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礼拝/神殿の土台

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2014年6月22日日曜日礼拝

音声はyoutubeから、http://youtu.be/ON7It-HH2O0

聖書箇所
Ⅱサムエル24章,Ⅰペテロ2章9節, ロマ12:1

Ⅱサムエル24:1-2
さて、再び主の怒りが、イスラエルに向かって燃え上がった。主は「さあ、イスラエルとユダの人口を数えよ」と言って、ダビデを動かして彼らに向かわせた。2 王は側近の軍隊の長ヨアブに言った。「さあ、ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルの全部族の間を行き巡り、その民を登録し、私に、民の数を知らせなさい。」Again the anger of the LORD was aroused against Israel, and He moved David against them to say, “Go, number Israel and Judah.”2 So the king said to Joab the commander of the army who was with him, “Now go throughout all the tribes of Israel, from Dan to Beersheba, and count the people, that I may know the number of the people.”

Ⅱサムエル24:18-25
その日、ガドはダビデのところに来て、彼に言った。「エブス人アラウナの打ち場に上って行って、主のために祭壇を築きなさい。」19 そこでダビデは、ガドのことばのとおりに、主が命じられたとおりに、上って行った。
20 アラウナが見おろすと、王とその家来たちが自分のほうに進んで来るのが見えた。それで、アラウナは出て来て、地にひれ伏して、王に礼をした。
21アラウナは言った。「なぜ、王さまは、このしもべのところにおいでになるのですか。」そこでダビデは言った。「あなたの打ち場を買って、主のために祭壇を建てるためです。神罰が民に及ばないようにになるためです。」アラウナはダビデに言った。「王さま。お気に召す物を取って、おささげください。ご覧ください。ここに全焼のいけにえのための牛がいます。たきぎにできる脱穀機や牛の用具もあります。王さま。このアラウナはすべてを王に差し上げます。」アラウナはさらに王に言った。「あなたの神、主が、あなたのささげ物を受け入れてくださいますように。」
24しかし王はアラウナに言った。「いいえ、私はどうしても、代金を払って、あなたから買いたいのです。費用もかけずに、私の神、、主に、全焼のいけにえをささげたくありません。」そしてダビデは、打ち場と牛とを銀五十シェケルで買った。こうしてダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげた、主が、この国の祈りに心を動かされたので、神罰はイスラエルに及ばないようになった。18 And Gad came that day to David and said to him, “Go up, erect an altar to the LORD on the threshing floor of Araunah the Jebusite.” 19 So David, according to the word of Gad, went up as the LORD commanded. 20 Now Araunah looked, and saw the king and his servants coming toward him. So Araunah went out and bowed before the king with his face to the ground.21 Then Araunah said, “Why has my lord the king come to his servant?” And David said, “To buy the threshing floor from you, to build an altar to the LORD, that the plague may be withdrawn from the people.” 22 Now Araunah said to David, “Let my lord the king take and offer up whatever seems good to him. Look, here are oxen for burnt sacrifice, and threshing implements and the yokes of the oxen for wood. 23 All these, O king, Araunah has given to the king.” And Araunah said to the king, “May the LORD your God accept you.” 24 Then the king said to Araunah, “No, but I will surely buy it from you for a price; nor will I offer burnt offerings to the LORD my God with that which costs me nothing.” So David bought the threshing floor and the oxen for fifty shekels of silver. 25 And David built there an altar to the LORD, and offered burnt offerings and peace offerings. So the LORD heeded the prayers for the land, and the plague was withdrawn from Israel.

Ⅰペテロ2:9 
しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるたるためなのです。But you are a chosen generation, a royal priesthood, a holy nation, His own special people, that you may proclaim the praises of Him who called you out of darkness into His marvelous light;

☆ 神の怒り

V1 さて、再び主の怒りが、イスラエルに向かって燃え上がった。主は「さあ、イスラエルとユダの人口を数えよ」と言って、ダビデを動かして彼らに向かわせた。Again the anger of the LORD was aroused against Israel, and He moved David against them to say, “Go, number Israel and Judah.
再び主の怒りが燃え上っていたとあります。そして、主がダビデを動かして。。。と書かれていますが、同じ記事が、Ⅰ歴代誌21章にありますが、そこでは、サタンがダビデを誘惑したとかいてあります。聖書には神は人を罪に誘惑されないとはっきり書いています。ですから、ここでの解釈は、主の許しのもとでそれが行われたということです。しかし、すでに主の怒りがあったと言いますから、主は、ダビデの心の中のおごり、人々の高慢さを見て取ってすでに怒っておられたのです。私たちの心というものは、御しにくいものです。私たちの信じていることが態度になり、私たちの態度が結局行動になります。私たちの心で信じていることが神様からずれていたら、態度がずれ、行動が変わります。そして、それは、行動のみを正そうとしても、なかなか難しいのです。ダビデは、誘惑される前から、心が罪に向かっていたのでしょう。
私たちもそういうことはありませんか。自分の心にあることをまっしぐらに追い求め、神様をそっちのけにしているとき。そのような時は、人から止められても諭されても、気が変わることはありません。現に、ダビデは、v3で、ヨワブになぜそのようなことをするのかと問われますが、気を変えることなく、聞く耳もたず、ヨワブを説き伏せます。

(私の証し)

☆ ダビデの罪

ダビデの罪は、心の中に信じているものから始まりました。それが、罪の行動に向かわせたのです。ここで、なぜ国民を数えることが罪深いことだったのか説明します。
それは、当時、人口調査をするということは、数えられた人は、数えた人の所有となることを意味しました。ですから、本当なら、イスラエルは、主の民であって、イスラエルの王は、主の民を任されている羊飼いであるはずですから、主の民だとして、一人ひとり数えた人に対して贖いをしなければいけませんでした。(出エジプト30章)しかし、ダビデはそれをしませんでした。
これは、大変な高慢を意味しています。

私たちも、功績や成功を重ねるときに、神様の力でここまで来たのに、あたかも自分がすごいからここまで来たと、勘違いしていまうことがあります。成功すればするほど、ダビデのような過ちに陥りやすいのではないでしょうか。

しかし、ダビデの心の柔らかいのは、数えた後で、良心のとがめを感じたところです。悪いことをしたと悟ったのです。

However, ダビデは、この罪の結果として、国民70万人が病気で死ぬことになりました。
王であるダビデの罪の影響力は、70万人の死であった。新約の私たちも王である祭司(Ⅰペテロ2:9)と呼ばれている。私たちの影響力も小さくないことを自覚したい。

ダビデは、自分のしたことで民が死んでいくのを見て更に悔いました。

☆ 悔い改めと代価
 
… 預言者ガドが送られて、エブス人アラウナの土地に主のための祭壇を築きなさいと導かれる。アラウナは、V22 自分の持ち物をそのためにただで使ってくださいとダビデに差し出した。しかし、ダビデは、v24 「いいえ、私はどうしても、代金を払って、あなたから買いたいのです。費用もかけずに、私の神、、主に、全焼のいけにえをささげたくありません。」“No, but I will surely buy it from you for a price; nor will I offer burnt offerings to the LORD my God with that which costs me nothing.”
と答え、代価を払って祭壇を築いた。

そして、この場所が後に、ソロモンが神殿を建てる場所となった。この場所はモリヤの山だった。この出来事が、のちの神殿の霊的な土台となった。

☆ 新約の私たちが学ぶことは、礼拝の土台とは何か。

祭壇…神への捧げ物を置く場所。礼拝の場所。贖いの場所。罪あるものは、神に近づけない。動物の死による罪の贖いがあってこそ、神に近づける。そこで初めて礼拝ができる。

礼拝…仕える、仰ぐ、捧げるなどの意味がある。土台は、贖い。 
高価なものを捧げることが含まれていた。アブラハムはイサクを。また、ダビデも費用をかけずに礼拝を捧げたくないと言った。

ダビデが祭壇を築いたのは、モリヤの山であった。ここは、アブラハムがイサクを捧げるよう命じられたところであった。アブラハムがその神の声を聞いたときに、アブラハムは、それが最高の礼拝を意味することを悟った。なぜなら、犠牲が大きい。最善の最高の、唯一の最愛の者を神のために捧げることであったからです。しかし、アブラハムがイサクに手をかけようとしたとき、神が供え物の雄羊を備えて下ったことから、「主の山に備えあり」アドナイ・イルエと呼ばれた。この意味するところは、主を礼拝するつまり、罪を解決するためには、供え物が必要だ、そしてそれは、私たちに払いきれない大きなものである。神ご自身が、その供え物を用意してくださるというメセージが込められていたのである。全人類にとって、それは、イエス・キリストを意味するのである。

ダビデのこの祭壇の場所が、後の神殿の場所となった。神への祭壇が礼拝の土台となった。その土台は、自ら費用を出した、自分にとって価値のある自分の犠牲を伴うものであった。
その土台は、自分の罪を悔いたところからであった。神と和解するために、犠牲を払った捧げ物が必要となった。

私たちは、神にとって、最高の捧げ物をもって贖われた。買い戻された者たちです。イエス・キリストの十字架の贖いによって、いつでも自由に神様に近づくことができる。
そして、この旧約新約に共通しているのは、この土台、価値のある犠牲、キリストに向かわせる、悔いた砕かれた心である。神は、この悔いた心を非常に尊んで下さる。

ダビデの時代は、旧約、私たちは新約の時代に生きている。私たちの礼拝の質というものは劇的に変わった。罪のための贖いをし続ける行為はもう終わった。私たちにとっての礼拝というのは、ロマ12:1生きた供え物として、神の前に捧げられたものとして生きるということである。礼拝の土台は、イエス・キリストである。

我々は、贖いを土台に礼拝する。贖われるために最高のものを捧げるのではなく、最高の者によって贖われたから、最高のものを捧げる、最高の生き方をするのです。ですから、我々は、イエス・キリストの価値を見失ったら、礼拝のライフスタイルを失ってしまう。何が私たちのために捧げられたかが、礼拝の土台であるから。

ロマ12:1
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。Therefore, I urge you, brothers and sisters, in view of God’s mercy, to offer your bodies as a living sacrifice, holy and pleasing to God—this is your true and proper worship.

私たちは、ダビデのように王である祭司です。日々礼拝することが私たちの特徴です。

皆さんは、礼拝の土台がありますか。罪の問題が解決されていますか。また、罪の問題を自分で解決しようともがいていますか。イエス・キリストに解決があります。イエス・キリストを罪の解決者、解放者、救い主として受け入れませんか。あなたには、生きるべき生き方があります。生きていること自体が神への礼拝だと言える人生が待っています。

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