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神の栄光が現れるため The Glory of God should be

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礼拝後のベイビーシャワー。。。... 礼拝後のベイビーシャワー。。。みなさん良い顔です。祝福の流れるところにいのちが溢れます。
2015年2月15日日曜日バイリンガル礼拝、音声は、http://youtu.be/8pxmQY5UHSI

ヨハネ9章1-8

またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
2 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
3 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。
4 わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。
5 わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」
6 イエスは、こう言ってから、地面につばきをして、そのつばきで泥を作られた。そしてその泥を盲人の目に塗って言われた。
7 「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって、帰って行った。
8 近所の人たちや、前に彼が物ごいをしていたのを見ていた人たちが言った。「これはすわって物ごいをしていた人ではないか。」
Now as Jesus passed by, He saw a man who was blind from birth. 2 And His disciples asked Him, saying, “Rabbi, who sinned, this man or his parents, that he was born blind?”3 Jesus answered, “Neither this man nor his parents sinned, but that the works of God should be revealed in him. 4 I must work the works of Him who sent Me while it is day; the night is coming when no one can work. 5 As long as I am in the world, I am the light of the world.”6 When He had said these things, He spat on the ground and made clay with the saliva; and He anointed the eyes of the blind man with the clay. 7 And He said to him, “Go, wash in the pool of Siloam” (which is translated, Sent). So he went and washed, and came back seeing.8 Therefore the neighbors and those who previously had seen that he was blind said, “Is not this he who sat and begged?”
★ 病気の原因?
V2 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」And His disciples asked Him, saying, “Rabbi, who sinned, this man or his parents, that he was born blind?”

私たちは、病に直面するときに、何が悪かったのだろうか。。。と考えます。私にも、長年病を患っているおばがいました。祖母が気に病んでありとあらゆることをやりました。先祖のたたりかと。。。お遍路さんに、お百度参り、霊能者に除霊もしてもらいましたが、結局なおらず、おばは自殺してしまいました。
「この人が生まれつき盲目なのは、だれが罪を犯したからですか?」と、弟子たちは質問しました。

最初の人アダムとエバが罪を犯し、罪が入ったから死が入り、死が入ったらので病気が入りました。人の命は限りあるものとなりました。罪の性質が遺伝し、受け継がれると同時に、病気や死も必ず受け継がれていきます。ですから、この盲目が誰かの罪の結果であることは、もしかしたらあながち間違っている質問でもないかも知れません。

しかし、イエス様は、こう答えられました。イエスは答えられた。
V3「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。Jesus answered, “Neither this man nor his parents sinned, but that the works of God should be revealed in him.
わたしは、この箇所を読むといつも泣きそうになります。感動するのです。
罪の問題を解決し、罪の連鎖を断ち切り、わたし達を祝福を流すものとするために、地上に来られたイエス様が、「神のわざがこの人に現れるためだ」と言われるのです。
私達に、希望があるのです。

しかし、誰でも彼でもに神のわざが現されるのでしょうか? そうではないのです。イエス・キリストと出会い、このお方に掛けた人のみです。
罪、死、病気の問題を解決できる方は、キリスト・イエスの他に誰もいないからです。キリストこそが、神のみ業、栄光をあなたの上に現すことができるのです。

★ その時は、限られている。

V4,5 わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。5 わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」4 I must work the works of Him who sent Me while it is day; the night is coming when no one can work. 5 As long as I am in the world, I am the light of the world.”

私たちは、人生の重要な決断を後回しにしがちです。また、よく神様に関することは、老年になってから信仰したらいいか、などと言う人も日本では多くいます。しかし、私たちは、いつ自分の命が終わるのか誰も知らないのです。また、死後自分がどこに行くのか、死んでからも私たちの霊が存在していることも、何も気にしないで生きています。聖書の違う箇所にこのような言葉があります。

Ⅱコリント6:2 確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。Behold, now is the accepted time; behold, now is the day of salvation.
“今” こそが、あなたの、恵みの時であり、救いの日なのです。 今です。やがて、恵みや、救いのオファーが閉ざされる時が来るのです。この地の終わりの時が来ます。もう誰も、救いの宣教のために働かなくなる時が必ず来るのです。そして、それがいつ来るのか誰にも分かりません。

★ 不思議な方法で不思議なことが起こる

私たちの最大の敵は、自分の理性と言えるのかもしれません。私たちの経験や蓄積してきた知識、知能かも知れません。
イエス様は、とっても不思議な方法で、この生まれつきの盲人を癒されました。

V6,7 イエスは、こう言ってから、地面につばきをして、そのつばきで泥を作られた。そしてその泥を盲人の目に塗って言われた。7 「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって、帰って行ったWhen He had said these things, He spat on the ground and made clay with the saliva; and He anointed the eyes of the blind man with the clay. 7 And He said to him, “Go, wash in the pool of Siloam” (which is translated, Sent). So he went and washed, and came back seeing.

生まれてから、全く目が見えないのに、こんなどろとつばで目が治るわけが無い。とか、何でわざわざシロアムまで行って洗わないといけないのか、と、ぶつぶつ考えて、やらなかったら、彼は癒されることはなかったでしょう。信仰がなければ、私たちには神のみ業を体験することができないのです。どんな素晴らしい学問も、医学も、哲学もわたし達を死の力から解放することはできないのです。ばかばかしいように思えることでも、イエス様を信じる信仰があるならば、あなたは、人生が180度変えられることを体験するでしょう。
他の聖書の箇所にも次のような言葉があります。

1コリント1:18 十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。 For the message of the cross is foolishness to those who are perishing, but to us who are being saved it is the power of God.
1:25 なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。Because the foolishness of God is wiser than men, and the weakness of God is stronger than men.
1:27 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。27 But God has chosen the foolish things of the world to put to shame the wise, and God has chosen the weak things of the world to put to shame the things which are mighty;
29 これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。that no flesh should glory in His presence.

盲人は、従って見ました。言われたとおりやってみました。すると、生まれてから見た事の無いものを見るように変えられたのです。
彼が、池に行ってみたのは、彼の信仰の表れとなりました。信仰の証しとなりました。
信仰がなければ、神に近づくことはできないのです。信仰がなければ、み業は現れないのです。

今が、恵みの時、今が救いの時です。今日、あなたの前に立ちはだかる病や困難、岩のような大きな動かない問題があったとしても、今がその時です。神のみ業・栄光があなたに現れるのです。信じましょう。


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サンデイさんの後日談

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サンデイさんの後日談
一ヶ月くらい前に、末期がんで延命措置をはずしたサンデイさんとの出会いの話を書きました。

彼女は、延命措置を外す前に、イエス・キリストを信じました。

彼女の最後の願い事は、誰かにそばで賛美歌を歌ってもらうことでした。

主人と私で歌いに行きました。

今朝、分かったことですが、私達が病院を後にした、一時間後に天国へ旅立たれたんだそうです。

そんなに早く召されるとは思っていなかったので、驚きました。

そして、間に合って良かったー。と思いました。

今は、天国でもっと綺麗な賛美歌を歌ってることだと思います。

たくさんの天使たちと一緒に。。。。



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ベイビーシャワー

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ベイビーシャワー
明日は、礼拝のあと、そのまま教会で、ベイビーシャワーがあります。

赤ちゃんが産まれる前にみんなで集まって祝福するのです。赤ちゃんを迎えるのに必要なものをプレゼントしたりします。

ゲームをしたり、おやつを食べたり、楽しく過ごします。

普通は女の人や子供たちが来るのですが、最近は男性も来てカップルを祝福することも多くなって来てるようですね。

明日のカップルは、カナダから越してきて間もない、カナダ人日本人の夫妻です。

これが彼らにとってシアトルのいい思い出になったら、いいなーと思います。

私は、明日のおやつにアンパンを焼いてみました。

美味しく出来ていますように。。。。

主人にたべられませんように。。。

明日楽しみです。



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一番嬉しいこと

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一番嬉しいこと
シアトルで、日本人とアメリカ人対象にしてミニストリーをしていて一番嬉しいことがあります。

それは、帰国していった人たちが里帰りに来てくれることです。

そして、もっと嬉しい事は、その人たちが教会に来ることを楽しみにしてくれてたり、懐かしく思ってくれること。

そして、一番嬉しい事は、日本でも教会に行ってくれていることです。

2月、3月、4月と、何人かの里帰り組みが遊びに来てくれます。

以前、こちらに留学生として滞在しておられた方々です。

二十歳前後にこちらにおられた人たちなので、成長がとっても楽しみです。

まるで、親戚のおばちゃんの気持ちです。

一人ひとり、大切な人たち。

再会を楽しみに、そして、祝福を続けて祈っています。

写真は、先週の里帰りさんと。。。。

来てくれてありがとうね。

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生まれつき盲人の癒しのお話し

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みなさん、こんにちは。
今週日曜日の礼拝の聖書の箇所です。

この奇跡は、後に大問題に発展することになります。
それは、イエス様が安息日にそれを行われたからでした。
当時も今もですが、ユダヤ教では、安息日に何も働いてはいけないとされています。
これを厳密に守るあまりに、本当の神様の心を見失ってしまったようです。

当時ユダヤ教の宗教家たちは、癒されて喜んでいる家族とその本人を追い掛け回して、検証しようとしています。

イエス様は、宗教と真っ向から対決しにこられました。人々に宗教をとるのか、神の愛をとるのかと選択を迫られています。

みなさんには、本末転倒だと思えることは、ありますか。
また、この世に宗教以上のもの、愛が存在することを信じますか。

ヨハネ9章1-14

またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
2 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
3 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。
4 わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。
5 わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」
6 イエスは、こう言ってから、地面につばきをして、そのつばきで泥を作られた。そしてその泥を盲人の目に塗って言われた。
7 「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって、帰って行った。
8 近所の人たちや、前に彼が物ごいをしていたのを見ていた人たちが言った。「これはすわって物ごいをしていた人ではないか。」
9 ほかの人は、「これはその人だ」と言い、またほかの人は、「そうではない。ただその人に似ているだけだ」と言った。当人は「私がその人です」と言った。
10 そこで、彼らは言った。「それでは、あなたの目はどのようにしてあいたのですか。」
11 彼は答えた。「イエスという方が、泥を作って、私の目に塗り、『シロアムの池に行って洗いなさい』と私に言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました。」
12 また彼らは彼に言った。「その人はどこにいるのですか。」彼は「私は知りません」と言った。
13 彼らは、前に盲目であったその人を、パリサイ人たちのところに連れて行った。
14 ところで、イエスが泥を作って彼の目をあけられたのは、安息日であった。


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恵みの法則 The law of grace

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2015年2月8日日曜日バイリンガル礼拝音声は、http://youtu.be/u22jqevk9pE

ヨハネ8章 1-12

1 イエスはオリーブ山に行かれた。2 そして、朝早く、イエスはもう一度宮に入られた。民衆はみな、みもとに寄って来た。イエスはすわって、彼らに教え始められた。3 すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕らえられたひとりの女を連れて来て、真ん中に置いてから、4 イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。5 モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」6 彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。7 けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」8 そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。9 彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。10 イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」11 彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今から決して罪を犯してはなりません。」12 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

★敵(悪魔)の策略

6 彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。6 This they said, testing Him, that they might have something of which to accuse Him.

律法学者とパリサイ人は、何とかして、人気のあり優しく権威に満ちたイエス様の働きをやめさせたかった。イエス様を牢屋にぶち込みたかった。何とかあらを探そうとしていた。そして、彼らは、イエス様をわなに掛けることに決めた。
彼らは、姦淫の現場で女を引きづり出した。不倫の現場に行って、現行犯で女だけを捕まえてきたのだ。当時の律法では、このようなことをするものは、男女両方とも石打の刑で殺されるはずだ。男性は、いったいどこに行ったのだろうか。
今まで、罪人と食事をし、罪を赦し、病人を癒してきたイエス様。病気も罪原因、また汚れているとみなされていた。そのまるで罪に甘く見えるイエス様が今度はなんと言うかと試したのです。
もしも、簡単に赦したら、律法、聖書の教えを軽んじることに、また裁き、目の前で石打の刑にするなら死刑件を持たないのでローマ帝国に対する越権行為となります。どっちに転んでもイエス様を告発できる材料になると考えたのです。
告発するのが、彼らの目的です。
これは、サタンの性質に非常に似ています。サタンは、わたしたちを罪に訴え、罪悪感を持たせ、恥を持たせようとしてきます。そして、自滅に追い込もうとするのです。クリスチャンであっても、恵みの法則を知らないなら、この落とし穴に入ってしまいます。

★罪 

罪の自覚が恵みへの飢え渇きをもたらす。

この女は、不倫の現場で捉えられたため、その辺のものを身にまとい髪は乱れ、なんとも無残な姿で人々の前に座らされていただろう。誰の目にも彼女は罪人である。人の視線が突き刺さる。そして、現行犯だから、石打の刑で死ぬことは決まっている。このような恥を人の前でさらされるならいっそのこと、今殺して欲しいと思ったに違いない。彼女は、自分の罪と直面していた。そして、死を目前にして、どうしてこんな人生をたどるようになってしまったのかと、その罪の原因を見つけていたことだろう。しかし、もはや、救われる余地はなかった。
彼女にとっては、自分の罪への対決・直視が、真の意味で自分自身を知ることであり、恵みのはじめ、恵みの認識の第一歩となったのである。 

★まさかの赦し

V6….しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。7 けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」8 そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。This they said, testing Him, that they might have something of which to accuse Him. But Jesus stooped down and wrote on the ground with His finger, as though He did not hear. 7 So when they continued asking Him, He raised Himself up and said to them, “He who is without sin among you, let him throw a stone at her first.” 8 And again He stooped down and wrote on the ground.

イエス様は、指で地面に何か書かれたとあります。ある人は、姦淫の女を責めていてる人たちの罪を一つ一つ書いていたとも言い、ある人は、恵みについて書いていた。。。とも言います。本当は、何を書いていたのでしょうか。イエス様の、このポウズ、一呼吸あいたところに、人々の心に光が当てられたようです。イエス様のおられるところに、臨在のあるところに心に気づきが与えられるものです。being convicted by their conscience

「罪の無いものが最初に、彼女に石を投げなさい。」

この言葉は、この女の心も、責めている人の心も刺し通しました。
一人また一人と、去っていきました。最後にイエス様だけが、残りました。イエス・キリストは完全な神であり、完全な人であります。聖く、罪の犯したことの無い方です。イエス様だけが、この女に石を投げることができたのです。
女は、死の宣告をされ、びくびくしていたでしょう。今石が飛んでくるかと身をすくめていたでしょう。そして、それは、当然のことであったのです。

イエス様と、この女は、二人だけで向き合いました。

私たちは、みな、一度死に死後に裁きを受けることが定められています。(聖書) 生きているときに、彼女のようにイエス様と一対一で向きあうことがなかったとしても、必ず、死後に向き合い、生前の罪に対して申しひらきをしなければならないのです。
しかし、聖書は次のように言っています。

ヨハネ3:16-17
16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。 For God so loved the world that he gave his one and only Son, that whoever believes in him shall not perish but have eternal life. 17 For God did not send his Son into the world to condemn the world, but to save the world through him.

イエス様が来られたのは、わたしたちを裁いて滅ぼすために来たのではなく、救うために来られたのです。

★恵みの生活への招き

ところが、イエス様は、「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今から決して罪を犯してはなりません。」“Neither do I condemn you; go and sin no more.”

この女は、命を取り戻しました。イエス様と一対一で向き合い、自分の罪を赦していただいたのです。

恵みのdefinition …恵みとは、わたしたちが価しない、全くのプレゼントです。

彼女が生きることは、全くの贈り物なのです。これが、イエス・キリストの与える私たちへの命なのです。私たちは、人生をやり直すことができるのです。私たちは、新しい命をいただいて生きることができるのです。これが、私たちの最大の感謝です。

「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今から決して罪を犯してはなりません。」“Neither do I condemn you; go and sin no more.”

イエス様は、恵みの生活へ招いておられます。あなたの罪は、赦された、だから行って、今度は決して罪を犯さないように。

彼女は、自分の罪を手放すことができた。

彼女は、文字通り肉体の命が救われた。助けられた。そして、もう一つ、心の奥底、霊にも命を取り戻したのです。彼女は、天国につづく永遠の命をいただいたのです。これからは、罪を犯さずに歩んでいこうという新しい恵みの生活に招き入れられました。

みなさん、罪と言うのは、なぜ、やめられないかと言うと、罪を愛しているからやめられないのです。罪を犯すことによって、自分自身への何らかの見返りがあるから、みな罪を犯すのです。どうしても彼女が姦淫の罪をやめられなかった。それは、悲しみ、苦しみ、寂しさ、幼いときのトラウマ、を紛らわすためだったかも知れません。また、何かの復讐心からそれをしていたのかもしれません。罪には、根っこの問題があるのです。それを皆隠したり、紛らわしたりするために罪を犯すのです。そして、そこから離れられなくなる。
しかし、死を目の前に突きつけられたとき、彼女は、罪を手放すことができました。
恵みの生活に招きいれられたのです。

イエスはまた彼らに語って言われた。V12「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」12 Then Jesus spoke to them again, saying, “I am the light of the world. He who follows Me shall not walk in darkness, but have the light of life.”

恵みの生活とは、光の中を歩むことである。死の束縛から解放されたのだから、人生全てをキリストに捧げて生きるという世界。自発的に愛からキリストに従うという人生。罪の奴隷から解放されるが、律法や善悪、決まりごと、宗教の奴隷となり、主人が変わるだけの奴隷ではない。自由の中を歩むことだ。これが恵みの法則。人生丸ごと神様に捧げる。

結婚関係のようなもの。相手を愛しているなら全てのことは正しい。律法のイラストレーション。旅行から帰ってきて、迎えに来た妻にキスをするべきか、ハグだけにするべきか、どこにキスをするべきかなどと悩んでいる人がいたとする。愛して結婚しているのだから、これらに関して悩むことは、全て間違い。愛してすることは、全て正解。また二人の関係の中で育ててきたものがある。その流れでオッケー。
もう、律法に縛られることはなく、死と刑罰を恐れる生活ではない。愛による生活です。

聖書の中に次のような言葉があります。

ロマ5:20-21
20 律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。21 それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。Moreover the law entered that the offense might abound. But where sin abounded, grace abounded much more, 21 so that as sin reigned in death, even so grace might reign through righteousness to eternal life through Jesus Christ our Lord.

ロマ2:4
それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。Or do you despise the riches of His goodness, forbearance, and longsuffering, not knowing that the goodness of God leads you to repentance?

神の優しさがわたしたちを悔い改めに導きます。イエス様は、あなたを裁くために来られませんでした。救うためです。手を広げて待っておられます。

恵みの生活を受け取りましょう。



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姦淫の女 a woman caught in adultery

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今週日曜日のメッセージの聖書箇所です。
今週の記事は、とても有名な姦淫の女の箇所です。

来週またここからのメッセージをのせます。
みなさんは、この箇所を読んだことがありますか?
読まれて、どんな感想を持つでしょうか?

ヨハネ8章 1-12

1 イエスはオリーブ山に行かれた。2 そして、朝早く、イエスはもう一度宮に入られた。民衆はみな、みもとに寄って来た。イエスはすわって、彼らに教え始められた。3 すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕らえられたひとりの女を連れて来て、真ん中に置いてから、4 イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。5 モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」6 彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。7 けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」8 そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。9 彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。10 イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」11 彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今から決して罪を犯してはなりません。」〕12 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

But Jesus went to the Mount of Olives.2 Now early in the morning He came again into the temple, and all the people came to Him; and He sat down and taught them. 3 Then the scribes and Pharisees brought to Him a woman caught in adultery. And when they had set her in the midst, 4 they said to Him, “Teacher, this woman was caught in adultery, in the very act. 5 Now Moses, in the law, commanded us that such should be stoned. But what do You say?” 6 This they said, testing Him, that they might have something of which to accuse Him. But Jesus stooped down and wrote on the ground with His finger, as though He did not hear. 7 So when they continued asking Him, He raised Himself up and said to them, “He who is without sin among you, let him throw a stone at her first.” 8 And again He stooped down and wrote on the ground. 9 Then those who heard it, being convicted by their conscience, went out one by one, beginning with the oldest even to the last. And Jesus was left alone, and the woman standing in the midst. 10 When Jesus had raised Himself up and saw no one but the woman, He said to her, “Woman, where are those accusers of yours? Has no one condemned you?”11 She said, “No one, Lord.” And Jesus said to her, “Neither do I condemn you; go and sin no more.”12 Then Jesus spoke to them again, saying, “I am the light of the world. He who follows Me shall not walk in darkness, but have the light of life.”


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日本の自殺者 本当は18万人??

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今日、興味深い記事を読みました。

リンクは、こちら http://matome.naver.jp/odai/2135018587581844401

日本は、自殺者が多いことが世界でも有名です。しかし、近年、韓国がその数をはるかに上回っていると他の記事から読んで認識していました。

が、実は、そうではなかったようです。

日本では、遺書が書かれている原因不明の死のみ、自殺とカウントするのだそうです。

また、二十代、三十代の若者の死で、死因の第一位は、自殺なんだそうです。

海外の皆さんにも、よく日本を訪問して言われることがあります。日本は、とても歴史があり、古いものと新しいものが融合したとてもおもしろい世界。景色も美しく、街も綺麗に掃除されている。人々は、みな親切で正直だ。。。けれども、電車の中でみる人たちの顔に生気がない。みな希望のない表情をしている。それを見ると辛い。。。と。

この自殺者・死因不明死の数の多さ。。。。

心が痛みます。

小さい箱からでては、たたかれてしまう社会。人と違っていては、変な目で見られる。。。

自己主張ができない。

自分らしく生きられない。

器用な人が得をする。不器用なら輪に溶け込みきれない。。。輪がなければ、いきづらい。。。

そういう世の中でしょうか。

日本人の人たち。自分を愛してほしい。自分のユニークさ素晴らしさを楽しんで生きて欲しい。どうどうと、自己主張して自分の考えに自信をもって生きて欲しい。
自由の中を生きて欲しい。
心が解放されてほしい。。。。

と、願います。

この記事は、とってもショックでした。

日本に希望を!! 心に悩みを持っている方々に光を!

と今日も祈ります。



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型と本物(生ける水の川) Type and Real One

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2015年2月1日日曜日礼拝音声は、http://youtu.be/F-CcCMEIvL8

ヨハネ7章

V1-2
その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。それは、ユダヤ人たちがイエスを殺そうとしていたので、ユダヤを巡りたいとは思われなかったからである。2 さて、仮庵の祭りというユダヤ人の祝いが近づいていた。After these things Jesus walked in Galilee; for He did not want to walk in Judea, because the Jews sought to kill Him. 2 Now the Jews’ Feast of Tabernacles was at hand.

V37-39
さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。On the last day, that great day of the feast, Jesus stood and cried out, saying, “If anyone thirsts, let him come to Me and drink. 38 He who believes in Me, as the Scripture has said, out of his heart will flow rivers of living water.” 39 But this He spoke concerning the Spirit, whom those believing in Him would receive; for the Holy Spirit was not yet given, because Jesus was not yet glorified.

背景は、仮庵のまつりのとき

★仮庵の祭りについて

仮庵の祭りは、イスラエル三代祭りの一つで、最も喜びに満ちた祭りです。収穫の時期でもあり、収穫を祝い次の年の豊作も願いながらの祭り。イスラエル人が出エジプト後、40年間荒野でテント暮らしをしていたことを記念する祭り。

人は肉体という「仮庵」に 70~90年間住むだけの存在であり、主の恵みなしには生きていくことはできないということを覚える一週間としてお祝いしているということです。
祭りは、過去のことを覚えるだけでなく、未来に起きることを期待しても行われる。イスラエルの全ての祭りは将来起こるであろうことの意味が含まれている。

仮庵は、主イエスが地上に来られた事を象徴する祭りでもあります。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」(ヨハネによる福音書1章14節)この「住まわれた」は、「仮庵となられた」ということを意味します。神はメシアであるイエスを地上に送って下さる事により、神と人との和解をもたらされました。仮庵の祭りは、和解の祭りでもあります。

また、世の終わりの時、キリストの再臨を示すものです。

★祭りの特徴

安息から始まり、安息で終わる8日間の祭り

◎テント…実際に、荒野でのテント生活を思い出して、テントで寝泊りする。また、肉体は仮の住まい、地上での生活は仮の住まいであることを味わう。またやがて再臨されるイエス・キリストとともに住むことを思いめぐらす。

◎踊り…仮庵の祭りの特色は、喜びです。祭司たち、宗教指導者たちがリードして踊りました。マイム・マイムの原点になりました。町中に踊りの輪が広がるそうです。なんという喜びにあふれた光景でしょうか。躍り上がって喜ぶという言葉がありますが、踊りは、私たちの喜びの一番の表現ですね。

◎水くみ…喜び溢れるこの祭りの頂点となるのは、水汲みの儀式です。シロアムの池から水をくみ上げ、神殿に運び上げるというものです。また、収穫の時期ですから、来年の雨乞いの意味も込められているそうです。

★型と本物

先に述べたとおりこの祭りは、将来実際に来る、本物のことと比べて、本物を象徴する型であります。クッキーの型を見れば、焼き上がりの本物のクッキーを想像できます。それと同じように、型は本物の影です。本物が本当の意味を持つのです。

今日の聖書の箇所は、ちょうどこの仮庵の祭りのときのことです。イエス様が祭りに来られました。そして、一年のうち一番喜びに溢れ、踊りや賛美のある盛大な中、仮庵の祭りで祝われ、期待されている救い主本人が居合わせているのです。また、七章に書かれているとおり、イエス様という方について、うわさや議論が広まっていた、イエス様理解に混乱があったのです。

祭りのクライマックスに喜びをもって水を汲んでは運んだ。後に来る素晴らしいことを想像しながら、水をくんでいたはず。

私たちも、いろいろな事を願って自分を満たそうと努力する。二週間前にも話しました。みんな、自分を満たそうとして、何かを達成しようとして生きています。しかし、本物に出会わなければ、意味が無いのです。私たちも、祭りという宗教行事を繰り返してしている民のようになってはいませんか。本物が心にありますか。満たさせていますか?

★ イエス様の招き…生ける水の川

いよいよ、祭りの最後の日、クライマックスのときに、イエス様は立ち上がって大声で言われました。V37 。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。“If anyone thirsts, let him come to Me and drink.

水は、シロアムの池から汲まれて、神殿に持っていかれました。なんという象徴でしょうか。この水汲みの儀式は、神殿が壊されるまで続いていたそうです。今現在の神殿とはなんでしょうか。新約聖書では、神殿は私たちの身体をさしています。なんという象徴でしょうか。

普通、ラビたちは、座って教え、立ち上がって話すことはありませんでした。また、大声を出すこともありませんでした。イエス様は、立ち上がって、大声で言われました。「わたしのもとに来て飲みなさいと。」切迫感を持って、みなに聞いて欲しいという気持ちが現れています。

V38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」38 He who believes in Me, as the Scripture has said, out of his heart will flow rivers of living water.”

◎心の奥底…ユダヤの世界では、腹を指している。これは、人の感情の奥深いところにある座。みんな感情の満たし、解決を求めて、水を汲んでいるのではないでしょうか。この憎しみさえなくなれば。この孤独感さえなくなればと言った課題があり、その解決のために、何かをしている。あるいは、忘れるために忙しく働いているかもしれない。あなたの、悲しみの源、苦しみの源が泉となって生ける水の川が湧き出ると言っているのです。

そして、イエス様は、招いておられます。「誰でも渇いているなら、私のところに来てのみなさい」今、自分を満たそうとしていることをやめ、イエス・キリストのもとに来なさいと。他の誰のところでもなく、イエス様のところへ。
宗教でもなく恋人でも、家族でも、仕事でも、地位でも、お金でもない。イエス様のところです。

私を信じる者は、。。。その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出ると、イエス様は言われます。

あなたの腹の奥底の感情、問題、その場所をイエス様に明け渡すとき、イエス様がこの感情、問題を解決してくださると信じるとき、奇跡が起きる。その感情の深みから命の水が沸きでる。

39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。But this He spoke concerning the Spirit, whom those believing in Him would receive; for the Holy Spirit was not yet given, because Jesus was not yet glorified.

これは、聖霊の注ぎのことを言っていいると言われています。今、詳しい話をしませんが、今の時代誰でも、信じるならば、この神の霊による満たしが与えられます。

他の聖書の箇所に
1コリント2:11 いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。 For what man knows the things of a man except the spirit of the man which is in him? Even so no one knows the things of God except the Spirit of God.

と、ありますが、あなたも言葉にできない、内面のうめきのような思いさえ、神の霊は知っておられます。その満たしを受け取りましょう。

★あなたも受け取りませんか
受け取るには、信じることが必要です。信じる以外は、ほかに何もする必要はないのです。自分の心の深みにある感情にイエス・キリストをお迎えし、お任せし、自分の心に来てくださるように、信じましょう。


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ミーガンさんの証し

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この日曜日は、
ブリッジズインターナショナルという、留学生のための働きをしている
ミーガン・タップさんが、ゲストとして教会に来てくださいました。
そして、ご自分の体験から、聖書の言葉を分かち合ってくださいました。

ミーガンさんは、幼いときから、たくさんの人が救われたらいいのにという気持ちを持っていました。
ある日、家の近くをいつも通る韓国人の留学生がいました。
彼女を助けたいと思ったけれども、言葉も通じないし、どのようにしたらいいか分かりませんでした。けれども、勇気をもって、話しかけるうちに、親しくなり、そして、宿題をみてあげるようになりました。時々は、言葉が通じないので、お互い辞書とにらめっこの時もありました。
しかし、この経験が後の決断の助けになります。

大学を終えて進路を決めるときに、神様のために働こうと思いました。
何の経験も無い、何の知識もない、自分が何ができるかもわからないような自分にこんな大役ができるのかと思いました。しかし、次の聖書の言葉が思い出されました。

エレミヤ1:5-10

「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」6 そこで、私は言った。「ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません。」7 すると、主は私に仰せられた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。8 彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。―主の御告げ―」9 そのとき、主は御手を伸ばして、私の口に触れ、主は私に仰せられた。「今、わたしのことばをあなたの口に授けた。10 見よ。わたしは、きょう、あなたを諸国の民と王国の上に任命し、あるいは引き抜き、あるいは引き倒し、あるいは滅ぼし、あるいはこわし、あるいは建て、また植えさせる。」

まだ、十代であったであろうエレミヤに語られた神の言葉です。
神は、この経験も知識もない、若いエレミヤに、偉い人、王や、祭司のところに行って腐敗を指摘し、彼らを正す言葉を語れと言っているのです。
エレミヤは恐れたに違いないです。

しかし、エレミヤは従いました。

この箇所を読んで、ミーガンさんも神様に従う決心をしました。

聖書の中に次のような言葉があります。

1 コリント 1:27-31

しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。 28 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。 29 これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。30 しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。 31 まさしく、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。

自分が立派だから、よい説得力を持つのではなく、自分は何者でもなく、普通の人間であるが、こんな自分だからこそ、神様のなさることが引き立つのだと。

私がしていることを見て、周りの人が、これは神のみわざだとしか言いようがなく、神をあがめるようになる。
そのことのために、毎日主に仕えている、という事でした。

ミーガンさんは、大学を去年卒業し、また結婚したばかりです。
とても初々しい、若さに溢れた素直な方で、聞いている皆さんも、神様のみことばがすーっと心に入ったようでした。

私も、初心に帰らされた思いです。
私ではなく、キリスト。
私は、土くれに過ぎないではないか。できなくて当たり前。
しかし、全てのことを可能にしてくださる神に信頼し、従うときに、神の栄光を見る。
そこにかけてやっていこうじゃないか。
つぶやかず、あきらめず。愚かに見えても、不器用なやり方であっても、
ひたすら、神様に従っていこう。
と思わされました。謙遜にさせられました。

熟練もいい、知恵もいい。
でも、若さから来る情熱と、ひたむきな態度というのも
インパクトがあります。

初心を忘れずに、心新たにやっていきましょう。

みなさんは、どんなパッションを持っていますか。
初心に帰ることはありますか。
みなさんの今日の仕事に祝福がありますように。



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