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罪から来る結果 The consequences of a sin

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2014年6月1日日曜日礼拝

音声はyoutubeから、 http://youtu.be/c8DHIskr1NE

Ⅱサムエル13-16章

テーマ聖句 Ⅱサムエル15:30

ダビデはオリーブ山の坂を登った。彼は泣きながら登り、その頭をおおい、はだしで登った。彼といっしょにいた民もみな、頭をおおい、泣きながら登った。So David went up by the Ascent of the Mount of Olives, and wept as he went up; and he had his head covered and went barefoot. And all the people who were with him covered their heads and went up, weeping as they went up.

先々週は、世代にわたる祝福の話しをダビデの生き方から話しました。今回は、世代にわたる罪の呪い/結果についてお話したいと思います。これもまたダビデの人生からみていきます。

世代にわたる祝福と呪いについては、数々の聖句が旧約聖書にありますが、一つ読みますと、

出エジプト20:5,6

5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。you shall not bow down to them nor serve them. For I, the Lord your God, am a jealous God, visiting the iniquity of the fathers upon the children to the third and fourth generations of those who hate Me, 6 but showing mercy to thousands, to those who love Me and keep My commandments.

罪の結果が、次の世代、また次と四代までわたるということですが、

私たちは、アダムとエバから罪の性質を引き継いできています。二歳の子でも誰にも教えられなくても嘘を付けるようになります。私は、五歳の時に父親と別居しました。妹はその時生まれたばかりでした。妹は、全く父と一緒に暮らしたことがないのですが、妹が一番父に似ています。やさしいところ、人に対して寛容で分け与えるところ、そして、怒りのポイント、枕元に本を積んで寝るところ。本を最後まで読まないところなどなど。人は、一緒にいるから似てくるのかと思いますが、血すじというものは、それ以上のもののようです。

今回の箇所は長いのであらすじを説明します。

13-16章のあらすじ

★ダビデの罪

人妻バテシェバと罪を犯し、その夫を殺す。ダビデは、神の前に悔い改めた。しかし、このことを良く思っていない人たちが多くいた。自分の息子たちも含めて。これが全ての始まりであった。神は、赦されたが、ダビデは、罪からくる結果に付きまとわれることになる。
みなさんも、経験があるのではないでしょうか。人と仲たがいして、神の前に悔い改め、神に赦されますが、相手の人との信頼関係は、また一から立て直すことになりますね。

ダビデの罪の影響で、自分の家庭で事件が起きる。
異母兄弟アムノンがアブシャロムの妹タマルを犯す。ダビデは、激しく怒ったが(13:21)、このことに対して何も対処をしなかった。アブシャロムも何もしなかった。二年後までは。。。二年後に、アブシャロムは、アムノンを殺害する。ダビデは、悲しみ、怒った。(13:30)

Ⅱサム13:39 ダビデ王はアブシャロムに会いに出ることはやめた。アムノンが死んだので、アムノンのために悔やんでいたからである。And King David longed to go to Absalom. For he had been comforted concerning Amnon, because he was dead. 

37節では、ダビデはいつまでもアムノンの死を嘆き悲しんでした。David mourned for his son every day.

ダビデは、バテシェバとの罪、そして、その子の死の後、消極的になっているのがみえる。羊の毛の刈り取りの祝いにも出て行かない。そして、自分からアブシャロムに会うこともやめた。聖書には書かれていないが、「いつまでもアムノンの死を嘆き悲しんでいた]ということから、かなりの葛藤があったのだろう。自分の罪の結果が、自分の子の死に続き、どんどん広がっていくのをみるため。バテシェバとの第一子の死の時は、子どもの死後、すっきりとして食事をしている。自分の罪の結果と裁きを受け取り、悔い改めもし、前にすすんでいる。しかし、今回は、自分の罪のせいで、子どもに影響が出てしまったそして、子どもの一人が死んだということで、親としてかなりの辛さがあったのだと思われる。

ダビデは、アムノンの罪と、アブシャロムの罪に対して、何も対処しなかったことが伺えるが、一体どんな気持ちで沈黙していたのだろう。

★アブシャロムの罪

アブシャロムは、兄弟を殺した。そして、その後、巧みに人々を騙し、父の王座をのっとることになる。15章、16章。反乱をおこした。

子どもと言うものは、理不尽なことが起きた時、どうしたらいいか、いつも指導、裁きを求めている。理不尽なことが起きた時、親がどう対処しているかを見たい。それが、人生の知恵となる。アブシャロムは、父の裁きを望んでいた。父らしいことをして欲しかった。

ダビデは、自分の罪故に、子どもの失態に繋がったと思っていただろう。バテシェバにしたと同じことを子どもがしたわけだ。裁きにくかったのかもしれない。

父の裁きを見られなかったアブシャロムは、父を恨み、自分が今度は、裁き主となるべく自ら王となった。

アブシャロムについていった人たちは、ダビデ王についてよく思ってない人たちであった。やはり、ここでもバテシェバとの罪がここにも影響していたのだった。

また、ダビデは、15:31 で、ダビデの信頼していた部下アヒトフェルがアブシャロムの謀反に加担していることを知る。ダビデは詩篇にもこの辛さをつづっている。このアヒトフェルは、バテ・シェバの祖父でした。このアヒトフェルAhithophelは、後にアブシャロムに、ダビデのそばめたちのところに入るように助言している。ダビデのしたことに対する復讐だ。

★ダビデは逃げた

Ⅱサムエル15:10-11 -14

ダビデは、バテ・シェバの子どもの死の後、かなり弱腰になっていた。戦いにも出なくなり、人とは距離を置き。アブシャロムの反乱に対しては、自分の町を守らずに、要塞があるにも関わらず、町から逃げた。

どうして、直面対決しなかったんだろう。と思う。これも、自分の罪の結果を悔やんでのことなのだろうか。わが子と戦い血を流すよりは逃げる方を選んだ。

ダビデは、このときにも多くの詩篇を書いている。 
詩篇4,11,41,42,55,61,63

神様だけが隠れ場、神様による頼むと詠っている。神様への心の叫びがつづられている。詩編3を読んでみましょう。

そして、ここでテーマ聖句にかえります、 Ⅱサムエル15:30

詩篇三篇の、そのような気持ちでオリーブ山を泣きながら登った。ダビデは、神の前に悔いていた。そして、悔いてあからさまに泣ける心の柔らかい人であった。なりふり構わず、神の前に踊ったダビデは、なりふり構わず、神の前に悔いて泣いている。
私たちは、みな完全な人は一人もいません。人間ダビデの生き方に共感できるのではないでしょうか。

一つ、学べることは、たとえ自分の罪のために苦しんだとしても、神様にしがみついて生きることができるということです。神様を求め、また礼拝し続ける。

★新約の私たちには、どのような恵みがあるかご存知ですか?

★イエス様 

イエス様は、ダビデの家系、ダビデへの神様の約束の成就。永遠の王位を持つ方。

この方も、30節のオリーブ山を登られた。

十字架に掛けられる前にゲッセマネで祈るためであった。。
非常な悲しみを持ちながら、この山を登った。

ダビデは、自分の罪の結果を悲しんで泣いた。しかし、イエス様は、私の罪、あなたの罪、全人類の罪の結果を背負って、登られ。その罪の結果を悲しみながら、登られた。

私たちの希望は、最終的な罪の結果は、イエス・キリストが請け負ってくれたということを受け入れるときに与えられる。

ガラテヤ2:20

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私がこの世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。I have been crucified with Christ; it is no longer I who live, but Christ lives in me; and the life which I now live in the flesh I live by faith in the Son of God, who loved me and gave Himself for me.

私たちは、どのように世代にわたる罪の結果・呪いから自由になれるのでしょうか。自分の中に、どうしようもない、親のいやな部分とそっくりなところはありませんか。また家系の中に繰り返される問題、罪の傾向はないですか。それを見つけたときが、解放の時です。それにきづくなら、それを先のみことばに適用することができます。

私の家系と私の罪として、罪を告白し、キリストの十字架の業による赦しを受け、その繰り返される罪の呪いは全部イエス様が引き取ってくれたことを信じ、宣言し、金輪際この罪とは無縁であることを宣言し祈るのです。

それだけで本当に変わるのかと思うかもしれませんが、本当に変わります。私たちの神様は超自然的です。そして、真理に従うなら、そのとうりにしてくださいます。キリストの血は、どんな問題にも有効です。

私たちは、大胆に恵みの御座に近づくことができる。赦していただける。また、罪の結果はイエス様が引き受けてくれたから、この罪とは金輪際無縁であると宣言することができる。そして、聖く生きることができる。ここに、私たちの希望と実際的な力があるのです。イエス様を信じましょう。



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真理の力 The Power of The Truth

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シー・エス・ルイスの言葉に次のような言葉があります。

“If you look for truth, you may find comfort in the end; if you look for comfort you will not get either comfort or truth only soft soap to begin, and in the end, despair.” ~C. S. Lewis

「もしも、あなたが真理を求めるなら、あなたは最終的に慰めを得るようになるだろう。つまり、もしもあなたが慰めを求めるならば、慰めも真理にもどちらにも到達しないであろう。それは、柔らかくなった石鹸を手でつかもうとし、まるでそれが手からするすると出て行き、結局は手の内に何も残らないのと同じである。」

これは、本当だと思った。私は、若いころ、慰めを必死で探した人間でした。それは、心の傷から来ていました。誰か私をわかって欲しい。誰か私の傷を癒して欲しい。私を受け止めて欲しい。自分を慰めると思われることには何でも手を出したものだった。
お酒を朝まで飲んでみたり、タバコをすってみたり、異性に求めたり、友人関係に求めてみたりした。けれども何一つプラスにならなかった。

そして、クリスチャンになった。

クリスチャンになって、耐えられない試練が何度か来たが、とうとう、もうこれだけは無理だと思ったとき、また、慰めをひたすら求めている自分に気がついた。

それに嫌気がさした時、神様のことばが心に刺さった。

真理とは、諸刃の剣のように鋭い。私の思いや、過去、傷、全て切り分けることができる。
真理に向き合うことは、自分に向き合うことでもある。
そして、真理を愛し、真理に従うときに、癒しと解放を経験した。
真理に向き合うことは、決して簡単なことではない。自分の汚さを目の当たりにするから。

しかし、真理に従う者には、イエス・キリストの恵み、赦し、そこからくる癒しと解放が約束されている。

今日、このシー・エス・ルイスの言葉を目にしたとき。ああ、本当だ。と私の過去を思い出した。
そして、いかに神の真理が素晴らしいか。
それは、鋭い諸刃の剣のようであるが、私たちに蜂蜜のようにも甘い。
この二面がある。

神の真理を恐れ、深入りしたくないという人もいるかもしれない。でも、それは、もしかしたら、自分をあまり見つめたくない。という心理からきているのかもしれない。

神は、信頼するものを決して失望させるかたではない。

神様の真理を求めていこう。

私は、今日そう思った。

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世代にわたる祝福Generational Blessing

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2014年5月18日日曜日礼拝
音声は、Youtube から、http://youtu.be/KjGkDXwF8Qs

聖書箇所
Ⅱサムエル6章13-15 
主の箱をかつぐ者たちが六歩進んだとき、ダビデは肥えた牛をいけにえとしてささげた。 ダビデは、主の前で、力の限り踊った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。 ダビデとイスラエルの全家は、歓声をあげ、角笛を鳴らして、主の箱を運び上った。

Ⅱサムエル7章1-2 
王が自分の家に住み、主が周囲のすべての敵から守って、彼に安息を与えられたとき、2 王は預言者ナタンに言った。「ご覧ください。この私が杉材の家に住んでいるのに、神の箱は天幕の中にとどまっています。」

Ⅱサムエル7章8-16
 今、わたしのしもべダビデにこう言え。万軍の主はこう仰せられる。わたしはあなたを、羊の群れを追う牧場からとり、わたしの民イスラエルの君主とした。9 そして、あなたがどこに行っても、あなたとともにおり、あなたの前であなたのすべての敵を断ち滅ぼした。わたしは地上の大いなる者の名に等しい大いなる名をあなたに与える。10 わたしが、わたしの民イスラエルのために一つの場所を定め、民を住みつかせ、民がその所に住むなら、もはや民は恐れおののくことはない。不正な者たちも、初めのころのように重ねて民を苦しめることはない。11 それは、わたしが、わたしの民イスラエルの上にさばきつかさを任命したころのことである。わたしはあなたをすべての敵から守って、安息を与える。さらに主はあなたに告げる。『主はあなたのために一つの家を造る。』12 あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。13 彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。14 わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。15 しかし、わたしは、あなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵みをサウルから取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。16 あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」

人は、いろんな星の下に生まれる。ある人は、それを不公平だと言う。タラントの話しも、ある人には5タラント、ある人には1タラント。私たちは、代々続くクリスチャンホームで生まれた人もいれば、貧しく暴力の耐えない家族に生まれることもある。神は、公平だろうかと思う人がいる。ある人は、この世でいわゆる成功といわれるものを手にするのに簡単に手にできる人もいれば、この世の成功に達するにはスタートラインが程遠い人もいる。

私が、救われたころ、クリスチャンホームの良く祈られている人は、違うなとすぐ分かった。彼らはの上には不思議な守りが見えた。教会の車を運転していて、動かなくなった。祈ったり何をしても無理。そして、クリスチャンホームの11才の少女が鍵を回してみたらエンジンが動きだした。不思議な守りを感じた。その子のお母さんが祈っている姿が心の目で見えた。

世代にわたる祝福generational blessingというのは、そのようなもの。自分が稼いだものでない祝福。生まれ持って与えられた祝福、神の好意、守り。私が幼いクリスチャンの時、これは、私にはあまりないなぁ。。。と感じていた。

しかし、私が神様を信じることができたのも、私の先祖がどこかで神を求めたからである。母の家系は特に信心深い家系であり、父個人がそうであった。あらゆる宗教に関わった。

私たちの神は、永遠の時間の中にいる神。また、世代にわたる視野をもって、家系を大切にする神である。私たちは、“自分の成功”この世的であっても、ミニストリーにおいても、に捕らわれ易いが、神様の目には、私の家系にも目をとめておられる。そして、私たちの、この地上の短い人生の目的は、自分のためにだけあるのではない。私たちの次の世代を祝福するためにある。まだ自分の子供がいない人にも当てはまる。自分の姪、甥、親戚にもこの祝福は渡されていっているのを私はみています。(私の友達未婚だが、甥が最近救われた)

神は、公平である。神は心を見られる方であるからだ。

今日の箇所ダビデは、神様からの圧倒的な恵みを受けます。ダビデは、自分でもこの章の祈りの中で言っていますが、彼は、かつて貧しい羊飼いでした。当時羊飼いは身分の低いものでした。7:18で、私の家が何であるからというので、と言っている。特別な家系でもなかった。

神には、身分や地位、家柄は関係なく、私たちに世代にわたる祝福を与えられる。

それでは、神の祝福を次の世代に渡すには、何が大切になってくるのでしょうか。

★神の見ておられるのは、心。

① 忠実さ Obedience, faithfulness, faith  マタイ25:14-29 タラントの話し。自分に任されたものの範囲で、忠実さが求められる。

② 豊かさ、二マイル精神/来た時よりも美しくの精神/言われてないことまでする精神(日本人の精神に似ているではないか!) Generosity, 二倍の働きをする優秀性   マタイ5: 41 あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょにニミリオン行きなさい。

★1,忠実さ

先週も話しましたが、ダビデは早い時期に王として選ばれ、油注がれた。その油そそぎを運ぶことができた。彼は、特別家が裕福だったのでも、前の王、サウルの親戚だったわけでもない。神から分け与えられたタラントを忠実に使い尽くした人です。
そのタラントを使うには、信仰が必要でした。ゴリヤテを倒すとき、持っているものを最大限に用いました。用いるためには、信仰が必要でした。また、神様への従順が必要でした。

★2,豊かさ

ダビデは王となりました。ダビデは、神を愛していた。また神の臨在を愛していた。神の箱を運ぶこととした。ダビデは、王と言う身分となり、神を敬う上でより大きな舞台platformを得ていた。私たちもそれに気がつかなければいけない。何かのタイトルに達することが私たちの目的ではない。そのタイトルが与えられたなら、なお神を敬い続けていくべきである。
ダビデは、神の箱を運ぶのに、盛大な形をとった。正しい形で運ぶのなら、レビ人に命令して全てをやらせても良かったはずだ。しかし、彼は、自ら指揮をとり、すばらしい音楽家たちを集め神に賛美を捧げながら、盛大にやった。六歩すすむごとに牛を一頭ほふった。自らも踊った。これは、神への従順というよりも、神様への愛から来たことであった。聖書の規定以上のことをした。
想像を絶する豊かさです。動物を用意する係りの人はさぞかし大慌てだったでしょうね。

v1,2  王が自分の家に住み、主が周囲のすべての敵から守って、彼に安息を与えられたとき、2 王は預言者ナタンに言った。「ご覧ください。この私が杉材の家に住んでいるのに、神の箱は天幕の中にとどまっています。」

安息のときには、人の心は神に向かないものである。
ダビデは、数々の試練を乗り越え、戦いもひと段落し、安定を感じた時、神へいかに奉仕するかを考えていた。自分が与えられることよりも、自分が神に何かを捧げることを求めた。これこそが、神を礼拝する姿勢です。

★ダビデの神を愛する心が生み出したもの

神はダビデに二つのことを約束されました。①国に安息を与えること。神のために永遠の家を建てたかったダビデは、神に②ダビデに永遠の家を建てると約束をされた。Ⅱサムエル7章8-16
神は、世代にわたる祝福をダビデの家系にもたらした。イエス・キリストの誕生によって完全に成就した。今日私たちはこの証しを見ている。

★ダビデは更に神を敬うことを続けた

主への感謝の祈りが更に耐えない Ⅱサムエル7:18-29(スコットの証し)
神殿の資材を集めることを自ら選び、できる限りの準備をした。

◎ 私は、このメッセージを準備しているとき、いかに私たちの教会員が神をよく敬う人たちであるかということを思いました。これからも、続けていきましょう。私たちの家族だけでなく、この教会に出入りする全ての人たちが全て神様からの世代にわたる祝福を受け取れるように。祈りましょう。


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ダビデ三度目の油注ぎ David’s third anointing

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2014年5月11日日曜日礼拝

音声は、Youtube から、http://youtu.be/-6uaMH36QRc

聖書箇所
Ⅱサムエル5:1-5

イスラエルの全部族は、ヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「ご覧のとおり、私たちはあなたの骨肉です。2 これまで、サウルが私たちの王であった時でさえ、イスラエルを動かしていたのは、あなたでした。しかも、主はあなたに言われました。『あなたがわたしの民イスラエルを牧し、あなたがイスラエルの君主となる。』」3 イスラエルの全長老がヘブロンの王のもとに来たとき、ダビデ王は、ヘブロンの主の前に、彼らと契約を結び彼らはダビデに油をそそいでイスラエルの王とした。4 ダビデは三十歳で王となり、四十年間、王であった。5 ヘブロンで七年六か月、ユダを治め、エルサレムで三十三年、全イスラエルとユダを治めた。

〇ダビデ三回目の油注ぎを受ける。

★油注ぎとは

ヘブル語では、「油を注ぐ」以外にこすりつける、塗りつける、聖める、捧げる。“聖別する”という意味。また、神の臨在の注ぎ。聖霊の注ぎの意味。じつは油注ぎの第一の目的は、あなたを聖めることです。しっかりこすって、汚れを落とすことで、英語のスクラブ(scrub)にあたります。また、神の能力、神の臨在の象徴として油を注がれた。

聖霊の注ぎは、何のためか…神の御心を成すための能力が与えられる

  旧約聖書で、神の働きを行うために油注ぎを受ける人は、祭司と、王と、預言者の3種類の人々でした。

 彼らが頭に油を注がれたのは、神に選ばれて任命されるとき、一度だけです。

〇ダビデは三度油注ぎを受けた。
  私たちは、ここから何を学ぶことができるでしょうか。

① 油注ぎⅠ例外はダビデで、彼はまず若い頃に密かに預言的に油を注がれた

Ⅰサムエル16:12-13
 エッサイは人をやって、彼を連れて来させた。その子は血色の良い顔で、目が美しく、姿もりっぱだった。主は仰せられた。「さあ、この者に油をそそげ。この者がそれだ。」13 サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油をそそいだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰った。

② 油注ぎⅡ  後にユダ族の王として

Ⅱサムエル2:4
そこへユダの人々がやって来て、ダビデに油をそそいでユダの家の王とした。ヤベシュ・ギルアデの人々がサウルを葬った、ということがダビデに知らされたとき、

③ 油注ぎⅢ 後にイスラエル全体の王として

Ⅱサムエル5:3 
イスラエルの全長老がヘブロンの王のもとに来たとき、ダビデ王は、ヘブロンの主の前に、彼らと契約を結び彼らはダビデに油をそそいでイスラエルの王とした。

 しかし神からの任命は1回目の油注ぎだけで、残り2回は人々からの段階的な追認・公認の意味です。

★ 召しと働きに関して

神からの召された油注ぎは、ダビデが王となるずいぶん前のことであった。油を召しの完成と達成まで、運び続ける。持ち続けることが必要である。ダビデの前の王、サウルは、油を運ぶ能力を失ってしまった。油注ぎは、自分のための物ではないことを忘れてはならない。神からの使命を全うするため、神のため、人のためのもの。で、あれば、その器としての人物は、「神に対する敬意」があり、「謙遜」であり、「人格がある」人でなければならない。Honor, Humility, Character

・敬意…ダビデは、神に油注がれてたサウルに手をかけようとはしなかった。また、サウルとその家族、サウル側の人たちにに対する敬意が人々に証しされていた。

(Ⅱサム3:36,37アブネルの死に関して; 36 民はみな、それを認めて、それでよいと思った。王のしたことはすべて、民を満足させた。37 それで民はみな、すなわち、全イスラエルは、その日、ネルの子アブネルを殺したのは、王から出たことではないことを知った。

・謙遜さ…旧約の穀物の捧げ物 粉々に砕かれた小麦粉に油をまぜる。この捧げ物は、神への奉仕の象徴である。粉は粉々にしなければならない、それは、隅々にまで油が行き届くように。また、粉々に砕かれたキリストの象徴。ダビデも多く試され、心が粉々になった。『砕かれる』経験をいくつも通った。私たちも、何か試練に合うときに、それを悪いこととのみと受け取らずに、神にあってどう自分が成長できるかと考えるべきだ。神の謙遜さに学ぶべきだ。

マタイ11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。Take My yoke upon you and learn from Me, for I am gentle and lowly in heart, and you will find rest for your souls.

・人格…患難は忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出す
(ローマ5:3-4 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。And not only that, but we also glory in tribulations, knowing that tribulation produces perseverance; 4 and perseverance, character; and character, hope.)

そして、油注ぎが人格を作るのではない。油注ぎの目的である、召しに生きるために、神に従順していく時に人格ができるのです。

すなわち、苦しみの中でヨブが、ヨブ42:5私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。“I have heard of You by the hearing of the ear, But now my eye sees You. この目であなたを見るまでは分からなかったという。実際に苦難を通る中で、神と一対一の関係、やり取りを通して、本当の意味で神を知ったということです。 

どれだけ神を知ってることがあなたの人格となります。

また、神からの油注ぎ、召しがあるからといって、それが人の承認を得るのではなく、召しに従うあなたの人格が人々の承認を得させるのです。

V1 骨肉 ……. イスラエルの全部族は、ヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「ご覧のとおり、私たちはあなたの骨肉です。

V2 サウルとのことを人々はちゃんと見ていた…… これまで、サウルが私たちの王であった時でさえ、イスラエルを動かしていたのは、あなたでした。しかも、主はあなたに言われました。『あなたがわたしの民イスラエルを牧し、あなたがイスラエルの君主となる。』」

神は、ダビデの心を見られ、召された。しかし、人は行いを見る。人には本当に心を見ることが難しい。心にあることが行動にでる。行動を見るまでは、人にはわからない。「行いの伴わない信仰は死んだも同然だ」と、ヤコブ書に書いてある。(ヤコブ2: 17 それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは死んだものです。Thus also faith by itself, if it does not have works, is dead.)

★新約の私たちの油注ぎ 

私たちも、神様の御用のために召されている。召しを握っているか。また油そそぎを受けているだろうか。また、人からの承認を受けているだろうか。承認を受けるために物事をするのではない。あなたの心と行動がつながっているときに人からの油注ぎがくる。召しと行動が一致しているだろうか。

ヨエル書2:28のように、{その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。“And it shall come to pass afterward That I will pour out My Spirit on all flesh; } 全ての人に神の霊が注がれている時代。捕らわれ人に解放を、赦免、癒しのために
神への奉仕のために油そそぎが必要。新約の私たちは、日々与えられる。

※ 聖霊のバプテスマ=新約時代の「油注ぎ」は、一度で完全な体験です。しかし、一度でそれっきりで終わりではない。日々、聖霊の満たしは与えられる。また、必要なときに、神の働きをするために必ず満たしは与えられる。

そして、私たちの油注ぎも、敬意、謙遜、人格がなければ、持ち運び続けることができないのです。

聖霊の満たし。満たされ続けることと、人格を聖められていく責任を知り。聖められ続けることを求めていきましょう。


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ゴスペルフラで踊った賛美

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昨日のゴスペルフラで、K先生が新しい賛美を日本語で用意してくれた。
この曲を聴いていると、しみじみじーんとするものを感じ、心が熱くなった。
この曲は、もう10数年前になるかな、まだ若く駆け出しの献身者のときによく教会で歌ったものです。
今、もう一度うたってみると、本当に涙がこみ上げます。
神様がいかに、私たちを愛しておられるのか、また一人ひとりの存在がいかに尊いことか。
今まで、教会に出入りされた一人ひとり、出会った人一人ひとりの存在が素晴らしくて、心がじーんとします。
皆さんのことを思っています。
そして、今日も祝福がありますように。
この曲をまだ聴いたことが無い方は、ぜひ、youtube などで検索してください。すぐに出てきますよ。もともとは、韓国の方の作詞作曲です。

「君は愛されるため生まれた」

君は愛されるため生まれた
君の生涯は愛で満ちている
君は愛されるため生まれた
君の生涯は愛で満ちている

永遠の神の愛は
我らの出会いの中で実を結ぶ
君の存在がわたしには
どれほどおおきな喜びでしょう

君は愛されるため生まれた
今もその愛 受けている
君は愛されるため生まれた
今もその愛 受けている

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ゴスペルフラ

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こんにちは。

3月から今月いっぱいまで、ゴスペルフラ教室をホライズン日本人教会でやっています。
とうとう、あと三回で今セッションは終わりです。

賛美の曲に合わせて踊りますが、
やっとステップにも慣れてきて、歌詞を噛み締め、神様に対して心を向けながら踊ることができるようになって来ました。

やっとここまできたーと言う感じです。

しかし、まだまだ人にお見せできるようなものではありません。。。

今日は、いつも来られているみなさん全員こられて感謝でした。
また、子どもたちも3人参加し、
やはり、女の子は、一緒に踊るようになりました。
とってもかわいいです。

やっとみなさんなれたころにセッションが終わってしまうのは残念ですが、
神様の導きがあれば、またゴスペルフラのクラスを開きたいと思います。

レッスンの後は、おいしいポットラックです。
今日もいろいろとみなさんの料理を参考に、レシピの交換をしました。

また、皆さんが帰宅されたあと、数人で祈りの時をもち、互いに祈りあえることもとても恵まれています。

これからも、このような集まりを持ち続けたいですー。。。

講師のK姉に心から感謝しています。

いつもいつも恵まれています。本当に、たくさんの労をとってくださってありがとうございます。

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子であることの祝福 Blessing of Sonship

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2014年5月4日日曜日礼拝 音声は、Youtube から、http://youtu.be/XTmf2t-VqGQ

出エジ20:12 

あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。“Honor your father and your mother, that your days may be long upon the land which the Lord your God is giving you.

Ⅰ列王19:21

エリシャは引き返して来て、一くびきの牛を取り、それを殺し、牛の用具でその肉を調理し、家族の者たちに与えてそれを食べさせた。それから、彼は立って、エリヤについて行って、彼に仕えた。

Ⅱ列王2:1-6 

主がエリヤをたつまきに乗せて天に上げられるとき、エリヤはエリシャを連れてギルガルから出て行った。2 エリヤはエリシャに、「ここにとどまっていなさい。主が私をベテルに遣わされたから」と言ったが、エリシャは言った。「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、彼らはベテルに下って行った。3 すると、ベテルの預言者のともがらがエリシャのところに出て来て、彼に言った。「きょう、主があなたの主人をあなたから取り上げられることを知っていますか。」エリシャは、「私も知っているが、黙っていてください」と答えた。4 それからエリヤは彼に、「エリシャ。ここにとどまっていなさい。主が私をエリコに遣わされたから」と言った。しかし、彼は言った。「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、彼らはエリコに来た。5 エリコの預言者のともがらがエリシャに近づいて来て、彼に言った。「きょう、主があなたの主人をあなたから取り上げられることを知っていますか。」エリシャは、「私も知っているが、黙っていてください」と答えた。6 エリヤは彼に、「ここにとどまっていなさい。主がヨルダンへ遣わされたから」と言った。しかし、彼は言った。「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、ふたりは進んで行った。And it came to pass, when the Lord was about to take up Elijah into heaven by a whirlwind, that Elijah went with Elisha from Gilgal. 2 Then Elijah said to Elisha, “Stay here, please, for the Lord has sent me on to Bethel.” But Elisha said, “As the Lord lives, and as your soul lives, I will not leave you!” So they went down to Bethel. 3 Now the sons of the prophets who were at Bethel came out to Elisha, and said to him, “Do you know that the Lord will take away your master from over you today?” And he said, “Yes, I know; keep silent!” 4 Then Elijah said to him, “Elisha, stay here, please, for the Lord has sent me on to Jericho.” But he said, “As the Lord lives, and as your soul lives, I will not leave you!” So they came to Jericho. 5 Now the sons of the prophets who were at Jericho came to Elisha and said to him, “Do you know that the Lord will take away your master from over you today?” So he answered, “Yes, I know; keep silent!” 6 Then Elijah said to him, “Stay here, please, for the Lord has sent me on to the Jordan.”But he said, “As the Lord lives, and as your soul lives, I will not leave you!” So the two of them went on. 7 And fifty men of the sons of the prophets went and stood facing them at a distance, while the two of them stood by the Jordan. 8 Now Elijah took his mantle, rolled it up, and struck the water; and it was divided this way and that, so that the two of them crossed over on dry ground.

ルツ記 1:16 

ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。But Ruth said: “Entreat me not to leave you, Or to turn back from following after you; For wherever you go, I will go; And wherever you lodge, I will lodge; Your people shall be my people, And your God, my God.

出エジ33:11

主は、人が自分の友と語るように、顔と顔とを合わせてモーセに語られた。モーセが宿営に帰ると、彼の従者でヌンの子ヨシュアという若者が幕屋を離れないでいた。So the Lord spoke to Moses face to face, as a man speaks to his friend. And he would return to the camp, but his servant Joshua the son of Nun, a young man, did not depart from the tabernacle.

日本から帰国しました。お祈りありがとうございました。行く前から、神様にずっと示されていたことは、子であることです。神様は、夢の中まででもこのことを語られました。
今日は、子であることの祝福と題して、私がアメリカで見ていること、また学んだこと、また日本で私が見て育ったこと両方から教えられたことからメッセージしたいと思います。
聖書にはいくつもの真理が書かれてありますが、私がミニストリーしている中で一番、よく考えさせられる真理は、

出エジ20:12

 あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。“Honor your father and your mother, that your days may be long upon the land which the Lord your God is giving you.

です。心の傷、家族関係、夫婦関係、ミニストリーにおいて、職場において、全てにおいてこの御言葉は、軸のようになっています。これを外しては、私たちにとって実りある生活がありません。皆さん方も、心当たり、経験があるのではないでしょうか。
今日は、家族関係や夫婦関係のお話しではなく、神の家族またミニストリーのお話ししたいと思います。

神様は、十戒において、神様を愛する掟と人を愛する掟と二つのカテゴリーの戒律を与えましたが、人を愛する掟の中の一番初めにでてくるのが、「父と母を敬う」ということです。これは、全ての人間関係の基礎であります。また、これは、神の祝福と恵みが流れるデザインです。父から子に流れるというシステムを神様はおつくりになりました。

私たちは、完全に一人で生きていくように作られていません。父母から生まれ、養われる様に作られました。野生の人間というのはいません。
また、神様ご自身も三位一体の神であり、父なる神、子なる神、聖霊なる神で一つの神様です。三位で一体の神様です。私たちの神様は、この三つの立場がいて完全に一致しているのです。互いに服従し、尊敬し、愛し、完全なハーモニーを持って一つのことをしておられるのです。

神様ご自身の在りようがこのようなのです。考えてみてください。二人が一致するのではありません。私たち人間は、二人が一致するのも難しいです。結婚されている方、分かりますね。これが、3人で一致するにはなお難しいことです。しかし、神様と言うお方は、初めから永遠まで、このようなお方なのです。
神様は完全に聖い方です。

そこに無くてはならないものは、敬意と愛です。

私たちのモデルは、イエス様

イザヤ9:6 

ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。For unto us a Child is born, Unto us a Son is given; And the government will be upon His shoulder. And His name will be called Wonderful, Counselor, Mighty God, Everlasting Father, Prince of Peace.

[イエス様」という名前の中に、「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」という名前が凝縮されています。
イエス様は、「子」であり、「父」である。イエス様は、私たちに完全なお手本を示された。

★そして、イエス・キリストによって、私たちもこの交わりに入れられた。

ロマ8:14-17  

神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光とをともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。14 For as many as are led by the Spirit of God, these are sons of God. 15 For you did not receive the spirit of bondage again to fear, but you received the Spirit of adoption by whom we cry out, “Abba, Father.” 16 The Spirit Himself bears witness with our spirit that we are children of God, 17 and if children, then heirs—heirs of God and joint heirs with Christ, if indeed we suffer with Him, that we may also be glorified together. 

★神様は、子であることを通して、私たちを祝福してくださいます。

アメリカでは、現在八十代半ばの人たちの時代から離婚は当たり前のような世の中になっていました。私たちの二世代、三世代先を行っているわけです。そして、クリスチャンであってもそうでなくても、どこに属していいか分からない人が多いです。孤児精神を持った人が多いです。ですから、クリスチャンになっても、なかなか人が信頼できない、深く根ざせないことが多々あります。
また、教会自体の文化も、メガチャーチを目指す、シーカーセンシティブムーブメント(求道者フレンドリー、マーケティング型教会形成)の流行により、弟子訓練の形が箱型になりました。プログラム中心、教室型、いろいろなクラスを持つ。求道者が求めている知識の提供中心。師弟関係、メンターシップ、霊の親子関係による弟子訓練の形が薄くなりました。
アメリカでは、毎月、1700人もの牧師が辞めて行っているという統計が出ています。シアトルでも、入れ替わりが激しいです。また、信徒たちもまた、入れ替わりが激しいです。日本の様に救われた教会に身体の一部として留まるという考えは、非常に薄く感じます。それもアメリカ人が持つ孤児的精神と、深く人に関わらない教会ではなく、教室化してしまった教会文化が影響していると思います。
また少し前に流行ったのは、インパーテーションと言う言葉です。分与するということですが。人々は、偉大な賜物の豊かな働き人に手を置いて祈ってもらう。そして、霊的遺産を分けてもらう的なことです。多少の祝福は受けると思いますが、それによって、安定した歩みをして、安定した成長を遂げた人は見たことがありません。
また日本でも、いろいろなムーブメントが国内外から入っているようです。

皆さん、神様の祝福は、天国の霊的遺産は、敬意と愛の関係から引き継がれるものなのです。霊的な父、母から受け継がれていくものなのです。
アメリカの個人主義(自分の責任で自分にいいものを選んでいく )にならってはいけません。

父と子の関係を失ってはいけません。

私は、過去7年の間に多くの人たちが教会を去るのを見てきました。みな、牧師に躓いた、リーダーに躓いたといって教会を出て行きます。この教会のこれがいやだ、ここがだめだと言って出て行きました。とても心が痛みました。
また、私たちのカレッジのある学生は、とても素質のあるいい兄弟でしたが、霊的父を求めて、あちこちわたりました。私たちのところにしばらくいて、もっと有名な、大きな教会の先生のところで霊的子どもにしてもらおうと、他州にまで引っ越しました。しかし、そこでも続かず、いまだに霊的父はいません。
献身者として素質がある人なのに残念でなりません。

◎ キリストも弟子を選んだ。弟子がキリストを選んだのではなかった。私たちが、父を探し選ぶのではない。私たちがおかれたところで、召されたところで、父に従い、敬うことを選んでいくのだ。

ヨハネ15:16

あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。You did not choose Me, but I chose you and appointed you that you should go and bear fruit, and that your fruit should remain, that whatever you ask the Father in My name He may give you.

★ 何が必要か。子である資質。
父を愛する。(父を慕う) 
共に歩むことを自分が選ぶこと。(義務感や強いられてではない)
“子”である父を見続ける。父の従ってる神を見続ける。
どんなことがあっても躓くことを拒否する。No offense

★ 聖書に見る霊的父と子の例
エリヤとエリシャ  
モーセとヨシュア
ナオミとルツ
この三人は、父から離れなかった。慕い求めた。父の信じている神を敬った。傷つかなかった。

★ 敬うことについて。honor 
私たちは、神を敬うところに祝福の継承の鍵があることを忘れてはならない。また、互いに私たちがオナーすることを通して見えない霊的祝福が注がれることを。

ダビデは、神を敬ったから、王位がとこしえに続くと言われた。イエスの誕生に完全に達成された。
豊村先生の信仰と祈りの生活。祈りが聞かれなくても本望だ。と言われた。それは、祈り信じ続けることで神様に敬意を表している。
順子先生の信仰。徹夜して、ノア・エ・アンのお膳を用意する姿。若い時は、理解できなかった。先生は、人が手伝っても手伝わなくても、同じ立派なお料理を準備された。それは、神をオナーしているから。神を愛しているから。
私は、それをみて、育ったのです。そして、今も、その後姿について行っているのです。
そして、このような霊的父母を持って、幸せだといつも感謝しています。

★ 父母を見続けること。また後に続くこと。

エリシャは、エリヤが天に昇るのを見たら、二つの分の霊がもらえると言われた。彼は目を離さずに見続けた。そして、エリシャは、エリヤよりも大きな業をするようなものになった。
これが、私たちの弟子訓練の姿です。キリストを敬っている師の姿を見続ける。追いかける。その先の、敬意を受けているイエス様を見続ける。
そして、それをしている私たちの後ろにもついてくる弟子ができる。

日本で、私の霊の父に会い、牧雄君、ちえちゃんの霊の父たちに会いました。みな素晴らしい父でした。私たちは、このような財産をいただいている。
私の牧師は、今日で70歳。彼曰く、これからどれだけ生きてミニストリーができるか分からないが、後身の神に仕える姿が励みだと言われた。
私は、霊の父に習って、さらに主に仕えていきたいと思う。

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落胆から勝利へ Strengthen yourself in the Lo

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2014年4月13日日曜日礼拝

音声は、youtube から http://youtu.be/HJvMy3y1b9M

Ⅰサムエル30章1-9, 18-19

●ダビデの落胆

 ダビデは、サウルの手から逃れるために、ペリシテ人のところに逃げました。そして、イスラエルとの戦いのときになって、ダビデたちは、アキシュについていくつもりでしたが、ペリシテ人の中に反対の声もあり、留まることになりました。そして、ダビデは、自分たちの町ツィケラグに戻されました。戻ってみると、守りが手薄になっていた町を、アマレク人が襲い、家畜だけでなく、妻たちや子どもたちまで全てを奪い去っていたのです。

v4ダビデも、彼といっしょにいた者たちも、声をあげて泣き、ついには泣く力もなくなった。Then David and the people who were with him lifted up their voices and wept, until they had no more power to weep.

v6a ダビデは非常に悩んだ。民がみな、自分たちの息子、娘たちのことで心を悩まし、ダビデを石で打ち殺そうと言いだしたからである。Now David was greatly distressed, for the people spoke of stoning him, because the soul of all the people was grieved, every man for his sons and his daughters.

ダビデは、非常に落胆しました。声も出なくなるほど泣き明かしました。泣く力もなくなるほどに泣きました。そして、ついに民がこのことでダビデを恨んで、ダビデを石打にしようとしたのです。
ダビデは、非常に悩みました。

●ダビデの秘訣

ダビデは、非常に悩みましたし、落胆しました。自分のいなかったことで自分の妻や子ども、部下の妻や子どもや財産にとんでもないことが起きてしまった。そして、自分の身も危ないことに。。。
私たちも、このような危機的な状況。落胆してしまうことがあるのではないでしょうか。
私たちは、いつも物事を他人の性にします。責任転嫁は、どうやらアダムとエバのころからの人間の罪の性質のようですね。
私たちは、悪いことがおきると、あれが悪いこれが悪いと自分外の外部のせいにし、また落胆すると、あれがあったら、これがあったらと、助けや励ましを外部に見出そうとします。
しかし、心の持ち様というのは、私自信に責任があるのです。落胆するのも、心が元気でいるのも、自分の選択なのです。恐れも恐れないのも自分の自由なのです。

v6bBut David strengthened himself in the Lord his God.しかし、ダビデは彼の神、主によって奮い立った。

ダビデは、自分で自分を主にあって励ましたとあります。自分で自分の心を神様にあって引き上げたのです。
これができるなら、私たちの人生に何も恐れるものはありません。結局心の持ち様で私たちは自滅に追い込まれるのです。

今日は、ダビデがどのように自分自身を主にあって励ましたのか、彼の人生や詩篇の中にでてくる彼の傾向から、見て行きたいと思います。

まず、第一前提に、ダビデは、「彼の神、主によって」とあることに注目したいと思います。私たちが自分自身を奮い立たせ、落胆のどん底から這い上がるためには、神様が必要なのです主にあって、自分を励ますというのは、神様との関係があってこそできるということなのです。

私は、いつも繰り返しいいますが、自分と神様とのヒストリーは人の力や他人が助けることはできないのです。あなたが今までどう神様と関係を持ってきたかによるのです。

あなたは、神様と関係がありますか。愛と命の通う関係を築いていますか。

ダビデがその神様との関係で習得したのが次ぎの五つです。もっとあると思いますが、大きくまとめて五つとしましょう。

① 賛美と礼拝praise, worship,

詩篇の中ではよく「(わがたましいよ)主をほめたたえよ」と出てきます。

詩篇22:3 
But You are holy, Enthroned in the praises of Israel.今いる場所を主の御座に変える。

主が来られたら、そこに神の御国が来ている。神の御国には、正義があり、恵みがあり、病、悲しみはない。その神の御国が今いる苦しみに解き放たれていくのです。

☆また、私たちの頭は、いろいろと物事を分析しようとするが、分析は、ともすると問題を過大視しやすい。礼拝は、神を何よりも大きく見ることである。頭でおきいている戦いから解放されることができる。

詩篇24:7,8
門よ。おまえたちのかしらを上げよ。永遠の戸よ。上がれ。栄光の王が入って来られる。8 栄光の王とは、だれか。強く、力ある主。戦いに力ある主。Lift up your heads, O you gates! And be lifted up, you everlasting doors!
And the King of glory shall come in. 8 Who is this King of glory? The Lord strong and mighty, The Lord mighty in battle.

☆私たち新約の聖徒のためには、異言で祈り、自分の霊を建てて上げ励ますこともできる。
Ⅰコリント14:4異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。He who speaks in a tongue edifies himself, but he who prophesies edifies the church.

② 感謝の心Giving thanks,

詩篇の中で、何回「主に感謝せよ」と書いてあることでしょうか。

詩篇100:4 
感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、入れ。Enter into His gates with thanksgiving, And into His courts with praise.

感謝にはものごとを聖める力がある。パウロは食前の感謝の祈り食べ物を聖めるという。これは、この食物を神のために聖め(神のために取り分けるの意)、神の聖い目的を達成することができるようにするもの。身体にとって清潔にする以上に、神の力が働くものにする。

また、感謝は、正義を解きはなつ窓口。モルデカイは、もう少しの所でハマンにおとしめられ殺されるところであった。しかし、王がモルデカイに対して感謝をすることに決め、助かった。

感謝は、私たちの環境よりも、神様に焦点を当てさせ、そして、天の御国の現実をもたらすことができる。感謝は天国の世界を引き寄せる。

③ 神の約束を握るstand on His promise,

あなたは何者で、どこから来て、そして、どんな使命を持っているのか。神様にあってしっかり知っているか。もしも、その使命が全うされていないならば、まだまだ自分の人生は完成ではない。
なぜ神様の約束を握れないか。という問題の本質は、約束までほど遠く見えるとか、約束の成就のためにあれが足りない、これが足りないという考えに支配されていること。それよりも、むしろ、神様の約束に今日どのように応答するかということ。あなたは、今日、神の約束に対して応答してどのようなアクションをしますか?

④ 証しを持つtestimony,

詩篇には、「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」また数々の主の業が記されている。

ヘブル語で、証しの語源は、「もう一度行う」という意味。”do it again”

黙示録19:10 イエスの証しは預言の霊。For the testimony of Jesus is the spirit of prophecy.”

預言は神様のことば。証しを聞いた人たちがそれと同じことを期待する信仰を引き起こす。そして、その証しを受け取ったものは、それを体験する。よく癒しの証しを聞いている人で同じ問題のある人が励まされた瞬間に癒されることがある。
私たちは、なおさら、自分の過去の証しを大切に、そして、自分にも他人にも語る必要がある。

⑤ 神の声を聞くlistening to God’s voice 

ダビデは、自分を主にあって励まし、そして主に伺った。

30:8 ダビデは主に伺って言った。「あの略奪隊を追うべきでしょうか。追いつけるでしょ うか。」するとお答えになった。「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すこ とができる。」So David inquired of the Lord, saying, “Shall I pursue this troop? Shall I overtake them?” And He answered him, “Pursue, for you shall surely overtake them and without fail recover all.”

 そして、彼は、シンプルに従った。
ダビデは、神の声を聞く、そしてそれに従うという訓練をし続けていた。その中で数々の証しを持つようになった。

●ダビデの勝利

v19彼らは、子どももおとなも、また息子、娘たちも、分捕り物も、彼らが奪われたものは、何一つ失わなかった。ダビデは、これらすべてを取り返した。And nothing of theirs was lacking, either small or great, sons or daughters, spoil or anything which they had taken from them; David recovered all.

ダビデは、神のおっしゃることを信じて、そのとおりに行って、何も失うことがなく、すべて取り返すことができた。
私たちは、時々、苦しみと悲しみの中で、落胆しきってしまうことはないですか。また、その洞穴のようなところで、いつまでもとどまり、それが、自分の生活やアイデンティティの一部になることはないでしょうか。

今日、ダビデのように、自分で自分を励ましましょう。そして、方向転換をしようではありませんか。あなたの人生がたて直る全ての要素は、もう神様にあって備えられているのです。

神様は、あなたたとともにおられます。さあ、まず神様との関係をたて直しましょう。


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サウルの最後の”神頼み” Saul seeks help in foxholes

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2014年4月6日日曜日礼拝メッセージ

音声録音版は、Youtube から、http://youtu.be/e0Me6kAVlzI

Ⅰサムエル28:3-20 を読みましょう。

場面説明:
v1 そのころ、ペリシテ人はイスラエルと戦おうとして、軍隊を召集した。Now it happened in those days that the Philistines gathered their armies together for war, to fight with Israel
V5 サウルはペリシテ人の陣営を見て恐れ、その心はひどくわなないた。When Saul saw the army of the Philistines, he was afraid, and his heart trembled greatly.

★主の声が聞こえなかった

サウルには、この危機的な時に問題がありました。それは、神の声が聞こえなかったことです。

V6 And when Saul inquired of the Lord, the Lord did not answer him, either by dreams or by Urim or by the prophets. それで、サウルは主に伺ったが、主が夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても答えてくださらなかったので、

夢は、昔から神様が人々に啓示を与えられるために用いられた。またウリムもトンミムとともに大祭司の胸当ての中に入れられて、神意を伺うために用いられた。預言者は、神の言葉を聞いてそれを伝える人。どんな手段によっても主の言葉は得られなかったという。

☆なぜ、サウルは主の声が聞こえなかったのだろうか。

①  継続的な罪があった。

サウルは、ダビデを自分のねたみゆえに殺そうとしていた。
継続的、習慣的な罪を持つということは、とげとげのついたボールを転がすとそれが丸く滑らかになっていくように、心も罪対して鈍感になり、聖さに対しても鈍感になる。聖い神様の声がたとえ発せられても、それに気づくことはなくなる。

②  神の言葉は、神の言葉を拒絶するものには聞こえない。

サウルは、神の言葉に従わないことを選んだ。一度だけの過ちではなかった。それ故に、王位から退けられることに。神の言葉を、えり好みして受け取ろうとするものに神のみ心は分からない。自分にとって痛い言葉でも、慰めの言葉でも、癒やしの言葉でも、全て受け取るべきだ。

☆霊媒について  Medium, psychic, channeling

そして、サウルはとうとう、自分が禁じて押し出していた霊媒師を頼り、探すようになった。
霊媒師とは、偽の預言者といってよいだろう。全くのcounterfeit 。預言は神の霊によって。しかし、霊媒は、悪霊によって。
霊媒、口寄せは、チャネリングであり、オカルトの一種である。
Tarot cards,タロット palm readers手相, horoscopes星座占い, Ouija Boards  易者、占い、カード占い、全ての占い、コックリさん、キューピットさんなどの霊能術 全て聖書は禁じている。クリスチャンや、そうでない人も、これらに関わらないように。
聖書は、このオカルトに対して厳しく禁じている。

レビ19:31
あなたがたは霊媒や口寄せに心を移してはならない。彼らを求めて、彼らに汚されてはならない。わたしはあなたがたの神、主である。‘Give no regard to mediums and familiar spirits; do not seek after them, to be defiled by them: I am the Lord your God.,

レビ 20:6
霊媒や口寄せのところにおもむき、彼らを慕って淫行を行う者があれば、わたしはその者から顔をそむけ、その者をその民の間から断つ。‘And the person who turns to mediums and familiar spirits, to prostitute himself with them, I will set My face against that person and cut him off from his people.

レビ20: 27
男か女で、霊媒や口寄せがいるなら、その者は必ず殺されなければならない。彼らは石で打ち殺されなければならない。彼らの血の責任は彼らにある。‘A man or a woman who is a medium, or who has familiar spirits, shall surely be put to death; they shall stone them with stones. Their blood shall be upon them.’”,

申命記18:9-14

◎ なぜ、霊媒と関わらない方がいいのか。

霊媒は、背後に悪霊が働いていて、私たちが占ってもらったりして関わることで、背後にいる悪霊と契約関係ができる。すなわち、私の人生をどうぞ操ってくださいという契約を結んでいることとなる。この契約は、悪霊の目的、殺す、盗む、壊すために用いられる。

◎ なぜ、当たるか。

悪霊は、あなたの行動を観察していて、あなたの日ごろの言葉も聞いている。あなたのマインドは読めない。読めるのは神様だけ。偏在もできない。しかし、事実は見て知っているからそれを言ってくる。そして、あなたはその霊媒の力を信じてしまう。しかし、神の霊ではないので、完全ではない。この霊媒師は、サウルへの神の裁きの宣告をもう一度言ったが、サウルの死に対する予言は当たらなかった。サウルはペリシテ人に殺されたのではなく、自分で自分を殺したのだ。

聖書は、霊のことは、霊しか分からない。と言っている。

1コリント2章9 -11

まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」 神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。 いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。But as it is written: “Eye has not seen, nor ear heard, Nor have entered into the heart of man The things which God has prepared for those who love Him.” But God has revealed them to us through His Spirit. For the Spirit searches all things, yes, the deep things of God. 11 For what man knows the things of a man except the spirit of the man which is in him? Even so no one knows the things of God except the Spirit of God.

私は、これは、サムエルを装った悪霊が話しているというふうに信じています。

もしも、過去にこのような霊媒の類に関わったことがあるなら、悔い改め、悪霊との契約を解除してください。

神への反抗はオカルトの霊 「まことに、そむくことは占いの罪」Ⅰサムエル15:23

☆ あなたは、神が沈黙されている時どうしますか?

  勧め   

悔い改める必要のある罪があるかないか聖霊様に聞く、悔い改める。継続的な罪、盲目的に犯している罪がないか。悔い改める。そして、一番最後に神様が下さった言葉に帰り、そこからやり直す。サウルの場合は、不従順を悔い改めることができたはずだ。また、罪の問題が解決したなら、聖書にあるように、自分の業に頼らず、静まって神様を待つことです。

詩篇46:10

「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。Be still, and know that I am God; 主が沈黙されている時こそ、私たちが自ら神を選んで信じる、信仰の時です。

★サウルの恐れ

   ここでも、恐れがどんなことを成すか見てみよう。

恐れは、そもそも罪からくる。

1ヨハネ4:18

愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。There is no fear in love; but perfect love casts out fear, because fear involves torment. But he who fears has not been made perfect in love.

刑罰は、罪からくる。

サウルは

①  主の沈黙に対して恐れた…罪があったから神様とのまっすぐな関係なかった。 V6それで、サウルは主に伺ったが、主が夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても答えてくださらなかったので、And when Saul inquired of the Lord, the Lord did not answer him, either by dreams or by Urim or by the prophets.

②  自分の恐れと罪故に、自分を隠した。変装した。自分にマスクをかけた。V8サウルは、変装して身なりを変え、ふたりの部下を連れて、夜、その女のところに行き、そして言った。「霊媒によって、私のために占い、私の名ざす人を呼び出してもらいたい。」So Saul disguised himself and put on other clothes, and he went, and two men with him; and they came to the woman by night. And he said, “Please conduct a séance for me, and bring up for me the one I shall name to you.”

③  恐れ=裁きに対する恐れは、サウルを棒のようにした。Paralyzed  v20 すると、サウルは突然、倒れて地上に棒のようになった。サムエルのことばを非常に恐れたからである。それに、その日、一昼夜、何の食事もしていなかったので、彼の力がうせていたからである。Immediately Saul fell full length on the ground, and was dreadfully afraid because of the words of Samuel.

☆ 恐れからの解放は、イエス様の義による

恐れが、罪とその刑罰に結びついていることが分かるだろう。私たちは、人間は、罪と裁きの問題から解放されているなら、恐れはない。神様に出会う前、漠然とした恐れに脅かされていた。恐れと不安がいつもついて回っていた。しかし、神様にであって、恐れがなくなった。神の完全な愛が私を満たすので、恐れは逃げ去ったからだ。あなたは、恐れから解放されいるだろうか。イエス様の義の中に入ってください。

★神をもたない人・サウルの人間関係

   「サムエルさえいてくれれば、どうにかなる」という気持ちもあって、霊媒師にサムエルを出してくれと頼んだのだろう。このサウルの行動が明らかにする真実がある。
それは、サウルは、最後まで、神との関係が分からなかったということだ。サムエルが死んだ後でさえ、人間サムエルを求めていた。
サウルは、本当にサムエルを尊敬していた。

V3 サムエルが死んだとき、全イスラエルは彼のためにいたみ悲しみ、彼をその町ラマに葬った。サウルは国内から霊媒や口寄せを追い出していた。Now Samuel had died, and all Israel had lamented for him and buried him in Ramah, in his own city. And Saul had put the mediums and the spiritists out of the land.

V11 すると、女は言った。「だれを呼び出しましょうか。」サウルは言った。「サムエルを呼び出してもらいたい。」Then the woman said, “Whom shall I bring up for you?”And he said, “Bring up Samuel for me.”

サムエルは、サウルを愛していたことが、前のメッセージにも語ったように、生前の彼の行動に表されている。
しかし、サウルには、真の神様との関係がなかったために、サムエルとの真の師弟関係がなかった。神様との関係がなかった故に、サムエルの言ったこと、教えたことが理解できなかった。サムエルが打っても、一向に響かない弟子であった。そこに、一致がなかった。

みなさん、教会の一致も同じです。教会は、牧師の人間的な力で一つの方向に向かっていくのではありません。また、人間的に働きかけて、みな同じ意見を持つように促して一致するものではありません。神の霊によってです。すなわち、一人ひとりが神にしっかり繋がり、神様と関係を持つことで、おのずと一つの方向に向く、向かっていけるのが教会の一致です。
しかし、鍵は、一人ひとりが神に向くことです。
神との一致なしに人の一致はありません。

サウルは、最後まで、神様との関係がありませんでした。

まとめ

私たちは、今どこにたっているでしょうか。神様との関係があり、愛の中に留まっているなら、恐れは締め出されることが分かりましたね。また、サウルの例から継続的な罪は、神の声を聞こえにくくすることが分かりました。今日、いろいろな事を語りましたが、それぞれ神様に示されたことに応答して祈っていきましょう。


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