペリシテのガデの王アキシュのところへ
v11-13するとアキシュの家来たちがアキシュに言った。「この人は、あの国の王ダビデではありませんか。みなが踊りながら、『サウルは千を打ち、ダビデは万を打った』と言って歌っていたのは、この人のことではありませんか。」12 ダビデは、このことばを気にして、ガテの王アキシュを非常に恐れた。13 それでダビデは彼らの前で気が違ったかのようにふるまい、捕らえられて狂ったふりをし、門のとびらに傷をつけたり、ひげによだれを流したりした。And the servants of Achish said to him, “Is this not David the king of the land? Did they not sing of him to one another in dances, saying: ‘Saul has slain his thousands,
And David his ten thousands’?” 12 Now David took these words to heart, and was very much afraid of Achish the king of Gath. 13 So he changed his behavior before them, pretended madness in their hands, scratched on the doors of the gate, and let his saliva fall down on his beard.

恐れから出たもの v12アキシュを非常に恐れた。 
恐れと言うものは、まるでパンダねのようにどんどんふくらみ、大きくなる。ダビデの恐れは、非常に大きくなった。
自分を偽り、敵の領内にいたら安全だと思ったが、隠すことができなかった。
自分のプランが壊れると、恐れが入る。神のプランだと確信していると恐れはない。
ダビデは、気違いを装う。

4. ダビデの逃亡の中での証し
しかし、ダビデは、この絶体絶命の苦しみの中で多くを学んだ。

神の刈り込み、掘り出し作業の証し God’s pruning / “curving –treasure – out” work
私たちは、思いがけない試練のときこそ、大きな宝を得る。それは、農夫がぶどうの木を刈り込むようだ。実を結ぶために、いらない枝を切り落とす。また、鉱山で働く工夫のようだ。岩を切り砕き、宝石だけを取り出していくかのよう。この枝の結ぶ実は、朽ちない。この掘り出された宝石は、朽ちない。試練の中、刈り込みによって得るものは、大きい。決して普段の生活からは理解できないことを理解するようになる。私たちの命の永遠の目的eternal purposeを知るようになる。
ダビデは、恐れを持ちながらも、神様に立ち返り、多くを学んだ。
私たちもこの姿勢をもちたいものです。

ヨハネ15:1-5
わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。
2 わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。3 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。“I am the true vine, and My Father is the vinedresser. 2 Every branch in Me that does not bear fruit He takes away;[a] and every branch that bears fruit He prunes, that it may bear more fruit. 3 You are already clean because of the word which I have spoken to you. 4 Abide in Me, and I in you. As the branch cannot bear fruit of itself, unless it abides in the vine, neither can you, unless you abide in Me.5 “I am the vine, you are the branches. He who abides in Me, and I in him, bears much fruit; for without Me you can do nothing.

ダビデは、この試練の痛みの中、混乱し、恐れたが、しっかりと主の木につながれた。神から得たもの、学んだことがあった。それが、詩篇34,56に書かれてある。

詩篇34:1-3 
1 私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。2 私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。3 私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。I will bless the Lord at all times; His praise shall continually be in my mouth. 2 My soul shall make its boast in the Lord; The humble shall hear of it and be glad. 3 Oh, magnify the Lord with me,And let us exalt His name together.

詩篇34:15,16 義人の守り/義とされたクリスチャンの完全な守り
主の目は正しい者に向き、その耳は彼らの叫びに傾けられる。16 主の御顔は悪をなす者からそむけられ、彼らの記憶を地から消される。The eyes of the Lord are on the righteous, And His ears are open to their cry.
16 The face of the Lord is against those who do evil, To cut off the remembrance of them from the earth.

詩篇56:3
恐れのある日に、私は、あなたに信頼します。Whenever I am afraid,
I will trust in You.

詩篇56:8 神に知られている。私たちの最大の慰めである。
8あなたは、私のさすらいをしるしておられます。どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。それはあなたの書には、ないのでしょうか。 
You number my wanderings; Put my tears into Your bottle; Are they not in Your book?

詩篇56:12 
神の約束、召しは変わらない。旧約の誓いは、現在の献身、召しに従うという感覚に近い。
神よ。あなたへの誓いは、私の上にあります。私は、感謝のいけにえを、あなたにささげます。Vows made to You are binding upon me, O God;I will render praises to You,

〇主に道が知られている
〇いかなる時にも主を褒め称える
〇義人の守り/義人の受ける分
〇それでも主の約束/召命は堅く立つ

私たちの中に、混乱の中にいる人がいるでしょうか。移行期にあって、何が起こるかわからないという漠然とした不安の中にいる人がいるでしょうか。
あなたの道は、神に知られています。またキリストの義に常に隠されています。あなたは、弱いようだが、強く。敵が攻撃しても、つぶされることは決してないのです。
刈り込みのときに、私たちも永遠の宝を得ましょう。あなたの永遠の目的があなたの霊と魂の中に明らかにされ、刻まれますように。


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ソウルメイトになるために ⑧

スレッド
みなさん、こんにちは。私がのろのろやっているうちに、とうとうこの素晴らしい本が日本語に翻訳されて、出版されていました!!
ぜひ読んでみてください。わたしは、結婚カウンセリングをしていますが、結婚関係の多くの問題は、この法則を持って解決されます。

愛されたい妻と尊敬されたい夫
エマソン・エグリッチ著  ファミリー・フォーラム ・ジャパン

英語では、
Love & Respect
by Emerson Eggerichs Thomas Nelson

と言うことで、8回目の要点のみ、

妻が愛されていると思う時。。。

尊重:夫がわたしを尊重していると感じるとき。(他の誰よりも大切にしていると感じる)

・ 子供たちの前で言葉でわたしをサポートし、敬意をあらわす時。
・ 夫のためにわたしがすることに対してほめてくれる時。
・ はっきり判断がつかないようなことについて話しているときでさえ、夫がわたしの意見を尊重してくれるとき。夫の意見と違うからと言って、間違っているとしないとき。

夫が尊敬されていると思う時。。。

性的関心: 妻がわたしの情熱と楽しみを評価してくれるとき。(わたしの性的親密さへの願い)

・ 定期的に妻のほうから誘ってくれる時。
・ もっと頻繁に応答してくれる時。
・ わたしを恥ずかしい思いをさせないで、わたしの性的な誘惑について認識させてくれる時。

これは、非常に重要なことです。
結婚関係で、価値観、性格の不一致で離婚にいたると言われていますが、
結婚関係において金銭の問題、性の満足が非常に大きな位置を占めています。
その土台にあるのは、もちろんコミュニケーションです。そして、このコミュニケーションを助けるのが、男性と女性のニードの違いを理解すること。すなわち、愛と尊敬の原則を理解することです。

女性たち、夫を尊敬してください。
男性たち、妻を愛してください。

結婚関係が大きく向上することでしょう。

みなさんの祝福をお祈りしています。


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日曜日のメッセージから 信仰の人の生き方Honor

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Ⅰサムエル18章から

Ⅰサムエル記は、二人の王、ダビデとサウルが非常に対照的です。

サウル王は、ねたみと恐れにとらわれた肉の人でした。ダビデのあげた手柄を喜ぶことができず、かえって不安になり、ダビデを恐れるようになりました。 

☆神の御国の法則は、Honorと愛です。
本来ならば、ともに喜ぶべきであるし、もしも、部下に不満があるなら、神に任せるべきである。人殺しをしようとした。神の国の法則は、Honorと愛です。互いに尊敬し愛し合うことでハーモニーができる。すなわち、一致ができる。

★信仰の性質 ダビデ
 信仰というのは、目に見えない神を信じること。(ヘブル11:1信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen. 2 For by it the elders obtained a good testimony.)
先週のダビデの大勝利のお話しにも見られます。ダビデは、自分の信じている神様ならきっと勝たせてくれる。という信仰にたっているのです。神の心を知っているから信仰にたてる。自分のしていることは、神の心にそっているとはっきり言える。
V12, 主はダビデとともにおられbecause the Lord was with him V14ダビデはその行く所、どこででも勝利を収めた。主が彼とともにおられた。And David behaved wisely in all his ways, and the Lord was with him. 

 ☆信仰と行いについて  
v16 イスラエルとユダの人々はみな、ダビデを愛した。彼が彼らの先に立って行動していたからである。But all Israel and Judah loved David, because he went out and came in before them.
ヤコブ2:26魂のない肉体が死んだものであるように、行いを伴わない信仰は死んだものです。For as the body without the spirit is dead, so faith without works is dead also.
ダビデは、行いのある人でした。人々は、その人が何を言うかに注目し、また、その人が何をするかに注目しています。ダビデは、誰よりも先頭にたって、戦った人です。率先して、物事をする。そういう人に人々は信頼を寄せます。ダビデは、イスラエルとユダの人はみな、ダビデを愛したとあるほどに愛され信頼されていました。彼の心にあることがそのまま行動にでていたのです。
私たちクリスチャンはどうでしょうか。私たちは、心で信じているとおりに行動しているでしようか?世の人々がついてくる人となっているでしょうか。

★恵みと犠牲について
 V27 ダビデは立って、彼と部下とで、出て行き、ペリシテ人二百人を打ち殺し、その陽の皮を持ち帰り、王の婿になるためのことを、王に果たした。そこでサウルは娘ミカルを妻としてダビデに与えた。therefore David arose and went, he and his men, and killed two hundred men of the Philistines. And David brought their foreskins, and they gave them in full count to the king, that he might become the king’s son-in-law. Then Saul gave him Michal his daughter as a wife.
ダビデは、陽の皮100枚と言われたのに、200を取って来た。彼は、神の恵みによって、神に選ばれ、恵みによって、王の婿になることを許されたことを知っている。そして、神の恵みによって戦い100のところを200とって来るようになった。ダビデは、恵みを無駄にしない人であった。また、犠牲を払うことを知っている人であった。
犠牲を払える人は、神の豊かさを理解している人。神の気前の良さ。一マイルいけといわれたら、その人とともに二マイルいけ。And whoever compels you to go one mile, go with him two.マタイ5:41
私たちは、犠牲を払うから、恵みをいただけるのではない。恵みに感動しているので、犠牲が払える。また、私たちのために犠牲を払って下った、イエス様を知っているから、犠牲を払いたい。
なぜなら、私たちが神を愛して犠牲を払うとき、神がその行為によって、敬意をお受けになる。神が高められるからである。

証し:

私たちクリスチャンは、恵み、恵みといい。強調し、犠牲を払うことを忘れてはいないか??

★神とのヒストリー
 先週、まきおくんのお話にも出ましたが、ダビデは、羊飼いしている時も神様により頼み、きっと自分が任されている羊たちを神様は守ってくださると信じて、猛獣と戦っていた。また、神様と交わっていた。ハープ奏者。祈りの賛美をしていた。神の臨在のある人というのは、一晩では、出来上がらない。神様と自分との歴史がないと、神がともにおられると人が見て取れるひととはならない。ヨセフの上にも神様がともにおられました。その時も同じことを言いましたが。皆さん、どんな立派な牧師先生についていったって、神様との歴史は、きずきあげられません。自分がもがいて、悩んで、それを神様に聞いて、解決策を与えられたり、神様に救われたり、そういう中で、神様と自分との歴史ができるのです。他人がかわりに作ってくれないのです。
あなたには、神様との関係がありますか。また神様とのヒストリーがありますか?

★まとめ

信仰は、行いをうみ、その行いは、神に敬意を表し、神を高めるために犠牲を払うにいたる。
私たちの信仰は、生きているでしょうか?
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ソウルメイトになるために ⑦

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みなさん、いかがお過ごしでしょうか。さて、なかなか終わらないシリーズも最後から二番目になりました。

妻が愛されていると思う時

忠誠心:夫から忠誠心を感じるとき。(妻への完全な献身)

・ 違う女性に目もくれない時

男性は、無意識に道を歩く女性を目で追いかけたりします。そして、男性は無意識なので、自分では自然すぎて気がついていないときもあります。しかーし! 女性はばっちり気がついています。また、「自分の妻が世の中で一番綺麗」と日ごろから態度で示し、口でも表現することをお勧めします。

・ 家族や友達にわたしについて肯定的なことのみ話す; 彼らに自分たちの関係で困っていることをぶちまけない。

これは、お互いに言えることですが、家族が集まるようなときには、妻に関して良い事を話すととても関係が良くなります。ぜったいに、「うちのは料理がへただから」「うちの嫁は掃除をしない」なんて言ってはいけません。日本人は、妻を愚妻などと呼ぶ文化があり、謙遜のつもりで外で妻のことを悪く言うことがありますが、これは、夫婦間の信頼関係を壊すことになります。もし、ダメだしをする必要があるなら、家の外で他人に言うのでなく、本人に家の中でお願いします。

・ 死が二人を分かつまで決して離婚という言葉を持ち出さない。

これは、両方に言えることですが、いくら激しくけんかしていても、離婚の二文字は決して持ち出すべきではありません。これを言ってはおしまいです。本当に深く相手を傷つけてしまいます。

余談
男性の言葉には力があります。夫が妻を誉めれば誉めるほど、彼女の美を賞賛すればするほど、妻は美しく変革していきます。ぜひ、夫のみなさん、妻をほめてください。

夫が尊敬されていると感じる時

関係: 妻がわたしのパートナーシップと楽しみ仲間であることを評価してくれるとき。(肩と肩を並べてすごす友人関係を持ちたいとの願い)

・ 妻がわたしを好きだと言う時。

逆によく聞く言葉ですが、「あなたのこと愛してはいるけど、好きじゃない。」との妻の言葉。これは、男性をひどく傷つけます。男性は、このシリーズの始めの方で話したとおり、肩と肩をならべるパートナーとしての関係を好みます。女性は、顔と顔を向き合わせる関係、もっと親密さを好みます。夫にとって、バディとしての妻に嫌いといわれるほどいやなことはありません。

・ リクリエーションをわたしと一緒にする時、もしくは、わたしがしているのを横で見てくれている時。

夫は、どこか行く時、あなたについて来て欲しがりませんか。妻にとって何もすることのないひまな時間になるのに、どうして。などと不思議に思うこともあると思います。皆さん、男同士のリクリエーションは、肩と肩をならべて無言で互いに釣りをするなどといったものが多いのです。それと同じように、自分の趣味をしている間、妻に隣にただいて欲しいのが、夫の願いなんです。妻のみなさん。時間の無駄と決して思わないでください。ぜひ、夫に付き合ってあげてください。きっと、夫は、大満足でこういうでしょう。「いやー、今日は久しぶりに二人っきりのとても充実したデートだったね。僕は幸せだよ。」と。妻にしては、おしゃべりもせず、ただ、一緒にいただけなのに、どうしてデートと解釈するのかと思いますよね。これが、男女の違いです。理解してあげてください!!!!

・ 妻がわたし個人の時間を過ごすように励ましてくれるとき。これがあとで妻ともう一度つながることへの活性剤となる。

妻は、親密さを求めますので、夫が帰宅すると、べったりくっついて、おしゃべりをしたくなります。しかし、男性には、個人の時間がとても大切です。家の外で、世間の荒波にもまれ、家族を食べさせるために戦ってくるのですから、ゆっくりと自分の頭と身体をすこし休める時間が必要になります。
私のことあまり興味ないのかな、と変に気を回さず、個人の時間が必要なときは、そっとしておいて上げてください。そうすると、必ず、気がすむと妻に向かって心を向けてきますよ。お試しください!!

次でシリーズ最後となります!

なかなか続けてアップできませんでしたが、お楽しみいただけましたでしょうか。次の回もお楽しみに。


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